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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党憲法改正草案再読(7の追加)

2021-07-09 07:51:54 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(7の追加)

 現行憲法の第二章(第9条)は「戦争の放棄」。これは日本国民が、「政府には再び戦争をさせない」という決意の表明である。言いなおすと「政府は戦争をしてはいけない」という政府への禁止条項である。そのときの「主語(主役)」は国民である。
 改憲草案の「第二章」には「安全保障」というタイトルがつけられ第9条には「平和主義」というタイトルがつけられている。ここまでは、「主語(主役)」は国民である。しかし、新設された「第9条の2」には「国防軍」というタイトルがつけられている。そして、ここからは「主語(主役)」が国民ではなく「国防軍」にかわっている。

(改正草案)
第9条の2(国防軍)
1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

 現行憲法は「第一章 天皇」「第二章 戦争放棄」「第三章 国民の権利及び義務」のあと、「国会」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」「改正」「最高法規」「補則」とつづいていく。「天皇は国民の象徴」「戦争放棄は国民の決意」。タイトルに国民ということばはないが、あくまでも「主役」は「国民」である。国民のための憲法。
 象徴と決意は「理念」をあらわしている。現実の「国」の組織形態としては、いちばん偉い(大切な)のは(こういう表現でいいかどうかわからないが)、国民である。国民の下に国会があり、その下に内閣、司法という組織がある。「軍隊(国防軍)」という組織は存在しないが、もし存在するとしても、それは「実働組織」であるから、国民よりも上の存在であるはずがない。実際、「自衛隊」は「防衛省」に属する「下部組織(下部機関)」である。つまり、「内閣」の「下部組織」である。
 その「下部組織」である存在が、改憲草案では「国民」よりも先に書かれている。あたかも「上位組織」であるかのように書かれている。しかも、第9条2の詳細を見ていくと、「内閣総理大臣」のあとに「国会」が出てくる。ここでも現行憲法の国民→国会→内閣という構造が逆になっている。国会→内閣(総理大臣)→国防軍でないと、国民が主役の憲法とは言えない。
 なぜ、順序が逆になっているのか。それは改憲草案が、内閣総理大臣を頂点として、その下に内閣の下部組織(たとえば国防軍)があり、その下に国会、さらにその下に国民が存在するという意識で書かれているからである。内閣総理大臣が軍隊を指揮し、国会と、国民を支配するという「独裁」の理念によってつくられているからである。
 「安全保障」という「耳障りのいいことば」で「独裁」の意図を隠している。
 もし、国民→国会→内閣→国防軍という「理念」を踏襲するなら、「国防軍」は現在の「自衛隊」と同じように「法律」で別個に規定すればいいだけである。「理念」を踏みにじってまで、つまり、国民の権利、義務を定義する前に、「国防軍」を先に書く必要はない。
 なぜ、第9条の文言を変えるだけではなく、わざわざ条項を新設して(独立する形でついかして)、ここに「国防軍」を書いているのか、「内閣総理大臣」を「国会」より先に書いているか、そういうことにも注意を払わないといけない。

 

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自民党憲法改正草案再読(9)

2021-07-08 09:55:50 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(9)

 現行憲法の第13条は、第12条の「国民」という「一般概念」というか、「集団的定義」から、「個人(ひとりひとり)」に絞り込んで「言いなおしたもの」(補足したもの)と読むことができる。それは第12条でつかったことば「公共の福祉」を、そのままもう一度つかっているところからもわかる。これは改憲草案についても言える。改憲草案では「公益及び公の秩序」が繰り返されている。重複になるが「第12条」もあわせて引用しておく。

(現行憲法)
第12条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
(改憲草案)
第12条(国民の責務)
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第13条(人としての尊重等)
 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

