定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

シルクロード 月餅の中身はナッツとハチミツ NHKのちきゅうラジオで紹介

2018-10-14 19:00:34 | ツール・ド・シルクロード キルギス
  

中国の西安から蘭州までをサイクリングしている時、中秋の名月が近かった。もうすぐだったのだ。

通り過ぎる街や村でも、月餅を売っていた。買って宿で食べると、中身は日本のアンコのような柔らかいものではなかった。


ピーナッツやクルミなどのナッツ類と干しブドウ、ハチミツや水飴を固めたちょっと硬いものだった。サイクリングしながら、口に入れて柔らかくしながら食べたものだった。

このことを、NHKの地球ラジオと言う番組に投稿したら放送された。10月13日の18時43分頃の放送だった。

ちきゅうラジオ

10月14日の15時頃を過ぎれば、上記をクリックするとパソコンで聞くことができると思います。

中国の自転車事情はかなり速いスピードで変わっています。現在、西安や天水、蘭州では、マウンテンバイクがツーリングに使われています。日帰り、ホテルに宿泊しながら半月ほどのサイクリング、テントを利用しながら数か月から1年以上のサイクリングと、中国人の自転車事情も変わっていまるようです。

  


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「ツール・ド・シルクロード20年計画」キルギス10

2018-04-08 13:44:05 | ツール・ド・シルクロード キルギス
  

「ツール・ド・シルクロード20年計画」、中国のカシュガルからキルギスのナリンを通ってイシククル湖の湖畔にあるバリクチをめざした事は、4回ある。でも、未だに中国からキルギスへと二つの国の国境をトルガルト峠を通って結んではいない。4回目の時は、それでも高地では天気に恵まれた。

  

高原の中で暮らしている家族に食料や水をもらったり、親切にしていただいた。子供たちも素直だった。
ナリンへ向かう道は、ほとんどがダートだった。何か所か舗装しているところがあったが、軍や国境警備と関係しているように感じた。ただ、道路がよくなることで車での移動時間が短くなり、途中の集落が集団で転居するなどして少なくなっているのだという。この現象は、世界中で同じだと思う。

  

ナリンの街の中には、とても水の流れの速いナリン河が流れている。この河は、シルダリアとなり中央アジアを横断し、アラル海に注ぐのだと聞いた。だが、注ぎ込む水量が少なくなり、アラル海はどんどん小さくなっているという。アラル海で漁をしていた漁船が、干上がった草原に取り残された写真を新聞などで見る事も多い。

     

だが、岩山に囲まれているナリン、バザールには野菜も果物もたくさんて扱われている。砂漠を思わせる街を囲む風景とは違い、農産物は豊かだった。

すでに、中国とイシククル湖を結ぶ道路は、全ルートが舗装されていると思う。中国が舗装の工事を請けたと思うが、中国にとっても中央アジアなどへの交易に欠かせないルートなのだ。それだけに、車の往来が増えていると思われる。サイクリストの人も気を付けてほしい。

尚、この国境を自転車で通るには中国政府の許可が必要となる。許可を受けていない場合、国際バスでの移動を求められるかと思う。ヨーロッパのサイクリストもこのルートをめざすのだが、国境で国際バスに乗ってカシュガルをめざしている姿を見ている。尚、日本人はこの国境の国際バスによる通過でも、許可がないためにウルムチ経由でキルギスへ向かったという話を友人から聞いたことがある。このルートを通る計画のある場合には、外務省を通して事前に調べてほしい。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」キルギス09

2018-02-27 17:30:42 | ツール・ド・シルクロード キルギス
     

「ツール・ド・シルクロード20年計画」でキルギスをサイクリングしたときに、外国人のサイクリストと出会うことが何度もあった。イシククル湖のほとりにあるバリクチからトルガルト峠を通って、カシュガルへ行くという。特別の許可をとっていないので、トルガルト峠から約120㎞ある緩衝地帯は、国際バスで通ると話していた。バリクチの標高は約1600メートル、トルガルト峠の標高は3752メートル。上り坂だが、雪山を正面に見ながらの快適なサイクリングの様だ。いつも天山山脈を背にしてイシククル湖の方面へとサイクリングしていた。次回は、天山山脈に向かって雪山を眺めながら走ってみたいものだ。

    

ナリンの手前の集落では、フェルトを作るために道路上で羊毛をたたいて作業をしていた。子供たちはその周りで遊んでいた。なんとものどかな光景だった。今も続いているのだろうか。すでに交通量が増えて、このような光景を見る事はできなくなったのだろうか。

     

夏休みということもあるのだがろうが、子供たちが手伝って水くみやヒツジを追っている光景を目にすることも多かった。道路で遊んでいる子供たちの姿もあった。ユルタを車に積んで移動している家族を見ると、夏の終わりを感じた。


「ツール・ド・シルクロード20年計画」キルギス08

2018-02-25 19:23:50 | ツール・ド・シルクロード キルギス
     

2006年に中国のカシュガルからキルギス共和国のバリクチまで、そしてイシククル湖を一周するサイクリングを実施した。「ツール・ド・シルクロード20年計画」では1999年にカシュガルからビシケクまで走破する計画だった。だが、洪水のために自転車で出国することができなかった。2000年にもチャレンジしたが、トルガルト峠を人力で越えることはできなかった。ここまでの写真は中国のカシュガルの絵柄です。

