定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

2019年 第12回青梅七福神巡りサイクリング

2019-01-04 11:02:25 | 国内サイクリング


1月3日(木) 第12回青梅七福神巡りサイクリングを実施。とは言っても、今年は途中の老人ホームに入所している友人を訪問した後に青梅七福人巡りサイクリングとした。そのために少人数で行うことにした。ところが、それぞれに用件ができ、ひとりでスタートすることになった。快晴だった。例年よりも暖かい。スタート時点は。



友人の入所している老人ホームは一人部屋だった。彼はテレビで箱根駅伝を見ていた。机の上にはハーモニカが並ぶ。友人は、老人ホームのクリスマスの際にハーモニカを演奏したら「ほかの所でも演奏してほしい」と頼まれたという。いいことだ。だが、ハーモニカを持っていると腕が痛くなり30分以上は続けられないのだ、と友人は言う。

友人は、一昨年、自転車による自損事故で首から下がマヒ、寝たきりになった。運動好きな友人は看護師さんに隠れて「歩く練習をさせて」と見舞客の手を借りて、歩く練習をしていた。そして、歩けるまでになったのだ。歩けるようになったら、病院から老人ホームに。病院ではないのでリハビリの時間がない。自主的に工夫してリハビリをしているという。だから、腕の痛いのもそのうち何とかなるでしょう。
友人と二人で、新年を祝ってノンアルコールビールで乾杯。ノンアルコールとは言え、ビール。
「やっぱりうまいなあ、ビールは」というのが、友人の第一声だ。
すると、携帯電話が鳴った。1月2日息子とお酒を飲む予定があり、飲み過ぎで3日は二日酔いだと思って、自ら七福神巡りを遠慮した自転車仲間からだ。

「今どこにいるの」
「酔わないビールで乾杯中」と応えると、
「聞修院に3人でいるけど、風がふいて寒い」という自転車仲間。スーパーで買い物をしていたら、偶然にもほかの自転車仲間と会ったのだという。今回は12回目、いつも青梅七福神巡りのコースは同じなので出会ったのだろう。
「先に走っていて、追いかけるから」と返事をした。
けれど、私のMTBは1・95インチのブロックタイヤ。クロスバイクや小径車でオンロード用のタイヤを履いている3人組に追いつけるわけがないのだが。



快晴の中を寺院に寄りながら3人組を追いかけた。結局、いつも最後に寄っている宗建寺のひだまりで3人が待っていてくれた。携帯電話を見ると「カリン酒のお寺で待っています」とのメールが入っていた。ところが、今年はカリン酒がない。例年、カリン酒を入れたポットと紙コップが並ぶテーブルだけが、陽だまりにあった。15日から20日まで国立で行う写真展「シルクロードの子どもたち」を紹介したハガキをみんなに手渡した

実は、わたしは老人ホームに入所している友人を訪問するために、例年1番最初に巡っている寺院に寄っていなかった。そこで、ここからは4人で七福神巡りをすることになった。

玉泉院、例年この寺院の山門の前で記念写真を撮っている。青梅七福神巡りに来ていた人に頼んで、集合写真を撮ってもらった。このお寺では、参拝客に梅茶を提供している。私たちがいただいていると住職が来て「味はどうですか」、「美味しいですよ。体も温まります。ありがとうございます」と応えた。すると住職は一口飲んで「うん、うまい。さっきのお茶はすっぱかったんですよ。男の人が作ってくれたので、慣れていなかったんですね」と納得。青梅七福神巡りの各お寺では、参拝客に異なった飲み物を提供している。これも、寒い中を参拝する人にとっては楽しみの一つになっている。

青梅七福神巡りを楽しみたい方は、下記も参考にしてください。


帰り道、立川に住んでいる自転車仲間に「家で雑煮でも食べて行って」と誘われて、新年早々、お邪魔した。おせち料理や肉や刺身をごちそうになった。奥様には「自宅で食べられないものだから頂きます」と宣言。焼肉や刺身をメインにごちそうになった。ご家族の皆様、ごちそうさまでした。今年もよろしくお願いします。

第12回青梅七福神巡りでの走行は69キロだった。
自転車仲間さん、15日の写真展「シルクロードの子どもたち」のお手伝いよろしくお願いします。

asacocoの「青梅七福神巡りのイラストマップ」

2018-12-24 16:26:10 | 国内サイクリング


asacocoというタウン誌で、青梅七福神巡りのイラストマップを紹介していました。(PDFは4ページ目にマップがあります。4ページと5ページは見開きになっています。5ページが出たら、右側を見るように工夫してください。)

