「ヒルガオ」
この燃えているおつさんの (111 ページ)
太陽を「燃えているおつさん」と呼んでいるのだが、「おつさん」という音がおもしろい。どこか「もったり」として響きがある。不透明な感じがする。それは激烈な太陽の比喩には、私の感覚では、そぐわない。
しかし、こういう「変だなあ、自分ではそういう比喩は思いつかないなあ」ということばがあると、その詩に手触り(手応え)のようなものが生まれてくる。
「おつさん」という田舎臭いイメージよりも、田舎臭い「音」が、私の何かをつかまえて離さない。その何かが何か--私にはわからないが、こういう変な音が私は好きである。