 第13条の変更点はふたつ。
①現行憲法の「個人」が改正草案では「人」になっている。「個」が削除されている。これはあまりにも小さな変更なので見落としてしまいそうだが、とても大きな問題を含んでいる。
 「国民」の定義は「第10条」にあるように、ひとくちでは言えない。だから「法律」で定義しなおすのだが、国民というとき、ひとはどうしても「集団」を想像する。一人ではなく、複数の人間。ひとりと複数を結びつける何かを指して「国民」と言う。「国民」は概念である。
 でも、生きているのは「ひとりひとり」。概念ではなく、具体的な存在。「国民」と定義するだけでは「ひとりひとり」(個人)は定義できない。個人の権利と自由、責任というものを定義できない。だからこそ、現行憲法は「国民」を「個人」と言いなおすことで、第12条で書いたことを「定義しなおす」のである。
 改憲草案のように「人」と言いなおしては意味があいまいになる。それは「人」という単語が、日本語では「単数」をあらわすこともあるが「複数」をあらわすこともあるからである。「複数」では「国民」とかわらない。「一般概念」のままである。「ひとりひとり」は排除されている。改憲草案の狙いは「個人」の排除なのである。「統合」からはみだす人間を排除することで「統合」を強力にする。独裁を強化する、という狙いが「個(人)」の排除(削除)にあらわれている。
 ②言い直しの部分。私はきのう現行憲法第12条「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」を「もし「みんなの助け合い」を邪魔しない(妨害しない)のなら、基本的人権として認められていることは、何をしてもいいということだろう」と書いたが、それは「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」ということになる。
 改憲草案は「公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」。「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えた上で(これは、第12条ですでに言い換えているので、引継事項といえる)、「最大の尊重を必要とする」を「最大限に尊重されなければならない」と書き直している。
 このとき、主語、目的語が、現行憲法と改憲草案では、入れ替わっている。ここに注意しなければならない。
 現行憲法は「立法(主語)」は「国民(個人)の権利」(目的語)を「尊重しなければならない(述語)」という意味である。つまり、「立法」は「個人の権利」を「侵害してはならない」という意味である。ところが、改憲草案は「個人の権利(主語)」は「立法によって(補語)」「尊重されなければならない(述語)」である。「立法」が、手段(補語?)の位置に格下げになっている。つまり、見えにくくなっている。「主語」を「人の権利」と呼び、「立法」の行為をわかりにくくしている。
 「法」は「行政(内閣/権力)」のよりどころである。どんな政策も「法」にのっとって施行されないといけない。その政策を施行する権力者の存在を見えにくくして、「公益及び公の秩序」ということばで、権力を行使しようとする意図がここに隠されている。
 何度も「重要土地利用規制法」を取り上げるが(最近成立した法なので、多くの人が覚えていると思うので)、この法律は、自衛隊基地や原発など安全保障上重要な施設の周辺や国境の離島などの土地利用を規制する。政府が対象に指定した区域の土地所有者や利用実態などを調査し、規制することができるというものである。その法律では「個人の権利」の権利は、「原発は公の利益」「基地は公の秩序」の前で排除される。個人の権利よりも「公益及び公の秩序」が優先される。
 この法は、したがって、現行憲法の「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」に反する。あるひとが自分の土地が原発や自衛隊の基地に利用されるのを拒否したとしても、それは「公共の福祉(みんなの助け合い)」を妨害することにはならない。邪魔することにはならない。そういう場合、立法は個人の権利を尊重しなければならない(最大の尊重を必要とする)のに、その規定を無視しているからである。
 たぶん菅は原発を稼働させること、自衛隊の基地をつくることは「公益(みんなが電力を利用できる)」「公の秩序(外国からの侵略をふせぎ、いまの日本の安全な秩序を守る)」に合致する、というだろうが、原発がなければ電力は確保できないのか、自衛隊の基地がそこにないと安全が確保できないのかということは検討せずに、電力会社や大企業の利益(なんといっても、「前文」で「経済活動を通じて国を成長させる」と言っている)やアメリカの世界戦略(秩序)を「公益及び公の秩序」と言っているにすぎない。
 大きな利益と秩序のためなら「個人の権利」は我慢すべきである、というのが菅の言う「民主主義」なのである。「個人」は尊重しない。「国民」が大事である。しかし、そのときの「国民」とは結局、権力者が把握している「国」のことである。「国」の政策を批判する「個人」は排除されている。
 「重要土地利用規制法」は改憲草案の先取り実施なのである。

