定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

シルクロードの旅行の楽しみ方のひとつを学ぶ

2017-10-16 13:22:37 | 講演会
昨日の定例会、講師の宍戸茂さんの話はおもしろかった。

「幻の湖」と言えば、タクラマカンのロプノールが有名だ。

ところが、今回の講演での宍戸さんの話題に上ったのは、河西回廊の酒泉の北500キロほどのところにあるガジュン・ノールという湖。

シルクロードの放送で有名なテレビ局の番組の関連で出版された本だが、写真のキャプションで「ガジュン・ノール」と説明されている。

だが、この湖は干上がっていて水がないのではと思った宍戸さんは、現地を旅行している。著者である専門家にも手紙で問い合わせている。

その結果、ガジュン・ノールは干上がっていて、本で紹介されているのは他の湖の写真であることが分かったという。著者からも編集者からも、指摘を受け入れる手紙が届いたという。

宍戸茂さんは、定年後に、北京大学、雲南民族大学へ留学している。その体験をもとに「西南シルクロード」という本も朝日出版社から出している。

シルクロードを旅するには、資料を読んで知っておくことも大事だと実感した。

また、宍戸茂さんは、シルクロード雑学大学のホームページでこの時の旅の様子を連載中だ。

この連載を読むと、居延沢という干上がった湖で拾った丸い石が、帰国後に調べたところむかしの武器の「弾」だったことが分かったという。

また、キルギスの博物館や中国のイリの博物館でもこれらの武器が展示されていたという。イリの博物館は、仲間と一緒に行ったサイクリングの際に見ている。だが、気が付かなかった。

考えてみれば、ウズベキスタンのブハラのアルタ城遺跡でもこの武器はたくさん見ている。だが、私にはわからなかった。

シルクロードを旅する際には、シルクロードの歴史を知ることで発見が多いことを知った。むかしの暮らしや武器の様子も理解することにつながるだろう。

定年後のシルクロードのサイクリングやハイキングでは、この視点を持つだけでも博物館や遺跡の歩き方が豊かになったような気持になった。懇親会での話も楽しかった。



10月15日15時から講演会のお知らせ「もう一つの『幻の湖』」

2017-10-14 12:00:43 | 講演会
講演会のお知らせ

タイトル:「もう一つの『幻の湖』」

講師:宍戸 茂(ししど しげる、定年退職者、シルクロード雑学大学会員)

内容:仕事も続けていた55歳の時に『ツール・ド・シルクロード20年計画』に参加して、蘭州から武威までを自転車で走る。その後も、中国国内を自転車での走破を続けていた。会社での移動を契機に長い休暇の取得が難しくなり、バスや列車を利用して旅する。定年後は、仲間に呼びかけてシルクロードをバスで巡る。シルクロード旅行も11回。中国から中央アジアへと天山北路を巡る旅を計画中。
定年後のライフワークとしてシルクロードを旅し、旅の総決算を本でまとめてきました。今回は、黒水城遺跡の近くにあった「もうひとつの『幻の湖』」に関して、著名な出版社の書籍で間違って紹介していることを見付けたので、その経緯をお話しします。

講師プロフィール:1939年山形県生まれ。東北大学卒業後、出版社へ入社。2000年に定年退職後、北京大学、雲南民族大学へ留学。1990年代より自転車でシルクロードを走るようになり、後に西南シルクロードへの関心から雲南民族大学へ留学西南シルクロードへ仲間と一緒に旅行を重ねる。西南シルクロードへの旅の結果をシルクロード雑学大学のホームページにまとめ、2009年に「西南シルクロード紀行」と題して朝日出版社より発行。現在、シルクロード雑学大学のホームページで「居延沢(きょえんたく)で丸い石を拾う」と題して旅の様子を紹介しています。

会場:JICA地球ひろば2階 大会議室(新宿区市谷本村町10-5、JR市ヶ谷駅下車徒歩10分)

参加費:一般1000円、学生500円

主催・問合せ:シルクロード雑学大学 042-573-7675

備考:誰でも参加できます。予約は不要です。直接会場に来てください。



講演する地域周辺の地図


居延沢周辺の遺跡


間違いを指摘したところ、編集部からお礼の意味なのか届いた写真。実際に旅しているからこそ指摘で来たと思う。それにしても編集部も、著名だと言われる写真家も、現地を知っているのだったらどうしてこんな間違いをしたのだろうか。


