定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

シルクロードをロバで踏破した探検部OBからの連絡

2018-07-17 20:20:12 | シルクロード雑学大学の紹介
  

月刊「望星」の元編集長、岡村隆さんがfacebookに探検家の酒場、バー『モーリー』が神楽坂にオープンしたと書いていた。

お酒を飲まない私は、「ふーん」とくらいにしか見ていなかった。3日ほど前の事だ。

今日、岡村さんは「ちなみに『モーリー』とは、店主が若き日の西域踏査時にウイグルで旅の道連れにしたロバの名前だそうです」と書き込んだ。

急に20年以上前の記憶がよみがえった。

「シルクロードを自転車で走破する」というので、当時は、私も新聞で紹介されていたのだった。NHKのテレビ番組で欽ちゃんと一緒に出演もしてもいた。その影響なのか、在学中にシルクロードを踏破したい、走破したいという人からの相談が何件もあった。

その中で、目的を達成した後に「無事に目的を達成できました。教えていただいたウイグル人の友人からの協力を得て、ロバでの踏破も実現しました」といったことをハガキで知らせてくれたのは、一人だけだった。

それが、岡村さんの法政大学検部の後輩だったのだ。実は私も法政大学文学部出身で、岡村さんの大学の後輩なのだ。このことを知ったのはつい最近の事なのだが。

岡村さんの後輩の計画は、中国の西安で自転車を買いシルクロードを旅し、トルファンでロバを買って乗り換えてカシュガルまで行きたいという。おいおい正気かよ、というのが第一印象だった。
ウイグル語の問題もあるので、新疆大学医学部で化学を教えている知り合いの女性を紹介した。彼女は、時々日本へ来ていて、東京理科大や富山大学などでウイグル医学を教えていたようだ。日本への留学経験もあり、日本語の会話は問題なかった。彼女の兄弟や親せきの協力を得れば、ロバの買い付けも調教も問題ないように思った。当時彼女は、55歳くらいだっただろうか。

facebookで「それは私です」とコメントがあった。昨日の事だ。20年以上前の手紙の主。彼が『モーリー』の店主となったのだ。近々、お店を訪問して、お茶を飲むことになった。彼らはお酒だろうけど。

わたしが、ベデル峠を目指したけれど、失敗したことを返事に書いたら、彼らもベデル峠を目指していたとのメールがあった。

これからの展開が楽しみだ。一緒にベデル峠に立ちたい。キルギス側の許可は、私が交渉します。

19日からキルギスへ行くけれど、国防省にも寄ってみようかなあ。

  



「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」とシルクロード雑学大学

2018-01-17 17:48:24 | シルクロード雑学大学の紹介


「ツール・ド・シルクロード20年計画」を通してシベリア抑留などを知ることもできます

「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」(三浦英之著、集英社文庫、2015年第13回開高健ノンフィクション賞受賞)


が、集英社文庫からも発行されていることがわかりましたのでお知らせします。

この本で紹介している方たちは、満州建国大学という大学に学んでいた人たちです。ただし、三浦氏は朝日新聞記者であるだけに、満州建国大学で学んでいた五族と呼ばれていた各民族の学生達の戦後も追いかけて取材して、紹介しています。

戦後70年といわれる今日でも、国境や民族を超えることの難しさ、70年前に国境や民族を越えて夢に向かって生きていた若者たちのことが理解できると思います。

若者たちの夢を奪ったのは何だったのでしょうか。「五色の虹」を読んで考えてみたいと思います。

「五色の虹」で検索すると、様々な書評が出てきます。そちらも読んでみてください。

月刊誌「プレジデント」のインタビュー記事。

「ユーラシア大陸を結ぶ夢」 

2017-11-23 16:01:38 | シルクロード雑学大学の紹介
「ユーラシア大陸を結ぶ夢」
長澤法隆著


「定年後」(岩波書店)
アマゾンから購入できます。1円からです。

この原稿は、岩波書店が1998年3月から5月にかけて新聞広告で募った「私の定年後」のテーマに応募して選ばれたものです。応募総数は、国外からのものも含めて620篇。編集部による選考を経て26篇が、1999年1月に発行された「定年後 もう一つの人生への案内」(岩波書店)に掲載されました。その中の1篇です。当時は44歳でした。この本は、韓国でも翻訳されて出版されていました。状況はかなり変化していますが、定年後を見据えた生き方の基本的な考え方は変化していないので、ブログで紹介します。