 ところで、この「個人」というものは、「ひとり」であるから、とても弱い。「国民」という「集団」のなかでは「多数決」によって、自分の意志通りに行動できないことがある。そういう「弱い個人」を守るためには、どうすればいいのか。
 それを定義したのが「第14条」である。「平等」という考え方(思想)を書いている。「個人」は「すべて平等」。「個人を尊重する(第13条)」というのは、「個人個人は平等である」と認めること、差別しないこと。
 憲法は「大きなところ(大きな概念)」から出発して、少しずつ、細部を詰めるようにして構成されているのである。そのことが第10条から第14条まで読み進むと、よくわかる。国民→国民には基本的人権がある→基本的人権は濫用してはならない(公共の福祉のためにつかわなければならない)→しかし、公共の福祉に反しない限り、個人の権利は最優先される→個人には、それぞれ違いがある。しかし違いがあっても、個人はみな平等である。何を優先するか、たとえば原発を優先するか、安全な環境を優先するか=信条というようなことによって、個人を差別してはいけない、という具合に構成されているのである。

(現行憲法)
第14条
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
(改憲草案)
第14条(法の下の平等)
1 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 改憲草案は「障害の有無」を追加している。これは時代の要請というものだろう。また「これを認めない」というテーマを強調する「文体」を、ここでも改変している。テーマをなるべく知らせない、という「配慮」が隠れている。国民にはなるべく「知らせない」というのが安倍からつづいている政権の姿勢なのだが、それは、こういう「文体の変化」にもあらわれている。そういう意味では、「国民に何も知らせない」といういまの政治は、改憲草案の「先取り実施」のいちばん生鮮端の方法なのかもしれない。
 さらに「いかなる特権も伴はない」を削除している。これは何を意味するのだろうか。なぜ削除しなければならないかったのか。「栄誉、勲章その他の栄典の授与」と「特権を伴う」ということか、特権を与え、優遇すべきであるということか。
 現行憲法の規定は「栄誉、勲章その他の栄典の授与」があっても、授与されたひとと、授与されていないひととの間に「差別」は認めないということを強調している。法を犯せば、普通のひとと同様に「法」で裁かれるという意味になるが、改憲草案では違ってくるかもしれない。
 現行憲法の「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」は、「法は、全ての国民を差別してはいけない(だれかに特権を与えてはいけない)」という意味だろう。「栄誉、勲章その他の栄典の授与」というのは「法」にもとづいて行われるものだろう。それはある意味では「特権」である。「特権」であるけれど、「栄誉、勲章」というだけのことであり、それ以外では「法の特権(特別な優遇)」を認めないと念押ししているのだと思う。その「念押し」を削除したということは、きっと、法に基づいて「栄誉、勲章」などを与えられた人間は「優遇する」を意味するようになるだろう。
 たとえば、安倍や菅に何らかの「栄誉、勲章」を与える。そうすると、それ以後は安倍も菅も「法の下の平等」ではなく「法を超越した存在」として優遇される。そういう「道」を残している改正ではないだろうか。
 私は疑り深い人間なので、そういうことを考える。

 


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自民党憲法改正草案再読(8)

2021-07-07 14:53:07 |  自民党改憲草案再読

 第三章は「国民の権利及び義務」。現行憲法も自民党の改憲草案も同じ。ここでは現行憲法も改憲草案も「及び」ということばをつかっている。「及びはイコール」。だから「「日本国民の権利=義務」なのである。「権利」が「広がっていく(権利から出発して、行動へと広がっていく、つながっていく)ときに、そこには義務が生まれる」。権利と義務は切り離せない。この「理念」は現行憲法も改憲草案も同じである。
 だが、各条項はかなり違う。

(現行憲法)
第10条
 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
(改憲草案)
第10条(日本国民)
 日本国民の要件は、法律で定める。

