詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(34)

2014-04-25 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(34)          2014年04月24日(金曜日)

 「ヘロデス・アッティコス」に動いている声は嫉妬。セレウキアのアレクサンドロスはヘロデスの人気に嫉妬している。

アテネの講演に着いてみると、
まちに人がいない。
ヘロデスが田舎に行って、青年は皆、
話を聞きにそっちへ行っちまった。
そこでソフィストのアレクサンドロスは
仕方なくヘロデスに手紙を書いた。
ギリシャ人どもを返してくれ、と。
機転の利くヘロデスは即座に返答、
「ギリシャ人とともに私も行く」

 あ、これではかないっこない。悔しかったとは書いていないが、アレクサンドロスの悔しさがわかる。彼はヘロデスの手紙の文句、その機転が忘れられない。恥をしのんで手紙を書いたのに、この仕打ち。
 ヘロデスが目の前にいなくても、そういうことは起きる。

吟味し抜かれた食事の席に
繊細な知的会話を披露し、
時に洗練された情事を語っている最中にも
ふとヘロデスの幸運に思いが及ぶと、
にわかにさかずきに手が伸びなくなり、
気もすずろになってしまうのが
今何百人いることか?

 声そのもの、何を言ったかを書かずに、「さかずきに手が伸びなくなり、/気もすずろになってしまう」と書いているが、これは「肉体」そのものの「声」である。「気」が肉体の動きになって、肉体の自由を奪っている。
 カヴァフィスは、耳がいいのはもちろんだが、視力もしっかりしている。近眼で眼鏡をかけているが、「気」がひとの行動にどんな形をとってあらわれるかしっかり見てとっている。
 嫉妬は、ギリシャ人批判という形をとって、次のことばになる。書き出しの嫉妬のはじまり短いとことばとは違って、長くて、さらに繰り返しが多い。しつこい。

ギリシャ人が(あのギリシャ人がだぜ)彼の後に随いて行ったとは。
批評や反論のためでなく、もう選り好みしようとせずに
ただ後に従うためにだけ随いて行ったのだよ。

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