定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

中央アジアの子どもたちの絵

2019-02-04 16:14:07 | シルクロード中央アジア
  
東京都港区六本木にある国立新美術館へ行った。シルクロードの子どもたちが描いた絵の展示会、最終日だったのだ。絵は、カラフルなものが多いと感じた。服装、草原か、山岳部が多いか、家はユルタなのか(テントのような移動式の家屋)などの違い、中央アジアの各国の風土や民族の特徴も絵に現れていると感じた。

  
ウズベキスタンの子どもたちが描いた絵。夏の風物詩ともいえるスイカ。中央アジアのスイカは大きくて甘い。傘をさしている女の子は、雨を喜んでいる風だ。砂漠の雨は、恵みの雨と言われている。雨の後は、空気が澄んで遠くの山の雪景色もはっきりとみられるようになる。また、雨の後に一気に花が咲くのも砂漠の雨の特徴。

  
カザフスタンの子供たちが描いた絵。草原の中にユルタという移動できる住まいがあり、遊牧民の末裔だとよくわかる。また、砂漠の船と言われるラクダはフタコブラクダだ。

 
キルギスの子供たちが描いた絵。緑が豊かな暮らしのようだ。山が多くきれいなのだろう。子どもの目には、草原と山が身近な風景であり自然の様だ。また、国旗が描かれており、自分の国に誇りや愛着を持っているように感じられる。雨が降れば、次には虹が現れる。それが当然なのだろう。わたしも昨年の夏、キルギスイシククル湖の東にある街で夕立にあった。そのすぐ後に、二重になった虹が草原を覆っていた。
モノクロの絵は、「マナス」という口承で伝わる伝説を、絵にしたものと思われる。「キルギス人の祖先は勇壮だった」と伝わっているが、伝説の物語が子どもたちの心を支えているのかもしれない。

   
タジキスタンの子供の絵。16点が展示されていたが、10才の子供が一人で描いたようだ。絵が好きなのだろう。イランとの文化的なつながりの深いことが感じられる。また、お面をしている様な絵は、何を表してるのだろうか。ちびまる子ちゃん風でかわいい。民族独特の文化を表しているのだと思うのだが。また、馬は身近な動物だと思った。キルギスで見た小学校2年生くらいの子供たちは、日本の子供たちが自転車で遊びに出掛けるような感じで馬にまたがっていた。わたしはまだ、タジキスタンへ行ったことがない。先日の国際シンポジウムで会ったドシャンベの国立博物館の館長は「ぜひ来てほしい」と誘ってくれた。行きたいなあ。

  
トルクメニスタンの子供たちの絵。親戚一同で草原で過ごしている風景か。砂漠の国で地下資源が豊富、加えて自然の豊かな地域もあるように思った。アムダリアの西に圧トルクメニスタンでは、ヒトコブラクダが多い様だ。
また、カスピ海の風景と思われる絵は、日常生活を描いたものだろう。約70年前、カスピ海の沿岸に抑留された元日本兵の中で北海道出身の漁師がいた。「トルクメニスタンの人たちの漁業を指導した」と抑留された元日本兵の手記を読んだことがあることを思い出した。その後、トルクメニスタンの漁師もたくさんの魚を捕ることができるようになったらしい。キャビアもたくさん捕れる国だ。
他の中央アジアの子供たちの絵と比べると、絵を描いたトルクメニスタンの子供たちは年齢が上だった。絵がうまいだけでなく、特別に勉強をしている風でもある。展示の中ではレベルが高い。トルクメニスタンの人たちの日常的な暮らしを感じたいとも思った。
漠の国と言われるトルクメニスタンもイランとの国境には山があり、ブドウの産地だと聞く。ワインもおいしいそうだ。10年ほど前、トルクメニスタンからの留学生が教えてくれた。

この中央アジアの子供たちの絵の展示は、何年続いているかわからないが、地元の人たちの暮らしや風土を知る上ではとても役にたっている。10歳くらいまでの子供たちの絵には、暮らしや遊びが描かれているケースが多い。その点が面白いと思う。

