「詩客」短歌時評

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短歌時評第139回「斎藤茂吉を語る会」からの贈り物 -結社のこれから 山口茂吉、AI。想像力に翼は生えて-大西久美子

2018-11-30 11:31:43 | 短歌時評
    

「斎藤茂吉を語る会」(2009年9月30日設立)に力を尽くされた藤岡武雄氏が、「平成30年度総会」(3月10日)を期に会長職を勇退され、雁部貞夫氏が後を引き継がれた。その最初の例会が11月4日、下記(各氏の敬称略)の通り、東京で開催された。

・講演     「山口茂吉日記」を中心として 玉井崇夫
・シンポジウム 茂吉の三高弟を巡って
・佐藤佐太郎(香川哲三)・柴生田稔(雁部貞夫)・山口茂吉(結城千賀子)

齋藤茂吉を人生の全てをかけて支えた山口茂吉(1902年-1958年)は佐藤佐太郎、柴生田稔と共に三門下人の一人であり、歌集『赤土』が『現代短歌全集 第九巻』(筑摩書房)に収録されている。しかし、『岩波現代短歌辞典』に彼の名はない。

結城千賀子氏が用意されたレジュメに次の一文がある。

「佐藤(佐太郎)君は愛された門人であり、私(山口茂吉)は最も叱られた門人である」
                      「アザミ」昭和28・8/斎藤茂吉追悼号

また、加藤淑子著『山口茂吉 齋藤茂吉の周邊』(みすず書房)では、山口茂吉が世を去った際の落合京太郎氏の追悼文が紹介されている。

「『齋藤茂吉の忠實な助手として一生不變』といふだけで山口君は必ず彌陀の來迎を仰ぐことが出來たに相違ない」(アララギ、昭和三十三年十月號)

齋藤茂吉へ、ひいては主宰頂点のヒエラルキー的システムの結社に人生を捧げ尽くした山口茂吉の姿がありありと思い浮かぶ。

ここで結社について「第36回現代短歌評論賞」(「短歌研究」10月号)の課題から考えてみたい。

(1)結社の現在

「第36回現代短歌評論賞」の本年の課題は、『「短歌結社のこれから」のために今、なすべきこと。』であるが、授賞式会場における三枝昂之氏の講評から、今回、二十代(十代も入る)の応募者がいなかったということが分った。実は私も「自己愛の強い時代に」というタイトルで応募し、抄録を「短歌研究」10月号に掲載していただいているが、ここに省略されている導入部は、既に短歌結社に属している方が、それに気付かず「結社って何ですか?」と私に尋ねたエピソードである。この時、特に若い世代には結社のイメージが掴み辛く、希薄なのでは?と思ったが、三枝昂之氏の講評から、やはり!と確信した。

(2)AI -山口茂吉を思いつつ-

各論とも角度は違うが、松岡秀明氏の受賞作「短歌結社の未来と過去に向けて」、雲嶋聆氏の受賞一年後評論「泥土か夜明けか-人工知能の短歌の未来」、拙作「自己愛の強い時代に」ではAIについて触れている。

結社に属していても、帰属意識から離れている会員が増えつつある現代において、齋藤茂吉に献身し尽くした山口茂吉のような人材の出現は難しい。最近、AIが短歌を作れるか、という論をよく聞く。AIは秀作を生む歌人にきっとなる。が、それよりも、私は結社のために、校正、ARCHIVE、運営、実務等、組織の鍵となる様々な問題に献身的に尽くす、縁の下の力持ちとなることをAIに期待する。

AIは斎藤茂吉の三門下人のようには恐らくならない。しかし、新しいタイプの門下人として、実務上の問題対処、理不尽を伴う結社内外の人間関係の軋轢の緩和のための提案など、主宰者と会員の間にたって、結社存続に尽くす可能性は十分にある。仮に所属する結社が解散してしまっても、結社の歴史、作品を鮮やかに後世に伝える存在となるだろう。