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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

天皇の決意(安倍の沈黙作戦)

2017-12-23 11:15:29 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇の決意(安倍の沈黙作戦)
             自民党憲法改正草案を読む/番外158(情報の読み方)

 読売新聞2017年12月23日朝刊(西部版・14版)32面に「天皇陛下 誕生日の会見全文」が載っている。その最後の方の部分、

 この度、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々が各々の立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。

 ここに、私は天皇の強い決意を感じた。「象徴としての務めを果たしながら」安倍政権への批判を読み取った。「象徴としての務め」とは昨年のビデオメッセージでつかわれたことばである。「象徴」であることこそが天皇の務めである。
 天皇は、

次の時代への継承に向けた準備

 と抽象的に語っているが、この「継承」が「象徴としての務め」の継承であることは、全文を読めば明らかである。天皇は一年を振り返り、「象徴として」何をしてきたかを語っている。

 「象徴」とは何か。国民に寄り添い、国民の声にならない声を、国民の立場から発すること。被災者のところにおもむき、被災者と同じ姿勢で、つまりひざまづいて祈ることである。なかなか訪れることができないような離島にも足を運び、そこで暮らしているひととことばをかわし、その人たちが何を願っているかを語ることである。
 今回の「会見全文」でも、豪雨災害の被災地を訪問したこと、鹿児島の離島を訪問したことを語っている。被災者の復興への努力に触れ「心強く思いました」と語っている。
 昨年のビデオメッセージでは、こう語っている。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 これを今回は、九州北部豪雨の被災者訪問、鹿児島の離島訪問をとおして、具体的に語りなおしている。こういう「象徴としての務め」を「次代(皇太子)」に継承してもらいたいと願っている。そのための「準備」をしている。

 この国内での「象徴としての務め」の前に、ベトナム訪問について触れている。そして第二次世界大戦にも言及している。戦争への反省が滲むことばである。

 今年2月末から3月初旬にかけて、皇后と共にベトナムを訪問しました。我が国とベトナムとの関係は、近年急速に進み,国家主席始め多くのベトナムの要人が我が国を訪れていますが、私たちがベトナムを訪問するのは、初めてのことでした。ベトナムでは、現在の国家主席御夫妻を始め、4人の指導者に丁重に迎えられ、また、多くのベトナム国民から温かい歓迎を受けました。両国間の緊密な関係に深く思いを致しました。ハノイにおいて、先の大戦の終了後もベトナムに残り、ベトナム人と共にフランスからの独立戦争を戦った,かなりの数の日本兵が現地で生活を営んだ家族の人たちに会う機会もありました。こうした日本兵たちは、ベトナムの独立後、勧告により帰国を余儀なくされ、残されたベトナム人の家族は、幾多の苦労を重ねました。そうした中、これらベトナム人の家族、,帰国した元残留日本兵たちが、その後日本で築いた幾組かの家族との間に、理解ある交流が長く続いてきていることを聞き、深く感慨を覚えました。

 ここでも、天皇は「ひとりひとり」に向き合っている。ここで言及されている「元残留日本兵」というのは人数としては少ないだろう。しかし、そういう少ないひとの生き方、声にも耳を傾け、ことばを発している。「元残留日本兵」だけではなく、「残されたベトナム人の家族」にも思いを馳せている。
 これが「象徴としての務め」なのである。
 第二次大戦のことを忘れない。日本が何をしたか。そのことによって、だれが苦しんだか。その苦しみを、どうやって乗り越えてきたか。それを語るのが「象徴の務め」なのである。
 憲法の「戦争放棄」にこめられた国民の思いを、国民の声として語ることが「象徴の務め」なのである。

 籾井NHKが「天皇生前退位の意向」をスクープし(おそらく官邸がリークした)、そのあとビデオメッセージで、安倍は「天皇は国政に関する権能を有しません」と言うことを強制した。国政への「口封じ」である。護憲派天皇が「憲法改正」について少しでも何かを語ることを封じた。
 こういう安倍の圧力に対する抗議として「象徴としての務め」というメッセージがある。今回のことばにも同じ思いを読み取ることができる。
 平和と国民の安全を願う天皇と、国民を再び戦争に駆り立て「御霊」にして口封じをしてしまう、独裁を思うがままに振る舞いたい安倍の攻防については、「天皇の悲鳴」という一冊にまとめたので繰り返さないが、天皇誕生日にあたって、第二次大戦と地方に生きる人について語り、それを「次代へ継承したい」と語ったことに、しっかり目を向けたい。

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#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 
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粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」

2017-12-23 10:15:42 | 詩(雑誌・同人誌)
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」(「森羅」8、2018年1月9日発行)

 粕谷栄市「無名」は少しずつ動いていく。

 死ぬ前に、もう一度、その町に行ってみたい。町はず
れに月見草の咲く丘があって、静かな海が見える、その
小さい町だ。

 「町」「町はずれ」「月見草」「丘」「海」と歩くように視点が動いていく。そして、「小さな町」とまた「町」が主語になる。全体がとらえられなおされている。「町はずれ」「月見草」「丘」「海」がひとつになって、「町」なのだ。
 ここから、どうやって動いていくか。どこへ動いていくか。

