定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

シンポジウム「シルクロードを掘る」の「ご案内

2018-12-13 13:16:56 | 講演会


来年の事だが、1月23日(水)、24日(木)の日程で「シルクロードを掘る いま蘇る、いにしえの道」が開催される。

会場は、帝京平成大学 中野キャンパス 225号室

主催は、帝京大学

キルギス、ウズベキスタン、中国、韓国から研究者を迎えて発掘の様子などを報告する。もちろん日本人の研究者も発表する。

参加費無料、事前に申し込みが必要。

詳しくは、こちらをクリックしてください。



支倉常長とローマに渡った足軽の子孫も参加、12月22日JICA地球ひろば

2018-12-13 13:16:56 | 講演会
  

2年程前に、「うちの先祖は、支倉常長と一緒にローマに渡った足軽だと、子どもの頃に母から聞いている」という友人から、出身地の気仙沼市に今も住む弟さんを紹介してもらった。弟さんの案内で先祖代々の墓を訪ねた。「墓に『☽の彫り物』があるのは珍しい」と弟さんは話していた。弟さんは、気仙沼市役所の市史編纂室に勤務して、たくさんのお墓を見てきたらしい。市史編纂室に勤めている時に、先祖から伝わるローマ伝来のインク壷も写真に収めたという。

12月22日(日) シルクロード雑学大学の定例会では、長澤が「支倉常長と足軽、その『墓』の謎」と題して話をする。来年の4月に計画している「支倉常長の『ローマの道』サイクリング2019」のルートや目的も含めて話をする予定だ。

 
私に「先祖が支倉常長と一緒にローマに行った足軽だ、と伝わっている」と話してくれた友人から手紙が届いた。先日会った時に、スペインで撮り友人の先祖につながるような写真を手渡し、手元にある資料の中であまり入手できそうも無いものをコピーして送付していたのだった。


手紙、その続き。

支倉常長の事は、いろんな人が本を書いている。だが、一緒にローマに渡った足軽に関しては、帰国後にどのように暮らしたのか。キリスト教徒として生活したのか。キリスト教を禁止されて、仏教徒になったのか。何処に住むことになったのか。仕事は、家族は‥‥。何もわからない。研究している人もいないようだ。そんな風に感じて、資料を集めたり、自転車で巡ったりしていた。来年には、友人と一緒に、先祖代々の墓に行こうと話し合っている。何しろ山奥だ。友人の親戚の宿泊したりしたい。楽しみにしている。自転車で山道を進むのか。

友人の家には、先祖から伝わっているインクツボがあったという。このインクツボは、「支倉常長と一緒にローマに行った先祖が、ローマ法王からもらったもの」だと聞いて育ったと友人は言う。手紙の主でもあるその友人が、12月22日の定例会に来るという。友人は、宮城県気仙沼市の出身。宮城県にある国立大学を出て、出版社に定年まで勤めた。埼玉県内に住んでいる。

インクツボは、2018年1月10日にNHKのBSプレミアムという局で「慶長遣欧使節の謎に迫る 400年後の真実」と題して放送されたらしい。シルクロード雑学大学の会員・関根実さんが、録画したDVDを送ってくれた。番組には、インク壷も出てくるらしい。友人の話によれば、インク壷の持ち主として番組に出演していたのは、従弟の奥さんだという。この番組を見て、はじめて友人がインク壷の現在の所在を知ったという。
残念ながらパソコンでは、DVDを見る事ができなかった。プレーヤーだったら見られるのか。定例会の会場であるJICA地球ひろばには、プレーヤーもあるので見たいものだ。

尚、定例会は、12月22日(土) 15時から17時。資料代500円。会場はJICA地球ひろば大会議室(JR市ヶ谷駅下車徒歩10分)
問合せは、080-7940-6040 シルクロード雑学大学長澤法隆
まで。

 
スペインのコリア・デル・リオという街にある支倉常長の像。この街には「ハポン」という姓の人が約800人住んでいるという。「ハポン」は、スペイン語で日本という意味だという。先祖に日本人を持ち、混血は進んでいるが、中には蒙古斑のある子供もいるのだという。一般的にスペイン人の子どもたちには、蒙古斑はないという。スペインの教会にあるお墓にも、「☽の彫り物」はあった。

尚、友人の手紙に「楽しいお酒」とあるが、お酒を飲んだのは友人とその仲間たち。出版関係者だった。私は烏龍茶。22日に30分くらいは一緒に静かにお茶を飲みながら、資料を基に話を聞きたい。

