定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

東日本大震災とスペイン『巡礼の道』 NHK「ちきゅうラジオ」で紹介

2017-12-18 14:25:33 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング
     

12月17日(日)に放送されたNHK「ちきゅうラジオ」でスペインの旅の様子を投稿して紹介されました。

放送を聞きたい方は、「ちきゅうラジオ」をクリックしてほしい。パソコンで放送を聞くことができます。17日の午後6時台、終わりから10分40秒くらい手前から聞いてください。数字は画面に表示されます。

投稿した内容は、スペインの「巡礼の道」をサイクリングや歩いたときに、雨の中で並んだ後に盲目の司教から巡礼者と出会ったこと。司教から巡礼をしていることを示すスタンプをもらうために、教会の門が開くまで2時間も待っているという日本語を話す南米からの巡礼者人との出会いなどです。小さな村や町の教会を巡って、雨の中や炎天下に並んでも教会で礼拝をおこなう巡礼者の姿から、巡礼の意味を考えさせられたことなどです。

わたしはスポーツや観光気分で「巡礼の道」を旅行しました。しかし、ヨーロッパ各地や南米から集まった巡礼者たちは、信仰心により、あるいは子供の頃からキリスト教に接しているので、「巡礼」する姿勢も熱心に感じました。聖書を読み返したうえで、もう一度訪れたいと思いました。

例えば日本人がお遍路で、一つのお寺が閉まっていたら、仏教への信仰心がそれほどなくても「次回に、このお寺に来てみよう」と考えるのと同じようだと思いました。

また、わたしは東京に住んでいますが、スペインへ行く前に宮城県の気仙沼の海岸へ行ってホタテ貝の貝殻を拾い、貝殻に「がんばれ東北」といったメッセージを書いて巡礼者に渡し、宮城県の大川小学校のように大部分の教職員も生徒も亡くなった学校もあることを伝えたうえで「東北の復興も願って、サンチャゴをめざしてほしい」とお願いをしました。「いいアイデアですね」との返事を何人にもいただきました。復興と共に、帰天した方々に安らかに眠ってほしいとも願いました。

食事の前に、十字を切る人、手を合わせる人、オーミンと唱える人などなど。シルクロードはを旅すると、仏教、イスラム教、ゾロアスター教、キリスト教などと生活の中で宗教に触れている人が多いと感じました。旅するには、仏教だけでなく、ほかの宗教の事も理解すること大切だと。シルクロードを旅して、暮らしにふれてつくづく思うようになりました。

        

シルクロード雑学大学のブログで「巡礼の道」の旅の様子を知りたい方は、これをクリックしてください

シルクロード雑学大学の仲間が一緒にシルクロードを自転車で旅行しているテレビ番組はこちらです。

来年(2018年)3月に計画しているトルクメニスタンのサイクリング、6月に計画しているキルギスでのピクニックの募集を紹介している朝日新聞の記事
はこちらです。

車いすでオーストラリアを横断した宮崎美奈さんの記事(長澤が書いて雑誌「ポカラ」に発表)はこちらです。

シルクロード雑学大学の仲間と一緒に20年かけてシルクロードをサイクリング、ゴールを伝える番組はこちらです。


スペイン「巡礼の道」サイクリング その13

2017-07-03 18:48:01 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


巡礼の道をサイクリングした証明をもらうためには、11時から11時半に大聖堂に到着して申し込む必要がある。

6月14日、パラス・デル・レイから67キロでサンチャゴだが、5キロほど前から自転車で走って、サンチャゴへみんなで一緒にゴールすることにした。

朝、出かける準備をしていると外は雨だった。車でスタート地点へ行く途中は、霧が濃かったり雨脚が強かったり。だが、スタート地点に到着すると、雨はかなり小降りになっていた。



