詩人、という理想像について、松本圭二はスナフキンをそこにあてはめていた。ムーミンの、スナフキン。常に事態の傍観者でありながら、ぽつりとつぶやく言葉が物事の本質にまで届くような、代えのきかない、気の利いた存在。さらにスナフキンは仲間への助力を惜しまない、時に汗を流し、共に笑う。現場作業者としての秘めた優秀さ。
詩人はどこにいるのか。僕にとっては、それが問題だった。じぶんが最初に詩を書いた日から十年が経とうとしている今、出会ってきたいくつかの詩、わずかばかりの詩集、それらが世界の秘密を揺るがしにかかる単独行の様、それを間近に見てきたはずだった。まざまざと見せつけられてきたはずだった。そうでなければおかしかった、今どんなにじぶんの気持ちを掘り下げても好きな詩人のひとりも見当たらない理由、ひとつにはそれらの詩のあまりにも奇蹟的な在り方が自らの輝きによって著者名さえ白く焼き飛ばしてしまうこと(嘉村奈緒「光のつぶてとパッセ」)、もうひとつには「詩人」の肩書きを甘受できるような詩作に関心を持つことができず、あらゆる剥奪の後に立つような詩ばかりを選って読んできたこと(中尾太一は「詩を書くひと」であり、やがて「詩を書いたひと」にはなるかもしれないが、「詩人」にはならないだろう、けして)。理由があるのだから、「好きな詩人はいない」という回答、それでいいようにも思えた。けれど、けれどだ。詩人、という言葉には聞き覚えがあった。皺の毛羽立った更紙の茶、印字の掠れたコピー。それは、最初の詩を書く以前、じぶんと詩とがまだなんの結びつきもなかった高校一年生の時に、現国の教師が配ったプリントの思い出だった。天声人語の(それはどうでもいいが)、そこに書かれた寺山修司の。
きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ
夏休みよさようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち
(「五月の詩・序詞」)
記事の内容はもう忘れたし、それは関係がない。ただ載せられていた引用部分が頭のどこかに引っかかり、それから先何ヶ月も、机の中で捨てられないプリントの山と一緒に、まとまらない想いを燻らせていた。「詩」も「詩人」も知らなかったから、これが詩なのかとおもい、このひとが詩人なのかとおもった。改めて読むと、感傷を演じるような言葉の運びにつまずかないわけでもないが、その時は見知らぬ土地で良い友達を見つけたような充溢感が静かに静かに浸透し、どうしても引用のわずかな箇所が読みたくなって、机の中を漁ったこともあった。その翌年、ハルキ文庫から出ている寺山修司の作品集を買い、気に入った詩行を携帯で写メして壁紙にするなどした。ほどなくして同じハルキ文庫のシリーズの吉増剛造詩集を買い、その本の編者であった稲川方人の名を心に留め、などして現代詩に傾く準備が整っていった。僕の話だ。
目つむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹
プリントに引用されていた寺山の句だが、その前後にあった「警句」という語と文意の上でまぜこぜになって、単に一行詩としてながらく上を読んでいた。てのひらに収まる一行はかっこいいバッジのようだった。詩人はバッジをつけたヒーローのようだった。
今は、どう。
これからは、どう。
詩人はどこにいるのか。僕にとっては、それが問題だった。じぶんが最初に詩を書いた日から十年が経とうとしている今、出会ってきたいくつかの詩、わずかばかりの詩集、それらが世界の秘密を揺るがしにかかる単独行の様、それを間近に見てきたはずだった。まざまざと見せつけられてきたはずだった。そうでなければおかしかった、今どんなにじぶんの気持ちを掘り下げても好きな詩人のひとりも見当たらない理由、ひとつにはそれらの詩のあまりにも奇蹟的な在り方が自らの輝きによって著者名さえ白く焼き飛ばしてしまうこと(嘉村奈緒「光のつぶてとパッセ」)、もうひとつには「詩人」の肩書きを甘受できるような詩作に関心を持つことができず、あらゆる剥奪の後に立つような詩ばかりを選って読んできたこと(中尾太一は「詩を書くひと」であり、やがて「詩を書いたひと」にはなるかもしれないが、「詩人」にはならないだろう、けして)。理由があるのだから、「好きな詩人はいない」という回答、それでいいようにも思えた。けれど、けれどだ。詩人、という言葉には聞き覚えがあった。皺の毛羽立った更紙の茶、印字の掠れたコピー。それは、最初の詩を書く以前、じぶんと詩とがまだなんの結びつきもなかった高校一年生の時に、現国の教師が配ったプリントの思い出だった。天声人語の(それはどうでもいいが)、そこに書かれた寺山修司の。
きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ
夏休みよさようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち
(「五月の詩・序詞」)
記事の内容はもう忘れたし、それは関係がない。ただ載せられていた引用部分が頭のどこかに引っかかり、それから先何ヶ月も、机の中で捨てられないプリントの山と一緒に、まとまらない想いを燻らせていた。「詩」も「詩人」も知らなかったから、これが詩なのかとおもい、このひとが詩人なのかとおもった。改めて読むと、感傷を演じるような言葉の運びにつまずかないわけでもないが、その時は見知らぬ土地で良い友達を見つけたような充溢感が静かに静かに浸透し、どうしても引用のわずかな箇所が読みたくなって、机の中を漁ったこともあった。その翌年、ハルキ文庫から出ている寺山修司の作品集を買い、気に入った詩行を携帯で写メして壁紙にするなどした。ほどなくして同じハルキ文庫のシリーズの吉増剛造詩集を買い、その本の編者であった稲川方人の名を心に留め、などして現代詩に傾く準備が整っていった。僕の話だ。
目つむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹
プリントに引用されていた寺山の句だが、その前後にあった「警句」という語と文意の上でまぜこぜになって、単に一行詩としてながらく上を読んでいた。てのひらに収まる一行はかっこいいバッジのようだった。詩人はバッジをつけたヒーローのようだった。
今は、どう。
これからは、どう。
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