「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評 第95回 うなぎ 田中濯

2013-06-07 01:13:03 | 短歌時評
 今冬、うなぎについての衝撃的なニュースが出た。

 絶滅の恐れがある野生生物を分類した「レッドリスト」について、環境省は1日、「汽水・淡水魚類」の改訂版を公表し、不漁が続くニホンウナギを「絶滅危惧種」に指定した。
http://goo.gl/2hWqD

 さらに今月には、うなぎの稚魚であるシラスウナギの静岡県の漁獲量が史上最低であることが明らかになった。

 ウナギの養殖に欠かせない稚魚、シラスウナギの今期(昨年11月~今年4月)の漁獲量が、過去最低の326キロを記録したことが県の集計で分かった。シラスウナギの不漁は4年連続で、1キロ当たりの買い取り価格が115万5000円と過去最高値を付け、関係者は「もう祈るしかない…」と悲痛の声を上げている。
 http://goo.gl/e6fhH

 即効性の対策はない、ということで、外国産の輸入量を増加しよう、ということになっているが、その外国でもうなぎ資源の大減少が進行しているようである。

 そして世界中のウナギの数と、アジアにおける需要との不均衡により、ウナギの価格はキャビアのレベルにまで高騰している。
 米国最後の大規模ウナギ養殖業の地、メーン(Maine)州では、ウナギの稚魚シラスウナギは水中の金だ。
 メーン州の漁業当局によると、価格は2012年シーズンに1ポンド2600ドル(1キロ約58万円)の最高値を記録した──これは稚魚1匹あたり1ドルに相当する。比べて、ニューイングランド(New England)地方の有名なロブスターは、1ポンドわずか2.69ドル(1キロ約600円)ほどにしかならない。

http://goo.gl/asFy4

 2013年の夏の土用の丑は暦の関係で二日あり、7/22と8/3であるが、あまりに高価でありそうで、どちらの日にも私は食べられそうにない。というより、10年もすれば、うなぎ自体が世界から失われてしまう可能性だってないとはいえない。恐ろしい時代である。本稿執筆時点では、先週の日経平均株価の大暴落と乱高下を受けて、アベノミクスの展望が不安視されており、また、憲法改正が焦点になるかもしれない参院選投票日が7/21に決まりそうである(土用の前日である)。しかしながら、政治経済とも大激動期にあるとはいえども、うなぎの話題を無視するわけにはもちろん参らない。

 短歌に関わるものにとっては、うなぎ、といえば斎藤茂吉、ということになり、彼の大量にある異常なエピソードのなかでもひときわ異常の光を放っていて忘れがたい。そのものずばりの『文献 茂吉と鰻』(林谷廣)という奇書によると、茂吉のうなぎ食事回数の年間レコードは、昭和16年60歳のときの96回であるとのことである。角川短歌5月号の特集が刊行100年を記念した「北原白秋『桐の花』×斎藤茂吉『赤光』」であることも契機にして、私は『赤光』を「うなぎ目線」で再読することにした。

 ところが、残念ながら、『赤光』にはうなぎの歌はないのであった(「初版」)。茂吉のエッセイ集である『念珠集』には、幼い日に両親と旅行したときにうなぎの生簀を見た、という記述がある。しかし、うなぎが盛んに歌われるのは、『赤光』から十年以上を経て、ドイツから帰国し、婿入り先の病院を継いで経営する時代、元号的には昭和元年以降のことであり、歌集としては『ともしび』が対応する。

ゆふぐれし机(つくゑ)の前にひとり居て鰻(うなぎ)を食ふは楽(たぬ)しかりけり
夕飯(ゆふいひ)に鰻も食へどゆとりなき一日(ひとひ)一日(ひとひ)は暮れゆきにけり
五月雨(さみだれ)の雨の晴れたる夕まぐれうなぎを食ひに街(まち)にいで来し
ゆふぐれの光に鰻の飯(いひ)はみて病院のことしばしおもへる
                                 
『ともしび』


 茂吉はうなぎを食べてストレス解消をしていたのであろう、と知れるが、それにしては我々が思い浮かべる「ストレス解消」とは、やや様相が異なる。うなぎは茂吉にとって特別であったのだろうが、その聖性は他者にはなかなか理解しがたい。何か、見てはいけないもの、といった風情がある。あるいは、生々しすぎて目をそらしたい、といったところだろうか。

 うなぎの歌がないのは仕方ないことであるので、『赤光』では「何かを食べている歌」を拾うことにした。見渡してみると、茂吉にはひろく食に関する歌が多く、またエピソードも多い。彼のお喋りな子供たちが語るところによれば、彼は味噌汁の「実」が気に入らないということで大騒動をしたということである。こちらをもって、うなぎの替わりとしたい。

いとまなきわれ郊外にゆふぐれて栗飯食(を)せば悲しこよなし
けふもまた雨かとひとりごちながら三州味噌をあぶりて食(は)むも
よる深くふと握飯(にぎりめし)食ひたくなり握(にぎり)めし食ひぬ寒がりにつつ
ひとり居(ゐ)て朝の飯(いひ)食む我(あ)が命は短かからむと思(も)ひて食はむ
生くるもの我のみならず現(うつ)し身の死にゆくを聞きつつ飯(いひ)食(を)しにけり
ま夏日の日のかがやきに桜の実熟(う)みて黒しもわれは食(は)みたり
気ちがひの面(おもて)まもりてたまさかは田螺も食(た)べてよるいねにけり
味噌うづの田螺たうべて酒のめば我が咽喉仏(のどほとけ)うれしがり鳴る
けふの日は母の辺にゐてくろぐろと熟(う)める桑の実食(は)みにけるかも
春闌けし山峡の湯にしづ籠り楤(たら)の芽食(を)しつつひとを思はず
あな甘(うま)、粥(かゆ)強(かた)飯(いひ)を食(を)すなべに細りし息の太りゆくかも
おのが身し愛(いとほ)しければかほそ身をあはれがりつ丶飯(めし)食(を)しにけり

