北川透「「佃渡しで」を読む」(「KYO」12・13、2017年11月01日発行)
北川透「「佃渡しで」を読む」は連載評論「吉本隆明の詩と思想」12回目の「第七章」の一部である。その一部についてだけ取り上げるのは不親切な感想ということになるが、どうしても書きたいので書いておく。
北川は詩を引用している。それをそのまま「再引用」しておく。
北川の書いている文章で、私が疑問に思ったのは、次の部分。
そうなのだろうか。
第一連と第二連は確かに「佃渡しで娘がいつた」ということばのあとに〈 〉があって、そこには娘のことばが書かれているが、だからといって第三連目もそうだといえるのか。
私は第三連目の前には、
が省略されていると思う。
第一連、第二連は娘のことばに誘い出されるようにして「わたし」のことばが書かれている。その「わたしのことば」には二種類ある。娘に聴こえるようにいうことばと、娘に聴こえないように胸のなかでいうことば。
しかし、この二種類は、とても複雑な書き方(レトリック)で書かれている。
娘のことばについては〈 〉で書かれている部分は娘が声に出したものだと推測できる。けれど、〈 〉でくくられている部分が「声」に出されたことば(聴こえることば)とは言えない。〈 〉でくくられていても、声に出されなかったものがある。
この一行は、声に出されたものではない。そんなことを「声」に出せば、娘が変な顔をして「わたし」をみつめるだろう。このとき、では、「わたし」は誰に対して、そのことばを言っているのか。
読者か。そうかもしれない。そのとき「わたし」はどういう人間を「読者」として想定しているのか。昔/むかし(過去)という「時間」を知っているひとだろう。一連目では、「昔」は「そうだった」のあと、「住んでいた」「とりに行つた」「泳いだ」という過去形で書かれている。「過去形」にふれて、「むかし」をすぐに思い浮かべるのは、「むかし」を知っているひとだけである。娘はおそらく「住んでいた」「とりに行つた」「泳いだ」ということばを聞いても「普遍(常態/状態)」としてしか想像できないだろう。「揺れているのがみえる」と同じように、「住んでいた」ではなく「住んでいる」「とりに行く」「泳ぐ(泳いでいる)」という「わたし」の「いま」の姿を想像し、自分自身の姿をそれに重ねるだけだろう。「そうであった」を「そうである」という具合に反復する。「動詞」を「肉体」で「現在」において反復するのであって、「過去」を思い浮かべたりはしない。「いま」と切り離しては考えない。
二連目では「むかし」と同時に「それはいた」「舞つていた」という「過去形」がつかわれる。
この二連目の「動詞」が、私の読み方から見ると、とてもおもしろい。一連目とはまったく違う「動詞」である。一連目では主語が「わたし(あるいは人間)」なのに、二連目では主語が「鳥」にかわっている。「鳥」の「動詞」をそのまま「人間(娘)」は自分の肉体では反芻できない。確かめることはできない。「想像」するだけである。「実感/体験」ではなく、「想像」しなければつかみ取れないものがここに書かれている。同じことを書いているようであっても、一連目と二連目では書かれている「過去/時間」の性質が違っている。「昔からそうだった」ものを少し違った形でとらえている。かもめや鳶が目の前にいるので、一連目で汚れた佃の渡しを見ていると同じことを書いているように感じられるが、少し違う。
その微妙な(あるいは、とても大きな)変化のせいだろうか、一連目そっくりのことばが実は違っている。
一連目にはなかった「さき」ということばが書き加えられている。「さき」はなくても「意味」は同じである。でも吉本は「さき」と書かずにはいられなかった。
反復なのに、ただの反復ではなく、別なものが入ってくるのである。
「何のためにあつたか」「悲しみ」を「流すためにあつた」。これは、頭と感情でつかみとる世界である。「欄干に」「身をのりだす」ということは「肉体」で確かめることはできるが、「悲しみ」を「流すためにあつた」というのは、ことばでしか追体験できないものである。つまり、これは「思想」である。「思想」になった人間の形である。
「人間の肉体」ではなく「鳥の肉体」が二連目でまぎれこむ。それは人間の「肉体」そのものでつかみとるものではなく、「想像力」でつかみとるものである。それと同じように、「むかし」の「わたし」、言い換えると「少年」が出てくるにもかかわらず、その「少年」を「追体験」することは、いまの「娘」にはできない。「娘」がそこに書かれている「思想」を「追体験」できるは、「娘」が「悲しみ」を体験し、橋の上から流れていく川の水を見るということを自分の「肉体」で体験したあとである。橋の上から川の水の流れを見て、「悲しみを流したい」と思ったことがあるひとだけが、この二連目を理解できる。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」というのはほとんどの読者にとって「常識」になっている。そのため、「悲しみを水に流す」というようなことも、知らず知らずに体験している。だから、ここに書かれていることが「思想」だというと変に聴こえるかもしれないが、それは「娘(幼い人間)」にはわからない世界である。