みんながはぐれないように走るのだが、信号のところでどうしても行列が途切れてしまう。



途中からは自転車で走ることが出来ない石畳の路地。自転車を引いて歩いた。



ようやく大聖堂に到着。正面ではなかった。移動することにした。



大聖堂の前でほぼ全員で写真を撮る。



ヨーロッパの人が乗っていた自転車がごつかった。





大聖堂の中にある博物館へ行った。石碑に三日月が彫ってあった。支倉常長の家来の足軽として、友人の先祖のひとりがスペインに渡っていると伝えられているという。友人の弟は、気仙沼市役所の市史編纂室に勤務していたこともあったので、お墓や石碑をたくさん見ているが、三日月が彫ってあるものは見たことが無いという。それで彼は、「先祖はスペインやローマへ行った一つの証」だととらえていた。

私は、昨年の11月に気仙沼へ行って、友人の弟と一緒に先祖の墓地を訪ねた。たしかに三日月が彫ってあった。



また、サンチャゴの大聖堂には、他にも三日月をデザインしているものがあった。家紋だった。支倉常長は、マドリッドからバルセロナへと通って、船でイタリアのチビタベッキアへ進み、ここから約80キロ先のローマに向かっているとされている。

このルートの途中で、石碑やお墓に三日月が彫られているのだろうか。



ホテルの近くの光景



翌朝の朝食は、地下の長い廊下を歩いてぞろぞろと食卓に向かった。隣にある学校の食堂だった。この辺り一帯に修道院があったようだ。建物がつながっている。周囲は教会がいくつもあった。坂の多い街だった。



朝早くから車でマドリッドへ向かった。到着後すぐに自転車の解体。関根さんが秤を持ってきていて、1台ごとに重さを測ってくれた。一人20キロ。二人だけが30キロまで飛行機に乗る際に荷物を預けることができる。幸い、2名は自転車を持っていないので荷物は10キロほどだ。機内に持ち込める荷物は一人7キロまで。



よく朝散歩で町の中を歩いていると、学校があった。



歩道には自転車をデザインした敷石もあった。



シティバイクは、多くの人が利用していた。



歩道の部分に電話ボックスのようなものがある。宝くじの売り場だという。関心を持ったのは、視覚障碍者の職場として、憂慮企業となっているオンセという宝くじを販売している会社があるとのことだった。土日は休養する日なので、宝くじの販売も休みなのだという。

また、何と独裁者のフランコが始めた事業だというのだ。国力や税収を高めるためには、視覚障碍者にも仕事があり働いてもらうことは大事だと始めた事業だったようだ。

日本の宝くじの販売もそんな発想で取り組み、いろなん人に働くチャンスを見付けてほしいものだ。



最後に、サンチャゴのホテルの壁に飾ってあった。「フランス人の道」の巡礼者を描いた絵の模写のようなもの。


スペイン「巡礼の道」サイクリング その12

2017-07-01 14:01:42 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月13日 サリアからパラス・デ・レイまでの46キロ

宿泊したのは、サリア駅前のホテル。ここから歩くとサンチャゴまで100キロとなり、「巡礼の道」を歩いた証明書をもらえるという。それで、ここから歩き始める人が多いという。マドリッドから電車で来る人も多いという。

今日のコースでは、最初に急な上り坂がある。途中で自転車も通れないような段差があるという。そこで、全員でCASTROMAIORという村の外れまで車で移動した。急な上り坂と下り坂を避けたのだ。

Cグループは、さらにVENTAS DE NARONという村のBARまでクルマで移動し、ここから歩くことにした。

Cグループの人が車で移動中、雨が強くなった。自転車の人は巡礼の道を走っていたが、合羽を取りに来る人がいるというので、車は「巡礼の道」と一般道が交差する地点で待機していた。雨は強くなるばかりだった。スタッフは、車が危ないので一般道はやめて「巡礼の道」を走るようにアドバイスした。だが、自転車はそのまま一般道を進んだらしい。スタッフの言う通り、この地域は雨と霧が多い地域らしい。



