Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「観察」は時間を忘れる

2024年06月28日 21時00分29秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先日、近くの私鉄の駅前のバス停から、家の傍のバス停までバスに乗ることにした。時刻表の時刻まで5分ほどあり、3人目に並んでいた。
 空は厚く雲が垂れこめていたが、雨とは無縁の空。カンカン照りよりも空は見易かった。西空の雲を通して太陽の丸い姿が浮かんで見える。
 雲の構造がその光を透かして見えた。一様に見えても光をとおすとまだら模様に見えた。じっと見ていると不規則な丸い形が連続しているように見え、見飽きることがなかった。太陽と雲が作り上げる空の模様は、美しい。不規則なものほど見ていて飽きないものである。規則性がすぐに判明してしまう模様などは、規則性が気になって落ち着かない。

 しばらく眺めているうちに時計が気になった。すでにバスの時間を過ぎていた。いつものとおり遅れるのだろうと気にせずに空を眺めつづけたものの、バスが来ても気がつかないで空を眺めているのが恥ずかしくなった。
 その時にたまたま視界を燕が横切った。何番目かの営巣のあとらしく、商店街の庇の下に例年のように巣があり雛が孵り、親鳥が餌を運んでいた。燕らしく人の頭のすぐ近くを器用に飛び越し、巣の近くに止まってから、巣に餌を運ぶ。
 燕の姿を追っているほうが、焦点は近くなので、バスが近寄ってきても認識しやすい。頭を小刻みに巡らすのも面白い。そのまましばらく燕を観察。
 こうしていると、バスを待っていても時間が気にならない。世の中には観察したいものが人間以外にもいっぱいある。あるいは長時間観察していても気にならないもので溢れている。

 ふと先頭に並んでいる同年輩のお年寄りを見ると、歩道から車道に身を大きく乗り出して、ひたすらバスのやってくる方向を睨み続けている。なかなか来ないバスに痺れを切らしているらしく、後ろと横から見る姿がイライラしていた。
 そのお年寄りと私の間にいる中学生らしい女の子は、スマホに余念がなく、後ろの小学生の女の子は熱心に物語の本を読んでいる。
 私の心の中では、「体を歩道にひっこめないと危ないよ、来ないバスにイライラしているよりも、空の雲と燕どちらかを「観察」するゆとりを持ったほうが、心が落ち着くよ。小学生の方が心にゆとりがありそうだよ」という言葉が横切った。むろん口に出すことは無かったが、思うこと自体が余計なお節介で、何となく人を見下したような気分になったのは、おおいに反省。こんなことを考えなければ、美しい空と燕の飛翔の印象だけが残っていたはずだ。

 さいわいバスは6分ほど遅れて到着。夕方の道路混雑時には遅れるものである。いらいらオジサンは真っ先に勢いよく飛び乗った。何事もなくバスは発車。

 私と同年輩の年寄と、私の頭の中ではそれぞれに小さなドラマがあった。美しい雲と太陽、燕の飛翔の印象は長く頭の片隅に残った。



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2 コメント

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ほんとドラマだらけ (通りがかり人)
2024-06-29 10:57:28
爺さんはかわいそうだね。俺はまったくおんなじだ。だが、せわしない世の中だから、駆けずり回らなけりゃならぬことありだね。ホント疲れる。はやくホルモン焼き食いたい。
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通りがかり人様 (Fs)
2024-06-30 19:34:01
自然を楽しむゆとりのある老人になりたいと思っていましたが、なかなか達観できない私です。
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