 その丘に立って、ひととき、涼しい風に吹かれながら、
遠い沖合で、立ち上がっては崩れている白い波頭を眺め
ていたい。

 「丘」にもどりながら、視線は逆に海の「沖」へと向かってひろがっていく。ここまでは「行ってみたい」「眺めていたい」と「願望」が書かれている。
 そのあと、ことばが、少し変わる。「……したい」が消える。

 そうしていると、あたりに、いつのまにか、私と同じ
ように、海を見ている人たちが来ている。それぞれが、
一人一人、それぞれの場所に立って、海を見ている。

 「したい」が「願望」から「現実」に変わる。さらに、

 その面立ちは定かでないし、服装もさまざまだが、私
にはわかる。みんな、過ぎ去った日々に私が出合ったこ
とのある、懐かしい人たちだ。

 「過去」があらわれてくる。
 最初は「したい」。「未来」の形で書かれている。それが「現実」になり、「過去」があらわれる。
 「町」が「町はずれ」「月見草」「丘」「海」と広がることで「町」になったように、「時間」は「未来」「現在」「過去」と重なるようにして広がっていく。重なることで「いま」になっている。
 ふーん、と想いながら読み、
 ここの部分の、

出合ったことのある、懐かしい人たちだ。

 このことば。
 ここで私は、立ち止まる。「出合った懐かしい人たち」ではなく、「出合ったことのある、懐かしい人たち」。「こと」がわざわざ書かれている。「人」を思い出すと同時に「こと」を思い出している。
 直前の「私にはわかる」の「わかる」は、「人」を識別できるというだけではないのだ。「人」との出会いは「こと」という形で広がっている。
 「町」が「町はずれ」「月見草」「丘」「海」と広がり、時間が「未来」「現在」「過去」と広がるように、「人」は「こと」のなかに広がっていく。
 それが次の段落。

 みんな、一言もことばを交わさず、黙って、そこに立
っている。彼らのなかには、私が、死ぬような思いで、
別れなければならなかったひともいるが、そのひとも同
じように海を見ている。

 「別れる」という「こと」があり、その「こと」の奥には「死ぬような思い」と「思い」がある。「こと」は「思い」へと広がる。
 で。
 この「思い」までことばが動くと、「……したい」という「思い」と、それは重なる。ここに書かれていることは、すべて「してみたい」ことなのである。「してみたい」ことが、空間と時間を越えて、融合している。「私」と「そのひと」も融合し「同じように海を見ていたい」なのだ。
 「……したい」という「願望(思い)」というのは個人的なものだけれど。
 途中を省略して、最後の方の部分。

 遠い沖合で、白い波頭が立ち上がっては崩れている。
 遠い沖合で、白い波頭が立ち上がっては崩れている。
 私は、しかし、涼しい風に吹かれて、いつまでも、海
を見ているだけだ。おそらく、私は、もう私ではなくい
いのだ。これが、最後になるかもしれない。

 「私は、もう私ではなくいいのだ。」と、主客の融合はさらに「私」の枠を越えてしまう。どの町でもいい。との海でもいい。どこかに私がいる。それは「私でなくてもいい」。「いる」ということがある。あるいは「あった」、そして、これからも「ある」。

 懐かしい人たちとともに、私は、次第に、自分の名前
の要らない私になってゆくのである。

 「名前のない存在になる」ことが「ある」。「ある」は、いたることろ(場)、あらゆる「時間」に「ある」ということ。
 「私は、もう私ではなくいいのだ。」は、むしろ「私は私ではなくなりたい」という願望、欲望、本能と読み直し、それが「ある」という姿なのだととらえなおしたい。



 池井昌樹「謎」は、粕谷の書いている「ある」を別な形で書く。

ときがたったらときあかせるか
賢治のなげきはときあかせるか
ときがたったらときあかせるか
中也のならくはときあかせるか
けれどときにはときあかせない
ときあかせないなぞをせおって
賢治はいまもあるきつづけて
くらいけわしいなぞをせおって
中也はひとりあるきつづけて
ときがたったらときあかせるが
なんでもかんでもときあかせるが
なんねんたってもときあかせない
ときあかせないなぞがあり
そのなぞだけがよつゆをたたえ
はじまりもなくおしまいもなく
ぎんがのほうへ
いまもひとりで

 「とき」は「賢治はいまもあるきつづけて」で「いま」のという形であらわれる。賢治は「いま」はいない。「過去」のひとであるが、「いま」、ここに「ある」。「あるきつづける」と池井は書くが、「あり/つづける」と読み直すことができる。
 同じように中也も「あり/つづける」。
 「ある」がつづく。
 それは

はじまりもなくおしまいもなく

 とさらに言い換えられる。「はじまりもなくおわりもなく」、つまり「とき」は存在しなくて、「ある」だけが存在する。「ある」のなかに「とき」が含まれる。そして「ある」のなかには「ひと」が「私」がふくまれる。
 「ある」のなかから、たとえば賢治が、中也が、粕谷の場合だったら「死ぬような思いで、別れなければならなかったひと」があらわれ、「いま」を突き動かす。「私」を動かす。「ある」へ向けて。

瑞兆
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目次
カニエ・ナハ『IC』2   たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15   夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21   野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34   藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40   星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53   狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63   新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74   松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83   吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91   清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107



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