 いちばんの変更点は「これを」の省略である。改憲草案は、現行憲法のこの「文体」を嫌って「これを」という書き方を省略する。たぶん、現行憲法のような「文体」を日常的にはあまり用いない、日本語っぽくない、ということを「理由」にあげると思う。
 しかし、この「文体」は「主題(テーマ)」を明確にするための「方法」である。口語でも(会話でも)、重要な問題を語るとき、までテーマを提示し、次に「これは……」と言う。重要なテーマを強調するとき、ごく自然につかう「文体」である。日本国憲法は「国民のため」のものである。そういうとき、「国民」はとても重要なテーマであり、「国民」を忘れてはいけない、というのが第10条の「出発点」なのだ。
 その重要な「国民」とはどういう人間のことを指すのか。その「要件」は憲法では定義しない(規定しない)。「法律」で定義する(規定する)。こういうことを書くのは、憲法で日本人とはどういう人間のことなのかをひとつひとつ規定していくと「憲法」の骨格がみえなくなるからだろう。大切なのは、「憲法と国民の関係」「憲法は国民のためのものである」という「理念」である。「国民こそが大切」をまずはっきりさせる。そして、「理念」以外のこと(どこで生まれたとか、両親はだれであるとか)は、「法律でこれを定める」と明確化している。改憲草案は何が重要であり、その重要なものを語るためには細部は省略しなければならないという断念の「明確化」を避けているように見える。そうすることで「国民」こそがいちばん大事なのだということに目が向きにくいようにしているように見える。ただし、この短い条項だけでは、それは断定できない。保留にして読み進む。

(現行憲法)
第11条
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
(改正草案)
第11条(基本的人権の享有)
 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

 現行憲法の「享有を妨げられない」が「享有する」に変更され、現行憲法の「国民に与へられる」が改憲草案では削除されている。
 これは、どういうことなのだろうか。
 国民の権利(=義務)という主題(テーマ)を主語と動詞でどう定義するか。憲法と国民の関係を書いているのだから、現行憲法が「享有を妨げられない」というときは、それは「憲法によって妨げられない」という意味である。つまり、憲法は「国民の、すべての基本的人権の享有を妨げない」ということである。これを「主語」を「国民は」にすると「すべての基本的人権の享有を妨げられない」になる。このことを言いなおしたのが「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」である。憲法を主語にして言いなおすと、憲法は「この憲法が国民に保障する基本的人権を、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へる」である。
 すこし面倒くさいが、「憲法と国民の関係」を「国民」を主語にして書くと現行憲法のようになる。まず国民があって、憲法がある。だから国民を主語にして憲法を書かなければならないのだが、そうすると、どうしても「妨げられない」とか「与へられる」というような「文体」になってしまう。
 改憲草案は、こうした、すこし面倒くさい「文体」を避けて、日常的によく耳にする「文体」に変更している。しかし、その変更によって、テーマが見えにくくなる。「国民は、全ての基本的人権を享有する」は「国民」にかぎらず「全人類」についても一般的にあてはまる「理念」である。「国民と憲法」の具体的、実際的な関係ではなく「基本的人権」について述べただけの「抽象的」な意味におわっている。憲法は「基本的人権」を「侵すことのできない永久の権利である」と定義するだけである。「だれ」が「侵す」のか、それが明確ではない。
 現行憲法は、たとえ憲法であっても、国民の基本的人権を侵すことはできない、と定義している。つまり、憲法自身を拘束している。憲法は国民の基本的人権と合致していないといけない、と自己規定している。
 憲法の姿勢を自己規定した上で、現行憲法は、次に「国民の権利(基本的人権)」に基づく「基本的義務」を定義する。つまり「権利」にしたがって行動する。その行動は自分以外のものに影響を「及ぼす」がゆえに、そこには「義務(責任)」があるという形で、こう展開する。

