定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

岩絵を展示しているキルギスの野外博物館 NHKに投稿

2018-09-30 18:59:30 | シルクロードの楽しみ方
  

ラジオのNHK第1放送、土日の17時から放送している「ちきゅうラジオ」という番組で、「世界の博物館、美術館」というテーマで投稿を募っていた。

中央アジアにあるキルギス共和国、その東部にあるイシククル湖の北岸には、川原にある石に昔の人が描いた岩絵をそのまま展示している野外博物館があるので投稿した。30日(日)17時47分頃に紹介された。

ちきゅうラジオ

上記をクリックすると聞くことができると思います。おそらく、明日(10月1日)の夕方17時頃からパソコンで聞くことができるでしょう。

最近知り合った法政大学博士課程で研究している学生・斎藤圭氏によれば、
「雨や霧で水分に晒され、日照りに照らされてということを何万年も繰り返すと、金属の成分が表面に集まり岩石が黒くなるんです」
と教えてくれた。
というのも、玄奘三蔵が天山山脈を越えて中国からキルギス側に抜けたと言われているベデル峠の近くまで行ったことがある。
峠の手前には、黒い大きな岩がごろごろしていたのだ。雪が降り始めたことも加わり、奥行きを感じない水墨画のような不思議な風景だった。その風景が珍しくて聞いたのだ。

  

ベデル峠が近くなるにつれて、黒い大きな岩が多くなった。約1400年前、玄奘三蔵が通った時もこの黒い岩はその場にあったのだろう。とはいえ、岩が黒くなるまでに通り過ぎた風雨と地球の自転の繰り返しが手品のようにキャンバスに変えたことを、斉藤氏の説明が教えてくれたのだった。
しかし、標高4000メートルを越える天山山脈の上では、天候の変化があわただしいためか、岩絵を見かけることはなかった。

野外博物館に展示されている岩絵は、地形と気候と時間が生み出した黒い岩石の上に、とんでもなく遅れて現れた人間が描いたものなのだ。あちこちから集めた岩ではない。岩は絵を描かれる前からその場に在った。そんな歴史にも、時間にも無頓着な子供が牛を追ったり自転車で通る遊び場でもあった。
岩絵があるということは、昔から人や家畜がのんびりと過ごすことが可能なほど、天候は安定していたのだろうか。

    

ウズベクに抑留された池田幸一さんの記憶は正しかった キルギスでも運河掘り

2018-09-22 21:24:01 | 中央アジアのシベリア抑留
  

今年の2月に97歳で亡くなった池田幸一さん。

ウズベキスタンに抑留されていた池田さんは、抑留体験を『アングレン虜囚劇団』に書いている。関西人らしく、抑留中の日々を深刻ぶることなく描写ししている。

この本の中で、復員後の1976年にウズベキスタンを再訪している。この時に池田さんは、アングレンから「キルギスへ列車に乗って、運河の工事のために行った」と記録している。そのキルギスの町は、ハナバードだとも書いてある。

だが、1976年に再訪した際には、現地のガイドに聞いても場所がわからなかったという。残念だったろう。

わたしも、「シベリア抑留者支援・記録センター通信」への書評を頼まれた時、池田さんの体験記を読みながら、キルギスで買い持ち帰った地図を開いてみた。地図には、ウズベキスタンの国の中にハナバードを見付けることができた。

書評「ハナバードは、ウズベキスタンの国内の町だった」と書いた。

9月20日、ツーリズムEXPOジャパンという催し物があったので出かけた。いつもお世話になっているキルギスの旅行会社の方に会い、聞いてみた。

「ウズベキスタンに抑留された方が、2月に亡くなったんですけれど、抑留の体験を書いた手記に『キルギスのハナバードへ、出張のような形で運河の採掘の仕事に行った』と書いてあります。でも、抑留から解放されて日本に帰国してから、今度は旅行でウズベキスタンへ行き、ウズベキスタンで買った地図でハナバードを探したけれど見つけられなかったそうです。先日、わたしがキルギスで買った地図で調べたら、ハナバードはウズベキスタンの国内となっていました。以前から、ハナバードはウズベキスタンの町だったんですか」

すると、キルギスの旅行会社の50歳くらいの女性が、教えてくれた。
「ハナバードは、以前はキルギスだったんです。今でも、日本人の抑留者が建てたアパートなどがありますよ」

池田さんが『アングレン虜囚劇団』に書いたハナバード。その記憶は、間違いなかった。池田さんが抑留されていた当時、ハナバードはキルギス国内の町だったのだ。

 

この時、キルギスの旅行会社の30歳と35歳くらいの日本語ガイドも一緒だったのだが、この国境線の話は初耳の様だった。となると、国境線が変更されたのはいつの事なのか。また、ハナバードの周辺の町や村にも、元日本兵の足跡が残っているかもしれない。