尚、1991年に仲間と一緒に地球と話す会を発足しましたが、長澤は2002年にシルクロード雑学大学を発足して「ツール・ド・シルクロード20年計画」を続けました。シルクロード雑学大学は現在もシルクロードと定年後を見据えた生き方を提案して、活動しています。
地球と話す会は既に解散しています。


第1回目の「ツール・ド・シルクロード20年計画」の記録は、日中出版から出版された。Amazonから購入できます。500円くらいからです。

仕事に追われて日々を過ごしているうちに、「夢」を忘れていることに気づいたのは、義務教育、高校、大学、就職、定年といった生き方を、偏差値による序列で決めているように思われる現代っ子の様子に疑問を抱いてのことだ。公務員になったり有名企業に勤めたいという現代っ子は多い。しかし、「地球の反対側まで歩いていきたい」「月や火星に行きたい」といった冒険や夢を語る子どもに出会うことは稀有である。子どもが夢を描けない時代。それは、「大人が夢を描いていない時代」であることに原因があるのではないか。
こんな思いで「働く大人たちの『未だ冷めやらぬ少年少女の夢』の具現化を通じて、そのフィールドである46億歳の地球と話し、大地と人々の共生の道を探る」ことを目的として、「地球と話す会」というサークルを発足させたのは、1991年の事であった。以来、童心に返って、子どもの頃に描いた夢の実現をライフワークとして追い続けている。


高原を行く羊の群れとすれ違う。

「地球と話す会」の活動のフィールドとしては、シルクロードを選んだ。玄奘三蔵、マルコ・ポーロ、スタインやヘディンといったシルクロードの旅人に子どもの頃から憧れ、いつかはシルクロードへ行きたいと夢見た人たちが集まったことによる。さらに、日本にとって国際交流の源流であり文化的な関りも大きいことから、フィールドをシルクロードに絞ったのである。しかし、テーマの範囲は広い。異文化交流史、中国史、中央アジア史、民族史、食べ物、美術、音楽、政治、経済、植物、動物と、経験や興味に合致した分野からライフワークをはじめられる。シルクロードには、ライフワークとして取り組める多くのテーマが秘められているのだ。
私は、①玄奘三蔵の足跡、②漢と唐の時代における西域の道路事情、③果物の伝播の足跡、④シルクロードに暮らす朝鮮族の習慣、⑤環境の変化、の5つに注目している。


「玄奘三蔵」(講談社学術文庫)こんな本を読みながらルートを決めた。Amazonから購入できます。400円くらいからです。

ライフワークとしてシルクロードに取り組むとなると、現地を見る必要がある。しかし、シルクロードを旅するには、時間とお金が必要だ。特に、昔の隊商のように極力文明の力に頼らない旅をしたいので、時間が問題となる。中国の西安からイタリアのローマまでの約15000キロメートルを徒歩で旅すれば2年弱、自転車で旅するならば半年を要する。休暇、これが問題だ。旅の計画に何らかの工夫が必要だ。
1993年、シルクロードの約15000キロメートルを20年かけて自転車で旅行する「ツール・ド・シルクロード二〇年計画」として夢をスタートした。約15000キロメートルの道のりを20分割し、毎年夏休みに二〇分の一ずつ自転車で走破し、20年後の2012年にイタリアのローマにたどり着こうという計画である。また、旅費を安くするために、会員から賛同者を募ってツアーを組んだ。
二〇年計画としたのは、ともすると銀行や保険会社は、収入と支出を予測したうえで、銀行口座の残高に似合ったライフプランを描いてくるケースが多い。しかし、銀行口座の残高に合わせるようにして人生を描きたくないと考えている。ライフワーク(夢)と気力と体力、仕事、子どもの成長を含めた家族の未来、これらを考慮したライフプランを描きたいとの願いを込めて二〇年計画とした。ほんとうに自分がやりたいと願っているライフワークを人生の中心に据えてライフプランを考える方法をしたかったことによる。


