詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

野沢啓『言語隠喩論』(3)

2021-09-03 13:20:43 | 詩集

野沢啓『言語隠喩論』(3)(未來社、2021年7月30日発行)

 「第二章 隠喩の暴力性」。
 「詩は書かれる前から内容や方向が見えているということは原則的にありえない」と野沢は書く。私は、ここで、もうつまずいてしまう。それは詩だけのこと? たとえば、私はここで野沢の本の感想を書いているが、書くにあたってはっきりしていることは、野沢の書いていることばを出発点にして思ったことを書くというだけのことであって、内容も方向も見えていない。私だけではないと思う。たとえば私の大好きな森鴎外の「渋江抽斎」。読んでいて一番びっくりするのは、主人公の渋江抽斎が途中で死んでしまう。半分くらいのことろだったとおもう。えっ、これ何? 主人公が死んでしまったら、もう何も起きない。あと半分は何を書く? たぶん鴎外にも、そのことはわからなかった。わからないから、死んだ後も、それまで考えてきた渋江抽斎が周辺の人の中でどう生きているかを書いてみようと思ったのだと思う。詩に限らず、哲学のことばも、どこまで行ったら「終わり」なのか、それをわかって書いている人はいないだろう。どうしても書いたこと以上のことが世界に存在しているように思える。だから書き続ける。ことばの運動とはそういうものだろうと思う。
 ハイデッガーのことば「ひとは言語を実存論的・存在論的にもちいることによって語る人間としての立場にたつことができる」は、何も「詩人」のことを言っているわけではないだろう。「人間一般」のこと、言いなおせばハイデガー自身のことを言っているにすぎないと思う。
 野沢は「詩作的な語り」ということばに注目して〈情状性〉というものは「〈音声の抑揚や転調〉〈語り方のテンポ〉〈発音の仕方〉といったものに該当する。これは〈「詩作的な」語り〉がもつひとつの指標とも言えるものである」と書いている。でも、〈音声の抑揚や転調〉〈語り方のテンポ〉〈発音の仕方〉は選挙演説でも工夫されるし、愛の告白(結婚の申し込み)でも、それなりに工夫されるだろう。詩だけの問題ではないと思う。
 「ことばのあるところにのみ世界がある」というの詩の問題だけではなく、日常のことばでも同じだろう。散文でも同じだろう。さらにいえば、たとえば「数学」や「物理」でも同じだろう。「数学、物理のあるところにのみ世界がある」と数学者や物理学者は考えるだろう。いいなおせば、それは「世界は数学、物理がなければ完全にとらえられない」ということでもある。
 「思索において、存在がことばになってくる、ということのうちに存している。ことばは存在の家である」とは詩だけの問題ではない。そして「思索」というのは、何も「形而上学」と呼ばれる抽象的な(?)ことがらだけではない。「今夜のおかずは何にしようか」「カレーは食べたくないなあ」もまた「思索」のひとつであり、それを「ことば」にするとき、そのことばといっしょに、そのことばを発した人間がいる。ことばのなかに、その人がいる。ハイデガーが語っているのは、特別な人間と特別なことばの問題ではなく、どこにでもいる人間とどこにでも語られていることばの関係としか、私には思えない。普通の人、普通のことばに適用できないことなら、それは「哲学」ではないだろう。「思想」ではないだろうと思う。
 ことば、とくに詩人のことば(そして詩人)を「特権階級」のようにしてとらえる野沢のことばの運動に、私は、とても疑問を感じる。
 野沢はヴィトゲンシュタインも引用している。私はハイデガーもヴィトゲンシュタインも読んだことはないが(野沢の引用しているものを読んでいるだけだが)、どうも納得がいかない。
 「わたしくしの言語の限界は、わたくしの世界の限界を意味する」ということばは、私が日々感じていることとまったく重なる。私は「誤読」しているのかもしれないが、それは「菅の言語の限界は、菅の世界の限界を意味する」という具合にも転用できる。特別かわった「哲学」ではなく、だれにでも当てはまることを言っているにしかすぎない。誰にでも当てはまる定義(普遍的定義)だから「哲学」なのだ。
 野沢は「わたしくしの言語の限界は、わたくしの世界の限界である、というヴィトゲンシュタインの命題は、詩人の発動することばにかんして言えば、ことばによる世界への果てしなき挑戦を呼びかけるもの」と書いているが、「詩人」に限定する必要はないと思う。ソクラテスの対話編は、みんなそういう意識でことばが動いていないだろうか。ソクラテスは自分のつかっていることばしか知らない。わからないこと(わからない世界)がある。だから、それをことばにしたい。ことばにすることによって世界を広げたい。だれか、「正しいことば」を教えて、と問いかけ続けている。それはソクラテスの挑戦ではなかったのか。
 ソクラテスがよく口にする「靴職人」とか「馬を飼育する人」は「暗喩」ではないのか、というのが私の素朴な疑問である。「靴職人」とか「馬を飼育する人」とかを持ち出すことのなかには、大変な「暴力性」がある。なぜ「正義」とか何とかについて語るとき「靴職人」「馬を飼育する人」から考え始めなければならないのか。当時のアテナイ市民、権力者を困惑させ、起こらせたのは、そこに思いもしなかった(自分よりも身分の低い?人間の行為、行動から考え始めなければならないという「暴力性」が潜んでいたからだろう。その「暴力性」とは、「私が否定されてしまうかもしれない」という恐怖を呼び覚ます力である。それは、ソクラテスのことばにも、安倍の演説にヤジを飛ばす市民のことばにもある。比喩だけとはかぎらならない。詩を一般化し、それを「暗喩」と結びつけて、詩の特権、暗喩の特権を語ることは、私には納得できない。読み進むに従って、なぜ「暗喩」(暗喩による詩)を絶対視するのだろうという疑問が大きくなる。