初版『赤光』


 ざっとこんなところだろうか。とにかく飯(めし)を食べている。あとは、味噌や田螺に木の芽山菜の類といったところで、つつましいものである。とてもではないが、当時もお高い食べ物であったうなぎの出る幕ではない。当たり前の話ではあるが、茂吉の歌や、あるいは日記にうなぎが猛威をふるい出すのは、彼が成功してから、あるいは家業を継いで養子・入り婿の立場から自由にお金を使える立場になってからである。ちなみに、角川短歌5月号の座談会では、「握飯(にぎりめし)」の歌が取り上げられており、にぎりめしの繰り返しが「自然でダイレクトな」表現であるのか、鬱屈した立場の寓意を示唆したものであるのか、歌の読みに「争い」があり興味深かった。

 これらの食をめぐる歌群では、桜の実と桑の実の歌の類似性が気になるところである。この二つの歌の構造はそっくりであり、茂吉の作歌法を辿る材料になるのでは、とも思わせるほど似ている。また、その色が「赤」である時期のものでなく「黒」というところも面白い。『赤光』はタイトルも示している通り、赤い色が圧倒的に優勢であるが、その背後には別の色もみえる。田螺も(うなぎも)「黒」だし、飯は「白」、栗は「黄」、楤(たら)は「緑」で三州味噌のみ「赤」である(黒、といえる色合いでもある)。実際に口に入れるものについては「赤」がほぼなく、例の著名な「赤茄子」は腐っているというわけである。

 ところで、以下に挙げるのは、初版『赤光』の最後尾の一連「分病室」にある歌であり、「何かを食べている歌」の守備範囲に半分引っかかっているものである。

隣室に人は死ねどもひたぶるに帚(ははき)ぐさの実(み)食ひたかりけり

 隣で人が亡くなっているのに、猛烈に「帚(ははき)ぐさの実(み)」が食べたくなった、という、まちがいなく異常な歌である。「帚(ははき)ぐさの実(み)」は、いわゆる「とんぶり」で、黒っぽい緑色をした小さな実であり、ぷちぷちした食感と意外な濃厚さがある旨い食べ物である。それはともかく、どうだろう、他者の死に近いときに食欲は湧くものだろうか。

  延命措置を拒否
四百円の焼鮭弁当この賞味期限の内に死ぬんだ父は
手をつけぬままの弁当捨てにゆくふたたび冷えている白い飯
                             
『すずめ』(藤島秀憲)


 『すずめ』(藤島秀憲)は今春に刊行されたばかりの優れた歌集である。テーマは父の介護、およびその死についてであるが、挙げた歌のように、読者に悲しみを伝えつつも、「死の定型的表現」から逃れて自由である。見事であり、茂吉の歌と比較してみると、この「帚(ははき)ぐさの実(み)」の歌にも強い意匠があることが見えてくる。なるほど、異常な状況のときに特定のものに対する異常な執着、この場合は食欲が生まれる、というのは「ありそう」ではある。しかし、それは藤島の場合のように実のところない、のではないだろうか。せいぜい、咽喉がかわいて飲み物が欲しくなる、程度のように思う。詩客の読者の皆様も、状況を想像して個人的記憶を思い出してみてもらいたい。私の判断では、「帚(ははき)ぐさの実(み)」は、ほぼ虚構である。茂吉は、いかにも「ありそう」、なところを突いてきているのではないだろうか。

 『赤光』を読むとたちどころに了解されるはずだが、この歌集には「狂人」「狂院」(当時の精神病院を指す。茂吉の造語?)という文言や、「狂」に関わるおそらくは現在の雑誌やウェブに載せるには強く注意を要するような表現が実に多い。これらの言葉を見ると、百年前の日本の精神医学のレベルが推察されるとともに、医師・斎藤茂吉についても暗い気持ちが湧いてくる。これは『赤光』の影の面である。

かの岡に瘋癲院のたちたるは邪宗来(じやしゆうらい)より悲しかるらむ
としわかき狂人(きやうじん)守(も)りのかなしみは通草の花の散らふかなしみ

『赤光』


 瘋癲院は、茂吉が継ぐであろう精神病院であり、狂人守りは茂吉自身である。自虐であり、また実際に瘋癲院の医者の、当時の社会的地位をも示唆しているだろう。あるいは、こう言ってしまってよいかもしれない。「狂人守り」もまた、「狂人の類」と見られていた、と。そのように振る舞うのがひとつの渡世の術であった、と。私には「帚(ははき)ぐさの実(み)」の歌に、佯狂の二文字がちらつくのである。「私はこんなに変ですよ、特殊ですよ」というアピールが透けて見えてきてしかたがない。そして、本稿で話の端緒に挙げたうなぎは、その若き日の佯狂が向かいきった先にあったものではないのか、とも想像する。茂吉の歌は、「どこか異常なところのあるひとだから」という前提で受容されたり(笑い話にされたり)、逆に読み飛ばされているところがありすぎるような気がしている。『赤光』は短歌史に屹立する歌集である。だが、もう100年も経ったのだから、褒め称えるばかりでなく、すこし批判的に回顧してみるのもよい頃合いだ。現代短歌の源『赤光』には、明るさというよりは暗さがあったのだし、その暗さは、今そのまま受け入れるには時間が経ち過ぎているように考えるものである。
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