合羽を渡して、Cグループの人は歩く出発地点までクルマで移動した。豪雨と濃霧で、車もスピードを落とさなければならないほどだった。これでは自転車の人はずぶぬれだろうと心配になった。



歩き始める地点はBARの前からだ。だが、空も明るくなってきたので、お茶を飲んで雨が小降りになるのを待った。



歩いている人は多かった。高校生の遠足のような年代の人もいた。



「巡礼の道」の脇にある教会は、小さいけれども多くの人が中に入っていく。雨は降り続いていた。



たが、中にいた司祭の人は携帯電話で会話中だった。電話が終わるのを待った。スタンプを押してもらおうと紙片を出してはじめてわかった。この人は盲目だった。目は開いているけれども見えないにちがいない。彼がスタンプを持った位置にスタンプを押す場所を動かして、手探りの彼からスタンプをもらう。みんなそうしていた。視覚障碍者であっても、他の司祭と同じように社会が受け入れている。社会の、人間の懐の深さを感じた。



歌ったり踊ったりしながら雨の中を進んでくるグループがあった。高校生くらいの年代だった。

BARでホタテ貝の説明をして、サンチャゴまで東日本大震災の復興への祈りながら歩いてもらうことにした。



とても熱心に話を聞いてくれた。



この辺りは雨が多いのか、家の脇には薪がつまれている。



道は時に狭い農道のようなところを進む。こんなところも自転車で入るのだから、驚きだ。





道の脇に即席で作ったような十字架があった。



途中のBARでは、雨の中、自転車が何台も止めてあった。



教会の裏手にお墓がある。十字架にはキリストが彫られていた。この地域の特徴のようだ。さきほど、「巡礼の道」の脇にあった十字架も、地元の人が
置いたのかもしれないと思った。



教会の鐘にひもがつながっていた。一緒に歩いていたメンバーがひもを引くと簡単に鐘がなった。後でガイドの木下さんに聞いたら、教会の鐘は村の人に時間を知らせるものだという。日本のお寺の鐘と一緒だ。今は、だれだって時計を持っているし、テレビやラジオで時間を確かめているのだろう。でも、教会とともに、鐘で時を知らせる習慣も今に続いているようだ。



雨は上がったが、「巡礼の道」は緑のトンネルとして続いている。雨が多いことがよくわかる。



今日の宿泊は、こんな施設だった。自転車の人たちは、雨が強くなったのですぐに走行をやめて、早めにホテルに到着したという。「巡礼の道」を歩いて、1キロほど先にある隣村まで買い物に行った人もいた。ホテルの周りにはお店がないのだ。2年程前に出来た新しい宿泊施設らしい。到着したころには、太陽が顔を出していた。

スペイン「巡礼の道」サイクリング その11

2017-06-30 16:56:09 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月12日ビジャフランカからサリアまで 67キロ

朝起きると、月が出ていた。今日も快晴か。j



朝食をとりながら、スタッフとルートに関して話し合った。毎朝のことだ。



cグループは、山の上まで車で行くことにした。O CEBREIROまで車、ここから自転車だった。スタ―ト地点は、雲海の上だった。



歩く巡礼者は、朝早くに出発していた。



塑像を施している十字架がいくつもあった。



ここまでは、つらい上り坂だった。上ると教会があった。

目の前に、教会。



また、巡礼者用の宿もあった。



教会の中にはか何か国語かの聖書が並べられていた。それだけ、様々な国の人が来ているということだろう。中には、点字の聖書もあった。スペインでは、独裁者フランコの時代に視覚障碍者が経済的に独立できるようにと、視覚障碍者による宝くじの販売が始まったという。働く人も視覚障害者だ。だから今でも、土日は休日なので宝くじの販売を休むという。このような発想は、日本でも紹介したり普及してほしいものだ。日本は、政治家や銀行、印刷会社などの利権が絡んで複雑なのだろうが。人権を認めることが大事なのに、障害者の人権にたいする意識が日本は遅れているなあと思った。