 

 

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森鴎外「雁」を外国人と読む

2021-09-03 09:28:11 | 考える日記

森鴎外「雁」を外国人と読む

 アメリカ人と一緒に、森鴎外の「雁」を読んだ。日本にきて1年半くらい、7月にN2の試験を受けたそうだが、結果は聞かなかった。N2では、たぶん、てこずる。でも、私が日本の作家では森鴎外が一番と言ったので、ランチタイムに文庫本を買ってきて、午後の授業で読むことになったのだ。
 「壱」に、次の部分がある。(仮名遣いは、「現代仮名遣い」にあらためた。)

大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そういう客は第一金廻りが好く、小気が利いていて、お上さんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。時々はその箱火鉢の向側にしゃがんで、世間話の一つもする。部屋で酒盛をして、わざわざ肴を拵えさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘をするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。まずざっとこう云う性の男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅(ほしいまま)にすると云うのが常である。

 説明の難しいことばに「幅を利かせる」「小気が利く」「擅」がある。しかし、これは鴎外の文章をゆっくり読むと、意味がわかるように書かれている。ことばが互いに関連している。そのために知らないことばでも、それなりに理解できる。
 「幅を利かせる」は、ひとまず保留。
 「小気が利く」とは、どういうことか。たとえば「お上さんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。時々はその箱火鉢の向側にしゃがんで、世間話の一つもする」。時間潰しの相手をする。その小さな心遣い。さらに「部屋で酒盛をして、わざわざ肴を拵えさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘をするようでいて、実は帳場に得の附くようにする」というのも、その例である。相手に「帳場に得の附くようにする」というのが、相手から見れば「気が利く」なのである。もちろん、それがすべてではないが、面倒なようで得をさせてもらったなあと感じさせる行為を「気が利く(小気が利く)」と、日本語では言う。
 「尊敬」は、まあ、「評価」である。「尊敬を受け」は「評価され」、あるいは「大切にされ」(重宝され)だろう。そのあとの「威福を擅にする」がやっかいだが、鴎外の文章は「わからないことば」を「別のことばで言い直し、説明している」ということを説明すると。
 「あ、我儘に似ている」
 「わがまま」は「自分勝手」。何となく似ている。そしてそれが最初に保留してきた「幅を利かせる」につながっている。「威福を擅にする」が「幅を利かせる」なのだ。つまり、このひとかたまりの文章は「幅を利かせる」とはどういうことか。人間が幅を利かせるようになるまでには、その背景にどんなことがあるか、を説明しているのである。しかも、具体的な人間の「行動」を通して、人間関係(こころの関係)を描いている。
 「ほしいまま」は「恣」とも書く。ここに「こころ」という文字が含まれるので、「擅」よりも「我儘」がつたわりやすいかも。鴎外は、そうではなくて「擅」をつかっているが。さらには「欲しいまま」というような表記も最近は見かけるが、これは「我儘」の感じがさらに強くなる。
 というようなことまでは、とても説明できなかったが。なんといっても、突然、「雁を読みたい」と言われて、準備が出来なかった。「ここでつまずく」というのはすぐにわかるが、そのつまずきの石をどうやって取り除くか、そのためには何に気をつかせるか(どのことばに注目させるか)は、相手次第で変わるからである。
 でも、日本語を勉強し始めて1年半、N2の試験を受けてみようかな、という外国人にも、ゆっくり読めばわかるように書かれているのが鴎外の文章である。やっぱり、「先生」である。鴎外先生、と呼びたくなるのは、こう言うときである。
 そして、私が感心するのは、鴎外が小説のなかに取り込んでいる「具体的な例(人間の動き)」には、鴎外が「前面」に出てくるというよりも、鴎外の周辺にいる人の動きを「前面」に出す形でことばが動くということである。特に「相手(描写された人物)」を評価する(尊敬する)ということではないが、その人の行動を、そばにたってことばでととのえるという感じがある。「幅を利かせる」にしても、そのことを「批判」していない。これがいいなあ。鴎外が大好き、と言わずにはいられない。
 そういうことを、ほんとうは日本語教師をしながら伝えたいが、これは、とっても難しい。日本人相手にでもつたわらないかもなあ。


 杉田久女の「谺して山ほととぎすほしいまま」を、ふと、思い出しながら。この「ほしいまま」は「幅を利かせている」に似ていない?

 


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