中央アジアのウズベキスタンの首都タシケントには、日本人の抑留者が建設に関わったオペラ劇場がある。ナボイ劇場という。
2003年に訪ねた時には、オペラの練習中だったが、「日本人です。このオペラハウスの建設の際に、仕上げの作業に日本人の抑留者が関わっていると知りました。是非、内部も見せてください」と説明したら、オペラの練習をしている脇を通してもらい、案内してもららことができた。
内部の写真だが、いかに大きな建物なのかわかると思う。
ナボイ劇場の設計は、ロシア人の建築家シューセフが行っている。設計を決めるためのコンクールがあり、シューセフの設計が優勝した。
ナボイ劇場の建築は、1939年に始まった。だが、第2次世界大戦で疲弊したソビエトは、1942年に建設を中断した。だが、戦況がよくなったと判断したソビエト政府は、1944年にナボイ劇場の建設を再開したのだった。そして、1945年11月にソビエトにより抑留された日本人兵士がタシケントに到着し、煉瓦積みの作業はほぼ終わっていたので、配線や内外の装飾作業に従事して、1947年にナボイ劇場は完成したのだった。
ナボイ劇場の建設に関わった何人かの人に会って話を聞いている。当時、みんな80歳代後半だった。彼らは帰天しているが、友人がビデオで証言の一部を記録している。貴重な証言ビデオとなっている。
また、タシケントには、日本人墓地がある。抑留中に命を落とした日本人が眠っている。ナボイ劇場の建設中の事故では、1名が亡くなっている。ナボイ劇場の入り口には、今でも手向けられた花を見る事がある。