定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

写真展「シルクロードの子どもたち」のお知らせ

2018-11-25 14:19:54 | 写真展
  

写真展のお知らせ

写真展「シルクロードの子どもたち」

日時:2019年1月15日(火)~20日(日) (9時~22時、初日13時から、最終日17時まで)

会場:東京都国立市公民館 ロビー(東京都国立市中1-15-1、JR国立駅南口下車、徒歩5分)

内容:「ツール・ド・シルクロード20年計画」で中国の西安からイタリアのローマまで自転車で旅した時に見かけた子供たちの様子をお知らせします。東から西へと、子供たちの風貌、服装、遊び、自転車で遊ぶ、遠足の様子、働く様子などの紹介を通して、宗教や民族、暮らしの様子、風景なども一緒に紹介したいと思います。カラー写真約50枚。

入場:無料

主催・問合せ:シルクロード雑学大学 042-573-7675 nagasawa_horyu@★yahoo.co.jp(★印を半角@マークに換えてください)

        

雲南懇話会(京都大学山岳部OG・OBを中心とした団体)でも紹介しています。(下記の文で色の変わっている部分をクリックしてください)
雲南懇話会のホームページでビデオを見る。
「ツール・ド・シルクロード20年計画」の様子を写真(約300枚)で紹介しているパワーポイントを写真を見る。

「ツール・ド・シルクロード20年計画」を紹介しているビデオを見る。

下記の自転車動画/シクロチャンネルでは、「ツール・ド・シルクロード20年計画」に関して、3本のビデオで紹介しています。
ビデオ1
ビデオ2
ビデオ3

シルクロードの写真は、こちらをクリックしてください。

立正大学の公開講演会、地平線会議の報告会

2018-11-24 22:21:06 | 遠征報告
  

昨日(2018年11月23日)、立正大学ウズベキスタン学術交流プロジェクト公開講演会と地平線会議の報告会に参加した。

立正大学では、中央アジアにあるウズベキスタンの南部の遺跡で発掘を続けている。このプロジェクトを中心とした講演会だった。

関心を持ったのは、アフガニスタンとの国境となっているオクサスという川の近くにある遺跡の発掘から、インドからこの地域に仏教が伝わったのは紀元前3世紀過ぎから紀元前1世紀ころと遺跡から推定されていること、大乗仏教も小乗仏教も同時に伝わっていることだった。

玄奘三蔵の記録によれば、玄奘三蔵がサマルカンドに到着した時にゾロアスター教徒の小僧に追いかけられたとの記述がある。これは7世紀のことだ。ゾロアスター教は、サマルカンドのあたりでは長く信仰の対象だったのだろうか。この当時、仏教の影響は少なかったのだろうか。講演を聞き間違えたのかもしれないので、来年の2月の行われる報告会楽しみにしたい。

 

立正大学での講演会が終わると、直ぐに高田馬場へ行き地平線会議の報告会に参加した。

報告者は岡村隆さん。8月にスリランカのジャングルに入り古代シンハラ王朝時代の仏教遺跡を発見。さらに、スリランカの先住民の岩絵も発見。だが、その意匠がこれまでの絵柄と異なるとのこと。これも報告書が待ち遠しい。

岡村さんは、法政大学探検部のOBで定年退職後の70歳。今回の探検では、社会人の参加者3名が時間の都合で途中で帰国。学生の参加者も2名は、キャンプ地の荷物を猿などの野生動物から守るために、寺院の発見につながった調査地点へは行けなかった。安全第1とはいえ、岡村さんもつらい判断をしなければならない場面があったのだと思った。

これまで、「ツール・ド・シルクロード20年計画」では、トルファンで熱中症の危険を疑われる参加者に「バスに乗って」といっても、「大丈夫です」といって自転車にしがみついていたケースがあった。他のメンバーは時速20キロで進むのに、このおばさんは時速10キロほど。危険なのでみんなが時速10キロで進んだ。そのために、ホテルに到着する時間が遅くなり、自由時間にトルファン独自でイランから伝播したと言われている地下水路・カレーズを見学する時間がなくなった。その反対に、暑い屋外で長時間いなければならなくなった。時速が遅くなった分だけ、風を切って走るサイクリングが、熱風の中でのろのろとあえぐサイクリングになった。他のメンバーも危険にさらされる結果となった。

本人だけでなく他の参加者にとっても危険な状態となった。テーマがはっきりしないサイクリングの厳しさを実感したのだった。

岡村さんは、探検の前に毎月一回参加者が集まってスリランカの歴史や文化、自然を理解したうえで出かけるようにしていた。この点はとても参考になった。シルクロード雑学大学の今後の取り組みや参加者の姿勢も、新たにしたいと思った。

