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キルギスからの帰国は、昨日(2018年7月27日)だった。成田空港を12時30分頃発の電車に乗ったのだが、乗り換えを間違えてしまい、家に着いたのは16時30分。すぐに探検家の酒場『モーリー』にメールを入れて、法政大学探検部OBと会うことにした。家を出たのは、17時だった。お店到着は18時の予定。
曇り空だったので、今日ならば帰りの気候も気持ちいいだろうと思って、急に決めたのだ。
実は、神楽坂にあるお店を見つけるのに時間がかかった。お祭りということもあり、消防団のおばさんやおじさんに道を尋ねるのだが皆目不明。1時間探し回って、電話をして何とかたどり着いたのだった。東京の地理も難しいなあ。
お店を経営しているのは、坂口さんで法政大学探検部OB。1995年頃に「中国の西安で自転車を買って、トルファンでロバを買って乗り換えてカシュガルまで人力で行きたい」という相談をしてきたのだった。自転車はともかく、ロバの買い方や調教は分からないので、新疆ウイグル大学医学部でウイグル医学の研究をしていた知り合いのマリアさんという教授を紹介した。「この人に教えてもらって」と電話番号を教えて丸投げしたのだった。
そして、目的を達成した坂口さんからハガキが届いた。相談から半年ほど先の事だったろうか。
お店に到着すると、男ばかり5人ほどでテーブルを囲んでいる。ビールの注文を聞いていたら、「コッヘル大のビール」「コッヘル中のビール」。注文に応じて店長は、コッヘルにビールを入れて、ふたをしてお客に持っていく。普通にジョッキーで注文する人もいるのだが。私はウーロン茶だった。
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今は法政大学大学院の博士課程で学んでいる斎藤さんという計画に加わったOBもいるが、探検部のOB会の行事、と言っても飲み会だろうけれど、それがあるので2時間くらいで戻ると思うと坂口さんは説明した。キルギスから買ってきたナン2枚(1枚20ソム、30円位)、馬肉の腸詰をお土産として渡した。こちらの値段は忘れた。まあ、お腹が痛くなっても、神楽坂の周辺には大きな病院もある。いつでも救急車を呼べる。山の中と違って、心配はない。でも、なるべく早く食べてほしい。
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実は彼らもベデル峠へに関心を持っている。もっとも若いので問題はない。問題は私なのだ。高齢で、脳梗塞、心不全での心臓の手術をしており、呼吸器関係が弱ってもいる。今日病院へ行って検査をしてきた。血圧は120の70。酒を飲んでいないこともあり、数字はいい。あとはトレーニングだ。
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メールでのやり取りの時から、玄奘三蔵が天山山脈を越えたベデル峠へ一緒に行こうと呼びかけていた。というのも、学生時代に彼らが西域南道を自転車とロバで踏破したのは、玄奘三蔵の足跡をたどって、ベデル峠を越えたかったからだということが判ったのだ。ルートの路面の事のことなどを話してみた。また、キルギスの地図も渡してお店に貼って雰囲気を作ってほしいともお願いした。
ベースとなる宿泊施設として、タムガ村にあるゲストハウスも教えた。
ソビエトの探検家と言えば、プルジャヴァリスキーの名前は、中央アジアに関心のある探検部の人だったら誰でも知っているだろう。彼らを輩出したのがせミョウノフで、チャンシャンスキーの称号を与えられている。彼の銅像がイシククル湖の西の入り口にある。
岩絵の石はどうして黒くなるのかも話してみた。
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玄奘三蔵が天山山脈を越えたルート。1946年から1948年までタムガ村に抑留されていた日本人抑留者は、脱走するルートとして相談していた。ただし、食料や水の調達、気温などを考えて断念している。
またこのルートは、1916年、ロシア人に迫害されることを恐れたキルギス人が、逃れようとしたルートだった。ベデル峠の500mほど手前(北側)に平らな空間がある。そこで多くのキルギス人が殺され、遺骨が重ねられていたという。キルギス人の有志がこの遺骨を運んで、ベデル峠の10㎞ほど手前に軍の検問があるのだが、その一角に慰霊碑のを建てて埋葬したと聞いている。
それぞれの時代のそれっぞれの人にとって、このルートは生きる希望の道であり、夢への道だったのだ。
「夢を実現する」象徴として、ベデル峠へと歩いてみたいものだ。
探検家の酒場『モーリー』で、店主の西安からトルファンまでのサイクリングの様子、トルファンからカシュガルまでのロバでの踏破の様子を伺いたい方は、https://www.facebook.com/morrlv/
上記をクリックしたうえで、お店の開店時間などを確認してください。
尚、私はウーロン茶を3杯を飲んで、ワニの肉を食べました。1900円でした。探検部OBの方が世界の各地からお酒を持ってきてくれるので、お店にいながらお酒の探検もできそうです。旅行好きのお客さんが多いので、お客さんからも世界各地の情報を聞くことができるでしょう。
話しもお酒も、お楽しみに。