国立オシュ大学へ日本語の本を寄贈することに取り組んでいるが、目的の一つは学生たちの日本語の勉強に役立ててほしい事。
そしてもう一つは、オシュ大学の周辺にある日本人捕虜の事を伝える言い伝えを調べてほしいと考えての事。三井勝雄氏の『天山の小さな国 キルギス』に日本人抑留者の言い伝えがキルギス人の間にあることは記述されている。

日本人抑留者の遺した記録に目を移してみよう。オシュ周辺にも日本人抑留者がいたことは、抑留された人たちが編纂した『捕虜体験記』の第5巻に添付されている地図に、収容所所在地を示す赤いマークがあることから解かる。

キルギスに抑留された日本人の調査は、ようやく始まったばかりと言える。


  

2019年、支倉常長の足跡を巡りスペインをサイクリング・説明会、定例会のお知らせ

2018-09-19 15:30:47 | 2019スペインサイクリング
    

9月の定例会のお知らせ

日時:9月23日(日) 13時30分~17時
          13時30分~14時30分 11月に延期となった「アムダリアからカスピ海へ旅する カラクム砂漠横断サイクリング トルクメニスタンをゆく」参加者の打ち合わせ。
          15時~17時 2019年に4月9日から17日 「支倉常長の『ローマへの道』サイクリング」スペインの説明会

会場:JICA地球ひろば2階 201AB室 (JR市ヶ谷駅下車徒歩10分、新宿区市谷本村町10-5)

参加費:500円

  

問合せ・事務局:シルクロード雑学大学 042-573-7675 メールnagasawa_horyu▲yahoo.ne.jp(▲を半角の@に換えて使用してください)

参加受付中
トルクメニスタンへの遠征(「アムダリアからカスピ海へ旅する カラクム砂漠横断サイクリング トルクメニスタンをゆく」)は11月10日~22日に変更しました。今からでも参加申し込みできます。


>今後の定例会の予定


10月21日(日) 13時30分~14時40分 海外サイクリング準備会議
       15時~17時 法政大学探検部に所属していた時、玄奘三蔵の足跡を巡る旅をめざした体験を話していただきます。
             講師:坂口篤史氏 探検家 探検家の酒場「バー モーリー/bar Morrlü」を神楽坂で経営している。
https://www.facebook.com/morrlv/

内容:玄奘三蔵の足跡を追体験したいと考えて、できるだけ玄奘三蔵がシルクロードへ旅立った時代のようにできるだけ人力であるいはラクダや馬と言った荷役運搬を担っていた家畜と旅したいと旅のスタイルを考えた。西安では変速機のない人民自転車をトルフ買ってァンまで進み、トルファンでロバを買ってベデル峠をめざしたかった。だが、中国とキルギスの国境は、玄奘三蔵が通ったと思われているベデル峠では開いていなかった。やむなく目的地をカシュガルに変更した。同行のロバの調子が悪くクチャで旅を終えた。神楽坂で営業している探検家の酒場「バー モーリー/bar Morrlü」の名称は、一緒に玄奘三蔵の足跡を踏破したロバの名前。
       会場:JICA地球ひろば6階 600号室
       参加費:1000円

  


11月4日(日) 13時30分~14時40分 海外サイクリング準備会議
       15時~17時 7月に行ったキルギスの日本人抑留者の足跡を巡る旅の報告
       会場:JICA地球ひろば2階 大会議室
       参加費:1000円

  

12月22日(土)  13時30分~14時40分 海外サイクリング準備会議
       15時~17時 11月に行くトルクメニスタンのカラクム砂漠横断サイクリング・抑留者の慰霊碑を訪ねる旅の報告
       会場:JICA地球ひろば2階 大会議室
       参加費:1000円

    
   
問合せ・事務局:シルクロード雑学大学 042-573-7675 メールnagasawa_horyu▲yahoo.ne.jp(▲を半角の@に換えて使用してください)




キルギスの国立オシュ大学に日本語の本を寄贈 横浜の方が協力

2018-09-16 19:37:14 | シルクロード中央アジア
  

中央アジアのキルギス共和国、南部にある国立オシュ大学へ日本語の本を寄贈してほしいとの呼びかけを行ったのは、9月11日のことだった。

そして、9月14日には、国立オシュ大学の日本語学科へ日本語の本を寄贈したいとのメールがあった。百科事典2揃いと松本清張の文庫本数十冊にもなるとのことだ。送付代金は負担してもらうことを納得してもらった上で、私の自宅へ送ってもらうことにした。オッシュ大学の担当者やキルギスのビシケクで日本との国際交流を行っているNPOと相談して、送付する時期や方法を決めることにしている。ありがとうございます。


