定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」 カザフスタン02

2018-02-17 14:30:33 | ツール・ド・シルクロード カザフスタン
  

「ツール・ド・シルクロード20年計画」は1993年に中国の西安をスタートして始まった。毎年、18日間の遠征中に500㎞から1000㎞を自転車で巡り、休養日には遺跡を見学するなどしてシルクロードの歴史と異文化と暮らしぶりに触れることをめざしていた。

中央アジアにあるカザフスタンをサイクリングしたのは、2000年の夏休み。約30名の仲間と一緒だった。夏休みの中学生から定年後の70歳くらいまでの参加者は、当時はほとんどの人が普段乗り慣れたマウンテンバイクを利用していた。道路状況も舗装道路が多かったが、ところによってはダートもあった。

  

カザフスタンは、キルギスのビシケクから入って南部を走った。そして、ウズベキスタンのタシケントへと向かった。ほとんどが草原または麦畑、50キロほどの間隔で集落があった。伴走のバスとトラックがあったので、荷物や食料、水は車に積んで身軽な恰好でペダルを踏んだ。集落での楽しみはアイスクリームだった。アイスボックスはほとんどが中国製だった。キリル文字ではなく、漢字が書いてあったのでわかったのだ。今はどうなっているのだろうか。

     

以前にも書いたのだが、13回忌というので村人が集まっている箇所があった。そこでは、日本から持参した貝殻を地元の子供たちの耳に当てて「海の音が聞こえる」と話すと、他の子供たちが「私も聞きたい」と集まってきた。

そのうちに、大人たちも集まってくるようになった。
テレビどころかインターネットも普及した今では、海のない中央アジアの人たちも映像で海の生物や暮らしを知っているだろう。しかし当時は、彼らにとって海が遠い存在だった。今では考えられない交流だったのかもしれない。

あの時代の人たちの方が、夢やロマンを描き、友人と話したり追いかけたりする楽しみがあったのかもしれない。旅における出会いで文明について考えさせられたのだった。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」 カザフスタン01

2018-01-17 16:29:36 | ツール・ド・シルクロード カザフスタン
   

2000年、キルギスからカザフスタンの草原を走ってウズベクに向かった。途中の宿で休んでいると、唄が聞こえてきた。

昼寝を切り上げて歌声のする方向へと歩いた。

  

一人の若者が民族楽器を弾いていた。タンドールというらしい。カザフスタンの民族楽器だという。吟遊詩人で、依頼者からのわずかな伝言を元に、即興の歌を歌いながらカザフスタン各地で歌っている旅芸人らしい。そういう生き方が認められていた。わたし(63歳)の子供の頃に日本でも、バイオリンを弾きながら体制批判を歌っていた人がいた。すぐに議員になったのだが‥‥。

この家の奥さんが亡くなって13回忌なので、近所の人が集まって故人を偲ぶの集まりがあるという。「ええ、あなたたちはイスラム教徒でしょう。イスラム教にも13回忌があるんですか。日本の仏教の行事にも13回忌というのはあります」と日本の習慣を話した。宗教は違っても、日本でも中央アジアでも13回忌があったのだ。はじめて知った。

13回忌という故人を偲ぶ考え方は、仏教やイスラム教よりも古くからおこなわれているのだろうか。シルクロードを通って人間が交流した歴史と繋がりのことを考えさせられた。それと同時に、顔の知れている故人に対してではあるだろうが、ヒトとのなりや同じ時代や地域で暮らしたつながりを尊ぶ考えは、宗教ではなくて、人間の心の中にある何かだろうと考えさせられた。

   
13回忌に集まっている子供たちに、日本から持って行った貝殻を渡した。「耳にあてると海の音が聞こえるよ」と伝えると、真剣に貝を耳にあてて友だちと話し合っていた。中央アジアへ行くときには、海を見たことがない子供たちのために貝殻を日本から持参している。だが友人は「子供たちはみんなテレビで海のことは知っているよ」と、私の対応を笑う。

まあ、民俗楽器程度に貝の音を聞いてくれればいいのだが。



カザフスタンとウズベキスタンの国境には、巨大なゲートがあった。撮影禁止だというが、20年近く前の事なので使わせてもらう。今もこのゲートがあるのかは不明。貝殻を背負って自転車で見に行きたくなった。

キルギスの事もブログに書いています。

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ウズベクの事は今しばらくお待ちください。