基本に返ってほしいものだ。



教会の脇のお土産屋さんでは、巡礼の品物としてホタテガイが並んでいた。そのわきで、フランス人とドイツ人の女性に気仙沼から持ってきたホタテガイを渡した。もちろん説明もしている。喜んで受け入れてくれた。ありがたいことだ、



自転車を引いて上った道を、歩いて上る人も多い。最後の坂はきつかった。歩くのもきつい。坂の上にレストランがあり休憩できるようになっていたのはありがたかった。地獄に仏とはこのことか。写真を撮っておけばよかった。



坂を下りてほっとしていると、大家族が待っていた。ホタテ貝の説明をしてサンチャゴまで持ってほしいと依頼すると、嬉々としてとして喜んでくれた。子供たちは、メンバーが貝殻に貼ってくれた富士山や桜のシールに興奮気味だった。珍しいらしい。



坂の上には、像が立っていた。風の強い頂上なのか、そんなイメージの像が立っている。ここで像と一緒に記念写真を撮る人が多い。だが、時間的に逆光だった。像の裏側で写真を撮っている人が多かった。



坂の厳しさは、歩く人の体の角度が物語っていた。がんばってほしい。



坂を上るサイクリストも、歩いていた。



一方で、坂を下るマウンテンバイクの巡礼者は、怒涛の如くの勢いで降りて行った。



小さな教会の前で、一緒にサイクリングした二人の記念写真を撮った。花も緑も豊かなエリアだった。



途中で牛追いのおじさんが、原っぱから道路に牛を離した。メンバーのひとりが牛に囲まれる形になった。怖い。わたしもシルクロードを走っていて何度も同じように牛に囲まれた。



この地域独自の建物があった。水車小屋だろうか。日本の茅葺の家のようでもあった。



この木に出会って、「巡礼の道」を走ってきてよかったと思った。川も近いのだろうが、緑の豊かさと、それと共生している人の姿に感動した。また、機会を作れるのだったら、大きなカメラを持って歩きたいものだ。



半分切り通しのような「巡礼の道」には、鎌倉街道と共通する雰囲気があった。



宿に到着すると、これまでも会っているドイツ人父娘の父親がビールを飲んでいた。アメリカからの女性の「巡礼者」も同じテーブルにいた。

ドイツ人のお父さんは生真面目で、冗談と言うがアメリカ人に伝わらない。彼女は怒ってしまった。

それでも、アメリカ人の女性は、気仙沼から持ってきたホタテガイを渡すと「いいアイデアですね」と共感してくれた。うれしいばかりだ。

スペイン「巡礼の道」サイクリング その10

2017-06-29 12:06:45 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月11日 アストルガからビジャフランカまでの75キロ

宿のカギは、ガウディ―のGをデザインした飾りがついていた。木でできていて大きい。

今日は1505メートルの地点まで上る予定だ。そこで、cグループは、てっぺんまでクルマで行こうと考えていた。ガイドの木下さんに「それはダメです。一番苦しいところは歩いてください.そうでないと、巡礼の道で一番高いところへ行く意味がありません」といわれた。みんなそこをめざすらしい。ここで、スタート地点で拾った石を置いてくる。困難を乗り越えられたことを神に感謝する意味があるのだろうか。