講演「玄奘三蔵の足跡を踏破 自転車とロバで天山山脈をめざす」

2018-10-16 21:57:06 | 講演会
  
ロバ車に乗って天山南路をゆく。西域踏破はまだまだ続く。出世よりも夢。シルクロードをめざす。

講演の会のお知らせ 朝日新聞で紹介記事

講演「玄奘三蔵の足跡を踏破‥‥‥‥自転車とロバ車で天山山脈をめざす」
講師:坂口篤史氏(さかぐち あつし、探検家、神楽坂・探検家の酒場「バー モーリー/bar Morrlü」店主)
内  容:玄奘三蔵の足跡を追体験したいと考え、できるだけ玄奘三蔵が旅したように人力、あるいは荷役運搬を担っていた動物と一緒に旅したいと計画した。選んだ動物はロバ。西安では変速機のない自転車を買いトルファンまで、トルファンでロバを買いベデル峠をめざす。ただし、玄奘三蔵が通ったと考えられている中国とキルギスの国境ベデル峠は閉じていた。やむなく目的地をアクスに変更した。同行のロバの調子が悪くクチャで旅を終えた。玄奘三蔵の足跡を追ってインドまで踏破するのが人生の夢です。神楽坂で営業している探検家の酒場「バー モーリー/bar Morrlü」の名称は、どんな意味でしょうか。この計画と関連しています。

講師プロフィール:埼玉県生まれ。法政大学経営学部在学中は探検部に所属。3年生の時に3か月半かけて玄奘三蔵の足跡を、玄奘三蔵が旅した時代と同じような方法で踏破したいと考えて計画。だが、国境の都合もあり中国のアクスまでとした。大学を卒業後は、西安にある西北大学へ留学。卒業後、現地の日本法人に勤務。今年6月、神楽坂に探検家の酒場「バー モーリー/bar Morrlü」を開店。お店には旅行や冒険や探検記、一般的な旅行記が並ぶ本棚がある。お客さんの誰もが探検記や旅行記を読めるよている。https://www.facebook.com/morrlv/ 。新宿区在住

日 時:2018年10月21日(日)15時~17時
会 場:JICA地球ひろば 600号室(東京都新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車 徒歩10分)

参加費:一般1000円、学生500円 誰でも参加できます。
主催:シルクロード雑学大学 ☎042-573-7675 http://silkroad-tanken.sakura.ne.jp/

 
探検家の酒場にある中央アジアの伝統的な料理・ラグメンは女性に人気。お店には旅行や探検に関する本も並ぶ。三蔵法師の中でも玄奘三蔵に関心のある人、仏教の伝播に興味のある人、中央アジアの中でもヨーロッパのハイキングやスキー客の多いキルギスの情報がほしい人は、お店で情報交換してほしい。ウーロンハイなどのソフトドリンクもある。エスニックな紅茶も含めて500円から600円くらいから。中央アジアのエスニック料理も600円くらいから味わえる。

  

 
坂口さんがめざしたのは玄奘三蔵が天山山脈を越えたベデル峠だった。5枚の写真は天山山脈の北側キルギス。ベデル峠も見える。
写真の1枚目はベデル峠の1キロくらい手前。2枚目は、ベデル峠の約8キロ手前から約2キロ手前くらいまでのルートの状況。川筋を遡ると車が通れない。登山靴も水没するくらいの沢を右に左にと渡河しながら源流をめざす。ストックがあると便利だ。
3枚目は、ベデル峠の500メートルほど手前(北側)。雪渓が現れて慎重に進むので、前進するスピードは遅くなる。雪渓の下にベデル峠を越えた人たちが落とした中国の1000年前前後のコインやラクダの骨などあるかもしれないと目は水面下を追い、峠をめざすスピードはますます遅くなる。

4枚目、峠の約30キロから50キロ手前にある大きな岩。岩に上ると岩絵が見える。岩は黒光りしている。法政大学博士課程で学ぶ斎藤圭さんの話によれば、砂漠ワニスという現象で岩が黒く成り、その表面に人が絵を描いたらしい。砂漠ワニスという現象ができるまでには、数万年の時間が必要なようだ。もっと長いかもしれない。その後、人間が通ったのだろう。あるいは、人間が暮らした痕跡が岩絵であることは間違いない。
大きな黒い岩は、タクラマカン砂漠とイシククル湖を結ぶルートのラウンドマークだったのか‥‥。中国のタクラマカン砂漠から、ベデル峠、さらに岩絵を通って、イシククル湖南岸に人が往来していた痕跡とも考えられる。キルギスの高齢のガイドの話によれば、この岩にかつては観音像が描かれていたという。通訳の問題もあるので、仏の絵と受け止めたらいいかもしれない。とはいえ、人々が往来していた証、仏教伝播の足跡だったと考えられる。
イシククル湖南岸には、チベット文字の彫られた岩が4か所ある。タクラマカン砂漠、天山山脈を越えて仏教が中央アジアへと伝播した証であると考えている。
現在の車のルートと川を巡って移動する遊牧民の移動ルートには、小さいながらも差異があると思われる。遊牧民と一緒に暮らしたり聞いてみたら、他にもチベット文字が発見できるかもしれない。人々がタクラマカン砂漠や天山山脈を越えて暮した痕跡を明らかにしたいものだ。遊牧民の情報も含めて、気になるポイントを写真とGPSで場所を特定したいものだ。

