定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

スペイン「巡礼の道」サイクリング その11

2017-06-30 16:56:09 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月12日ビジャフランカからサリアまで 67キロ

朝起きると、月が出ていた。今日も快晴か。j



朝食をとりながら、スタッフとルートに関して話し合った。毎朝のことだ。



cグループは、山の上まで車で行くことにした。O CEBREIROまで車、ここから自転車だった。スタ―ト地点は、雲海の上だった。



歩く巡礼者は、朝早くに出発していた。



塑像を施している十字架がいくつもあった。



ここまでは、つらい上り坂だった。上ると教会があった。

目の前に、教会。



また、巡礼者用の宿もあった。



教会の中にはか何か国語かの聖書が並べられていた。それだけ、様々な国の人が来ているということだろう。中には、点字の聖書もあった。スペインでは、独裁者フランコの時代に視覚障碍者が経済的に独立できるようにと、視覚障碍者による宝くじの販売が始まったという。働く人も視覚障害者だ。だから今でも、土日は休日なので宝くじの販売を休むという。このような発想は、日本でも紹介したり普及してほしいものだ。日本は、政治家や銀行、印刷会社などの利権が絡んで複雑なのだろうが。人権を認めることが大事なのに、障害者の人権にたいする意識が日本は遅れているなあと思った。

基本に返ってほしいものだ。



教会の脇のお土産屋さんでは、巡礼の品物としてホタテガイが並んでいた。そのわきで、フランス人とドイツ人の女性に気仙沼から持ってきたホタテガイを渡した。もちろん説明もしている。喜んで受け入れてくれた。ありがたいことだ、



自転車を引いて上った道を、歩いて上る人も多い。最後の坂はきつかった。歩くのもきつい。坂の上にレストランがあり休憩できるようになっていたのはありがたかった。地獄に仏とはこのことか。写真を撮っておけばよかった。



坂を下りてほっとしていると、大家族が待っていた。ホタテ貝の説明をしてサンチャゴまで持ってほしいと依頼すると、嬉々としてとして喜んでくれた。子供たちは、メンバーが貝殻に貼ってくれた富士山や桜のシールに興奮気味だった。珍しいらしい。



坂の上には、像が立っていた。風の強い頂上なのか、そんなイメージの像が立っている。ここで像と一緒に記念写真を撮る人が多い。だが、時間的に逆光だった。像の裏側で写真を撮っている人が多かった。



坂の厳しさは、歩く人の体の角度が物語っていた。がんばってほしい。



坂を上るサイクリストも、歩いていた。



一方で、坂を下るマウンテンバイクの巡礼者は、怒涛の如くの勢いで降りて行った。



小さな教会の前で、一緒にサイクリングした二人の記念写真を撮った。花も緑も豊かなエリアだった。



途中で牛追いのおじさんが、原っぱから道路に牛を離した。メンバーのひとりが牛に囲まれる形になった。怖い。わたしもシルクロードを走っていて何度も同じように牛に囲まれた。



この地域独自の建物があった。水車小屋だろうか。日本の茅葺の家のようでもあった。



この木に出会って、「巡礼の道」を走ってきてよかったと思った。川も近いのだろうが、緑の豊かさと、それと共生している人の姿に感動した。また、機会を作れるのだったら、大きなカメラを持って歩きたいものだ。



半分切り通しのような「巡礼の道」には、鎌倉街道と共通する雰囲気があった。



宿に到着すると、これまでも会っているドイツ人父娘の父親がビールを飲んでいた。アメリカからの女性の「巡礼者」も同じテーブルにいた。

ドイツ人のお父さんは生真面目で、冗談と言うがアメリカ人に伝わらない。彼女は怒ってしまった。

それでも、アメリカ人の女性は、気仙沼から持ってきたホタテガイを渡すと「いいアイデアですね」と共感してくれた。うれしいばかりだ。

スペイン「巡礼の道」サイクリング その10

2017-06-29 12:06:45 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月11日 アストルガからビジャフランカまでの75キロ

宿のカギは、ガウディ―のGをデザインした飾りがついていた。木でできていて大きい。

今日は1505メートルの地点まで上る予定だ。そこで、cグループは、てっぺんまでクルマで行こうと考えていた。ガイドの木下さんに「それはダメです。一番苦しいところは歩いてください.そうでないと、巡礼の道で一番高いところへ行く意味がありません」といわれた。みんなそこをめざすらしい。ここで、スタート地点で拾った石を置いてくる。困難を乗り越えられたことを神に感謝する意味があるのだろうか。

