書道教室としてお世話になっている専立寺さんの精進あげのお食事会がとあるホテルで催された。
新ご住職がこれからの世代を背負っていかれるわけだが、前坊守さんからいろいろ今までの思い出話やご苦労話も伺った。
今は熟練の方々がご正忌のお斎(おとき・お寺で出す精進料理)を手づくりされているが、お手伝いの方々も年を経るごとに高齢化していき、昔のようにはいかないようになってきた。
「不易流行」つまり、永遠性と新風を上手く調和させないといけないところにきているということだった。
様々なことが世の中の流れによって時代の中でいろいろと移り変わってきたのだろう。
ほかのお寺さんもいろいろと工夫をされていると聞く。
良い風習は伝えたいものの、そうはいかない難しい現状もあるに違いない。
ただ、私は小さい頃から、お寺さんが良い遊び場だったので、お寺の近くにいることがとても心地良い。
ご縁あってお寺さんで書道教室を長い事させていただいているし、これからもずっと何か微力なりともお寺さんにご恩返しが出来たらいいなと思う。
そして、書道教室通ってくださる生徒さんたちが、お寺で一緒に時を過ごした事、そして書を学んだという事を将来の支えと良い思い出にしてくれたらいいなと思った。
私がお寺さんが大好きになったのはこの専立寺さんで遊んだ事がきっかけだ。
新ご住職がこれからの世代を背負っていかれるわけだが、前坊守さんからいろいろ今までの思い出話やご苦労話も伺った。
今は熟練の方々がご正忌のお斎(おとき・お寺で出す精進料理)を手づくりされているが、お手伝いの方々も年を経るごとに高齢化していき、昔のようにはいかないようになってきた。
「不易流行」つまり、永遠性と新風を上手く調和させないといけないところにきているということだった。
様々なことが世の中の流れによって時代の中でいろいろと移り変わってきたのだろう。
ほかのお寺さんもいろいろと工夫をされていると聞く。
良い風習は伝えたいものの、そうはいかない難しい現状もあるに違いない。
ただ、私は小さい頃から、お寺さんが良い遊び場だったので、お寺の近くにいることがとても心地良い。
ご縁あってお寺さんで書道教室を長い事させていただいているし、これからもずっと何か微力なりともお寺さんにご恩返しが出来たらいいなと思う。
そして、書道教室通ってくださる生徒さんたちが、お寺で一緒に時を過ごした事、そして書を学んだという事を将来の支えと良い思い出にしてくれたらいいなと思った。
私がお寺さんが大好きになったのはこの専立寺さんで遊んだ事がきっかけだ。
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