岡村さんの話も、シルクロード雑学大学のメンバーにも聞いてほしいと思った。

尚、岡村隆さんのスリランカでの探険は、すでにある新聞社が取材しており、近々紙面で紹介される予定だ。楽しみだ。

10歳の少年、満洲からひとりで九州の故郷をめざす ビクトル古賀

2018-11-13 15:35:45 | 中央アジアのシベリア抑留
  

「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満洲1000キロを征く」石村博子著、角川文庫
(書名をクリックすると、Amazonで購入できます)。数円からより。

10歳の少年が、中国の旧満洲にあるハイラルから独りで父親の故郷九州の柳川をめざした実話だ。著者の石村さんは、10年以上も当事者・ビクトル古賀の元に通い、本にまとめたらしい。取材の回数が多いのだろう、丁寧に書いている。同時に、音楽好き、自然に親しんだ体験を持っている著者のように感じていた。
主人公は、コサックの血を引き、成人してからはサンボという競技で一世を風靡したビクトル古賀だ。

わたしが、シベリア抑留に関心を持ったのは2007年の事だ。中央アジアのキルギス共和国を自転車で旅行する中で、キルギスにも抑留者がいたとのうわさのあることを知った。しかし、キルギスへ出かける準備をしながら日本の厚生労働省に問い合わせると「キルギスには収容所はありませんでした。抑留された日本人はいません」との回答だった。三井勝雄さんの「天山の小さな国 キルギス」という本でには、日本人の抑留者がいたというキルギス人によるうわさ話を取材した様子を紹介しているのだが。三井さんは、短大で教えた後、キルギスのビシケク人文大学で10年近くボランティアとして日本語を教えている。

そして、2007年の9月11日の夕方、携帯電話の向こうから「長澤さんですか。わたしはあなたが探しているキルギスで抑留された元日本兵の一人です」と話しかける人が現れた。それから、中央アジアにおける『シベリア抑留者』の事を調べるようになった。

キルギスに抑留されたという元日本兵に話を聞くと、満洲で捕虜となり、列車でタシケントへ移送され、さらにキルギスの東部にあるイシククル湖南岸の村タムガへ移送されたのだという。そんなことから、インタビューを繰り返している間に満州にも関心を持つようになった。また、ガダルカナルで敗戦を迎えて復員した父には、満鉄に勤務していた弟、つまり私から見たらおじさんがいた。そんな背景も満州に関心を持つ一因かもしれない。

この本が出ると直ぐに読んだ。当時は単行本だった。繰り返しインタビューした戦後の満州を歩いた少年の記録、重ねたインタビューにより描かれた記述は草原を一人でゆく少年の自然との関わり方も伝わってくる。自分自身も草原を体験しているような雰囲気を味わえる。

先日、著者の石村博子さんが、ビクトル古賀が亡くなったことをfecebookでアナウンスしていた。私が持っている単行本は、ライター仲間にあげていた。だが、満洲の事が気になり2年程前に古本屋で文庫本を買っていた。昨夜、パラパラと読んでいると、ビクトル古賀のサインがあった。「ここまで書いて手首イタイ‥‥   ビクトル古賀」と書かれたページにあるサイン。なんとも手の込んだ印刷だ。

と思って今朝もう一度見ると、自筆のサインだった。大変な時代を過ごしたなと思うのだが、前向きで明るい性格な人だなあと思った。
まさか、わたしにもっとシベリアや満州を取材しろとのサインでは?、‥‥。

ビクトル古賀は、ハイラルで子供時代に自身と同じコサックの子どもたちと遊びながら、自然の中での生き方を身に付けたようだ。ハイラルから錦州までの独りの引き揚げ隊では、草むらの中で寝たり、草を虫よけとして休んだり、水筒を持たないで自然の中で水を探している。彼はコサックの知恵と生きる術をマスターしていた。

ビクトル古賀が、生きようと巡った足跡を自転車で旅して、どんな風景や暑さ、草いきれだったのか。時に渡った川はどんな巾だったのか。風も音も空気も感じたいものだ。また、当時の事を知っている中国人がいたら話を聞いてみたいと思う。

70年以上前に、少年が見た風景を体験した空間を自転車で追いかけてみたい。体感したい。

ビクトル古賀の父は日本人、母はコサック生まれだった。中国の東北部に追われて暮らしていたコサックの歴史にも関心を持った。浅野軍団のその後も気になる。

中央アジアに抑留された日本人人の手記は、「中央アジア抑留」をクリックしてください。
シベリアに抑留された手記は、「シベリア抑留」をクリックしてください。

「ツール・ド・シルクロード10年計画」2019 トルクメニスタン  参加者募集中

2018-11-05 10:15:34 | 2019トルクメニスタン サイクリング

海外サイクリング 参加者募集中

タイトル:「ツール・ド・シルクロード10年計画」2019 アムダリアからカスピ海へ旅する カラクム砂漠横断サイクリング
                      アムダリア~アシガバード~キジル・アルバド間 約700キロ