そこで、巡礼宿のある村でお車から降ろされた。村の名前は知らない。聞いておけばよかった。



アストルガの街の城壁の外へ車で行った。買い物でもしたのだろうか。忘れてしまった。



歩き始めるスタート地点は、山の中の小さな村だった。だが教会は大きい。



巡礼者向けの宿なのか。このよう置物はいくつもあった。



歩いていても早い組と遅い組にわかれた。



上りはきついけれども登山程ではない。ハイキングのレベルだ。



とはいえ、この道を大きな荷物を背負って歩くのは、若い時にしかできないように思った。



ここが頂上かと思ってのんびりしていると、道の真ん中で自転車にまたがっている人がいた。ポーランドから来ていて、フランスから自転車に乗ってきたのだという。十字架の前で彼のカメラで写真を撮ってあげたらとてもよろこんでいた。一人旅で、自分のカメラで写真を撮るのは、どうしても決まった構図になっていたのだろう。ただ、この人、光線にも細かいことを言っていた。自分の顔がはっきり写るようにしたかったのだろう。すぐにfacebookなどにアップする風だった。ポーランドのライターなのだろうかと。親近感を覚えた。



だが、ここからが長かった。この村で観光バスを降りて、歩いててっぺんまで行く人が20名ほどいた。見晴らしがよく先が見えるので、安心感がある。



道路脇の「巡礼の道」は歩道のようなところもあった。てっぺんでは、十字架の前で写真を撮る人が多かった。オーストリアから来たという歩いて巡礼している人にも、自分のカメラで写真を撮ってほしいと頼まれた。この人も太陽と雲の動きを気にして、写真を撮るタイミングを指示してきた。次々と観光客が記念写真を撮る場なので、雲が動くまでは十字架から離れてもらった。また、十字架の脇に立つのではなく、手前に立ってほしいと伝えて撮った。写真を見て、彼はよろこんでいた。基本的なことだが、人物が大きく映るのだ。



てっぺんにある十字架の周囲では、記念写真の順番を待つ巡礼の人がたくさんいた。邪魔にならないように写真を撮ったらすぐに交代した。残念ながら、自分のカメラで撮った写真は、太陽が雲に隠れて色が沈んでいた。



MOLINASECAからビジャフランカまでサイクリングとしたと思う。舗装道路で始まったが、すぐに「巡礼の道」のマークがあった。だが、舗装道路、上り坂なので、前を走る人はどんどん行ってしまった。もうダートに懲り懲りかと思って、一人で巡礼の道を進んだ。この時は3人で走っていた。1キロほど進むと、舗装道路にでた。脇に教会があった。ここで、先頭を走っていたメンバーとあった。真ん中を走っていた人がいない。


たった3人だがはぐれてしまったのだ。先頭を走っていたメンバーには、その場を動かないように伝え、3人で走っていたことを覚えている最後の地点まで凸凹道を慌てて下った。すぐに見つかった。最後に見かけたところから、巡礼宿を示す矢印を、ルートを示すものと勘違いして下ってしまったことが分かった。声が届かないからと言って一人で「巡礼の道」を進んだ私にも原因があるだろう。声をかけても先を走っているメンバーには聞こえなかった。こんな時はどうしたらいいのか。以前に、犬対策で買ったホイッスルを持ち歩こうか。ともかく、再び3人で走ることが出来たのでよかった。



「巡礼の道」を通っていると、ホタテ貝やヒョウタン、杖をデザインした鉄格子や置物など様々なものを見かける。

また、畑でサクランボを食べたり自然のありがたさを実感もした。村でサンチャゴへの道を聞くと、サンチャゴに行ったことのないような10歳くらいの子供まで道を教えてくれる。異文化の交流ということで考えれば、こんな触れ合いも「巡礼の道」の意味するところなのだろう。



街の入り口でホテルを調べて居ると、スタッフの一人が迎えに来てくれた。これで休めると思った。だが大間違い。



わたしたちがホテルに到着したのは15時30分。舗装道路を走っているメンバーが通り過ぎないようにホテルの前のベンチで待っていた。彼らが到着したのは、18時50分だった。暑いので15時過ぎには走らないようにと考えていた。だが、かなり予定を過ぎている。彼らもかなり疲れた事だろう。

今日、私たちが自転車で走ったのは8キロ。となると走り始めたのはCACABELOSだったのだろうか。もっと走ったように思う。

スペイン「巡礼の道」サイクリング その9

2017-06-28 12:38:36 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月10日 レオンからアストルガまでの47キロ
 「巡礼の道」にこだわるグループは、TROBAJOという街まで車で行き、ここからPUENTEという街までサイクリングとした。26キロとなる。