2006年にカシュガルからトルガルト峠を通ってイシククル湖へとサイクリングしたいというメンバーがそろったので、3回目になるがチャレンジをすることにした。

  

トルガルト峠は、珍しく晴れていた。道はダートだった。シルクロードの走破では、どんな道に巡り合うかわからない。だから、参加者にはマウンテンバイクを薦めている。このダートでは、マウンテンバイクでよかったと思った。今では、この道も舗装されているかもしれない、だが冬を越すたびに路面は荒れていると思われる。



タシラバットという遺跡の周りには、ユルタが建ち、宿泊施設になっている。このキャンプ場は、夏場しか開いていないので、気を付けてほしい。幹線道路から15キロほど東に入ります。

トルガルト峠からナリンへ向かうルートの途中には、タシラバットという遺跡が修復されている。「タシ」は石、「ラバット」は宿とかキャラバンサライという意味らしい。むかしのキャラバンサライの遺跡が修復されている。日本人の姿は見かけないが、ヨーロッパの観光客が乗馬を楽しんでいた。馬によるハイキングの感じだった。

カシュガルからナリンまでの途中にあるトルガルト峠、何回か人力で越えようとチャレンジしているが、あと35キロが残っている。こうなったら、キルギス側からカシュガルまでめざそうかと思う。この峠を自転車で越えた人はまだいない。ただ、中国の軍による特別な許可が必要だ。途中は写真撮影も許されない。でも、チャレンジしたいものだ。

    

「ツール・ド・シルクロード20年計画」 キルギス07 シベリア抑留

2018-02-16 14:58:04 | ツール・ド・シルクロード キルギス
  

一般に言われている「シベリア抑留」では、旧ソ連各地に日本人だけでなく、ドイツ人やポーランド人も収容所に送られている。

日本人は約60万人が抑留されたと言われているが、ドイツ人は約240万人、ハンガリー人は約50万人、ポーランド人は約6万人など、24か国から約420万人が捕虜となったとされている。中国人は約13000人、朝鮮人は約8000人とされている。「シベリア抑留」は、日本人だけの問題ではないのだった。

2008年にキルギスに抑留された体験を持つ宮野泰氏(当時83歳)と一緒に、キルギスのタムガ村を訪れた。日本の厚生労働省は、「キルギス共和国に日本人は抑留されていなかった」との立場を崩していなかった。ところが、シルクロード雑学大学でキルギスに抑留されていた体験を持つ日本人を探していることを書いている新聞記事を読んだ武内栄氏(当時86歳)が、私のところに電話をしてきたのだった。その結果、2008年に宮野泰と一緒にキルギスへ行ったのだった。宮野氏にとっては、1948年以来、60年ぶりのタムガ村への訪問となった。

中央アジアのカザフスタンに抑留された日本人は約3万4000人、ウズベキスタンに抑留された日本人は2万3000人と伝えられている。また、カザフスタンでは、帰国の叶わなかった人やカザフスタンに定住することを選んだ日本人抑留者の数は約1000人だったとされている。

60年ぶりにキルギスの収容所を訪問した宮野氏は、まずはカザフスタンのアルマトイに到着。その後、キルギスの首都ビシケクへ行き、日本人抑留者が建設に関わったともうわさされているオペラ劇場を訪問。丁度、課外授業でオペラ劇場に来ていた子供たちと出会うことができた。子供たちに「キルギスに日本人が抑留されていたことを知っている人はいますか」と聞いてみた。一人もいなかった。

     

タムガへ行く前に、ビシケクとタムガ村の中間地点にある地点で車を降りた。
「タシケントからバリクチまではトラックで移動しました。途中で左手側から、道路、川、鉄道と並んでいるところがあり、そこでドイツ人が鉄道の工事をしている様子を見ました。自分たちも鉄道工事に駆り出されるのだろうか」と思ったという。その地点を宮野氏に確かめたかったので、車を降りたのだった。キルギスのテレビ局と新聞社が各4社同行取材しており、直ぐに取材が始まった。

    

次に向かったのはバリクチ。周囲が約650㎞あるイシククル湖の西の端にある港で、宮野さんたち抑留者は、ここでトラックを降ろされて船に乗り換えたという。船でタムガ村へ向かったようだ。
今では、タシケントからこのバリクチまで鉄道が通っている。捕虜になったドイツ人が鉄道工事をしたが、1948年に宮野さんたちが日本へ帰国する時には、すでに鉄道工事は終っていたという。ドイツ人も見かけなかったという。今では主に貨物が走っている路線だが、週に2便の客車がビシケクとバリクチを結んでいると聞いている。乗ったことはない。

  

日本人抑留者は、バリクチからタムガ村へと船で移動したと宮野氏は言う。毛布1枚をかぶって甲板に寝ていたが、寒かったことを覚えているという。他にもソ連のお客さんがいたが、彼らは客室に入っているので接点はなかったという。

キルギスに抑留された日本人が、タムガ村の収容所にいたのは1946年の6月から1948年の5月だったと話していた。

 
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