「シルクロードの旅人」(徳間文庫)いろんな時代のシルクロードの旅人のルートも参考にした。Amazonで古本を購入できます。1円からです。

一回の自転車旅行に要する時間は18日間で、9日間を走行にあてている。18日間を20回続けると、360日間となる。一年間、仲間たちと一緒に夢を追う旅を楽しめる。また、半年間も自転車旅行を楽しめるのだ。塵も積もれば山となるというのは、諺の通りである。継続は力であり、夢をかたちにする原動力であることを、数字が裏付けてくれた。自転車旅行の参加者は。庶務、衛生、整備、記録のいずれかのチームに入って、団体の一員として役割を担うことにした。半年前から月に一回集まって準備会議を重ね、各チームは態勢を整えていく。
そして出発すると、中国では円卓を10名ほどで囲んで食事をする。一日中ペダルを踏み続けているメンバーの唯一の楽しみは食事。しかも、中学生から70歳まで。孫とおじいちゃんほどの年齢の離れた人も一緒に円卓を囲むことになる。円卓を囲んだ夕食では、向かい風や上り坂といった厳しい状況が話題となり「ありがとうございました」「やっぱり若いんだね。羨ましいなあ」と、話題が盛り上がる。みんなが同じ体験をしているだけに、年令なども関係なく対等に話し合えるのは魅力だ。核家族化が進み、三世代で食事をする機会が少なくなっているだけに、円卓を囲んだ食事はとても楽しみな一時である。また、風速20メートル程の向かい風で厳しい走行を強いられ、一番年下の中学生が70歳の最高齢者の風上を走って風除け役となる。年令や学歴、所属に関係かなく、「弱者」を思いやる行動が自然に生まれる。中高年向けのサークルもあるが、様々な世代、様々な職業の男女が集まっている活動の良さを実感する一時である。サークル活動を始める人には、“三世代同居”の活動をお勧めしたい。


西安にあるキャラバンサライの群像の石碑。玄奘三蔵はここからシルクロードへの旅をスタート。わたしたちもこの地からシルクロードへの旅を始めた。

1993年に西安をスタートしたが、1998年までに中国のカシュガルまでの約4350キロメートルを走破し、参加者は延べ210名。伴走のバス、医師の同行といったバックアップ体制も準備しているので、熟年層の参加が多く、平均年齢は50歳ほどになる。
さて、「ツール・ド・シルクロード20年計画」の6回目の自転車旅行は、玄奘三蔵の足跡をほぼ追っている。また、漢の時代と唐の時代における西域の道路事情に関しては、『漢書』『史記』などで調べている最中である。果物の伝播の足跡については、ザクロやイチジクに注目し、シルクロードのオアシスではどのような保存方法があるのか、食べ方はどうか、どんな種類があるのかといった点をバザールや果樹園で観察している。ザクロは、シルクロードの旅人にとって水筒代わりであり、手でもんで中の水分を飲んでいた。だからザクロは、熟しても日本のザクロのように口を開けてはいない。イチジクは乾燥させて持ち歩いていた保存食だったことなどが分かった。西安で買った乾燥イチジクを自宅のプランターに埋めたところ、芽が出てきた。こんな体験から、アラビア原産のイチジクは、保存食として日本へ伝わって来たことと想像することができた。蘭州では、韓国で生まれて日本の大学で医学を学び、医師として勤めた満州で敗戦を迎え、満州でそのまま医師として中国人国籍を得たものの、文革で苦労した朝鮮族の老人の話を聞くこともできた。環境の変化については、沙漠の植物を写真で撮影して、記録している。

 ところで、自転車旅行はあと14回楽しめる。始めた当初、私は39歳。まだ、体力に自信はあった。しかし、最近は体力の衰えを感じ、1週間に3回、40キロメートルから90キロメートルのサイクリング。早寝早起き、定時帰宅と、生活のリズムも自然と生まれた。今や、ライフワークが生活の中心に座っているという感じである。
 2012年ローマに到着するとき、私は59歳になる。定年1年前である。しかしライフワークに定年はない。2013年からは、紙やイスラム教の伝播した足跡を追いながら西へと進み、ユーラシア大陸の西端から大西洋を見たい。約5年を要すると思われる。その後は、ふたたび西安に戻り、今度は東をめざしたい。仏教の伝播した足跡を追って朝鮮半島を横断して奈良まで自転車で巡りたい。とりわけ困難なコースは、ピョンヤンとソウルの間であろう。しかし、シルクロードを宗教や様々な文物が通ってユーラシア大陸全体に広がっていたということは、ユーラシア全体を結ぶ交流があり、ユーラシアが「ひとつ」になれることをシルクロード史が象徴しているように感じる。第2次世界大戦後、ユーラシア大陸の東西に民族を分断した国家が誕生した。西にあった東西ドイツは、1990年に統一することができた。一方、東の朝鮮半島に誕生した二つの国家は、分かたれたままである。ユーラシア大陸を「ひとつ」に結ぶ脚力の旅を通じて、ユーラシア大陸を「ひとつ」に結びたい。それは、地球を「ひとつ」に結ぶ象徴となるからだ。そんな訳で、ピョンヤンとソウルを世界中の人たちと一緒に人力で旅したい。夢で終わりそうなライフワークである。しかし、定年後は、こんなライフワークに取り組みたいと願っている。


ロカ岬にある石碑


ロカ岬から見た大西洋