「体験できるもの」から「想像しないとわからないもの」へと世界が変化したあとで展開する世界(三連目)は、一連目、二連目とはまったく違った世界である。
ある世界を体験した人間、時間を生きてきた人間にとって、いまある世界はどう見えるか。
「見る/見える」は一連目にも出きた。
「揺れているのがみえる」。これは「現象」である。見えているのは「水」であり、「動き」である。
ことろが三連目では
「ちいさく」は「水」や「揺れる」のように、だれにでも「同じ」にみえる「対象/現象」ではない。「心理」にとってそう見えるである。「視力」ではなく「認識力」によっては「小さく」みえる。
こういうことは、直接的には言えない。
だから、
と「わたし」は娘に語りかける。その小学校は、娘がかよっている小学校よりも実際に小さいのだろう。でも、それは「建物」として現実に小さい以上に、「わたし」にはむかし通っていたときはそんなふうに「ちいさい」とは思わなかったけれど、いまみると「ちいさい」という変化の実感として語られている。現実と「想像/認識」が合体して「ちいさい」という感覚になっている。
そういう、「認識論」のようなもをのを「娘」に語るというのはなかなかむずかしい。語っても、娘には理解できないだろう。
こんなふうに詩のことば(詩の世界)が変化しているのだから、三連目の最初に
ということばが省略されていると考えるのは、すこし無理があるのではないだろうか。それは、三連目では
と、それまで〈 〉に入っていたことばが、裸で登場するのも、この連が一連目、二連目とは違うことを書いている証拠になると思う。
は〈 〉に入っていないだけではなく、「聴こえぬ/きこえぬ」もないし、「胸のなか」もない。「いう」は「云う」と書き換えられてもいる。
「胸のなか」ではなく、「ことば」として、はっきり「わたし」は語りたいのだ。読者に対して。
何をいいたいのか。
この三行がポイントだと私は感じる。
「ちいさくみえる」ものとして最初に書かれていたのは「わたしが通っていた小学校」。その小学校のように「昔の街」は「ちいさくみえる」。子供にとっては大きな街がだ、大人になっていろいろいな街を見ると、子供時代は「世界そのもの」にみえた大きな街が実際に「ちいさい」ということに気づく。
その気づき(認識の変化)は「距離」という物理的(客観的)なことばと同時に「思想」ということばで言いなおされている。「思想」の比喩として「距離」ということばがつかわれているのだと私は思う。
「思想」と「距離」を結びつけられることばとして「道」ということばもつかわれている。「道」を「生きてきた」ということばでとらえなおすとき、それは「思想」そのものになる。「道」だから、そこには「距離」もある。ただし、その「距離」は客観的な数字では測ることのできないものだ。
「ちいさく」みえる。「おおきく」みえる。それは「対象」そのものの「大きさ」というよりも、「認識する力」によって違う。何を認識するか、何に重点を置いてみるかによって「おおきさ」が違う。
そんな感想を、吉本は「佃渡しで」持った、とういことを書いているのではないか。
私は吉本の詩をほとんど読んでいないし、吉本の思想もよくわからない。ただ単純に「佃渡しで」を読んだときに、北川が書いているように、三連目の最初に
が省略されている、と読むことはむずかしい。
*

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北川透「「佃渡しで」を読む」は連載評論「吉本隆明の詩と思想」12回目の「第七章」の一部である。その一部についてだけ取り上げるのは不親切な感想ということになるが、どうしても書きたいので書いておく。
北川は詩を引用している。それをそのまま「再引用」しておく。
佃渡しで娘がいつた
〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう
ずつと昔からそうだつた
〈これからは娘には聴こえぬ胸のなかでいう〉
水は●くてあまり流れない 氷雨の空の下で
おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるしだ
この河の入りくんだ掘割のあいだに
ひとつの街がありそこで住んでいた
蟹はまだ生きていてとりに行つた
そして沼泥に足をふみこんで泳いだ
佃渡しで娘がいつた
〈あの鳥はなに?〉
〈かもめだよ〉
〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉
あれは鳶だろう
むかしもそれはいた
流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)を
ついばむためにかもめの仲間で舞つていた
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
水に囲まれた生活というのは
いつでもちよつとした砦のような感じで
夢のなかで掘割はいつでもあらわれる
橋という橋は何のためにあつたか?
