6月13日 サリアからパラス・デ・レイまでの46キロ
宿泊したのは、サリア駅前のホテル。ここから歩くとサンチャゴまで100キロとなり、「巡礼の道」を歩いた証明書をもらえるという。それで、ここから歩き始める人が多いという。マドリッドから電車で来る人も多いという。
今日のコースでは、最初に急な上り坂がある。途中で自転車も通れないような段差があるという。そこで、全員でCASTROMAIORという村の外れまで車で移動した。急な上り坂と下り坂を避けたのだ。
Cグループは、さらにVENTAS DE NARONという村のBARまでクルマで移動し、ここから歩くことにした。
Cグループの人が車で移動中、雨が強くなった。自転車の人は巡礼の道を走っていたが、合羽を取りに来る人がいるというので、車は「巡礼の道」と一般道が交差する地点で待機していた。雨は強くなるばかりだった。スタッフは、車が危ないので一般道はやめて「巡礼の道」を走るようにアドバイスした。だが、自転車はそのまま一般道を進んだらしい。スタッフの言う通り、この地域は雨と霧が多い地域らしい。
合羽を渡して、Cグループの人は歩く出発地点までクルマで移動した。豪雨と濃霧で、車もスピードを落とさなければならないほどだった。これでは自転車の人はずぶぬれだろうと心配になった。
歩き始める地点はBARの前からだ。だが、空も明るくなってきたので、お茶を飲んで雨が小降りになるのを待った。
歩いている人は多かった。高校生の遠足のような年代の人もいた。
「巡礼の道」の脇にある教会は、小さいけれども多くの人が中に入っていく。雨は降り続いていた。
たが、中にいた司祭の人は携帯電話で会話中だった。電話が終わるのを待った。スタンプを押してもらおうと紙片を出してはじめてわかった。この人は盲目だった。目は開いているけれども見えないにちがいない。彼がスタンプを持った位置にスタンプを押す場所を動かして、手探りの彼からスタンプをもらう。みんなそうしていた。視覚障碍者であっても、他の司祭と同じように社会が受け入れている。社会の、人間の懐の深さを感じた。
歌ったり踊ったりしながら雨の中を進んでくるグループがあった。高校生くらいの年代だった。
BARでホタテ貝の説明をして、サンチャゴまで東日本大震災の復興への祈りながら歩いてもらうことにした。
とても熱心に話を聞いてくれた。
この辺りは雨が多いのか、家の脇には薪がつまれている。
道は時に狭い農道のようなところを進む。こんなところも自転車で入るのだから、驚きだ。
道の脇に即席で作ったような十字架があった。
途中のBARでは、雨の中、自転車が何台も止めてあった。
教会の裏手にお墓がある。十字架にはキリストが彫られていた。この地域の特徴のようだ。さきほど、「巡礼の道」の脇にあった十字架も、地元の人が
置いたのかもしれないと思った。
教会の鐘にひもがつながっていた。一緒に歩いていたメンバーがひもを引くと簡単に鐘がなった。後でガイドの木下さんに聞いたら、教会の鐘は村の人に時間を知らせるものだという。日本のお寺の鐘と一緒だ。今は、だれだって時計を持っているし、テレビやラジオで時間を確かめているのだろう。でも、教会とともに、鐘で時を知らせる習慣も今に続いているようだ。
雨は上がったが、「巡礼の道」は緑のトンネルとして続いている。雨が多いことがよくわかる。
今日の宿泊は、こんな施設だった。自転車の人たちは、雨が強くなったのですぐに走行をやめて、早めにホテルに到着したという。「巡礼の道」を歩いて、1キロほど先にある隣村まで買い物に行った人もいた。ホテルの周りにはお店がないのだ。2年程前に出来た新しい宿泊施設らしい。到着したころには、太陽が顔を出していた。