もちろん、各寺院の特徴や紹介もある。イラストマップには、大きなカエルの置物が庭にある寺院、門構えに風格のある寺院などあり、思わず納得。

寺院では、甘酒、甘茶、カリン酒(アルコール度数は低いので心配不要)など無料の飲み物が出されるところもある。あるお寺では、お茶と一緒に漬物が出てくる。3日には骨董屋さんがお店を出す寺院もあります。

わたしは、七福神巡りでひょうたんや七福神、干支などのストラップを買い、海外サイクリングの際のお土産にしています。お守りもさまざまなものが並ぶので、平和と健康、旅の安全祈願を兼ねて、自転車や歩いてまわってはいかがでしょうか。

御利益に向かってみんなで努力しましょう。



自転車仲間と一緒に自損事故の友人と会う

2018-12-15 18:30:35 | 国内サイクリング


12月15日 天気がいいので、自転車仲間と一緒に青梅の老人ホームに入っている友人に会った。昨夜、自転車仲間に電話で天候を確認し、寒さ対策をして出かけた。今日の多摩地区の天気予報は晴れ。最高気温9℃、最低気温2℃の予想。

家を出たのは9時20分。青空の下、出掛けた。自転車仲間の家は立川市内。中央線のガードをくぐって北側に出て畑の間を進む。実際には、すっかり畑は少なくなり一戸建ての新築住宅の間を進む。国立市に住んで30年近くになるが、すっかり田園風景は少なくなった。50年も過ぎたら、人口が少なくなって、再び田園の風景の中をサイクリングできるのかもしれない。
でも、沿道にはダイコン畑があった。

2人で青梅をめざした。途中のコンビニには、電飾を飾っている自転車があった。夜間にお店を彩るネオンの代用だろうか。友人の入っている老人ホームの約2キロメートル手前、リハビリの理学療法士などを育てる学校があった。
友人の部屋を訪ねたが不在だった。職員の人が「トイレでしょう」という。車イスもあるし、どうやってトイレに行ったのか。

待っていると、老人ホームに入所している友人は歩いて部屋に入ってきた。老人ホームに入所している友人は、一昨年の1月末に自転車による自損事故で頸椎骨折。首から下がマヒしていた。病院を2か所変わり、リハビリに励んでいた。はじめて会った時は、手を全く使えなかった。テーブルにアイスコーヒーの入ったグラスを置き、手を使えないので口にくわえたストローで飲んでいた。半年ほど前、自転車仲間と一緒にお見舞いに行った時には、テレビやラジオのリモコンをうまく使えないので、その度に看護師さんを呼んでお願いしていた。

その後、歩こうという気持ちが強かったことと、パチンコじゃないけれど「粘りとガンバリ」で看護師に隠れて歩く練習などのリハビリをしていた。今では、テレビのリモコンも自分で操作できる。パソコンも携帯電話も使えるまでに回復している。今日は、ミカンの皮を自分でむいて食べていた。



2001年に30名程の仲間と一緒にウズベキスタンにあるサマルカンドをサイクリングしている時、脳梗塞で倒れ、チャーターしたジェット機で日本へ送り帰した仲間が1名いた。彼は、年に3回もトライアスロンに出場していることから、海外旅行傷害保険への加入を参加条件にしているにもかかわらず、加入しないで「ツール・ド・シルクロード20年計画」に参加していた。保険がないので、ジェット機で日本へ送り返すまでに1300万円必要だった。ジェット機は、家族がお金を振り込むまで飛ばなかった。たいていの家庭が同じだと思うが、大半の現金は世帯主の名義で預金されていた。脳梗塞で倒れた仲間の名義で銀行に預けていたので、送金するにも銀行の支店長のハンコが必要などの条件があり、留守の奥さんは苦労してジェット機をチャーターする代金を送金したのだった。土日などだったら送金もできず、回復の程度に影響していたと思われる。海外旅行傷害保険は大事なのだ。

当時は57歳だった彼は、脳梗塞て倒れて1か月程意識が戻らなかった。右半身にマヒが残り、話しもできない状態だった。
この人も、入院中からスポーツのトレーニングのように自主的にリハビリに頑張っていた。長いリハビリの末、杖を持っているが歩けるようになった。70歳代半ばとなった今、毎朝、散歩から日課をスタートしている。

