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野田村 苫屋

2012-09-05 | 美味しいお店
記憶も定かでない小さい頃に、母の実家に行った事がある。
新潟の米どころで、山あいの広い水田に囲まれた大きな茅葺屋根の家で、母の子供の頃は瞽女(ごぜ)の定宿だったらしい。
昼は暑いけれど、夜になると田んぼの蛙の大合唱で、障子を明け放して蚊帳を吊って寝ると涼しかった記憶がある。そしてトイレが遠くて暗く怖かった。
あなた達が来たのだからと餅を搗き、クマザサの葉でくるむ作業を手伝った。笹の葉の香りが移った餅は美味しくて、豪農らしい生活にあこがれました。
豪雪地でもあるため今は廃村になって、墓地だけが残っていると聞き、あの光景は二度とみられないのだと思うと寂しい気もします。

茅葺屋根に惹かれるのは、そんな子供時代の思い出からなのかは分かりませんが、世代に関わらず茅葺屋根の家屋に惹かれる人は多いでしょう。
野田村にある茅葺屋根の美しい南部曲屋の民宿「苫屋」は、電話が無いため予約は手紙・ハガキだけの有名な民宿です。
昼はカフェもやっているので、泊りではなくても立ち寄る事が出来ます。
大きな囲炉裏と黒く光った床。古民家にしては窓の多い建物と思いますが、それでも室内は薄暗い。
今は日常生活で日中でも照明を多用しますが、昔の人はこの明るさの中で生活していたはずです。
そしてテレビの音もなく静かな時間が過ぎていきます。
昔の庶民の娯楽が会話であったことは落語や宮本常一の著作でも書かれていて、語らう事が娯楽の大きな部分を占めていたらしい。お茶を飲みながら主人との会話も楽しくて、リピート率がとても高いと言われるこの民宿の一番のサービスは、故郷へ帰ったようなこの場所の魅力とともに故郷のような会話ではないかと思えました。
会話というのは今でも大切な娯楽なのですね。

野田村観光協会のページ 苫屋








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4 コメント

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Unknown (マサコ)
2012-09-05 15:02:47
萱葺きの頂上には草とか花が生きているのでしょうか
いいお屋敷ですね
真夏でも一歩はいればひんやりしてきますかね
お手入れがいいから清潔感がありますね
閑かな空間を想像できます
素敵な写真をありがとうございます
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Unknown (やじろじゃ)
2012-09-06 11:49:09
ヤフーオークションで、久慈の廃屋物件が曲り家とと称して1円出品されていましたねぇ。

うちの本家も、トタン屋根ながら大正末期築の物件で、正にこちらの様な佇まいだったのですが、実際に住んでみると冬の寒さは半端じゃなく、余りの寒さに寝付けなかったことが数回。
風呂は別棟の小屋で、自嘲的に露天風呂と呼ぶ状況。冬は洗った髪が凍りつく始末。
家人の努力で、近隣がほどんど焼失してしまったあの久慈大火も乗り越え、文化財登録でもするか?と笑っていましたが、さすがに床が腐り落ちて危なくなってきたので、新築しなおしました。
とはいえ、囲炉裏や時計の薪ストーブを囲んで干物や栗などを一族郎等で食べたのは良い思い出です。

船大工の傍らウニアワビを捕っていた漁業者でありましたが、家は切り立った崖の上、海面から50m近い高台に集落があり、津波や自然災害を経験してきた先人の知恵なのかと今は思います。東北大震災の津波で船小屋は総じて流されましたが、家屋に被害は全くありませんでした。
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マサコさま (shouske0)
2012-09-07 06:31:14
茅葺屋根のトップは土で固めてあるので、よく草などが生えます。
有名なジェラート店NAMIKIのある牧場の茅葺畜舎の屋根は、以前はオニユリが咲いてて見事だったんですよ。
今はもう見られなくなったようですけど。
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やじろじゃさま (shouske0)
2012-09-07 06:44:08
冬は寒かったんでしょうね、壁の断熱などなかった時代ですし。
リアルな話をするとあこがれも吹き飛んでしまいそうですが、それでも古民家の美しさを感じる人は多いでしょうし。
津波被害が無くよかったですね。
何年か前宮古方面に旅行に行った時、「今は津波の事を考えないで海の近くに家を建てる人も増えた」と地元の人から聞いたのですが、あの時の方々はどうしておられるかと時々思います。
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