定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」イラン02

2018-03-01 17:03:22 | ツール・ド・シルクロード イラン


イランのカスピ海沿岸は緑も豊かだが、雨量も多いようだ。ただ、気温が高いので雨に降られてもあまり気にならない。それでも、宿に到着したら自転車に水をかけて泥を洗い流すと、直ぐにシャワーを浴びた。ただ、雨は長く続かなかったので、シャワーの後はすぐにカスピ海の海岸を散歩した。

  

カスピ海には海水浴客はいなかった。漁師のような人が一人、トラックのチューブを利用した浮き輪を使って漁をしていた。雨上がりだったが天候はよくなり、波もなくカスピ海は穏やかだった。海岸には、小さなか貝殻がたくさん打ち上げられていた。漁師のような人のところに、時々地元の住民と思われる人が近づいていく。カスピ海で捕った魚を売っているらしかった。カスピ海といえばチョウザメだが、数が減っていることもあり、このあたりにはいないらしい。

  

カスピ海の沿岸にある遺跡。すこし標高が高いだけなのだが、遺跡の上は見晴らしがいい。何処までも水田が広がっている。むかしは軍事的な要衝の地だったのだろうか。カスピ海を往来する船にとって、灯台の役割も果たしていたのだろうか。

  


カスピ海沿岸の街は、いたってのんびりとしていた。子供たちは手伝いに夢中で、孫を背負って子守をしているような女性も見かけた。売っているのだろうと思われる羊が、道路わきで時々メェーとなく。この辺りでは羊の放牧を見かけない。乗用車に乗せて売りに来ているのだろうか。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」イラン01

2018-02-28 14:44:16 | ツール・ド・シルクロード イラン
  

「ツール・ド・シルクロード20年計画」でイランを仲間と一緒にサイクリングしたのは、2005年頃から5年程だった。広いのだ。ペルセポリスを見たくて南部を走った。だが、カスピ海もみたいという仲間の言葉に誘されるようにして、カスピ海の南岸を走った。

2週間の休暇を利用してイラン国内をサイクリングしているというイラン人とも出会った。ロシア人、ドイツ人、フランス人など、様々なヨーロッパのサイクリストが、イランを通って中央アジアや中国、モンゴル、日本、東南アジアをめざしていた。ユーラシア大陸を横断したいというサイクリストが多かった。

    

カスピ海では漁をしている人にあった。トラックのチューブを浮き輪にして、船のようにカスピ海の沖合に漕ぎ出して網で魚を捕る。そんな漁をしている人を見かけたのは1回、一人だけだった。だが、海岸を見ると、小さな魚を網ごと捨てている光景も見られた。カスピ海の沿岸にタイヤが打ち上げられているのを見かけることもあった。ダンロップだった。

     

カスピ海の沿岸から見える遺跡に上ってみた。丘の上から周囲をぐるりと見渡すことができた。水田が広がっていることがよく分かった。遺跡を降りて水田の方向にいってみた。日本と同じように稲の苗を植える、田植えをしていた。田んぼに入っているのは全員が女性だった。イスラム圏では珍しい。都市部のお店以外で女性が働いている様子を見るのは、イスラム圏では珍しい光景だった。

日本語ガイドに「日本の田植えと同じですね」と話すと、「秋田県の農協の人が指導に来て教えたんですよ」とのこと。日本とイランの間に、お米を通した友好関係があるとは知らなかった。もともと、イランのカスピ海沿岸は穀倉地帯だという。パキスタン、イランのバム、カスピ海を結ぶルートは、ライスロードと言われているらしい。ずいぶんと昔に、稲作が伝播したルートだというのだ。