「歩けるようにはならない」と医師や看護師に見放されていたが、歩けるまでに回復した二人に共通しているのはリハビリに熱心だったこと。ケガや病気の前、スポーツに熱心で筋肉を使っていたことだ。加えて、諦めないことだ。二人ともかなりのお酒好きで飲んでいたが、トラブルのあとはノンアルコールとなっている。

 

老人ホームからの帰り道を自転車仲間と走っていると、老人ホームの近くにある小学校の校庭には桜が咲いていた。自転車仲間が言うには、今年はあちこちで寒い時期に咲くサクラが多いのだそうだ。

シルクロード雑学大学の仲間と毎年、1月3日に国立市から青梅七福神巡りを自転車で行っていた。約50キロだ。来年は、友人の老人ホームへのお見舞いと快気を祈念することを兼ねる青梅七福神巡りとすることにした。参加は、老人ホームに入所している友人をお見舞いした人に限る予定だ。その際、老人ホームで、ノンアルコールビールで新年を楽しむことにした。だが、ノンアルコール飲料はどこに売っているのか、自転車仲間も私も知らない。帰り道、ダイエーで見つけて買った。新年を迎える準備は進んでいる。今日の走行は、63キロ。16時30分少し前に家に帰った。

「幕末の探検家 松浦武四郎展」へ自転車で散歩

2018-12-09 19:19:55 | 国内サイクリング
  

12月9日(日) 世田谷で開催されている「生誕200年記念 幕末の北方探検家 松浦武四郎展」に自転車で散歩に出かけた。天気がはっきりした10時過ぎのスタートとなった。会場は、世田谷にある静嘉堂文庫美術館で、今日が最終日だった。

先日、北海道出身でシベリア抑留の事をテーマとしている2名の友人と都内で会った「たった独りの引き揚げ隊」(角川文庫)の著者・石村博子さん、もう一人は最近「知られざるシベリア抑留の悲劇」(芙蓉書房出版)を出した長勢了治さん。神楽坂にある「モーリー」というバーだった。

  

その時に、長勢さんが「『松浦武四郎展』に行ってきた。駅から歩いて20分もかかった」と言っていた。世田谷区は広いからなあと思っていた。北海道の命名者、名付け親だということは学校で習っている。だが、「北海道」と命名されて今年で150年だということは、知らなかった。
北海道では、北海道博物館で展示会をするなど、大々的に動いているらしい。

私は、テレビもないし新聞も取っていない。そんなことから知らないのかと思ったら、区内に住んでいる石村さんも都内で「松浦武四郎展」が開催されることを知らなかった。石村さんは、その場で「必ず行きます」といって、場所などを詳しく長勢さんに訊ねていた。

長勢さんが松浦武四郎と語る言葉で「博物館の床に、松浦武四郎が測量して作った北海道地図がタイルにして展示されている。北海道の縁がをぐるっと回るようにして地名を書いている。アイヌの人に地名を聞いて『音』をそのまま描いたのだろうが、すごい数だよ」「美術や骨とう品の収集家としてもすごいと思うけれど、そのお金はどこから出ていたんだろう。すごい好奇心だし、そのために日本を周ったエネルギーもすごい」というようなことを話していたことが印象に残っていた。

  

会場の床に描かれた北海道地図。これはすごかった。海岸線を覆うようにして、びっしりとカタカナで地名が書かれている。その数がすごいのだ。海岸に隙間なくカタカナが並んでいる。現物を見たいものだ。複製でもいい。こんな地図を持って北海道をサイクリングしたいと思った。
シルクロード雑学大学に新しく入会した会員の中には「北海道を自転車で廻りたいけど、どんなコースでどこへ行ったらいいんですか」と聞いた人がいた。定年後、仕事を離れるとともに生活の目的も見失ったようだ。目的があるから北海道へサイクリングに行くのではなくて、目的地を教えてほしいというのだ。定年後、「どうしてもシルクロードのここへ行きたい」とか、「人力の旅としたいので、自転車で行きたい。シルクロードを通じてユーラシアの東西世界が交流していたことを実感したい」とか、本を読むなどしてもっと積極的に過ごし方を計画して、「自分らしい定年後」を描いてほしい。他の人と共有すれば、夢の実現はぐっと近づく。日本一周でもいいのだけれど。