日程:2019年5月11日(土)~5月23日(木)
        5月11日(土) 羽田から出発
        5月14日(火) アムダリア東岸をスタート
          19日(日) アシガバードに到着
 20日(月) トルクメンバシで日本人抑留者が建築に関わった建物や道路を見学、日本人抑留者の慰霊碑を巡る。
          22日(水) アシガバード出発
          23日(木) 羽田着

※5月15日には、メルブの遺跡を見学します。世界遺産に登録されており、キリスト教、仏教、イスラム教の遺跡が発掘されています。この遺跡は、古くから栄えていて、シルクロードの古くからの都市にふさわしく様々な民族が行きかったことが、それぞれの宗教の寺院や教会の遺跡が発掘されていることからわかります。まさに文明の十字路であり、民族の交差点であり、文化のるつぼです。この遺跡ではのんびりと歩いて散策したいと思います。
また、日程は現地の事情により変更することがあります。


【募集人員】サイクリング、バス移動(サイクリングしない人の参加も可能) 合計15名(先着順)
【参加費用】50万円(予定。別途、事務・報告書経費等2万円、燃料チャージや空港使用税などが約2万円必要となります)

【ビザに関して】トルクメニスタンは、個人が自由に旅行することができません。団体がツアーとして、事前に決められたルートと日程を旅行することになります。トルクメニスタンに入国するにはビザが必要です。ビザは、旅行業者が大使館にパスポートを持参して行います。事前に、トルクメニスタンの旅行会社を通して招聘状を取り寄せる必要があります。また、ビザの申請には、写真1枚と6000円(60ドル)ほどが必要です。
【参加申込】参加費用の一部として、17万円を納めると同時に、名前と住所、パスポートの有効期限などをお知らせください。すぐに航空券の手配をします。

【トルクメニスタンと日本人抑留者】
中央アジアにあるトルクメニスタンには、戦後、ソビエトによって捕虜とされた元日本兵や一般人が抑留されていました。日本人が抑留されていたのは、カスピ海の港町トルクメンバシ(旧名クラスノボトスク)です。約1800名から薬2200名が抑留されていたと記録されています。日本人抑留者は、オペラハウスの建設、アパートの建設、空港ま道路のまでの建設などに従事させられていました。
現地で亡くなった日本人抑留者は、約70名から約200名と伝えられています。1995年には、クラスノボトスクに抑留されていた元日本兵や家族が現地を訪れて、慰霊碑を建てています。

トルクメニスタン入国するにはビザが必要です。ビザの発給は厳しく個人には発給されません。ガイドと車と運転手を雇って、団体ツアーという形で旅行する場合に限ってビザが発給されます。私たちは、団体旅行として申請して、ビザの発給を受けます。

また、トルクメンバシに抑留された小林英夫さん(95歳、東京都小金井市在住)が、抑留中の様子を帰国後に絵として記録していることを知りました。その絵は、舞鶴引揚記念館に寄贈されており、ときどき展示されているとのことです。舞鶴引揚記念館から絵のデジタルデータを預かり、日本人が建設に関わったオペラハウス(現地では文化宮と名付けている)に展示してもらい、日本人抑留者が関わって建設していることを地元の人や子どもたちに伝えたいと思います。

トルクメンバシは、観光地ではないので訪れる機会は少ないです。自転車に乗らない人も、この機会にトルクメニスタンにある収容所を訪れ、日本人抑留者のことをしり、周りの人に伝えてほしいと願っています。特に、トルクメニスタンに抑留された方の家族にはぜひとも参加してほしいと思います。

企画主催:シルクロード雑学大学(歴史探検隊)
〒186-0003東京都国立市富士見台3-7-3-4-301
電話042-573-7675 nagasawa_horyu〇▲yahoo.co.jp(〇▲を@に換えて送信をお願いします)
ホームページ http://silkroad-tanken.sakura.nae.jp/

地図:



参考資料/写真:

 
「週刊シルクロード紀行 メルブ」/右記の本に長澤が書いた体験記「シルクロード自転車紀行14」

 
「シルクロードの未知国」緒方修著、芙蓉書房出版刊/世界遺産・メルブの遺跡 仏教遺跡の中では最も西にある



昼食のために休憩した沙漠の中のレストラン/世界遺産・メルブの遺跡に近いマリーにあるホテル

 
道路脇にあるキャラバンの遺跡、イランが近いのでガラスの遺物が落ちていた/沿道にあった検問


カラクム砂漠


メルブの遺跡の一部


世界遺産・メルブの遺跡で遊ぶ地元の子供たち