(現行憲法)
第12条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 書き出しの「この憲法が国民に保障する自由及び権利」というのは、第11条のことをさす。「保持しなければならない」というのは憲法からの、国民への「命令」なのである。第11条が「憲法」を拘束する条文なのに対して、第12条は「国民」を拘束する条文なのである。「国民は、これを濫用してはならない」という「禁止」のことばが、それを明確に語っている。憲法は国民を守る、ただし、国民は次のことをしなければならない、次のことをしてはいけない、というのが第12条。
 繰り返しになるが、第11条では憲法がしなければならないこと、憲法がしてはいけないことが、国民の側から定義されているのに対し、第12条では国民がしなければならないこと、国民がしてはいけないことが、憲法の側から定義されている。第11条と第12条は「対」なのである。
 改憲草案は、これをどう変更しようとしているのか。

(改憲草案)
第12条(国民の責務)
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

 おおきな変更点はふたつ。
①「保持しなければならない」は「保持されなければならない」になっている。改憲草案は「国民によって」保持されなければならないということだが、だれのために? なんのために? 国民自身のためにならば、わざわざ「保持されなければならない」ともってまわった「文体」にしなくてもいいはずである。なぜ「保持されなければならない」と変えたのか。主語を「国民」ではなく、「基本的人権」に変更することで、「国民」に意識が集中することを避けているのではないか、と私は思う。
 国民一人一人、個人個人という「意識」ではなく、「基本的人権」という抽象的な概念に「意識」を向けさせ、抽象的概念で国民の「権利(の主張)」を抑制しようとしているように思える。
 それは、現行憲法の「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」を「公益及び公の秩序に反してはならない」と言いなおしているところに、端的にあらわれていると思う。
 「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」は、どう違うか。
 「公共の福祉」とは「みんなの助け合い」ということだろう。現行憲法が基本的人権を「濫用してはならない」というのは、基本的人権(これは第13条以下で具体的に定義される)を主張するとき、「みんなの助け合い」を邪魔する(阻害する)ような形で主張してはならない、ということだろう。逆に言えば、もし「みんなの助け合い」を邪魔しない(妨害しない)のなら、基本的人権として認められていることは、何をしてもいいということだろう。
 「公益及び公の秩序」とは、しかし、何だろう。「及び」がイコールであることは、何度か見てきた。「公益=公の秩序」という「等式」自体がおかしい。「利益=秩序」ではないだろう。「利益=秩序」という等式を書いたとたんに思い出すのは、改憲草案の「前文」である。「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。」とあった。「利益」のひとつに「(活力ある)経済活動」が生み出すものがある。「経済活動の秩序」に反するものであってはいけない、と言い換えると改憲草案の狙いがわかる。たとえば原発稼働反対という運動を起こす。それはきっと日本の経済活動(大企業の利益)を阻害するし、原発推進の政府を批判する運動につながっていけば、政府の思い描いている「秩序」とは違ってくる。改憲草案は、そういう動きを想定し、それを抑圧するための定義なのだ。
 今国会で「重要土地利用規制法」が成立したが、それも関連づけて考えることができる。「重要土地利用規制法」は、自衛隊基地や原発など安全保障上重要な施設の周辺や国境の離島などの土地利用を規制する。政府が対象に指定した区域の土地所有者や利用実態などを調査し、規制することができる。「原発は公の利益」「基地は公の秩序」と言いなおされて、個人の権利(基本的人権)は排除されるのだ。
 そしてこのときの「公益=公の秩序」とは「政府の利益」「政府の考える秩序」である。政府の方針に「反対」と言えば「国民」から排除される。安倍は「東京五輪に反対する人間は反日だ」と言ったが、この考え方など、完全に改憲草案の思想の先取りである。政府に反対するひともいて「日本」なのである。政府を批判する国民を排除して、「公益=公の秩序」というのは、「独裁者」の思想である。改憲草案には「独裁」の意図が随所に隠れている。「緊急事態条項」だけが「独裁」のよりどころではない。「緊急事態条項」がなくても独裁政治ができるように憲法を変えようとしている。
 安倍や麻生は、改正草案を書いた人の、手の込んだ「からくり」を理解するだけの日本語能力がないようだ。だからこそ、隠しておきたい「秘密」、たとえば「政府に反対する人間は反日というレッテルを張り、排除する」というようなことを知らず知らずに言ってましう。安倍や麻生がもっと「狡賢い」人間だったら、絶対に言わないことを言ってしまう。そこから改憲草案の「秘密」が見えるというのは、なんだか、とても滑稽なことではあるが、笑っているだけではすまない。笑っているうちに、改憲草案が先取りされる形で現実になってしまう。安倍や麻生(あるいは菅も)の「言動」が改憲草案のどんな「思想」を先取りしているのか、常に、改憲草案と結びつけてみていく必要がある。

