「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌詩評 わが短歌事始め Ⅲ 岡井 隆 酒卷 英一郞

2018-11-15 17:13:26 | 短歌時評
 塚本邦雄初の全歌集『塚本邦雄全歌集』が白玉書房から版行されたのは一九七〇・昭和45年であつたと前囘記した。それではともに前衞短歌を牽引してきたもう片一方の旗頭、岡井隆の動向はいかがであつたか。
 實はこちらも初の全歌集『岡井隆歌集』が一九七二・昭和47年、思潮社から刋行されてゐる。第一歌集『斉唱』以前の初期作品を「O」(オー)として卷頭に收め、『斉唱』『土地よ、痛みを負え』『朝狩』『眼底紀行』の旣刊四歌集に未刋のアンソロジー『律'68』の書き下ろし「〈時〉の狭間にて」、のちに左記も含めて昭和五十三年、國文社より『天河庭園集』として纏められた一連の作品群。その『岡井隆歌集』の、自著になる「書誌的解説とあとがき」は實に不思議だ。

 (前略)本書(註『岡井隆歌集』)は、歌集六冊分の内容を持ち、昭和20年著者十七才の秋から、同45年四十二才の夏にいたる二十五年間の作品歴が大凡のところ鳥瞰出来る仕掛けになっている。なんという厭(いや)な本であろう。厭ならやめればいいのにそれを敢えてするとは、なんというおろかしさなのであろう。そうおもえばこそ、わたしは、本書の出版を長くためらって来たのであるが、或る私的事情を機縁として刊行へ踏み切ったのである。(後略)

 その私的事情にいささか拘つてみたいのだが、それはさておき、當時、塚本邦雄の短歌に强烈に魅かれながらも、どこか頭の片隅で氣になつて仕方のなかつた岡井作品の精華を心覺えとして記しておきたい。

  布雲(ぬのぐも)の幾重(いくへ)の中に入りし日は残光あまた噴き上げにけり
  紅(くれなゐ)の占むるひろさよ春はれし日のくれぐれのしましと思(も)へど
  中空より金属(かね)触るる如き声ききていづくに落つる鳥と思はむ

『岡井隆歌集』「O」(オー)


 塚本邦雄の反リアリスムの洗禮を享けた身には、岡井のアララギ體驗を基軸とした自然詠はむしろ新鮮にさへ響いた。「O」は、第一歌集『斉唱』(一九五六・昭和31年)以前の、作者十七歲(一九四五.昭和20年)から十九歲まで約二年閒の作品。「この集では〈模写〉への執着が、制作の主たる動機になっている」と、『岡井隆歌集』の「各集序跋」に記す。「〈模写〉の対象は、(中略)自然(山川草木鳥獣魚介)であるが、同時に、正岡子規以来の、根岸短歌会――アララギ系の先行作品の模写でもあった」とも語る。塚本邦雄の出發が、當時の舊派、いはゆる傳統的歌壇への反發、反抗であつたのに對し、岡井は傳統骨法の眞中から產聲を擧げた。
 第一歌集『斉唱』は一九五六・昭和31年。初期作品「O」(オー)の茂吉を頂點とするアララギ系作者群の〈模写〉から、日常と情動と喩がある緊張感のもと拮抗しつつ、淸新な抒情詠を爲してゐる。思想の核のごとき、喩的交歡の強靱さを感じる。ただしそれは未だとば口のそれであつたらう。

  襤褸(らんる)の母子襤褸(らんる)の家にかえるべし深き星座を残して晴れつ
  携えてオルメック産ハガールの晩(おそ)き昼餉(ひるげ)に一握の銀

『斉唱』


 第二歌集『土地よ、痛みを負え』は、一九六一・昭和36年、白玉書房刋。奧付の裏側には、塚本邦雄『水銀傳説』の廣告が載る。次第に思想的内壓を高めながら、同時に徐々に抒情の密度がその濃度を增してくる。

  純白の内部をひらく核(たね)ひとつ卓上に見てひき返し来(き)ぬ
  夏期休暇おわりし少女のため告知す〈求むスラム産蝶百種〉
  扉(ドア)の向うにぎつしりと明日 扉のこちらにぎつしりと今日、Good night, my door!(ドアよ、おやすみ!)

