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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「詩はどこにあるか」2020年8月号、発売中。

2020-08-30 22:25:28 | その他(音楽、小説etc)

「詩はどこにあるか」2020年8月号、発売中。
161ページ、2000円(送料別)
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https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168079876

目次

谷川俊太郎『ベージュ』2  ジョージ・ミラー監督「マッドマックス 怒りのデス・ロード」14
谷川俊太郎『ベージュ』(2)16  藤森重紀『まちのかたち 凡庸な日常』23
谷川俊太郎『ベージュ』(3)25  谷川俊太郎『ベージュ』(4)32
高山羽根子「首里の馬」42  青柳俊哉「蝉声」、池田清子「最近の」、徳永孝「川の流れの中で」45
柴田秀子『遠くへ行くものになる』52  森鴎外『阿部一族』56
須田覚『西ベンガルの月』58  長嶋南子『海馬に乗って』62
長嶋南子『海馬に乗って』(2)68  アイラ・サックス監督「ポルトガル、夏の終わり」73
池田瑛子『星表の地図』75  鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』80
遠野遥「破局」84  野沢啓「詩を書くという主体的選択――言語暗喩論」88
鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』(2)93  水島英己『野の戦い、海の思い』98
レオナルドマイコ「一碧万頃」102  河邉由紀恵「蝋梅」、田中澄子「彼女は 彼に」105
坂多瑩子「クレヨン」109  池田清子「えっ」、徳永孝「怒っているの?」、青柳俊哉「水踏む音」113
太田隆文監督「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」124
山本育夫「つづれ織り『詩の遠近法』」128  山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編134
有働薫『露草ハウス』138  吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』143
山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編(2)147  吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(2)152
小池昌代『かきがら』157
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吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(2)

2020-08-30 09:53:14 | 詩集
吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(2)(七月堂、2017年09月01日発行)

 吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』の「九千日の昼と夜」はどんなふうにことばが動いているか。
 他人のことば(あるいは映画)と向き合いながら吉田はことばを動かす。他人のことばのなかには他人の「論理(意味)」がある。それが他人のことばを支えている。それを意識することは、当然、自分のことばを意識する形になる。
 53ページに、こんなことばの運動がある。

 何も取捨せずに想起のままに奔り去ろうとする(われわれにあるのは想起であって精神ではないから)。ほとんど奔ることが止ることと同じように遅れつづけながら。私たちは遡行しつつ、ついにつながらず・・・・。どこへも行くことはできず、また問うこともできない。いや問いはない。ただそこから帯状の何かになって無数の映像の漣のようなものと出会うことができるだけだ。まひる=真闇のなかで。浮遊のまま、未生のまま、平坦のまま亀裂のままで、名指すことができずに漂い続けてゆく。そこにはたぶん意味の回廊はなく、所在もなく、対象もない。終わりも始まりもない風景。そこは沼津であっても三島であってもきっと同じだ。

 何が書いてある?
 実は、ある詩人の詩への「批評」なのだが、何のことか私にはわからない。つまり、ここでは広田の「論理」は不透明になっている。「透明」は「わかる」、「不透明」は「わからない」である。そして、その「わからない/不透明」の原因は、ことばが結論へ向かって動いていかないことにある。
 「結論」を目指さない「論理」がある。それを吉田は「終わりも始まりもない」呼ぶのだが、もっと簡単にあらわすことばがある。

同じ

 このことばは「ほとんど奔ることが止ることと同じように遅れつづけながら」と「沼津であっても三島であってもきっと同じだ」と二回つかわれている。さらに、「同じ」ということばではなく「まひる=真闇」という具合に、記号としてあらわれることもある。
 で。
 「記号」であらわされた「同じ」、つまり



こそが吉田の「論理」のすべてである。そこには「過程」がない。「過程」をつみあげることで結論を目指すということがおこなわれていない。結論とはじめは同じものだからである。「過程」を消すことで「同じ=」を発見し、その「等式」をことばでつくりあげることが吉田にとっての「論理」なのである。
 「結論」は「過程」と同じである、と考えるひとがいるかもしれない。たしかに「1+2=3」という算数を考え、「1+2」を過程、「3」を結論と呼べば、結論は過程のあとに生まれてくるが、文学(詩)というか、人間の行動では、「3」はやっぱり過程にすぎなくて、その「3」を超える何かが現れたとき、はじめて「結論」になる。「3」を破るものが出現し、それが「等式」そのものを破壊し、新しい「数式」を考えろとせまってくるとき、それがはじめて「結論」になる。つまり、ものごとが新しくなった、ということになる。吉田は、そういうことをしない。
 だからこそ、「不透明」にみえる。言い換えると「カタルシス」がない。たとえばギリシャ悲劇では、思わぬ展開で破局がおとずれ、その破局によって、私たちは異次元につれていかれる。吉田は、そういう運動をことばに託しているわけではない。「運動」しないのだ。運動しても、常に、それを否定するのだ。