 

 

 

 

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自民党憲法改正草案再読(7)

2021-07-06 10:27:04 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(7)

 「第9条の2(国防軍)」第9条の3(領土等の保全等)」は新設された条項である。一項ずつ、疑問に思っていることを書いていく。

第9条の2(国防軍)
1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

 「国防軍を保持する」の「主語」は何だろうか。「第9条」は「日本国民は」と書き出されていたが、「日本国民が/国防軍を保持する」と読むのはむずかしい。私は日本国民であるけれど、その私を主語にして「私が/国防軍を保持する」とは言えない。どうしても「日本国は」と私は読んでしまう。「日本国が/国防軍を保持する」。「民」ということばが、このとき消えてしまう。
 そして、そのかわりに「内閣総理大臣」がここに登場してきている。これは「日本国(内閣総理大臣)が/国防軍を保持する」にならないか。「内閣総理大臣が国防軍を保持する」というのは「内閣総理大臣が国防軍を指揮する」ということである。それが「「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」の意味だろう。
 国民をほっぽりだして(後回しにして)、内閣総理大臣が登場するのは、国民主権の憲法とは言えないだろう。これでは独裁者のための憲法になるだろう。
 この条文では、私は、また「及び」にひっかかる。
 「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保する」。この「及び」はどういう意味なのだろうか。自民党改憲草案では「及び」はイコールの意味でつかわれることが多い。それを当てはめると「国=国民」なのだが、どうも「うさんくささ」がつきまとう。なぜ、ここに「国=国民」を持ちだしてきているのか。
 言い換えると、もしこの条文が「国及び」を省略した「我が国の平和と独立並びに国民の安全を確保する」だと「意味」はどう違ってくるのか。私は「我が国の平和と独立並びに国民の安全を確保する」で十分だと思う。「並びに」は「並列」であり、いわゆる「と」と同じ働きをしている。「我が国の平和と独立と国民の安全を確保する」とすると日常口語に近くなる。
 「国及び国民(国=国民)」をあえて強調しているのは、第1条「天皇」の部分に出てきた「日本国及び日本国民統合」という文言が意識されているのだろう。「国民は統合されなければならない」(国民は統合しなければならない)があるのだ。
 私は「国=国民」とも思わないし、「国民の統合」が必要とも思わない。国民はばらばらでいいと思うので、非常にひっかかるのだ。(このことは、また別の条項、第13条で触れることにする。)

2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 「承認」ということばが出てくる。天皇の国事行為では「承認」を省略し、皇室の財産に関しては「国会の議決」を「承認」に変えていた。「承認」には、「事後承認」がある。しかし、「議決」には「事後議決」ということはない。「議決」は事前に議決する。それを考えると、ここで「国会の議決に服する」ではなく、「承認に服する」と書いている意味は不気味だ。だいたい「承認に服する」という言い方はないだろう。
 「国防軍」が何かの行動を起こしたあと、それ「国会」に「承認させる」ということが頻発するだろう。