『土地よ、痛みを負え』


 ところで、岡井作品を鳥瞰するに、歌集單位で見取るといふ方法もあるが、實質的全歌集である『岡井隆歌集』を通底する多彩な歌の位相を、テーマ別に俯瞰するといふ方法が、歌の特色を見る上でも便利なやうに思はれる。
 最初に强烈に岡井を襲つたのは、時代意識の軋轢のなかで芽生えた政治への熱い思ひであつた。それは試みに『土地よ、痛みを負え』の目次を抜粹しただけでも、その思想の方向性が窺へる。「運河の声/アジアの祈り/ナショナリストの生誕/思想兵の手記/土地よ、痛みを負え」。市民革命への意氣込みが傳はる。その象徴的據點としてアジアがあり、アラブがあつた。

  渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで  『土地よ、痛みを負え』
  緋のいろのアジアの起伏見つつゆくジープ助手台に寒がりながら
  肺野(はいや)にて孤独のメスをあやつるは〈運河国有宣言〉読後
  満身に怒りの花を噴き咲かせガザ回廊に死んでいる我
  その前夜アジアは霏々と緋の雪積むユーラシア以後かつてなき迄
  銃身をいだく宿主の死ののちに激しくつるみ合う蛔虫(アスカリス)

  
  朝狩にいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく  『朝狩』
  群衆を狩れよ おもうにあかねさす夏野の朝の「群れ」に過ぎざれば

 ここに大きく喩の問題が橫たはつてゐると思はれるが、「瀕死の白鳥」について、作者はこのやうに語つてゐる。

 例えば「瀕死の白鳥」ってのは比喩で、中国や当時のソ連を覆っていた左翼思想を言っている。その思想を理想化せずに、「お宅もいろいろ問題あるんじゃないですか?」と電話口に呼び出して聞く。つまり自分なりの批判を込めているわけです。
(【自作再訪】岡井隆さん「土地よ、痛みを負え」 前衛短歌は「滅亡論」への反論)

 
 現代詩では一九五四・昭和29年、谷川雁の第一詩集『大地の商人』が、續く一九五六・昭和31年には『天山』が出版される。評論集『原点が存在する』は一九五八・昭和33年の刋行。また黒田喜夫『不安と遊撃』が一九五九・昭和34年に出てゐる。谷川雁の喩的動性、黒田の市民ゲリラ幻想。ともに岡井の思想の、そして詩想の基盤となつてゐる。谷川は筑豊でのサークル活動から、「大正行動隊」を組織。終始「工作者」を標榜した。對するに黒田は東北の貧農から京濱地區の勞働者へ。彼が風土の、土着の呻きとして「あんにゃ」(東北のイエ制度、長子單獨相續の直系家族に由來)と發した一言の重み。〈運河国有宣言〉とは、一九五六年エジプトのスエズ運河国有化宣言。やがてスエズ動亂へと發展する。
 
 だが、次なる一首には早くも政治の季節の後退が見られるのではないだらうか。

  或る夜すべてのイデオローグを逃れて行けり 青麦の一つかみ持ち海の渚を
『眼底紀行』


 遂に政治(まつりごと)から、雲と雲の交はる性事(男女のおまつり)へ、政から性へ。

 
  国家など見事かき消されたる中天で雲と雲とがまじわりて行き
「天河庭園集」

 
 岡井にとつてひそやかに呟かれた「愛恋」のひと言は、當然のごとくに性愛のダイナミズムへと進展する。正に岡井作品の最大にして最も魅力あるテーマである。


  灰黄(かいこう)の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
『斉唱』



 この一首には、先に述べたアララギ先達の〈模写〉にはじまる嫋嫋たる自然描寫の、いはばほそみ、、、とでもいふべき神經の末端まで行き屆いた撓やかさが見られる。


  さやぐ湖心、白昼の妻、撓(しな)う秀枝(ほつえ)、業房に居て思(も)えばかなしき
『土地よ、痛みを負え』


 性欲がモチーフの設定から、しつかりと正面見据ゑたテーマへと進展を圖るのは歌集『朝狩』からである。

  性欲はうねうねとわがうち行きて眠りに就かむまえに過ぎゆく  『朝狩』
  口すすぐ水のにごりのあわあわと性はたぬしき魔といわずやも
  抱くときうしろのくらき園見えて樹々もろともに抱く、轟(とどろき)
  知らぬまに昨日(きのう)暗黒とまぐわいしとぞ闇はそも性愛持てる
  愛技たたかわすまで熟したる雌雄(めお)の公孫樹(いちよう)よいま眠れども
  性欲の森が小さくなびきつつわが底に見ゆあかねさす午後
  性愛の汚名さびしくしんしんと病む独り寝を思(も)いて帰り来


