詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

N氏の手紙

2022-08-09 22:30:24 | 考える日記

 中井久夫に「N氏の手紙」というエッセイがある。(『記憶の肖像』、みすず書房、1992年10月21日発行)「N氏とは最近物故された有名な詩人である。」とはじまる。読みながら、私は、このことばをコピーするように「N氏とはきのう(8日)物故された有名な訳詩人である。」と書きたくなった。中井久夫が死んだ。
 中井久夫は、そのエッセイの中で西脇順三郎に手紙を書いたこと、西脇から返信が来たことを書いている。私も中井久夫に手紙を書いたことがある。『カヴァフィス全詩集』(みすず書房)を読んで、感想を書いた。訳語のリズムに感心した、口語のリズムに肉体を感じた、というようなことを書いたと思う。私は中井久夫を知らず、単に「翻訳者」であると思っていた。しかし、その「翻訳」は「翻訳」というよりも、完全に日本語になった詩だった。中井語だった。、感動を抑えられずに思わず手紙を書いたのだと思う。そのとき、同人誌「象形文字」を一緒に送ったかもしれない。
 中井久夫から返信が来た。私の詩への感想も書いてあった。それで、私はまた手紙を書いた。「私が、お礼の形でもう一度、氏に手紙を書いたのは、多少の得意と多量の甘えであったろう。」と中井は「N氏への手紙」で書いているが、私も、そんな気持ちだっただろう。「氏と私との手紙の往復は二回で終わった。」と中井は書いているが、中井と私との手紙の往復は、その後も何回もつづいた。
 そうしているうちに、中井から、未発表の訳詩がある、「象形文字」に掲載できないか、と聞かれた。とても驚いた。しかし、同時に、大好きな中井の訳詩(ことば)を同人誌に掲載できるのなら、こんなにうれしいことはない、と思った。そして、掲載がはじまった。ヴァレリーの『若きパルク/魅惑』の(みすず書房)は、岩波書店の『へるめす』にも掲載されたものだが、実は、初出は「象形文字」である。このことは、「初版あとがき」にも書いてある。(私が持っているのは「改訂普及版」なのだが、収録されている。「初版」は、どこへ行ったのか、見当たらない。)こんなことは「自慢話」のようで、あまり書きたくはないのだが、書かずにいられないのは「私の自慢話」を通り越して、そこに中井の「人格」を感じるからである。「象形文字」に書いたことなど、わざわざ「あとがき」に書く必要はない。それを読んだとしても、だれも「象形文字」のことは知らないし、私の名前だって知らない。しかし、中井は、そういうことをきちんと書く人間なのである。出会った人をないがしろにしない。あったことは、そのままきちんと書く。「経過」を省かない。これは手紙のやりとりで感じたことでもある。
 その後も、中井との「文通(と、中井は、あるとき手紙で書いてきた)」はつづいた。新たに、中井から「リッツォス」の訳詩を「象形文字」に掲載しつづけた。経済的事情で「象形文字」の発行ができなくなったあと、ブログで掲載(発表)をつづけた。未発表のまま終わらせてはいけないと思った。預かった訳詩に対して、なんとか責任を果たしたいと思った。私の「感想」も同時に掲載した。
 私の「感想」に、便箋で20枚近くの「返信」が来たことがある。引っ越しの過程で紛失してしまったが、ことばと色、ことばと音などについて書いてあった。私が中井の訳から音楽と色を感じるというようなことを書いたからだと記憶している。リッツォスの詩だけではなく、日本人の詩集、さらにだれかの訳した訳詩集についても、ことばと音楽、ことばと色彩について何度か「文通」した。どんなことにも、とてもていねいに中井自身の体験と考えを聞かせてくれた。
 リッツォスの訳詩のブログ掲載が終わってから数年。突然、中井久夫から「リッツォス詩集を出したい。谷内の書いた感想と一緒にした一冊にしたい」という電話があった。「私の感想は、リッツォスのことばの出自、時代背景を無視している。組み合わせて一冊にするのは不適切ではないか」と言ったら「詩だから、それでいい」という返事だった。それで好意に甘えることにした。甘えられるときは、甘える方がいい、というのが私の考えである。甘えさせてくれるのは、私のことを大事にしてくれているからだろう。中井の書いている「多少の得意と多量の甘え」を、私はそのまま生きたのである。 『リッツォス詩選集』(作品社、2014年7月15日発行)は、そうやって生まれた。
 中井はあるとき、友人に会った。その友人は精神医学関係の人で、彼に会った西脇が「中井を知っているか、今どうしているか」と聞かれたと、中井に告げた。「書簡往復の七年後である。」と書いている。中井から自宅に電話があったのも、リッツォスの訳詩掲載が終わって「七年後」くらいだったかもしれない。
 何か、いろいろなことが重なり、よみがえるのである。
 中井は、最後の方に、こう書いている。友人と西脇の対話のつづきである。

 私が医学部に行ったむねをいうと、氏は「そりゃいかん」と叫ばれたそうである。その意味はわからない。

 「象形文字」を発行しなくなった。そのことに対して、中井は「そりゃいかん」と言ってくれたのかもしれない。そして、私を励ますつもりで、共著を出そうと誘ってくれたのかもしれない。「その意味はわからない。」もちろん、これは私の「多少の得意と多量の甘え」のまじった感想である。
 「甘え」で終わらせないために、私は、また詩を書かなければ、と思う。「感想」を書かなければ、と思う。

 


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