わたしは大学で日本文学を専攻していた。卒論は「武田泰淳『ひかりごけ』における罪の意識」だった。卒論は、北海道新聞と羅臼町史で公表されている史実を調べた上で、武田泰淳がこの事件の主人公が罪の意識をどのように受け止めているのかを、つまり武田泰淳の考える罪の意識を、小説を読んで論じた。だから、一度は小説の舞台となった羅臼へ行ってみたいと思っている。まだ実現していない。また、JACC(日本アドベンチャーサイクリストクラブ)のメンバーの中にキリスト教徒の人がいる、「塩狩峠」という三浦綾子小説の舞台を自転車で行ったようなことだった。そこで、「塩狩り峠」を読んだ。読み終える前から、小説の舞台へサイクリングに行きたくなった。記念館もあるようだ。三浦綾子の作品はこれからも読んでみたい。
武田泰淳の「ひかりごけ」は、Amazonで100円くらいより。三浦綾子の「塩狩峠」は、Amazonで1円より。北海道へのサイクリングに興味のある人は、読んでみてください。

こんなことから、文学を通して北海道に関心を持っていた。だが、松浦武四郎展を見て、彼の描いた探検や地図の世界、アイヌを道案内にして描いた地図の舞台も巡ってみたいと思った。まずは、松浦武四郎を知ろうと思う。

松浦武四郎展の会場は静嘉堂文庫美術館で世田谷にある。国立の団地から多摩川サイクリングロードを通って羽田へ往復する際に、通ったことも何度かあった。世田谷区の地域は高台を走ろうとしたときに、この美術館の前を走ったように思う。

  

松浦武四郎の作った地図がとても気になっている。複製を売っていないので、地図を掲載している本を買った。複製があれば買って、持参してサイクリングに出掛けたい。尚、「松浦武四郎 入門」は、Amazonで1100円くらいより購入できる。関心のある方は、この本を読んで、他の本にも手を伸ばしてから北海道を旅行してはどうだろうか。定年後、目的をもって旅行することを勧めたい。探検家を知ることで、日本から世界へと好奇心が広がるにちがいない。
自分自身の中にある好奇心に気づくチャンスにもなると思う。人生にも旅にも、目的が大事だと思う。人生で大事なのは、出世や地位や名誉ではないはず。

美術館への行きの話、国立の団地を出て多摩川のサイクリングロードに入った。寒い中で多摩川の川原でバーベキューをしている家族を何組かみかけた。テントの脇にマウンテンバイクを置いているサイクリスト、大きなテントの上には煙突のあるグループ。楽しみ方もさまざまだ。静嘉堂文庫に到着したが、入口から先が長い。しかも上り坂。世田谷だというのに、林に囲まれている。周囲の岡本公園ものんびりと歩きたいものだ。私が返る時にも、沢山の人が美術館に入っていった。うれしいことに若い人も多いのだ。

  

帰りには、野川沿いのサイクリングロードを通った。風が強かったので、川原ではなく住宅の多いルートを選んで風邪を避けたかったのだ。寒いせいか人は少ない。子供が釣りをしていて、小さな魚を釣り上げていた。魚をどうするのか。途中に道祖神を見付けた。花は飾ってあるけれど造花だった。造花のドングリには驚いた。一年中花があるのはいいことだ。ワンカップがあったがをよく見たら、封は切られていないままだった。ただし片方の道祖神にはワンカップがなかった。おこぼれを頂戴した人がいたのだろうか。高速道路のインターチェンジの工事が進められていた。遺跡がいくつも見つかったところだ。野川をまたぐ道路が造られて、遺跡は鉄板に覆われて見えない。川に鳥もいなくなった。

  

野川の両側にはサクラの木が並んでいる。春の花の時はきれいだ。
先日の風で倒れたサクラもあった。浮き上がった根を見ると、川と反対側はセメントの壁でをふさがれていた。サクラもつらいなあ。「ウサギ小屋」で生きているのは、人間だけではなかった。サクラの木よ、お前もか。

 

小金井市内だろうか、遺跡から人の住居の痕跡が見つかったとの案内板がある。1万2千年前頃らしい。ということは、この辺りには遺跡がたくさん埋もれているらしい。アフリカで発生した人類が日本列島に到達したのは、8万年以上前という説もあれば、4万年くらいという説もあるようだ。どちらにしても、どんな暮らしをしていたのか興味深い。掘ってみたくなる「案内板」だった。
国立に戻ると、駅前にはイルミネーションが飾ってあった。並木の銀杏は、黄葉を残している。イルミネーションは、駅前に5つほどしかないのだが、大学通りのずっと先までイルミネーションが並んでいるように見える、夕暮れ時だ。時間のある方は、日没前の大学通りを見に来てはいかがでしょうか。大学通りは、JR国立駅の南側です。今日の走行は50キロだった。明るいうちに帰宅することができた。