  性愛の火照りに遠く照らされて労働へ行くは過ぎたり  『眼底紀行』
  昨(きぞ)の夜は乳を抑えきさみどりの手の葉脈をおもいて行けり
  掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に
  うつうつと性の太鼓のしのび打ち 人生がもし祭りならば
  草刈りの女を眼もて姦(おか)すまでま昼の部屋のあつき爪立ち
  少女欲しそのひとことへ打たれつつ瘦せまさりゆく夜毎のきぬた
  黄昏の群衆をさかのぼりゆく〈愛は肉欲のしもべのみ〉とや
  性愛といわばいうべし芝草の夜露にぬれて爪ありしかば
  女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて


  子宮なき肉へ陰茎なき精神(こころ)を接(つ)ぎ 夜(よ)には九夜(ここのよ)いずくに到る  「〈時〉の狭間にて」

  幻の性愛奏(かな)でらるるまで彫りふかき手に光差したり  「天河庭園集」
  欲念はただに拭うべく歩く歩く底の底まで空を昏めて
  股間には疼(うず)きを放つものありて花を揉むように紙をもんでいる
  女嫌(いと)え女嫌えというごとき集(つど)える雲を拠(よ)り所(ど)と立てば
  一方(ひとかた)に過ぎ行く時や揚雲雀啼け性愛の限りつくして
  積雲の季(とき)ちかづくは愛恋のとどろくに似て切なかりける
  唇(くちびる)をあてつつかぎりなきこころかぎりある刻(とき)の縁(ふち)にあふれつ

 さながら「性愛アンソロジー」といつた趣きだが、岡井の性は、徹底的に個であることによつて、私性を貫くことによつて輝かしい〈喩〉の世界を開示してくれる。はたしてなにを性の祖型として岡井は突き進んで行つたのか。

  ルネサンスにも人荒れてまぐわいきわが生きざまのはるけき先取
『眼底紀行』


 ホイジンガの『中世の秋』には、現代よりも遙かに嚴しい生の現象がまざまざと書き記されてゐる。生存狀況がより過酷な分、生と死のコントラストがよりくつきりと描かれてゐる。ルネッサンス(中世)も人心は荒廢し、同時により荒々しい生の根源に、より原始的(プリミティブ)な、より淸冽な性のかたちが湧出する。 
 性はたぬしき魔と言ひ、闇の本性を明かし、闇はそもそも性愛を持つてゐるとも詠ふ。そして性の太鼓をしのび打つ。

 岡井の本業は醫師。DR・R(りゆう)。醫の現場性と勞働、硏究、學説、そして勤勞と對をなす安寧の休日といふ觀點から見てみたい。岡井版「仕事と日々」。

  アミノ基が離れて毒となる機作(きさく)あくがれてゆく春を待つ日日に  『斉唱』

  屍(し)の胸を剖(ひら)きつつ思う、此処(ここ)嘗(か)つて地上もつともくらき工房   『土地よ、痛みを負え』
  仮説をたて仮説をたてて追いゆくにくしけずらざる髪も炎(も)え立つ

  肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は  『朝狩』
  休日のさびしさひとり汲みあぐる水系からき悔いをまじうる
  休日のたのしさ金のラッパ手の銀の鼓手より髭濃き絵本
  説を替(か)えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく


  労働へ、見よ、抒情的傍註のこのくわしさの淡きいつわり  『眼底紀行』

 休日を含む七曜の限りなき變幻は、『土地よ、痛みを負え』の「暦表(かれんだあ)組曲」として大きなテーマのひとつとなつてゐる。


  民ら信ずるおだやかなる七曜の反復(くりかえし)、熟知せる明日が来るのみ  「暦表(かれんだあ)組曲」1序
  漂々とある七曜のおわるころ穀倉ひとつ火を噴きて居し

  
  部屋なかは朝影濃きを踏みながら転々と座をかえて読むかな  2月曜日
  夕暮をただに曙(あけぼの)へつなぐべくチェンバロの薄倖の旋律   

  遠き戦後の流行唄(はやりうた)くちずさみつつ、七曜の就中(なかんずく)くらき朝  3火曜日

  七曜のなかばまで来て不意に鋭く内側へ飜(ひるが)える道あり  4水曜日

  木曜の一隅(いちぐう)へかずかぎりなき打楽器が群れ来り、吾(あ)を待つ  5木曜日
  病む家兎を見舞いて看たり毫毛(ごうもう)のうつうつと陰(ほと)のいろのさびしさ             

  胸を越すあつき湯のなかの孤立(ひとりだち)、またおもう紅潮する独立(ひとりだち)  6金曜日
  項(うなじ)灼(や)く七月の陽もうるわしも空の藍(あい)泡立つばかり濃く
  まつ直ぐに生きて夕暮 熱き湯に轟然と水をはなつ愉しみ
       