トルクメニスタンのサイクリング 1 世界遺産とキャラバンサライ

2017-10-09 14:44:37 | 2018トルクメニスタン サイクリング
来年(2018年)3月に予定しているトルクメニスタンのサイクリングの事。参加者募集中です。バスでの参加もokです。



国会図書館から貸し出して、国立市の図書館に届いている「トルクメニスタン共和国 クラスノボトスク 第44日本人捕虜収容所」という本を読んできた。約70年前にトルクメニスタンに抑留された元日本兵が、1995年に慰霊碑を建てに行った時の文集だ。この本に出ている人たちは、ほとんどがもはや生きていない。館内閲覧だけで、コピーはできないというので、ノートを持って行き、必要な部分を筆写してきた。表紙だけは写真に納めることを許された。



この本は非売品。持ち主たちがほとんどなくなっていると思われるので、本の中の住所を頼りに家族に連絡。本のコピーをお願いしようと思っての事だった。

北海道、岩手、山形、宮城、茨城、東京、新潟、長野、岐阜など全国に抑留者は広がっていた。多い時で2200名、少ない時で1500名のようなので、抑留された人たちの地域的な広がりは思ったとおりだった。厚生労働省が把握している死亡者は72名、抑留者の書き残した記録では200名以上。当時衛生兵だった人の名前も分かった。彼が亡くなった方のことを最後まで面倒を見ており、亡くなった人の情報を最も持っているらしい。長野県の遺族を探し当てたいものだ。



来年3月にサイクリングを予定しているトルクメニスタンは、個人旅行を許可していない国だ。通訳と車を雇った団体にしかビザを発行していない珍しい国だ。団体旅行の利点を生かした旅をしたいものだ。

世界一周したというサイクリストも、5日間のトランジットビザを利用して通り過ぎただけという人が多い。また、パックツアーで訪問した人は、地元の人とあまり会話を交わしていないと思う。あまり知られていない謎の国なのだ。

オアシスルートの場合、中国からきてウズベキスタンまではフタコブラクダ、ここからはヒトコブラクダとなる。

メルブの遺跡は世界遺産だが、私が行った2002年と2006年では子供の遊び場だったり、羊やラクダの遊牧の舞台だったりした。広くて、のんびりしていた。



この部屋は民泊だが、とてもきれいな家だった。トイレは水洗でシャワーもあった。果物は豊富で、西へ行くほどにシシカバの肉は大きくなり。串もサーベルのように長くなる。



世界遺産と言っても、ロバものんびりしている。わたしが初めてシルクロードへ行ったのは1991年。当時はコピーライターだった。電話もかかってこない、テレビもラジオもない、シャワーも風呂もないという点は魅力だった。文明と距離を置いて、自分の考えていることを確かめたかった。

その後、シルクロードを横断するサイクリングを公募で始めた。
最近目立つのは、毎日、携帯電話で奥さんに電話をしている人、パソコンで毎日日本のニュースを確認している人、呑み屋の友人に「今シルクロードにいるんだ」と話す人が増えた。それも男性ばかり。女性は、家のことも日本のニュースも急いで知ろうとは思っていない人が多いように感じている。



チベットやモンゴルでも見られるような何か。これも、世界遺産であるメルブの遺跡で見たものだ。



メルブの遺跡は、シルクロードの十字路と言われている。仏教とキリスト教の痕跡を遺物から確かめたい。遺跡はあまり整備されていないので、陶片を探したり、ガラスの欠片を拾ったりした。この前、大事そうなのは、マリーの郷土博物館に寄贈してきた。



メルブの遺跡に今も残っているのは、イスラム教の寺院。修復をしてはいるが、11世紀ころと新しいので残っている。最も西側にある仏教遺跡がメルブの遺跡にもあるのだが、修復した形のある建物はない。遺物から推測するのが楽しみだ。



マリーからアシガバードへと続く道は、イランとの国境となっている山脈に沿っている。緑が多い。



ところどころに、キャラバンサライの遺跡が見える。ガラスの遺物が落ちている。奈良の正倉院にあるガラスの器は、成分分析でイランから運ばれたことが分かっている、この辺りにあるキャラバンサライは、イランから日本へとガラスの器が運ばれたルートの宿泊地だったように思う。

キャラバンサライの遺跡で、もう一度ガラスの欠片を拾って、専門家に調べてもらって確かめたいものだ。