少年が欄干に手をかけ身をのりだして
悲しみを流すためにあつた
〈あれが住吉神社だ
佃祭りをやるところだ
あれが小学校 ちいさいだろう〉
これからさきは娘に云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつてしまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる
(谷内注・●は「黒」ヘンに「玄」のつくり)
北川の書いている文章で、私が疑問に思ったのは、次の部分。
《佃渡しで娘がいつた》が第一連、第二連と二度繰り返され、第三連目も省略されているが、 (19ページ)
わたしの読みは「佃渡しで」第三連にまで到達したが、すでに初めに触れているように、この連の冒頭では、《佃渡しで娘がいつた》の一行が省略されている。(23ページ)
そうなのだろうか。
第一連と第二連は確かに「佃渡しで娘がいつた」ということばのあとに〈 〉があって、そこには娘のことばが書かれているが、だからといって第三連目もそうだといえるのか。
私は第三連目の前には、
佃渡しでわたしはいつた
が省略されていると思う。
第一連、第二連は娘のことばに誘い出されるようにして「わたし」のことばが書かれている。その「わたしのことば」には二種類ある。娘に聴こえるようにいうことばと、娘に聴こえないように胸のなかでいうことば。
しかし、この二種類は、とても複雑な書き方(レトリック)で書かれている。
娘のことばについては〈 〉で書かれている部分は娘が声に出したものだと推測できる。けれど、〈 〉でくくられている部分が「声」に出されたことば(聴こえることば)とは言えない。〈 〉でくくられていても、声に出されなかったものがある。
〈これからは娘には聴こえぬ胸のなかでいう〉
この一行は、声に出されたものではない。そんなことを「声」に出せば、娘が変な顔をして「わたし」をみつめるだろう。このとき、では、「わたし」は誰に対して、そのことばを言っているのか。
読者か。そうかもしれない。そのとき「わたし」はどういう人間を「読者」として想定しているのか。昔/むかし(過去)という「時間」を知っているひとだろう。一連目では、「昔」は「そうだった」のあと、「住んでいた」「とりに行つた」「泳いだ」という過去形で書かれている。「過去形」にふれて、「むかし」をすぐに思い浮かべるのは、「むかし」を知っているひとだけである。娘はおそらく「住んでいた」「とりに行つた」「泳いだ」ということばを聞いても「普遍(常態/状態)」としてしか想像できないだろう。「揺れているのがみえる」と同じように、「住んでいた」ではなく「住んでいる」「とりに行く」「泳ぐ(泳いでいる)」という「わたし」の「いま」の姿を想像し、自分自身の姿をそれに重ねるだけだろう。「そうであった」を「そうである」という具合に反復する。「動詞」を「肉体」で「現在」において反復するのであって、「過去」を思い浮かべたりはしない。「いま」と切り離しては考えない。
二連目では「むかし」と同時に「それはいた」「舞つていた」という「過去形」がつかわれる。
この二連目の「動詞」が、私の読み方から見ると、とてもおもしろい。一連目とはまったく違う「動詞」である。一連目では主語が「わたし(あるいは人間)」なのに、二連目では主語が「鳥」にかわっている。「鳥」の「動詞」をそのまま「人間(娘)」は自分の肉体では反芻できない。確かめることはできない。「想像」するだけである。「実感/体験」ではなく、「想像」しなければつかみ取れないものがここに書かれている。同じことを書いているようであっても、一連目と二連目では書かれている「過去/時間」の性質が違っている。「昔からそうだった」ものを少し違った形でとらえている。かもめや鳶が目の前にいるので、一連目で汚れた佃の渡しを見ていると同じことを書いているように感じられるが、少し違う。
その微妙な(あるいは、とても大きな)変化のせいだろうか、一連目そっくりのことばが実は違っている。
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
一連目にはなかった「さき」ということばが書き加えられている。「さき」はなくても「意味」は同じである。でも吉本は「さき」と書かずにはいられなかった。
反復なのに、ただの反復ではなく、別なものが入ってくるのである。
「何のためにあつたか」「悲しみ」を「流すためにあつた」。これは、頭と感情でつかみとる世界である。「欄干に」「身をのりだす」ということは「肉体」で確かめることはできるが、「悲しみ」を「流すためにあつた」というのは、ことばでしか追体験できないものである。つまり、これは「思想」である。「思想」になった人間の形である。
