定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

秦野市で自転車をもらいました

2017-12-26 18:31:19 | 2018トルクメニスタン サイクリング
  
秦野市内にある団地。

先日の定例会で、定年を迎えて新しく入会した会員のTさんが「自転車買いたい」と言っていることを話した。

定例会後の懇親会で、会員のYさんがが「敦煌を一緒に走ったMさんが、自転車をタダでげあると言っていたよ」と話してくれた。Mさんは自転車の初心者だった。敦煌を行くというときに、Mさんに同行してYさんが自転車のお店に一緒に行ってくれた。そして、新車を買ったのだった。

この時の敦煌近郊でのサイクリングの印象は強烈だ。私にとっても、Mさんにとっても、Yさんにとっても。このサイクリングは好い計画だった。参加者にも恵まれた。みんな好奇心が旺盛だったのが一番よかった。どんなトラブルがあっても、時間の変更も受け入れて楽しんでくれた。ありがたい仲間との自転車旅行だった。

ところで、敦煌を一緒に走ったMさんは神奈川県内に住んでいる。定年後に入会してトルクメニスタンを走りたいという新人のTさんは埼玉県内に住んでいる。
二人には面識はない。

そこで、昨日、今日とメールと電話でやり取りをして、年末の混雑で電車が混む前に神奈川県秦野市に住んでいるMさんの家まで、長澤とTさんの二人で自転車をわけてもらいに行ったのだった。
天気に恵まれて青空の1日だった。だが、風が冷たい年末の1日だった。「ヤビツ峠」の看板がまぶしい街だった。

自転車は無事に無料でMさんからTさんへ。

そして、電車でエッチラオッチラ運んだのだった。

シルクロード雑学大学の会員は、高齢化の階段を上っている。自転車を何台も持っている人も多い。

新しく入会してくる団塊以降の世代も入会してきている。働きバチだった人たちは、マウンテンバイクもロードバイクも持っていない人もいる。スポーツタイプの自転車に乗るのは、全くの素人というがほとんどだ。

これまでは、会員が一緒にサイクルショップへ行き、自転車を選んで購入することから協力をしている。

会員同士で自転車を譲ったり、譲られたり。また、海外サイクリングの魅力を話し合う機会も必要だと思った1日だった。

  

2018年のトルクメニスタンのサイクリングの情報



自転車を持っていない人も「定年後はシルクロードを旅したい」とい人は、連絡をください。


電話は042-573-7675まで。


シルルクロードを走破した時のビデオを紹介

2017-12-02 15:41:34 | 2018トルクメニスタン サイクリング

   




走行距離15000㎞ ツール・ド・シルクロード20年計画達成
https://www.youtube.com/watch?v=JFApYqlJosg

1993年に始まった「ツール・ド・シルクロード20年計画」は、毎年少しずつシルクロードを自転車で走り、20年後にローマに到着しようというものでした。計画通りに、2012年にローマにに到着しました。毎回、伴走の車を付けて、疲れた人はバスで移動できるようにしました。

今は、10年計画と期間を短縮して計画を進めています。

来年の3月には、中央アジアにあるトルクメニスタンをサイクリングする予定です。バスでの移動の人も参加が可能です。

トルクメニスタンは、個人旅行が認められていない国です。そのために日本人にはなじみがありませんが、非武装中立国で治安はとてもいいです。

トルクメニスタンのアムダリアに架かる橋を渡り、世界遺産であり最も西に発見されている仏教遺跡のあるメルブの遺跡を見学して、カスピ海を見たいと思っています。参加者を募集しています。今回もバスの伴走があります。最初から最後までバスで参加することもOKです。

問合せは、042-573-7675まで。





トルクメニスタンのサイクリング 1 世界遺産とキャラバンサライ

2017-10-09 14:44:37 | 2018トルクメニスタン サイクリング
来年(2018年)3月に予定しているトルクメニスタンのサイクリングの事。参加者募集中です。バスでの参加もokです。