奔ることが止ることと同じ

 と言ってしまうのだ。そして、この「同じ」は、この詩集で一回だけつかわれている「=」という記号になったとき、「全体的透明」を獲得するのである。
 こう書き直すと、さらにはっきりする。

奔ること=止ること

 「同じ」には、まだ「同じと考える/同じだと断定する(決定する)」のような意思(肉体/動詞)のかかわりがあるが、「=」は動詞が抽象化され(動詞が排除され)、「思考されたもの/思考的存在(?)」として、すべてが「記号」になってしまう。「奔る(こと)」も「止まる(こと)」も「記号」なのである。
 「まひる=真闇」ということは、「まひる」も「真闇」も「記号」だから成り立つのである。すべてを「記号」にしてしまい、そのなかで「=」を発見し続け、その結果としてあらゆる存在を「=」でつないでしまう。すべてが「=」ならば、それはつながりではないかもしれない。異質なものだからこそ、「つながり」によって「ひとつ」になる。すべてが「=」ならば、存在(世界)が「ひとつ」なのである。
 だから、その「等式」では「過程」は進展ではない。「過程」はむしろ解体されるものになる。
 吉田は、こんなふうに書いている。53ページ、54ページにつづくことばの運動。

 「真景」-実際の、実在の、あるいは零地点の風景。それは「帰還」に始まり「生まれる場所」で終わる。まるで逆向きのネガプリントのように遡行してゆき、最後に生まれる場所に還ってゆく。あるいはすでに死も生も等置となるような、あるいは死から始まりもう半分の生で終わるような地皮にすでに現在の私たちはいるのだ、と。

 「逆向き」「還ってゆく」、その結果、すべてが「零」という形で「=」になる。「等置」と「等値」がどう違うのかわからないが、「置く」というのは吉田が行為としてかかわるということだろう。「値」にもかかわることができるが、それは他人が決めることもできる。しかし「置く」ならば自己決定できる。
 そして、「置」という動詞をつかって言い直せば、それは「併置」である。「並置」と「造語」にした方がいいかもしれない。ならべて置く。逆にしても同じ。左項と右項はいつでも入れ替え可能。この記号の論理の絶対透明を、吉田の散文(のことば)は動いている。






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「共感」とは何か(読売新聞の嘘)

2020-08-30 09:11:50 | 自民党憲法改正草案を読む
「共感」とは何か(読売新聞の嘘)
   自民党憲法改正草案を読む/番外382(情報の読み方)

 2020年08月30日の読売新聞(西部版14版)。1面に「総括 安倍政権」というカットつきで編集局次長・矢田俊彦がコラムを書いている。見出しは「脱デフレへ強い決意」。アベノミクスによって、株価は2倍に上がり、雇用率も改善し(失業率は2%台)、日本企業の利益は2期連続(いつかは明記していない)で過去最高を更新したと、安倍の宣伝をそのまま繰り返している。
 そのあと、「伸び悩む賃金や格差拡大もあり、景気回復の恩恵を感じないとも言われ続けた」と書き、アベノミクス批判も認識しているように装っている。
 そして、ここから「大嘘」が始まる。
 まずアダム・スミス「道徳感情論」を引用する。「自由競争の前提として、自己の利益だけでない『共感』を求めていた。人間には、他人の幸福を見ることを快いと感じさせる何かがあると」。
 さらに一橋大名誉教授の野中郁次の「共感経営」を引用する。「共感の力がドライブや推進力とッて、分析だけでは描くことのできないゴールに到達する」。
 念押しは、矢田のことば。

