住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

人間・ 生きるだけなら

2013年09月26日 | 日記
 ― 楽天優勝 おめでとう  本当は、日本ハムの栗山さんを応援してたのだけれど、ここはしようがない、素直に楽天に祝意を、送ります・・・・オメデトウ まークン  ―


 さて本文、動植物がただ単に生きると云う事だけだったら、 Q.O.L.とか、Q.C.とか議論する必要も、考える事も無い。 人間には、人間としての品格・・・なんて、誰が言い出したのか・・。  人間に切磋琢磨や闘争が無く、本当に山に咲く『蘭の花』のごとく、平穏に生きる事が出来ていたら、現在地球を跋扈するくらいの、人間の繁栄は無かったのだろう。

 人は、生まれながら余計な事を考えるから、自ら死を選んだり、未来を悲観したりもする。  その理由の大部分が教育のなせる技であろうことは、間違いのないところではないかと思う。  向上心等と云うものは、後天的な教育の摺り込みによるものの、最たるものであろう。  その、生きる為のテーマの重さ、或いは人間としての使命に、耐えられない人々が多く出て来たから、宗教が過去2000年以上前から、自然発生的に生まれたものではなかろうか・・・ 。  宗教に、精通した人はどちらかと言えば、厳しい言い方になるかもだが、処世術に長けている人々と言っても過言では無かろう。


 韓国や中国で出来た工場生産品は、劣悪を極めたものが多い。 彼の国で出来た、工業製品に命を持たせ、口を持たせたらどんな言葉を吐いていたであろうか・・・ 。  「俺たちは、好んで韓国や中国で人の役に立たない様な物に、なるつもりは無かったんだから・・。」と云う事になるのだろうか。  せっかく、地上に生まれたのだから、出来るだけ長く人間の役に立ち、地上で有効に活用され、一生を全うしたいと工業製品だって、思うに違いない・・。  その国に生まれ育った人々は勿論であろうが・・・・  

 ゴム長靴は、3か月で折れ目の着いた所から、水が浸み込むようになり、従来の日本的製品に対する概念からは、考えられない様な粗悪品ばかりである。  餅焼き網にしたって、3回と使う事が出来ない程、短命である。  日本の製造現場で言われた、クォリティーコントロール等は微塵も、その製品群からは感じられない。
当然であろう、それらを作る人々の思いが、『金を多く得る事』この一点に集約されているからであり、『後は野となれ山となれ』、彼等にとっては、知ったこっちゃ無いのである。  勿論、高度な工業製品についても、その考え方は、充分貫かれている。

  法隆寺の三重塔は、千年生きた木材により作られた建築物なので、千年の耐久性を持つ事が出来たとどこかで聞いたことが有るが、それは誇張としても、その傾向は理解できる事ではなかろうか。  人間に生きた(生まれた)と云う事を、言い訳にしてその人間性の完成を望むのは、なにも木材に習った事では無い。  人間でも、一人一人その可能性を最大限に発揮しようと思うのは、蓄積された遺伝子のなせる技であろう。


 全ての動植物、余計な事は考えないで、ただ単に一生を全う出来ればこれほどの幸せは無いが、この地球上では残念ながら食物連鎖と云う、避けがたい宿命が、全ての生き物について回る。 逆に言えば、こういう現実が生物に進化をもたらして来たと云っても良いのだろう。
普通に地上の動植物を考えたら、同じ種は適度の戦いをする事は有っても、致命的な命のやり取りをする戦いは、避ける事が多かったのではないか・・・。 そうやって、種の維持と進化を測り続けた結果が、現在を形作っているからである。

  
 たとえて言えば、今、唇を真っ赤に塗りたくって、「人を食って来たところだ!」といっても、現に違和感なく受け止められる所に、人類社会の不気味さが感じられる。  人類の同じ種同士としての生存競争は、人口密度が過度の高まって来たせいであろう、同じ種同士で、命のやり取りも、何の違和感も無く行われるようになった。


 ガラパゴス化した、この日本の『メンタリティー』を、普遍化させることによって世界は、少し変わりえる様な気もする。
だがしかし、日本にも世界金融寡頭勢力の、太鼓持ちの様な人も増えて来たような気もするし、隣の韓半島の様な『騙される人が悪い』と云う様な、メンタリティーを表に出して、遠慮会釈の無い人も多くなったような気がする。
 夫々の心の中の神が、ほんのチョット留守にしただけなのに、地球は滅亡に向かって走り出している。

コメント
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