そこで、巡礼宿のある村でお車から降ろされた。村の名前は知らない。聞いておけばよかった。



アストルガの街の城壁の外へ車で行った。買い物でもしたのだろうか。忘れてしまった。



歩き始めるスタート地点は、山の中の小さな村だった。だが教会は大きい。



巡礼者向けの宿なのか。このよう置物はいくつもあった。



歩いていても早い組と遅い組にわかれた。



上りはきついけれども登山程ではない。ハイキングのレベルだ。



とはいえ、この道を大きな荷物を背負って歩くのは、若い時にしかできないように思った。



ここが頂上かと思ってのんびりしていると、道の真ん中で自転車にまたがっている人がいた。ポーランドから来ていて、フランスから自転車に乗ってきたのだという。十字架の前で彼のカメラで写真を撮ってあげたらとてもよろこんでいた。一人旅で、自分のカメラで写真を撮るのは、どうしても決まった構図になっていたのだろう。ただ、この人、光線にも細かいことを言っていた。自分の顔がはっきり写るようにしたかったのだろう。すぐにfacebookなどにアップする風だった。ポーランドのライターなのだろうかと。親近感を覚えた。



だが、ここからが長かった。この村で観光バスを降りて、歩いててっぺんまで行く人が20名ほどいた。見晴らしがよく先が見えるので、安心感がある。



道路脇の「巡礼の道」は歩道のようなところもあった。てっぺんでは、十字架の前で写真を撮る人が多かった。オーストリアから来たという歩いて巡礼している人にも、自分のカメラで写真を撮ってほしいと頼まれた。この人も太陽と雲の動きを気にして、写真を撮るタイミングを指示してきた。次々と観光客が記念写真を撮る場なので、雲が動くまでは十字架から離れてもらった。また、十字架の脇に立つのではなく、手前に立ってほしいと伝えて撮った。写真を見て、彼はよろこんでいた。基本的なことだが、人物が大きく映るのだ。



てっぺんにある十字架の周囲では、記念写真の順番を待つ巡礼の人がたくさんいた。邪魔にならないように写真を撮ったらすぐに交代した。残念ながら、自分のカメラで撮った写真は、太陽が雲に隠れて色が沈んでいた。



MOLINASECAからビジャフランカまでサイクリングとしたと思う。舗装道路で始まったが、すぐに「巡礼の道」のマークがあった。だが、舗装道路、上り坂なので、前を走る人はどんどん行ってしまった。もうダートに懲り懲りかと思って、一人で巡礼の道を進んだ。この時は3人で走っていた。1キロほど進むと、舗装道路にでた。脇に教会があった。ここで、先頭を走っていたメンバーとあった。真ん中を走っていた人がいない。


たった3人だがはぐれてしまったのだ。先頭を走っていたメンバーには、その場を動かないように伝え、3人で走っていたことを覚えている最後の地点まで凸凹道を慌てて下った。すぐに見つかった。最後に見かけたところから、巡礼宿を示す矢印を、ルートを示すものと勘違いして下ってしまったことが分かった。声が届かないからと言って一人で「巡礼の道」を進んだ私にも原因があるだろう。声をかけても先を走っているメンバーには聞こえなかった。こんな時はどうしたらいいのか。以前に、犬対策で買ったホイッスルを持ち歩こうか。ともかく、再び3人で走ることが出来たのでよかった。



「巡礼の道」を通っていると、ホタテ貝やヒョウタン、杖をデザインした鉄格子や置物など様々なものを見かける。

また、畑でサクランボを食べたり自然のありがたさを実感もした。村でサンチャゴへの道を聞くと、サンチャゴに行ったことのないような10歳くらいの子供まで道を教えてくれる。異文化の交流ということで考えれば、こんな触れ合いも「巡礼の道」の意味するところなのだろう。



街の入り口でホテルを調べて居ると、スタッフの一人が迎えに来てくれた。これで休めると思った。だが大間違い。



わたしたちがホテルに到着したのは15時30分。舗装道路を走っているメンバーが通り過ぎないようにホテルの前のベンチで待っていた。彼らが到着したのは、18時50分だった。暑いので15時過ぎには走らないようにと考えていた。だが、かなり予定を過ぎている。彼らもかなり疲れた事だろう。

今日、私たちが自転車で走ったのは8キロ。となると走り始めたのはCACABELOSだったのだろうか。もっと走ったように思う。