スキャナーが壊れたので立川へ行ったついでに古本屋に入った。オシュ大学へ寄贈する本のことが頭にあったのだろう。本を買う気はなかった。

お店に入ると、「南洋一郎著」の文字が目に入った。タムガに抑留された武内栄さんの言葉が頭に浮かび、宮野泰さんのお宅で見せてもらった手紙が重なった。

キルギスのイシククル湖南岸にあるタムガ村には収容所があった。一般的にシベリア抑留と言われているソ連に抑留された元日本兵が2年間を過ごしたのだった。その収容所には125名の元日本兵がいたが、全員が無事に帰国している。

帰国した彼らは、自分たちの抑留された様子を記録した本を作ろうと準備していた。戦後間もない時期で、今と違って本を出したくても印刷する紙がない。

その時に、作家の南洋一郎氏に相談して紙の手配をしたものがいた。望月さんといい、大学で教えていた人だったという。東京都の世田谷に住んでいた武内栄氏が事務局役となり、タムガ村に抑留された仲間にハガキや手紙、あるいは電話でタムガ村での体験を書いて送ってほしいと連絡をした。

だが、原稿は集まらなかった。手紙やハガキでの呼び掛けにナシのつぶての人がほとんどだったという。電話をしても「タムガ、そんなところへ行った覚えはないよ」とそっけない抑留仲間もいたらしい。戦後は、日本国内ではただでさえ働く口がない上に、「シベリア帰り」というと『アカ』だと決めつけられて、ますます働く先は細るばかりだったという。

そんな時代だけに、抑留体験を書くことよりも、まずは食うために働く。次に結婚や子育てで時間に追われて、1円にもならない原稿を書く仲間はいなかった。その結果、キルギスにも日本人の抑留者がいたことは60年間も歴史の舞台から消えていたようだった。

「南洋一郎」の名前を目にして、まずはタムガに抑留された人たちのことが頭に浮かんだのは、上記のような話を聞いていたからだったと思う。

 

では、なぜタムガの事を調べるようになったのか。玄奘三蔵やアレキサンダーが好きで、シルクロードを自らの脚力で旅したいと思っていた。そして、自転車で西安からローマまで巡ることにした。一人では挫折しそうなので、仲間と一緒に旅することにした。西安を出発したのは1993年の事だった。毎年少しづつ進んでローマをめざした。

中国のカシュガルからキルギスへと進むには、天山山脈を越えなければいけない。峠のトルガルト峠は標高3752mで富士山ほどの高さだ。洪水で道が無くなったり、政治的な理由で国境での手続きが遅れたり、民族差別で出国手続きは一番最後とされたり、これまでに3回チャレンジしたが、国境の緩衝地帯約120キロの中、今でも宿題を残したままだ迄も30キロほど。シルクロード踏破はお預けとなってる。

そうこうしている間に、三井勝雄氏が『天山の小さな国 キルギス』という本を2004年に出版し、「若い時に日本人の捕虜と一緒に働いたことがある」といったことを子供にいい伝えているキルギス人が多いことを働いたことがあるを調べて発表した。だが、「キルギスで働いたことがあるという日本人は、今も現れていない」と課題を示していたのだった。それで、2006年にキルギスで捕虜として過ごした体験を持つ日本人を探してみたのだった。日本人が名乗り出たのは、2007年の事だった。

キルギスをサイクリングしながら、国立キルギス民族大学(現キルギス国立大学)、国立ビシケク人文大学へも日本語の本を贈ってきた。そして、今回は、国立オシュ大学でスタートして間もない日本語学科にコミックを主として寄贈することになった。

 

これからどんな展開になるのか。楽しみだ。

尚、長澤は「終活」のために、本を友人や知人にあげて、多くの人が利用できるようにしたいと考えている。
今のところ、自転車関係の本は、大前仁氏。探検関係の本は「モーリー」店主で探検家の坂口篤史氏。シルクロード関係は中国まるごと百科事典の茅森由佳氏にとと考えている。

本は、読み終えても捨てないで自宅の本棚に並べたままのケースが多い。捨てられないのだ。また、亡くなった友人の場合、たいていの奥さんは本の処分に困っていた。それだったら、読み終えた本や資料として使い終えた本は、多くの人が利用しそうな場を持っている人にあげるようにしている。

シベリア抑留の手記や関係する資料は、キルギスの国立図書館に引き取ってもらえるように、キルギス人の友人が交渉している。キルギスJンが日本人の抑留に関して興味を持つ上でも役に立ってほしい。



CYCLE TOURING オオマエジムショ 編集者でありライターでもある大前仁氏の経営するサイクルショップ。休みの日に注意してください。
https://www.velo-apres.com/