日本への仏教伝播に関わった大きな存在である玄奘三蔵への関心は大きい。でも、多くは中国の西安までの関心と情報だ。ベデル峠を越えて中国から中央アジアへと探検した玄奘三蔵の足跡を追った日本人の記録はない。峠に到達すれば、日本人初。
坂口さんをはじめとした法政大学探検部のチャレンジに期待している。中国との国境であるだけにキルギス共和国政府の許可を得る必要がある。

参考になる読み物は以下の通り
   

「玄奘三蔵」は、Amazonで400円くらいよりある。
「玄奘法師の大唐見聞録」は、Amazonで1円からある。3巻ものなので、他の本も購入する場合は調べてほしい。コミック。
「玄奘西域記 (1)」は、Amazonで400円くらいよりある。コミック。
「玄奘西域機 (2)」は、Amazonで400円くらいより。コミック。
「玄奘三蔵 大唐慈恩寺三蔵法師伝」には、埼玉県さいたま市岩槻区にある慈恩寺に、玄奘三蔵の遺骨の一部が安置されているいますが、第2次世界大戦中に南京で発掘されています。何故、戦争中に発掘作業が行われていたのか不思議です。その経緯が書かれています。玄奘三蔵の遺骨は、その後東大寺にも分骨されています。本はAmazonで700円くらいよりあります。。
講演「玄奘三蔵の足跡を踏破」は、こちらをクリックしてください。


キルギス日本センターで講演 「キルギスに抑留された日本人」

2018-07-18 19:54:08 | 講演会
  

明日(7月19日)からキルギス共和国へ行く。

中央アジアにあるキルギス共和国は、約1400年前にインドへ仏典を求めて旅立った玄奘三蔵が天山山脈を越えて、イシククル湖へと至った記録のあることから日本人に知られている。

特に、玄奘三蔵は、熱海(ねっかい)と表現した巨大な湖をどのようにしてクリアしたのか。興味深い。ぐるりと大きく東から迂回したのか、船で渡ったのか。陸上の短い西のコースを進んだのか。玄奘三蔵の記録には書かれていない。それだけに、謎解きには誰でも参加できる。

ただ、わたしが今回、キルギスへ行くのは玄奘三蔵の事ではない。
約70年前、日本の敗戦に際し多くの日本兵や一般人がソビエトの捕虜になっている。このことは、シベリア抑留と称されている。しかし、中央アジアやコーカサスのグルジアにも日本人捕虜は送られていたことは、あまり日本人に知られていない。

わたしが興味を持っているのは、こちらの問題。キルギス共和国に抑留された元日本兵の事だ。2006年から調べ始めたが、当初、厚生労働省に問い合わせても「キルギスに日本人は抑留されていませんでした」という返事だった。しかし、2007年に私に一本の電話があり、キルギスにも日本人が抑留されていて、2年後に全員が復員していることが判った。

抑留されていた当人からの電話だったのだ。その後、本人と会い、キルギスに抑留された仲間の名簿を分けてもらった。125名が抑留されていて、100名の名前や住所が記録されていた。

この経緯を、キルギスにある日本センターで話すことになったのだ。7月25日の夕方だ。このブログを見た人は、青年海外協力隊のボランティアや仕事でキルギスに滞在している人を知っていたら、伝えてほしい。

詳しいことは、20日に日本センターで打ち合わせをます。そこで、時間が決まります。詳しいことは日本センターに問い合わせてもらいたい。


実は、昨日、ブログで書いた法政大学探検部のOBである岡村隆さんが、月刊「望星」の編集長をしている時に、キルギスに抑留されていた日本人捕虜のことを書かせてもらっている。関心のある方は、図書館で月刊「望星」2008年12月号、2009年1月号を開いてください。

  

23日の講座、朝日新聞都内版でも紹介

2017-12-19 13:04:29 | 講演会


12月23日(土・祝)に予定している講座「定年後はシルクロードを旅しよう」が、朝日新聞の東京マリオンで紹介されました。

シルクロードを旅しながら、音楽や美術、建築、くだものや野菜、といった自分のこどものころの関心のある分野やこどものころ興味の対象を調べて、その分野の専門家になることもできます。

シルクロードを一緒にサイクリングした仲間は20年間で450名ほど。特徴的な旅の様子や趣味、特技を紹介します。

朝日新聞の記事はこちら


テレビ番組のビデオ「ツール・ド・シルクロード20年計画達成」

シルクロードを仲間と一緒にサイクリングしたことを伝える番組のビデオはこちら

 







            


2018年のトルクメニスタンのサイクリングの予定に関して

2018年に計画しているキルギスでのピクニックに関して