街の中はルートが分かりずらい。たった5人で走りはじめたが、はぐれることがあった。小径車やタイヤの細いこともあり「巡礼の道」を走るには適さない自転車もあるので仕方がない。



郊外に出ても道は分かりにくい。舗装道路が走りやすいので、どうしても「巡礼の道」をさけてしまうのだろうか。



こうなるとどう進んでいいものか迷う。大きなザックを背負って歩いている人を探しながらルートを判断していた。



だんだん、コウノトリの巣が多くなってきた。自然が豊かなのだろう。



お店を見つけたのでアイスを食べながら休んでいると、「巡礼の道」にこだわって走っているサイクリストがいた。路面は凸凹だが、車の心配がないので気が楽なのだ。



舗装道路をグループで走っているサイクリストもいた。すこし下り坂だったこともあるが、すごいスピードだった。



舗装道路の脇に農道のような細い「巡礼の道」があった。車の心配がないので、こちらを選んで走った。木に覆われたトンネルのような道となった。ここで木に引っかかってしまったらしく、自転車につけていた鯉のぼりがなくなった。暑い中を探しに行くのも大変なので、そのままとした。



同じようにでこぼこの「巡礼の道」を走っているサイクリストもいた。このあたりは乳牛を飼っている農家が多いようだった。



ローマ橋がみえてきた。今日はここまで。



橋の上は自転車をひいて歩いた。川の水は澄んでいて釣りをしている人の姿もあった。



ローマ橋の近くの公園でお昼とした。小さな子供が、自転車で遊んでいる。自転車で遊ぶ子供の姿は多かった。



アストルガまで車で移動した。ホテルの名前はガウディ―。目の前にガウディ―の作品という建物があった。



隣りには大聖堂があった。ここの売店で、トカゲの上に立っているマリア様らしき女性の像を写真で撮った絵葉書があった。



街の一角にはローマ時代の遺跡があった。温室のようにガラスの屋根をかけて、だれでも見られるようにしていた。



遺跡のすぐわきに激坂があった。夫婦で「巡礼の道」を走っている夫人が、自転車を押していた。この坂は、歩いて上るのも大変だと思った。



ベビーカーを押しているお母さんはこの坂に慣れていると思うが、それでもきついようだった。自転車で下るのも大変だが、ベビーカーを押してこの坂を下るのも大変だと思った。ブレーキはあるのだろうか。帰国後に写真を見て、心配になった。



スペイン「巡礼の道」サイクリング その8

2017-06-27 13:22:26 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月9日 SAHAGUNからレオンまで。
    今日はCグループは歩くことにした。自転車とは別の筋肉を使うことで、自転車で使う筋肉を休ませようと思った。そんなことができるのか。

EL BURGOという村から歩くくことにしたが、村の中は分かりにくいというので、村はずれまで車で移動した。暑い日だった。大部分は木陰のない道だった。

途中で立ち寄った村のレストランには、巡礼の人が休憩していた。



レストランのガラス窓には、ホタテ貝、杖、ヒョウタンと巡礼者であることを示す目印がデザインされていた。

帰国後に「巡礼の道 星の道」(平凡社)という本を広げると、これらは巡礼の道における救護所を示す目印だったという。いつから意味が少し変わったのか。本を最後まで読んでいないので、今のところ分からない。だが、巡礼者が多く、病気やけがで休息が必要となる人も多かったということだろう。あるいは、沿線の人の手を借りる必要になった人が多かったということか。大変な苦難の道中だったのだろう。



道の脇には、十字架をよく見かけた。



今回初めて散水する機械をみかけた。雨の少ない暑い地域ということだ。



時には、水路がありコウノトリが歩いているのを見た。コウノトリは飛んでいるものとばかり思っていたが、カエルでも居るのだろうか。



「巡礼の道」の脇に舗装道路があった。自転車で巡礼している人も多かった。



歩く人はこの暑い中を大きなザックを背負って、どんどん追い越して行った。



シルクロード雑学大学のメンバーも自転車で追いかけてきた。丁度川の脇の木陰で休んでいる時で、下り坂だったのであっという間に通り過ぎた。川を過ぎると上り坂が待っているので、勢いをつけて下ったのだろう。



歩いているとトカゲがいた。カメレオンかもしれない。先日、公園の中を通った時に、カメレオンを説明する案内板があったのだ。こんな乾燥地にいると思わなかったので、子供の勉強のためにおいてある看板だとばかり思っていた。

