定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

10歳の少年、満洲からひとりで九州の故郷をめざす ビクトル古賀

2018-11-13 15:35:45 | 中央アジアのシベリア抑留
  

「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満洲1000キロを征く」石村博子著、角川文庫
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10歳の少年が、中国の旧満洲にあるハイラルから独りで父親の故郷九州の柳川をめざした実話だ。著者の石村さんは、10年以上も当事者・ビクトル古賀の元に通い、本にまとめたらしい。取材の回数が多いのだろう、丁寧に書いている。同時に、音楽好き、自然に親しんだ体験を持っている著者のように感じていた。
主人公は、コサックの血を引き、成人してからはサンボという競技で一世を風靡したビクトル古賀だ。

わたしが、シベリア抑留に関心を持ったのは2007年の事だ。中央アジアのキルギス共和国を自転車で旅行する中で、キルギスにも抑留者がいたとのうわさのあることを知った。しかし、キルギスへ出かける準備をしながら日本の厚生労働省に問い合わせると「キルギスには収容所はありませんでした。抑留された日本人はいません」との回答だった。三井勝雄さんの「天山の小さな国 キルギス」という本でには、日本人の抑留者がいたというキルギス人によるうわさ話を取材した様子を紹介しているのだが。三井さんは、短大で教えた後、キルギスのビシケク人文大学で10年近くボランティアとして日本語を教えている。

そして、2007年の9月11日の夕方、携帯電話の向こうから「長澤さんですか。わたしはあなたが探しているキルギスで抑留された元日本兵の一人です」と話しかける人が現れた。それから、中央アジアにおける『シベリア抑留者』の事を調べるようになった。

キルギスに抑留されたという元日本兵に話を聞くと、満洲で捕虜となり、列車でタシケントへ移送され、さらにキルギスの東部にあるイシククル湖南岸の村タムガへ移送されたのだという。そんなことから、インタビューを繰り返している間に満州にも関心を持つようになった。また、ガダルカナルで敗戦を迎えて復員した父には、満鉄に勤務していた弟、つまり私から見たらおじさんがいた。そんな背景も満州に関心を持つ一因かもしれない。

この本が出ると直ぐに読んだ。当時は単行本だった。繰り返しインタビューした戦後の満州を歩いた少年の記録、重ねたインタビューにより描かれた記述は草原を一人でゆく少年の自然との関わり方も伝わってくる。自分自身も草原を体験しているような雰囲気を味わえる。

先日、著者の石村博子さんが、ビクトル古賀が亡くなったことをfecebookでアナウンスしていた。私が持っている単行本は、ライター仲間にあげていた。だが、満洲の事が気になり2年程前に古本屋で文庫本を買っていた。昨夜、パラパラと読んでいると、ビクトル古賀のサインがあった。「ここまで書いて手首イタイ‥‥   ビクトル古賀」と書かれたページにあるサイン。なんとも手の込んだ印刷だ。

と思って今朝もう一度見ると、自筆のサインだった。大変な時代を過ごしたなと思うのだが、前向きで明るい性格な人だなあと思った。
まさか、わたしにもっとシベリアや満州を取材しろとのサインでは?、‥‥。

ビクトル古賀は、ハイラルで子供時代に自身と同じコサックの子どもたちと遊びながら、自然の中での生き方を身に付けたようだ。ハイラルから錦州までの独りの引き揚げ隊では、草むらの中で寝たり、草を虫よけとして休んだり、水筒を持たないで自然の中で水を探している。彼はコサックの知恵と生きる術をマスターしていた。

ビクトル古賀が、生きようと巡った足跡を自転車で旅して、どんな風景や暑さ、草いきれだったのか。時に渡った川はどんな巾だったのか。風も音も空気も感じたいものだ。また、当時の事を知っている中国人がいたら話を聞いてみたいと思う。

70年以上前に、少年が見た風景を体験した空間を自転車で追いかけてみたい。体感したい。

ビクトル古賀の父は日本人、母はコサック生まれだった。中国の東北部に追われて暮らしていたコサックの歴史にも関心を持った。浅野軍団のその後も気になる。

中央アジアに抑留された日本人人の手記は、「中央アジア抑留」をクリックしてください。
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