「人間の肉体」ではなく「鳥の肉体」が二連目でまぎれこむ。それは人間の「肉体」そのものでつかみとるものではなく、「想像力」でつかみとるものである。それと同じように、「むかし」の「わたし」、言い換えると「少年」が出てくるにもかかわらず、その「少年」を「追体験」することは、いまの「娘」にはできない。「娘」がそこに書かれている「思想」を「追体験」できるは、「娘」が「悲しみ」を体験し、橋の上から流れていく川の水を見るということを自分の「肉体」で体験したあとである。橋の上から川の水の流れを見て、「悲しみを流したい」と思ったことがあるひとだけが、この二連目を理解できる。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」というのはほとんどの読者にとって「常識」になっている。そのため、「悲しみを水に流す」というようなことも、知らず知らずに体験している。だから、ここに書かれていることが「思想」だというと変に聴こえるかもしれないが、それは「娘(幼い人間)」にはわからない世界である。
「体験できるもの」から「想像しないとわからないもの」へと世界が変化したあとで展開する世界(三連目)は、一連目、二連目とはまったく違った世界である。
ある世界を体験した人間、時間を生きてきた人間にとって、いまある世界はどう見えるか。
「見る/見える」は一連目にも出きた。
「揺れているのがみえる」。これは「現象」である。見えているのは「水」であり、「動き」である。
ことろが三連目では
ちいさくみえる
「ちいさく」は「水」や「揺れる」のように、だれにでも「同じ」にみえる「対象/現象」ではない。「心理」にとってそう見えるである。「視力」ではなく「認識力」によっては「小さく」みえる。
こういうことは、直接的には言えない。
だから、
あれが小学校 ちいさいだろう
と「わたし」は娘に語りかける。その小学校は、娘がかよっている小学校よりも実際に小さいのだろう。でも、それは「建物」として現実に小さい以上に、「わたし」にはむかし通っていたときはそんなふうに「ちいさい」とは思わなかったけれど、いまみると「ちいさい」という変化の実感として語られている。現実と「想像/認識」が合体して「ちいさい」という感覚になっている。
そういう、「認識論」のようなもをのを「娘」に語るというのはなかなかむずかしい。語っても、娘には理解できないだろう。
こんなふうに詩のことば(詩の世界)が変化しているのだから、三連目の最初に
佃渡しで娘がいつた
ということばが省略されていると考えるのは、すこし無理があるのではないだろうか。それは、三連目では
これからさきは娘に云えぬ
と、それまで〈 〉に入っていたことばが、裸で登場するのも、この連が一連目、二連目とは違うことを書いている証拠になると思う。
これからさきは娘に云えぬ
は〈 〉に入っていないだけではなく、「聴こえぬ/きこえぬ」もないし、「胸のなか」もない。「いう」は「云う」と書き換えられてもいる。
「胸のなか」ではなく、「ことば」として、はっきり「わたし」は語りたいのだ。読者に対して。
何をいいたいのか。
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
この三行がポイントだと私は感じる。
「ちいさくみえる」ものとして最初に書かれていたのは「わたしが通っていた小学校」。その小学校のように「昔の街」は「ちいさくみえる」。子供にとっては大きな街がだ、大人になっていろいろいな街を見ると、子供時代は「世界そのもの」にみえた大きな街が実際に「ちいさい」ということに気づく。
その気づき(認識の変化)は「距離」という物理的(客観的)なことばと同時に「思想」ということばで言いなおされている。「思想」の比喩として「距離」ということばがつかわれているのだと私は思う。
「思想」と「距離」を結びつけられることばとして「道」ということばもつかわれている。「道」を「生きてきた」ということばでとらえなおすとき、それは「思想」そのものになる。「道」だから、そこには「距離」もある。ただし、その「距離」は客観的な数字では測ることのできないものだ。
「ちいさく」みえる。「おおきく」みえる。それは「対象」そのものの「大きさ」というよりも、「認識する力」によって違う。何を認識するか、何に重点を置いてみるかによって「おおきさ」が違う。
そんな感想を、吉本は「佃渡しで」持った、とういことを書いているのではないか。
私は吉本の詩をほとんど読んでいないし、吉本の思想もよくわからない。ただ単純に「佃渡しで」を読んだときに、北川が書いているように、三連目の最初に
佃渡しで娘がいつた
が省略されている、と読むことはむずかしい。
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