国会図書館から貸し出して、国立市の図書館に届いている「トルクメニスタン共和国 クラスノボトスク 第44日本人捕虜収容所」という本を読んできた。約70年前にトルクメニスタンに抑留された元日本兵が、1995年に慰霊碑を建てに行った時の文集だ。この本に出ている人たちは、ほとんどがもはや生きていない。館内閲覧だけで、コピーはできないというので、ノートを持って行き、必要な部分を筆写してきた。表紙だけは写真に納めることを許された。



この本は非売品。持ち主たちがほとんどなくなっていると思われるので、本の中の住所を頼りに家族に連絡。本のコピーをお願いしようと思っての事だった。

北海道、岩手、山形、宮城、茨城、東京、新潟、長野、岐阜など全国に抑留者は広がっていた。多い時で2200名、少ない時で1500名のようなので、抑留された人たちの地域的な広がりは思ったとおりだった。厚生労働省が把握している死亡者は72名、抑留者の書き残した記録では200名以上。当時衛生兵だった人の名前も分かった。彼が亡くなった方のことを最後まで面倒を見ており、亡くなった人の情報を最も持っているらしい。長野県の遺族を探し当てたいものだ。



来年3月にサイクリングを予定しているトルクメニスタンは、個人旅行を許可していない国だ。通訳と車を雇った団体にしかビザを発行していない珍しい国だ。団体旅行の利点を生かした旅をしたいものだ。

世界一周したというサイクリストも、5日間のトランジットビザを利用して通り過ぎただけという人が多い。また、パックツアーで訪問した人は、地元の人とあまり会話を交わしていないと思う。あまり知られていない謎の国なのだ。

オアシスルートの場合、中国からきてウズベキスタンまではフタコブラクダ、ここからはヒトコブラクダとなる。

メルブの遺跡は世界遺産だが、私が行った2002年と2006年では子供の遊び場だったり、羊やラクダの遊牧の舞台だったりした。広くて、のんびりしていた。



この部屋は民泊だが、とてもきれいな家だった。トイレは水洗でシャワーもあった。果物は豊富で、西へ行くほどにシシカバの肉は大きくなり。串もサーベルのように長くなる。



世界遺産と言っても、ロバものんびりしている。わたしが初めてシルクロードへ行ったのは1991年。当時はコピーライターだった。電話もかかってこない、テレビもラジオもない、シャワーも風呂もないという点は魅力だった。文明と距離を置いて、自分の考えていることを確かめたかった。

その後、シルクロードを横断するサイクリングを公募で始めた。
最近目立つのは、毎日、携帯電話で奥さんに電話をしている人、パソコンで毎日日本のニュースを確認している人、呑み屋の友人に「今シルクロードにいるんだ」と話す人が増えた。それも男性ばかり。女性は、家のことも日本のニュースも急いで知ろうとは思っていない人が多いように感じている。



チベットやモンゴルでも見られるような何か。これも、世界遺産であるメルブの遺跡で見たものだ。



メルブの遺跡は、シルクロードの十字路と言われている。仏教とキリスト教の痕跡を遺物から確かめたい。遺跡はあまり整備されていないので、陶片を探したり、ガラスの欠片を拾ったりした。この前、大事そうなのは、マリーの郷土博物館に寄贈してきた。



メルブの遺跡に今も残っているのは、イスラム教の寺院。修復をしてはいるが、11世紀ころと新しいので残っている。最も西側にある仏教遺跡がメルブの遺跡にもあるのだが、修復した形のある建物はない。遺物から推測するのが楽しみだ。



マリーからアシガバードへと続く道は、イランとの国境となっている山脈に沿っている。緑が多い。



ところどころに、キャラバンサライの遺跡が見える。ガラスの遺物が落ちている。奈良の正倉院にあるガラスの器は、成分分析でイランから運ばれたことが分かっている、この辺りにあるキャラバンサライは、イランから日本へとガラスの器が運ばれたルートの宿泊地だったように思う。

キャラバンサライの遺跡で、もう一度ガラスの欠片を拾って、専門家に調べてもらって確かめたいものだ。