美術館での展示だけでなく、カラーコピーでもいいので、各地の小学生に見てもらえる様な試みに広がってほしいと願っている。開催している人は大変だと思う。でも、日本の子供たちが異文化に接するチャンスでもある。逆に日本を伝える取り組みがあるといいと思う。相互理解のためにも広げてほしい。JR東日本などが、電車の車内に展示をしてくれたら乗客の心も和むし、旅情を醸し出すこともできると思う。


講座「シルクロードを旅した日本人、日本人抑留者など」 11月18日

2018-10-24 19:19:34 | シルクロード中央アジア


講座を紹介します。

講座:「シルクロードを旅した日本人、日本人抑留者など」

講師:長澤法隆さん(ながさわ ほうりゅう、シルクロード雑学大学主宰、フリーライター)

内  容:アレキサンドロス大王は、マケドニアから中央アジアのフェルガナ盆地、パキスタンへ入ったとされている。また、シルクロードの旅人と言われている玄奘三蔵は西安から中央アジアのキルギス、カザフ、ウズベクを通ってインドへと仏典を求めて旅をした。では、シルクロードを旅した日本人には、どのような人がいたのか。政府関係者や探検家に注目すると、トルクメニスタン、カザフ、ウズベク、キルギスを訪れている。また戦後、中国では満鉄の鉄道技術者が天水などへ、中国の東北部で捕虜となった元日本兵などが中央アジアのキルギス、カザフ、ウズベク、カフカスのジョージアに抑留されていたことを知る。中央アジアやシルクロードを旅した日本人について話します。

講師プロフィール:新潟県生まれ。法政大学卒。1991年・1992年に敦煌からカシュガルまで西域南道をラクダで旅行。1993年「ツール・ド・シルクロード20年計画」を提案。中国の西安からローマまでを20回に分けて自転車でシルクロードを見聞することを呼び掛ける。これらの体験を通じてキルギスや中国に日本人抑留者(捕虜)がいたことを知り、シルクロードと日本人に注目する。東京都国立市在住。


日 時:2018年11月18日(日)15時~17時
会 場:JICA地球ひろば 601号室(東京都新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車 徒歩10分)
資料代:500円/誰でも参加できます。
備考:13:30~14:30には、2019年に計画している遠征の準備会議 (13:30~14:30)を行います。
主催・問合せ:シルクロード雑学大学 ☎042-573-7675 http://silkroad-tanken.sakura.ne.jp/
               メールnagasawa_horyu○yahoo.co.jp(○を半角@マークに代えてください)


講演「玄奘三蔵の足跡を踏破」 坂口篤史さん 朝日新聞で紹介

2018-10-20 20:27:30 | シルクロード中央アジア
 

講演「玄奘三蔵の足跡を踏破」 講師:坂口篤史さん

日時:2018年10月21日(日) 15時から17時

会場:JICA地球ひろば 600号室(JR市ヶ谷駅下車徒歩10分、新宿区市谷本村町10-5)


10月17日の朝日新聞埼玉版朝刊で紹介されました。

玄奘三蔵の足跡を地図で紹介したものを準備します。100円の有料です。準備の都合、メールか電話で連絡をいただきたく思います。カラーコピーですが、希望者の人数分を準備します。不足が出た場合は、会場でコピーします。

尚、会場の席にはゆとりがあります。電話連絡をしていない方の参加も歓迎しています。直接、会場に来てください。

会場などを詳しく知りたい方は、チラシをクリックしてください。

申込み:シルクロード雑学大学 042-573-7675

また、講演のあとに講師の坂口篤史さんが店主を務めている「モーリー」で懇親会を行います。参加費は実費です。
ノンアルコールの人は1000円くらい、お酒を飲む方は2000円から3000円くらい。
ラグマンという新疆ウイグル自治区や中央アジアの伝統的な麺(焼きそばのようなもの)もメニューにあります。
ワニやカンガルーの串焼きも味わえます。食を通して、地球各地で暮らす人の生活や文化に触れてみましょう。