 政策も、享受する国民と響き合ってこそ効果が発揮される。アベノミクスには「共感力」が足りなかった。

 「共感」(アダム・スミス)が「共感の力」(野田郁次)をへて「共感力」と言い直されている。途中に「政策」と国民の関係を「響き合う」というあいまいなことばで表現し、論理を「叙情的」にごまかしている。そのあとで、アベノミクスには「共感力」が足りなかったと批判するのだが、いったい「共感(力)」って何? 政策における「共感(力)」って何?
 好意的に解釈すれば、国民が感じている苦しみや怒りに「共感」し、それを政策に反映させる力ということになるのだろうが、このことばのつかい方には問題がある。
 こういうときは「政権に共感力がない」ではなく、安倍には国民の苦しみ、怒りを「理解する力」がなかった、というべきなのだ。「理解力」がないのだ。「感じない」どころか、「理解できない」のだ。それはたとえば「夫の月収が50万円で、妻がパートで月25万円稼げば……」というような国会答弁に現れていた。「共感」の前に「理解する力」がなかったのだ。言い直すと、国民の現実を無視していたのだ。
 これは、こう言い直すことができる。
 政策によって実現できるものがあるとすれば、「共感」ではない。「平等」である。だれが何を感じているかではなく、具体的な「平等」である。税そのものが所得の再配分という「平等」を意識したものである。その「所得再配分」を「平等」に近づけていくためには、低所得者の税軽減、高所得者の税負担を重くする、好業績の企業に法人税をしっかり払わせる、などの方法がある。さらには、同一労働同一賃金も「平等」につながる。しかし実際はどうか。親会社と子会社の「賃金格差」、正規社員と非正規社員の「賃金格差」、日本人労働者と外国人労働者の「賃金格差」。あるいは、男女間の「賃金格差/待遇格差」など、「経済問題」だけに限って言っても、多くの「平等」が実現されていない。「格差拡大(平等の否定)」をつづけてきたのがアベノミクスなのだ。
 安倍の実現した「経済的平等」は「消費税増税」だけである。高額所得者も低額所得者も、ものを買えばものの値段にあわせて「消費税」を「平等」に負担する。
 アベノミクスは、本来の「平等」のための政策は何も実行せず、「平等」を獲得できないのは「自己責任」だと国民の間に格差を広げた。「大企業の正規社員」になれないのは、その人が「一流大学」を卒業するための努力をしなかったせいだ。努力をしてこなかった人間が「所得の再配分」を求めるのはおかしい。さらには、税金をおさめてもいない人間が平等を要求するのはおかしい、という主張を後押しした。社会には、差別が横行している。それをアベノミクスは推進した。言い直すと「共感力」を育てるのではなく、差別意識を正当化したのである。権力側が何度も何度も「自己責任」ということばを発していることが、その証拠である。

 問題なのは、「共感力」ということばのつかい方だ。
 矢田は、アベノミクスには共感力が足りなかったと、一応、安倍を批判する形でつかっているが、共感とはもともと権力(政権)と非権力者(国民)が共有するものではない。国民は政権を支持するか、支持しないかであり、それは「共感」ではない。ましてや権力が国民に「共感」するということなどあり得ない。「民意にしたがう」といいながら「民意を無視する」のが政権(権力)の姿であることは、沖縄の基地問題を見るだけでも明らかだ。
 アダム・スミスを私は読んだことがないから「誤読」かもしれないが、アダム・スミスの言っているのは自由競争をする企業の「心構え」のことである。企業は資本の利益にだけ集中してはならない、労働者、国民の利益にも配慮しないといけない。労働者も自己の利益だけではなく、社会の利益を考え、社会と「共感」するためのことをしないとけいないという意味だろう。
 「共感」とは、働くもの同士(国民同士)が共有するものなのだ。

 そして、このことは、もう一つの問題を明るみに出す。矢田が読売新聞の読者に要求しているのは、安倍への「共感」なのである。病気なのに一生懸命働いてきた。批判してはいけない。ここからさらには、国民はみんな一生懸命働いている。批判し合うのではなく、一致団結して安倍のめざしている社会のために努力しよう。そうすれば経済復興ができる、ということなのだ。言い直すと、安倍批判をしているときではない、というのが矢田の主張なのだ。政策への「共感」が国民に足りなかったとは矢田は書かないが、「共感」ということばをつかうかぎりは、そこにそういうものが動いている。
 権力への「追従」が矢田のことばを動かしている。読者を権力批判ではなく、賢慮苦にす追従するように誘導するための「大嘘」が巧みに隠されている。

 それにしても、矢田の要約しているアダム・スミスのことばはおもしろい。「人間には、他人の幸福を見ることを快いと感じさせる何かがある」の「人間」を「安倍」に「他人」を「安倍のお友達」にかえると、こういう文章になる。

安倍には、安倍のお友達の幸福を見ることを快いと感じさせる何かがあると

 安倍は自分の快感だけを求めていたのである。お友達が幸福になる。それは「快い」。なぜか、お友達が安倍を讃えてくれるからである。お友達に与えた幸福が、自分に跳ね返ってくる。
 これは「自己責任」ではなく「自己満足」である。
 安倍は、国民には「自己責任」を押しつけ、「自己満足」を追い求めただけなのだ。だから、批判されるとがまんができずに、「ぼくちゃん、もう辞めた」と責任を放り出す。だが辞職をすれば「責任」がなくなるわけではない。「責任追及」から逃れられるわけではない。
 「平等」を基本とした民主主義を破壊し、お友達優遇の様々な政策を実行し、政策を点検するための資料である文書を次々に廃棄した「責任」を安倍は負わないといけない。ジャーナリズムは安倍を追及しないといけない。その「出発点」といういうときに、「共感力」などというあいまいなことばを持ちだしてくる読売新聞の論調が、ころからどう展開するのか、見つめ続けたい。