2日後くらいに、教会の中の売店で、マリア様なのか女性が大きなトカゲの上に立っている像の絵ハガキを見付けた。写真展で一緒に展示したい。



RELIEGOSという村の入り口にお店があった。先を歩いていたメンバーの一人はここで休んでビールを飲んでいた。車にピックアップしてもらうのもこの村なのだが。わたしもコーラを注文した。いつもはコーラを飲むことはない。だが、海外をサイクリングして疲れるとコーラを飲みたくなる。水は時には下痢する可能性がある。だが、コーラは泡が出てくるのなら本物だ。偽物のミネラルウォーターは、スペインにはないと思うが。



車でレオンに到着。通訳の木下さんから、ここのカテドラルのステンドグラスは素晴らしい、と聞いていたのでみんなで出かけた。



観光用の乗り物もある。



ステンドグラスは数も多いしよかった。一眼レフのカメラを持参すればよかったと思った。



写真ではスケールが分からないのが残念だ。



この街には中華料理店もあるという。夕食は中華料理となった。みんな喜んでいたが、料理が出てきてびっくり。お店の人は中国語を話していた。



またお店には寿司もあった。寿司を食べているお客がいないこともあり、寿司を食べたいという声は聞こえなかった。お店に入ったのは8時だったと思うが、スペイン人にとってまだ夕食には早い時間だったのかもしれない。

スペイン「巡礼の道」サイクリング その7

2017-06-25 13:11:35 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


昨日(6月24日)のNHK地球ラジオで、投稿ですが旅の一コマが紹介されました。17時55分頃の放送でした。以下をクリックして聴くことができます.
残り1分40秒くらいから残り20秒くらいまでの間です。NHK地球ラジオ

6月8日 ボアディジャ・デル・カミノからSAHAGUNまでの約60キロ

「巡礼の道」にこだわるメンバーは、宿泊地からCALZADILIAまでの約40キロをサイクリング。その後はホテルまで車で移動した。

ホテルからのスタートは、村のはずれから麦畑が広がっていた。小さな村だった。堤防のようなものを駆け上がると、運河だった。満々と水をたたえて流れていた。



進んでいると、運河の畔に3人ほど人が何やらやっている。釣りをしている様だ。



いったい何が釣れるのか。



ザリガにだった。また、運河は進行方向に流れており、運河の右側が高く、左側は5メートルから10メートル低くなっていた。対岸には木があったが、こちら側には木がなかった。



5キロほど進むと、堰のようなものがあった。昨夜聞いた通訳の木下さんの話では、17世紀ころのものの様だ。歴史的なモノに関心があるようだからと教えてくれたのだった。
既に修理が進んでいて、土台は石だが、表面はセメントになっていた。これも産業遺産だなあ。この運河で耕作地が広がり、麦などの栽培で移住してきた人もいるのだろう。人口も多くなり、国を支えたのだろうか。あたらしい村もできたのだろうか。



堰を過ぎて次の村に入ると、家と家の間の空き地で羊を遊牧している人がいた。



犬がいるので近づけない。シルクロードを走っていて、ずいぶんと犬と競争した。ほんとは追いかけられたのだった。石でポケットを膨らませて走ったこともある。この先は上りなので、犬に追いかけられたらアブナイ。だいたい40歳ころと60歳を過ぎた今では運動能力が違う。犬の年齢は知らないけれど。まあ、逆走して逃げるしかない。
「巡礼の道」も民家がないところでは山賊が出るという。むかしの事ではない、今現在のことだ。時にはパトカーも出ていた。犬はお金を狙うこともない。だから、人間に追いかけられるより犬の方がましかもしれない。



羊の群れの中には、立派な角を伸ばしているオスもいた。しばし羊を撮影しながら休憩。



さらに進むと教会があった。小さな教会だが、いまでも使っている様だ。残念ながら中に入ることはできなかった。



教会は村の入口にあり、村の中の丘の上には、もっと大きな教会があった。この教会にもコウノトリが巣を作っていた。



脇にある建物を見ると、窓の鉄格子に十字がデザインされていた。修道院だったのだろうか。



村から一直線の道が畑の中を通っていた。このあたりは、運河とともに開墾された地域なのか、直線的な道が多かった。区画整理されて「巡礼の道」の位置も変わったのだろうか。



直線の道路を進んでいくと、正面に教会が見えた。ここから直角に左に曲がった。



教会には湧水があった。飲もうとすると、他の巡礼者に止められた。ここの水は飲めないらしい。それでも水は冷たいので、炎天下を走ってきた身に、顔を洗うと気持ちよかった。頭から水をかぶるメンバーもいた。気持ちよさそうだ。運河のすぐわきにある教会だった。



ゴールの街が10キロ先に変更となったので、ゴールの20キロ手前で車に乗る。車に乗ったのは15時ちょうどくらいだった。暑い1日だった。それでも雲は秋の気配を感じさせていた。