  あの積雪のしたにひつそりところがしておくもう一組の週末を  7土曜日
  今日が通りすぎつつ居(い)たりモオツァルトの端然と鳴り狂う真中(まなか)を
  わが思考の突端をいま洗いいる波頭しらじらと、目をあく
       

  日曜の午はやきかな赫々(あかあか)となだれていたる時間踏みつつ  8日曜日
  跳ねてゆく時間(とき)よ、そのうねりつつ灰まだらの背、筋群のふかい軋みよ
  煮えくるう水を愛して夜半すぎし厨(くりや)に居たりけり、怪しむな
  ガラテア書のある一行に目を遣りしまま茫々と週末を越ゆ
       

  七曜のはての断崖(きりぎし) 七日まえ来し日よりなお深む夏草
  9抜

 『海への手紙』に「『カレンダー組曲』ノート」があり、以下のように記されてゐる。

 短歌は――そして詩は単なるアフォリズムではない。問いだけが、調べにのって、ひっそりと読者の胸戸を叩く、というのが極上だ。ねがわくは、一首を切迫した問いだけで充足せしめよ。
      *
 (註:「暦表(かれんだあ)組曲」)の意図について)自然詠とか身辺雑詠とかいうものの再認識、または逆用ということなのであった。(中略)くさぐさの日常茶飯事に触発された短歌お得意の領域をぶらつきながら、実は非日常的な詩の世界を、その中に展開しようとこころみたのであった。
      *
 時間論の試みという抗しがたい魅力をもった哲学的命題があって、宗教哲学では、「時」に対して「永遠」という化物がのそりと姿を見せないと幕があかない。


 岡井の描く小禽類の愛(いと)ほしさがある。偏愛の雲雀、連雀、小綬鷄たち。

  啼く声は降るごとくして中空のいずくに揚がる早き雲雀か  『斉唱』
  冬の日の丘わたり棲む連雀(れんじやく)は慓悍の雄(おす)いまも率たりや
  幻の一隊の柄長(えなが)庭ふかく三角鐘(さんかくしよう)を連打して去る


  帝国の黄昏 無辜(むこ)の白鳥を追いて北方の沼鎖(とざ)さしむ  『土地よ、痛みを負え』
  小綬鶏が一羽乗りこみいたるのみ丘わたりゆく夜の市営バス
  小綬鶏は唱いて丘をすぎしかば嬬(つま)よぶわれとすれちがいゆく
  どこかさびしい岩かげを曲る狂いたる冬鳥のあれ、かかる夜ふけに


  鳥食えばはつかにたのし いでてゆく午後の激しき道おもえども  『朝狩』
  昨日より啼くこえのなお鋭しと書きとどめたるその夜 雁立(かりたち)
  帰り来むつばさを待ちて傍(かたわ)らの小林(おばやし)ひとつ日に干(ほ)し置かむ


  月かげのあふるるばかり肩ありき魔の鳥つどう夜半というべし  『眼底紀行』
  中空の雲雀はしばし横へ翔ぶ覗かむかわが騒ぐ樹液を

  昨夜(きぞのよ) は月あかあかと揚雲雀(あげひばり)鍼(はり)のごとくに群れのぼりけり  「天河庭園集」
  春鷺のつばさ暗めて飛ぶさえや曇りの騒ぐ空にとらえつ
  ひきかえす小路(こうじ)の熱さ耳ばたのなんたる大声の夏雲雀めが


 集中、「魔の鳥」はさすが小禽類には似つかはしくなく、觀念の、喩を飛翔する鳥であらう。最後の「夏雲雀」も、當時の閉塞した作者情況を考慮すると、いささかの大喝采とも、八つ當たりとも思へなくもない。しかしそのとき、それが岡井の救ひにもなつてゐるのだ。

 片や、小動物には獨特の山羊への嗜好が。

  退嬰(たいえい)を許そうとせぬわが前に酸(す)き匂いして牝(め)の山羊坐る  『斉唱』

  十二頭の豕(いのこ)との餐(さん) 昇りゆく天昏々とくらきを訓(おし)え  『土地よ、痛みを負え』

  一月のテーマのために飼いならす剛直にして眸(まみ)くらき山羊  『朝狩』
  
  夏野そはかぐわしき朝沢渡(さわたり)の谷のけものの乳しまり見ゆ  『眼底紀行』

 「だまって小動物を剖いて過ごした夏。実験用山羊を飼いならした冬。僕は歌について多くのことを考え、少量のノートをとった。」 『土地よ、痛みを負え』あとがき

 少量のノートはやがて最初の歌論集『海への手紙』へと結實するわけだが。

 ときに岡井は空を見上げる。特に雲を見つめる。雲は思念の定型(フオルム)か。
  
  うつうつと地平をうつる雲ありてその紅(くれない)はいずくへ搬ぶ  『土地よ、痛みを負え』
  雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥(やさ)しきいろをたたう夕ぐれ
  乾きたる天にひさびさに放ちたる炎(ひ)のごとき、 そを瞻(み)つつ飯(いい)食う