*

「情報の読み方」は9月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 



*

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読売新聞の忖度

2020-08-30 07:56:53 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の忖度
   自民党憲法改正草案を読む/番外383(情報の読み方)

 2020年08月30日の読売新聞(西部版14版)。1面に

適地攻撃 施設に限定/政府検討 移動式発射台 除外

 という見出し。
 安倍が辞任会見で「迎撃態勢をととのえるだけでは不十分だ」というようなことを言った。そして、そういう認識を共有できたので辞任する、と、北朝鮮を引き合いに出して語ったと記憶している。
 その辞任会見での安倍の「遺言」を追認する記事である。こう書いてある。

 新たなミサイル防衛での「敵基地攻撃能力」の保有を巡り、政府が、攻撃対象を敵国領域内のミサイルに関連する固定施設に絞る方向で検討していることがわかった。複数の政府関係者が明らかにした。

 しかし、「敵基地攻撃」がなぜ「防衛」なのか。「迎撃では不十分」という安倍の会見でのことばにしたがって解釈すれば、これはどうしたって「先制攻撃」だろう。「防衛」を逸脱しているだろう。

政府は固定目標への攻撃について、「敵の誘導弾等の基地をたたくことも憲法が認める自衛の範囲に含まれ可能」としてきた従来の政府見解の範囲内だとしている。

 読売新聞は、簡単に「従来の政府見解」だからと追認している。これでいいのか。新聞の役割を果たしているといえるのか。これでは政府の宣伝紙だろう。
 さらに、これだけでは、「移動式」を除外する理由がわからない。だいたい「敵国」が日本攻撃のための軍備を「基地」に固定するとは限らないだろう。日本が「固定施設」しか狙わないのだとしたら、すべてを「移動式」にしてしまうだけだろう。そういう疑問を、この記事を書いた記者はもたなかったのか。

 いったい、これは、どういうニュースなのだ?

 読売新聞は、とてもおもしろい解説を書いている。(番号は、私がつけた。)

①敵基地攻撃を巡っては、人工衛星や偵察機による目標探知、電子戦機による相手レーダーの妨害などの装備体系を整えなければならないとの指摘がある。特に、TEL(移動式ミサイル発射台)の位置把握には、新たな衛星や無人偵察機など、より能力の高い装備品が必要となるとみられていた。
②政府は、敵基地攻撃に必要なこれらの装備品全てを独自に保有することはせず、限定的な攻撃能力の保有にとどめる方針だ。日米同盟内での連携を重視し、主要な打撃力を米国に依存する役割分担も維持する。
③こうした方針により、敵基地攻撃能力に慎重な公明党の理解を得やすくする狙いがあるとみられる。首相は辞意を示した28日の記者会見で、「今後速やかに与党調整に入り、その具体化を進める」と述べ、改めて実現に意欲を示した。

 ①は「移動式施設」は攻撃がしにくい。②もし、それを実現しようとすると金がかかるので、アメリカにまかせる。そして③大半はアメリカにまかせるということを明確にすることで公明党の「理解を得る」。
 なんだか、「ご都合主義」というか、この論理でアメリカも公明党も納得するのか。アメリカは武器さえ売れれば、それで満足だろうけれど。
 おそらく「政府関係者」が「リーク」したままに、そっくり一字一句「コピー」しているのだろう。
 批判の視点が完全に欠如しているから、コピーでおわっても気にならないのだ。
 なぜか。
 「日本の防衛」を安倍の「レガシー」にしたいからである。安倍は「戦争法案」によって平和憲法を踏みにじったのだが、読売新聞はそれを逆に言おうとしている。安倍は日本の安全を考えていた。そういいたいのだ。
 そのために、わざわざ「安倍の意欲」を強調している。辞任を伝える新聞では、そのことを書いていなかったにもかかわらず、である。
 「防衛」「憲法」に関する「負の問題」を点検せず、安倍がやろうとしていたことだけを今後の方針として提出する形で、安倍を評価する。読売新聞の「安倍忖度」は、こういう形で引き継がれ、次期政権でも「忖度記事」を書き続けるのだろう。
 (他紙を見ていないのでわからないのだが、おそらく読売新聞の「特ダネ」だろう。そして、「特ダネ」というのは、たいていが「リーク」なのだ、ということがとてもよくわかる記事だといえる。「特ダネ」は政府宣伝であり、政府に協力することで次の「見せ掛けの特ダネ/リーク記事」を「おねだり」しているのだろう。)











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「情報の読み方」は9月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 



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