     


キルギスのイシククル湖 玄奘三蔵の足跡を追ってシルクロードへ

2018-10-16 17:06:22 | シルクロード中央アジア
  

玄奘三蔵の足跡を追って中央アジアにあるキルギス共和国を旅行したことが何度かある。東部にあるイシククル湖を自転車で2回廻っている。

オランダ人のサイクリング・ツアーのグループと一緒になったことがある。私たちと同じように、伴走のバスとトラックを付けて身軽で走っていた。彼らは、毎年の夏休みは1か月のバカンスだという。キルギスでも自転車で楽しんだ後は、ハイキングに行くのだという。1か月をキルギスでのアウトドアで過ごすという。彼女の乗っていた自転車は、ジャイアント製だった。だが、日本では見ないようなフレームのサイズだった。大きいのだ。女性たちの身長が175cmくらいあった。男性はもっと大きい。
ジャイアントではそれぞれの国のユーザーに合ったサイズのフレームを作っているのだろうと思った。グループの人数は20名を越えていた。オランダからサイクリングを楽しみに来た参加者の数と滞在日数は、キルギスの国民にオランダへの親近感を生み出しているのだろう。

さて、「三蔵法師のシルクロード」(文・高橋徹、写真・後藤正、三蔵法師研究会、朝日新聞社)を読んでいたが、キルギスの遺跡の一つにどうしてもわからない地名があった。キルギスで買った地図で調べても、地名がわからない。〝トリトクリ〟という地名だ。本は、Amazonで1円から購入できる。

キルギスの東部にあるイシククル湖、その東部にカラコルという街があるが、そこから南岸60㎞西だという。ダルハンという街の近くの様だ。地図を見た限りでは、キジルス―という川が近くにある。ここに遺跡があるというので、気になったのだ。下の写真を参考にしてください。キルギスで買った20万分の1の地図です。

朝日新聞社の本には、玄奘三蔵がベデル峠を通った後、どの川筋を通ったか、途中に遺跡はないだろうか。イシククル湖に出た後、玄奘三蔵は東に進んでカラコルへ行きイシククル湖の北岸を通ったのか。それとも、急いでる旅だったのだから、イシククル湖の南岸を西に進んだのか。それを調べていて、トリトクリにある遺跡に注目したようだ。

 

確かに、隣を流れるキジルス―(赤い川)には、上流に温泉がある。天山山脈の南側(中国の新疆ウイグル自治区)にもキジルス―という川があり、キジル千仏洞が川のほとりにある。

また、三井勝雄氏の著書「天山の小さな国 キルギス」には、『ダルハンには日本人の抑留者がいたとの言い伝えがある』と書かれている。地図を見る限り、トリトクルの遺跡は、ダルハンの近くにあるようなのだが。三井さんの本は絶版になってるが、Amazonで5000円くらいから入手できる。
私もダルハンで日本人抑留者のことを村人に聞いたことがある。だが、日本人抑留者に関する話を聞くことはできなかった。
何日か滞在すれば、詳しい話も聞けるのだろうが。何時もサイクリングを兼ねての取材で、中途半端だったと反省している。
次は、イシククル湖を歩きながら廻ってみようか。もちろん、時間の都合もあるので、バスも利用しながら。

坂口篤史さんの講演(10月21日)、玄奘三蔵と埼玉県

2018-10-08 13:33:52 | シルクロード中央アジア


祝日だが、朝から電話。ある新聞社の記者からだった。
10月21日にJICA地球ひろばで予定している坂口篤史さんの講演に関しての問い合わせだった。講師の坂口さんは、埼玉県の生まれ。埼玉県の岩槻にある慈恩寺には、玄奘三蔵の遺骨が納められている。このことを話すのを失念した。玄奘三蔵と埼玉県は、深い関係があるのだ。
朝日新聞の記事