探検家の酒場『Bar morrlu』(モーリ―) 大学の探検部に所属し、西安からトルファンまで西安で変速のできない人民自転車を買ってトルファンまで踏破。トルファンでロバを買ってクチャまで踏破した体験を持つ、探検家の坂口篤史氏が店主。お店は神楽坂にある。旅行や探検に関する本も読める
https://www.facebook.com/morrlv/

中国まるごと百科事典 中国への留学経験のある茅森由佳氏が運営しているサイト。中国のシルクロードの情報が豊富だ。

国立オシュ大学に日本語の本を寄贈

2018-09-11 19:07:00 | シルクロード中央アジア
  

中央アジアのキルギス共和国、国立オシュ大学で日本語を教えているアイグリア教授から、日本語の本が届いたとのメールがあった。メールには、写真も貼付していた。

オシュ大学には日本語学科がある。しかし、2年前にビシケクからオシュまでの約800キロメートルを仲間と一緒にサイクリングをしたとき、それまでにメールで連絡をしていただけだったアイグリアさんと初めて会った。

話をしているうちに、オシュ大学の日本語学科はスタートしたばかりだが、大学の図書館には日本語の本がないことが判った。すぐに、手元にある日本語の本を10冊ほど差し上げた。

その中には、タムガ村に抑留された体験を宮野泰さん(93歳)が記録した「タムガ村600日」(新潟日報社)も入っていた。本は、Amazonで4000円くらいから購入できる。

わたしの友人を見ると、本を読み終えても捨てる決心がつかないで、困っている人が多い。本は増える一方なのだ。

1993年に西安を出発して仲間と一緒にスタートした「ツール・ド・シルクロード20年計画」では、不要となった本を自転車で訪問する地にある大学の日本語学科に寄贈することにした。一人が5冊の本を持ち寄ったのだ。それを思いだしていたのだった。

オシュ大学のアイグリアさんからは、「日本語教育の本、絵本や児童書、コミック」というリクエストがあった。日本語を覚えるのに適しているらしい。今回は35冊持参したが、30冊はコミック、一般書は5冊だけだった。

オシュ大学のリクエストを伝えたら、
「子供は結婚して家を出ているけれど、捨てないで取っていたコミックを送ります」
「子供が小さい頃に、言葉を教えるのに読んであげた絵本を生かしてほしい。捨てられないないでいました。キルギスの人が、日本語を覚えるのに使ってもらえるのは、絵本がまだまだ役立つと思うとうれしい」
との返事があった。

 

7月19日から27日に日程でキルギスに行った。目的は、東部にあるイシククル湖南岸にあるタムガ村に抑留された元日本兵の足跡を確認することだった。この時に、オシュ大学に寄贈する本を持参したのだった。送料を節約するために、リュックに入れて運んだ。

国立オシュ大学は、オシュ州の州都であるオシュにある。
オシュ州の北側には、ジャララバード州がある。三井勝雄氏の著書「天山の小さな国 キルギス」によれば、ジャララバード州には日本人が働いていたとの証言のある鉱山が1か所あり、日本人抑留者が働いていたと推定されている炭鉱や電球工場、鉱山がある。(三井さんの本はAmazonで5000円くらいからある。)

オシュの西にあるバトケン州には、日本人抑留者と一緒に働いたことがあるという炭鉱で働いていた人の証言がある。しかもこの鉱山には、3基の日本人の墓があるとウズベキスタンのタシケントにあるアヤ財団の資料に記されているというのだ。

日本語学科の学生達に日本への興味をさらに強くしてもらい、日本とキルギスの交流史に書き加えてほしいと願っている。

 

2010年に、キルギスの国防省に働きかけて、元日本兵が働いていたサナトリウムの一角に部屋を設けてもらい、サナトリウムの一つの建物を元日本兵が建てたことを記録する新聞記事や写真を展示させてもらった。

この時に、「捕虜体験記」全8巻(ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会)を寄贈して展示してもらった。この本は、シベリア抑留を体験した当事者が記録たもので、ソ連を6つの地域に分けている。他にも三井勝雄氏の書いた「天山の小さな国 キルギス」(東洋書店)などの書籍も寄贈して展示していたのだった。

また、キルギス平和センターのオープニングセレモニーには、青年海外協力隊のボランティアのメンバーに、キルギスの民族楽器コムズでキルギスの伝統的な曲を演奏してもらってもいた。相互理解のために、演奏をお願いしたのだった。

オシュ大学からは、今後も本の寄贈を続けてほしいと依頼されている。
 ① 外国人向けの日本語教育の教材
 ② 絵本や児童書や童話
 ➂ コミック
 上記のもので不要だけれども、役にたててほしいという本があったら寄贈して下さい。

シルクロード雑学大学でまとめてオシュ大学に送付します。船便で送るかなど、本の数によって送付方法を決めたいと思います。本を送付するための送料の寄付もお願いします。本を送付する前に、メールや電話で問い合わせてください。