かつて私は俳句を作っていた。当時は俳句が好きで、寝ても覚めても五・七・五で見たものを詠んでいた。
いくつか結社にも入り、3つ4つの結社を歩いた。
その後、「ひょうたん島俳句つうしん」というメンバーがそう多くない俳句グループに入った。私の住む市内にcaféひょうたん島という喫茶店があり、そこで行っている手作り感のある俳句の会で、仕事で忙しかった私が唯一自分になれる通信での句会だった。そこで指導をしていたのが、石田郷子さんだった。
石田さんはその後、『秋の顔』で俳句協会新人賞を取られ、さまざまな詩の雑誌で引っ張りだこになる。いまは結社「椋」の代表をされ、私が最後に会員でいたのはその結社だった。
私は句集をある程度購入した方だと思うのだが、詩を書くようになってほとんどすべてを手放した。いま、本棚に残っているのは、石田郷子さんの句集と、あとは三橋敏雄、中村苑子など数冊である。
来ることの嬉しき燕きたりけり
春の山たたいてここへ坐れよと
花菖蒲どんどん剪つてくれにけり
(『秋の顔』)
好きな句である。これらに流れるおおらかであたたかな自然や人間のつかみ方が私にもストレートに伝わる。変に技巧を弄していないのが素晴らしい。石田さんの尊父、尊母は高名な俳人であり、俳句の中で育たれたような方である。自身の俳句の道をいかようにも進める位置にいて、こうした素直な俳句を詠むのは資質のなせるものだろうか。
思うことかがいてきし小鳥かな
立ち上り立ち上りくる枯れ木かな
背泳ぎの空のだんだんおそろしく
(同上)
最初の句、内面と小鳥という生き物の対応がぴたりと決まっている。三句目は空ばかり見ることになる背泳ぎをしていて、漂流の思い、どこにも着けない不安感が感じられ空が恐ろしいものに思われてくることを詠まれているのだろうか。「だんだんおそろしく」で恐ろしさが読み手にも迫ってくる。
これらは第一句集から選んだ。最も新しい句集『草の王』でも、ていねいで、奇をてらわない句をつくられているところは変わらない。
石田さんは、「あきらめないで、自分の受けた印象にぴったりした正確なことばを使って表現すること」を信条にしているというが、まさにそのことば通りの句づくりをしている。「あきらめないで」、「正確なことばで」ということはむつかしい。そこを敢えておろそかにしない石田さんの姿勢に学びたい。
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