  昼食を境いにあおき創(きず)ふかまる曇りあまねかりし北空に  『朝狩』
  刃(は)をもちてわれは立てれば右ひだりおびただしき雲の死に遭(あ)う 真昼

  前庭(まえにわ)に入れたる芝の着きそむるころおぼおぼと天の鏡は  『眼底紀行』
  昧(くら)き故ひらかれてゆく美しき青 あけぼのは空の花ばな星とまじわる

  さやぎ合う人のあいだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは  「天河庭園集」
  雲ははるかに段(きだ)なし沈む北空や巻(ま)き雲ありし昼は過ぎつつ
  雲が捲くゆたかなる白(しろ)日没になお暫しある巷をゆけば
  風花(かざはな)に仰ぐ蒼天(あおぞら)春になお生きてし居らばいかにか遭わむ


 まだまだある。樹木、特に楡、楡は喩の木。そして林、搖れる枝々。ときに花が、緑が、紅葉が……。

  宵闇にまぎれんとする一本(ひともと)が限りなき枝を編みてしずまる  『斉唱』

  産みおうる一瞬母の四肢鳴りてあしたの丘のうらわかき楡  『土地よ、痛みを負え』
  暗緑(あんりよく)の林がひとつ走れるを夕まぐれ見き暁(あけ)にしずまる

  天のなか芽ぶける枝はさしかわし恋(こほ)し還り来し地と思うまで  『朝狩』
  明るさのそこまで来つつためらうを花梗の林すかし見ている

  喜こびに遠く悲しみになお遠く一樹一樹(ひときひとき)と咲き昇りけり  『眼底紀行』
  そよかぜとたたかう遠きふかみどりああ枝になれ高く裂かれて
  ここからは夜へなだれてとめどなき尾根の紅葉に映えてわが行く
  くさぐさの抱擁を経て来ておもう樹を抱くときの葉腋の香よ
  揉まれつつ夜へ入りゆく新緑のさみどりの葉のねたましきかな


  春の夜の紫紺のそらを咲きのぼる花々の白 風にもまるる  「天河庭園集」
  精神の外(と)の面(も)の闇に桜咲きざくりと折られゆく腕がある
  転形へ暗示をふかめつつあるは百日紅(ひやくじつこう)のたわわなる白(しろ)


 續いて先に見た性の時閒を巡る夜の姿態と異なる夜の橫顏、そして晝の橫顏。

  夜半(やはん)旅立つ前 旅嚢から捨てて居り一管(いつかん)の笛・塩・エロイスム  『斉唱』
  眠られぬ又眠らざる夜がゆきてイリスは花を巻きて汚(よご)るる    

  せめてわがめぐりの夜と睦みいん一缶の水沸き立たしめて  『土地よ、痛みを負え』
  匂いにも光沢(つや)あることをかなしみし一夜(ひとよ)につづく万(まん)の短夜(みじかよ)
  しずかなる応(いら)えをきく夜わがうちに王国も築きうべしとおもう


  たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば  『朝狩』
  中世へさかのぼりゆく一群をおくりて暑き午後へ降(お)りたつ
  発(た)ちし夜の妖(あや)しきまでの明るさを恋えば、戦後こそわがカナンの地


  願望の底ごもる夜(よ)をつらぬきて星の林へ行く道なきや  『眼底紀行』 
  移りゆくくれないの刻(とき)藍のときかたぶく昼を怖れて居れば    
  
  夜のほどろの夢にわれら選ぶミンナ・ドンナ・ヘンな艱難   「〈時〉の狭間にて」
  父よ父よ世界が見えぬさ庭なる花くきやかに見ゆという午(ひる)を

  憂愁の午前黙(もだ)あるのみの午後杉綾(すぎあや)を着て寒(かん)の夜に逢う  「天河庭園集」
  四月二十九日の宵は深酒のかがやく家具に包まれて寝し

 神は細部に宿る、とばかり際限ない分類は續くのだが、今稿はここまで。次囘は第三歌集『朝狩』の紹介から、冒頭に約した「或る私的事情」の周邊を彷徨つてみたい。