講演会で講師を務める坂口篤史さんは、「モーリー」という東京都内の神楽坂にあるお店の店主だ。坂口さんは埼玉県に生まれ育ち。高校は、埼玉県内にある県立高校。その為に、新聞のさいたま市局からの問い合わせが何件かあったのだった。
講演に参加を希望する方は、講演のチラシをクリックしてください。会場などがわかります。

20年以上も前に、坂口さんから相談があった。当時坂口さんは法政大学探検部の学生だった。わたしは、仲間と一緒に西安から敦煌まで自転車で走り、新聞やテレビでも紹介されていた。シルクロードへ行きたいという学生や定年後の人たちから相談が何件か相談を受けていた。その一人が坂口さんだった。
「自転車やロバ車で、玄奘三蔵の足跡を踏破したい。ついては、玄奘三蔵が旅した時代のように、人力、ラクダや馬、ロバなどの自然の力や出会いを」と言うことだった。20年以上前の坂口さんとの出会いを、記者に話した。

新聞記者の電話の目的は、わたしの年齢の確認だったのだが‥‥。ライターだから取材を受ける側になった時、ついついサービスで話が長くなる。書きやすいようにと考えての事なのだが。

シルクロードを旅する魅力は、その地域の生活と宗教の様子を体験して理解できる点にもある。敦煌にも古いイスラム教寺院がある。寺院の周辺には、回教徒が暮らしている。また、中国の道教や仏教、中央アジアや中東のイスラム教。トルコを越えるとキリスト教だが、旧ユーゴ(セルビア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなど)ではイスラム教もキリスト教も共存している。様々な宗教の共存、異文化の共存。そのことを体験を通して知ってほしい、とも話した。シルクロードは、宗教、民族、言語を越えた異文化交流が魅力なのだ。

イランと言えば、イスラム教を思い浮かべるだろうが、首都のテヘランには、キリスト教の教会もゾロアスタ教の寺院もある。10年ほど前に自転車でイランへ行ったことがある。テヘランにあるゾロアスター教の寺院では、若いカップルが結婚の誓いをしていた。親族と思われる人たちが二人を見守っていた。道路を隔てて向かいにあるキリスト教の教会では、イラン人の若い女性がスカーフをかぶって教会に入り日曜礼拝に加わっていた。様々な宗教が今も生活の中で生きている。イランも、今日の日本と同じく宗教的には一色ではないのだ。そんな現実を見てほしいとお思っている。

  

埼玉県の慈恩寺に、どうして玄奘三蔵の遺骨が納められているのか。はじまりは、第2次世界大戦にさかのぼる。「玄奘三蔵 大唐大慈恩寺三蔵法師伝」(長澤和俊訳、光風社出版社)より抜粋する。(本はAmazonで購入できます。書名をクリックしてください。800円くらいから。)

第2次世界大戦中、南京で玄奘三蔵の遺骨が発見された。中国軍の兵舎内に兵器廟を建設しようと整地を始めた日本軍は、土の中から石棺を見付けた。日中両国の専門家に委嘱して調べると、玄奘三蔵の頂骨が納められていた。遺骨と副葬品は、中国側に返還された。

中国側は、三蔵法師の頂骨の一部を日本仏教会に贈り、
「法師は、仏教東漸史上の一大恩人あるをもって、日中両国の仏教徒は一意同心あいともにこれを祭り、永遠に法師の遺徳を鑚仰せんとするものなり」と宣言したのだった。

詳しくは、慈恩寺が頒布している資料をお読みください。慈恩寺。
慈恩寺に関するシルクロード雑学大学の以前のレポート


 

左側の「玄奘三蔵」(長澤和俊訳、講談社学術文庫)は、アマゾンで購入することができる。400円くらいより。右側の写真はキルギス側から見た天山山脈のベデル峠。降雪のために下山した。下山してからGPSで確認したところ、約300mでベデル峠だった。写真の標高は約4200メートル地点。