自転車による自損事故の友人を見舞いに、自転車で青梅へ

2018-12-02 21:32:13 | 国内サイクリング
  

雨は降らないとの天気予報。自転車による自損事故の友人が、青梅にある老人ホームに移ったと知ったのでお見舞いに行くことにした。何かと重なった作業を終えて出発したのは、11時30分だった。

多摩川のサイクリングロードを利用して、青梅には何回か行っている。地図を調べて、大体の位置を確認したのちに多摩川のサイクリングロードを利用して自転車で行くことにした。

「鬼の洗濯岩」といわれる形態の河床が多摩大橋の近くにある。河口から43㎞の表示が近くにある。約1300万年前、海底に積もったものが岩になったという。貝や魚の化石を見付けることができると聞くが、わたしの場合は何時も貝ばかりだった。一回くらいは魚の化石を見付けたいと思っていたが、人生の時間は残り少なく方向転換、化石探しは他の人に楽しんでもらいたい。

 

羽村の堰では、看板の前で年配の夫婦が話をしていた。ご主人は看板を作った人の様だ。「一人ではできないので、二人で作った」などと話していた。制作にかける時間が少なかったのか、絵のタッチなどの問題だったのか。

 

「まさかぁ」なんて言うことがある。60歳になった時、中学校の同窓会で住職を務めている友人が講演をして「人生には『まさか』という坂もある‥‥」と話していた。ネタ本をもとに多くの人が話している題材だと思う、しかし、ほんとうに「まさか」という坂があるとは思わなかった。「間坂(まざか)」と濁るのだが‥。中国で「馬鹿中学校」という学校があった。校門を見て、シルクロードを一緒に走った仲間は「教師として、これは見逃すわけにはいかない」といって写真を撮っていた。国語を教えていたのだが、授業で写真も生徒に見せたんだろうなあ。ちなみに、中国ではただの「ウマとシカ」の意味しかないという。日本とは異なる。日本の「馬鹿」という文字の並びは、日本では何時から今のような意味を表すようになったのだろうか。
また、これまでは青梅までのサイクリングで、風景を見楽しんでいたのだろうか。「間坂」に気が付いたのは、今回が初めてだ。10年以上、自転車で通っている。何故気が付かなかったのか。通るルートを楽しむ、歴史やストーリーを楽しむ心が貧弱だったと反省した。

 

老人ホームに到着したのは、14時30分、団地からは約30キロだった。驚いたのは、いつも1月3日に行っている青梅七福神巡りのコースの直ぐ近くだった。また、いつも利用しているコンビニが閉店していた。トイレを使わせてもらい、おにぎりを買っていた。コンビニは増えるばかりと思っていたが、地方では減っているのだろうか。人口が減っていること、一極集中を実感させられた。

友人は、自転車による自損事故で首から下の部分の自由を失い、治療とリハビリに取り組んでいた。もうすぐ2年になる。事故は飲酒運転だった。また、日の短い1月下旬、夕方。老眼のために段差に気づかずに転倒したという。シルクロード雑学大学では、飲酒運転は危険だし人をケガさせてもいけないので、やめるように何度も話していた。「飲酒運転は危ない。長澤さんが何度も言っていたことがようやく判った」と友人が言ったのは、入院した病院のベッドの上だった。そんな風にならないために、定例会で話していたのだが。残念だ。

とはいえ、寝たきりだった友人は、歩くことができるようになった。腕も指も動かなかったのだが、パソコンを使えるようになった。
私は、来年から青梅七福神巡りはひとりで行うことにした。その時に立ち寄る、甘酒を持参すると伝えた。ノンアルコールのビールくらいは準備しておくよ、との返事が返ってきた。
施設を出たのは、16時。自宅に着いたのは19時。走行距離は約30キロ。帰りは一般道を走ったが、交通量の少ない道を選んだせいなのか、地図で道を確認する機会が多かった。

  

友人の入っている老人ホームへ行く途中に、趣のあるお寺の門があった。500年程の歴史を重ねている様だ。日没が気になり、門前で引き返した。のんびりと散歩したい雰囲気を持っていた寺院だった。