3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

 ここにも「及び」が出てくる。「国際的に協調して行われる活動及び公の秩序」は、しかし「国際的に協調して行われる活動=公の秩序」なのだろうか。だいたい「国際的な公」とは何だろうか。どの「国」からみた「公」なのか。
 現実問題として、中国、北朝鮮のいう「公」と日本(あるいはアメリカ)のいう「公」とは違うだろう。「国際的に協力して」とあるが、これは「全世界(公)」が協力してではなく、同じ「体制(思想?)」を持つ国が協力して、だろう。そんなことろに「公=全世界に共通する何か」があるわけがない。
 「又は」と比較してみればわかる。「公の秩序」と「国民の生命」は同じではない。だから、そこには「及び」はつかえない。だから「又は」と書き、「若しくは」とことばをつづける。「及び」をつかのうは、強引に別個のものをイコールで結びつけるためなのである。
 「及び」が「及ぶ」という動詞から派生していることはすでに書いた。これを「国際的に協調して行われる活動及び公の秩序」にあてはめるとどうなるか。「国際的に協調して行われる活動を起点として、そこで確立された体制を押し広げ、それを公の(世界の)秩序」にする、ということである。簡単に言いなおせば、「アメリカの軍事活動に協力し、アメリカの望む世界秩序を確立する」ということである。そのために日本は「協力する」というのが改正草案の狙いである。
 これは「集団的自衛権」を成立させたとき、すでにその一歩を踏み出している。
 読売新聞の記事によると、麻生は、中国が台湾に侵攻した場合、安全保障関連法の定める「存立危機事態」と認定し、限定的な集団的自衛権を行使する可能性があるとの認識を示した。
 なぜ、中国の台湾進行が「日本の存立危機」なのか。「存立の危機」に直面するのはアメリカの世界戦略である。アメリカは台湾を、ケネディ・フルシチョフ時代の、ソ連にとってのキューバにしておきたいのである。中国大陸を台湾からにらみつづける。アメリカ大陸から脅しをかけるよりも台湾からかける方が効果的だ。台湾を手放したくない。台湾を日本のように「不沈空母」として利用したい。
 その戦略(世界秩序)のために日本がひっぱりだされる。麻生は、嬉々として、それに応じたいのだ。
 自民党の政策は、すべて改憲草案を先取り実施している。現実を積み上げて、なし崩し的に現行憲法を無力化させるのである。「改憲」しなくても、改憲したのと同じ状態になりつつあるのだ。

4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

 ここにも「及び」が登場する。「国防軍の組織、統制=機密の保持」。これでは「国防軍」のすべては「秘密」にされたままである。いっさいの情報(指揮系統を含む)は公開されない。「国防軍」のなすがままである。

5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

 ここでは「及び」ではなく「又は」がつかわれている。「職務の実施に伴う罪」と「国防軍の機密に関する罪」は個別のものだから「及び」はつかえない。ここからも改憲草案が、「及び」をいつ、どんうなふうにつかっているか、その狙いは何か、ということを探る手がかりがあると思う。

第9条の3(領土等の保全等)
 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

 「国民と協力して」ということばが出てくる。この意味は何だろう。どんな協力を国民はしなければならないのか。「軍隊に入りる」か。それならば「徴兵制」である。「ほしがりません、勝つまでは」では戦前の抑圧である。
 自民党がやっていることは、改憲草案の先取りである、と何度も書いたが、この条項を読みながら思い出すいのは、今国会で成立した「重要土地利用規制法」である。簡単に言うと、自衛隊基地や原発など安全保障上重要な施設の周辺や国境の離島などの土地利用を規制する法律である。政府が対象に指定した区域の土地所有者や利用実態などを調査し、規制することができる。これが「国民の協力」しなければならないことなのだ。国が基地につかうといえば、国民は自分の土地を自分の好きなようにつかえなくなる。
 条文は「国は」と主語を特定し、「領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」と書いているが、実質は「領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保するために」国民は「協力しなければならない(土地を提供しなければならない)」である。そう読み替えるとき、「重要土地利用規制法」が改憲草案の「先取り」であることが明瞭になる。
 何度も書くが、現行憲法は自民党によって、なし崩し的に「改憲草案」に乗っ取られているのである。

 

 

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自民党憲法改正草案再読(6)

2021-07-05 10:44:51 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(6)

 「戦争の放棄」は、どう変えられるのか。

(現行憲法)
第二章 戦争の放棄
第9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
(改正草案)
第二章安全保障
第9条(平和主義)
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 一項目目の大きな違いは「放棄する」の位置である。現行憲法は、それまでに書かれていることのすべてを「放棄する」。しかし、改憲草案は「国権の発動としての戦争」を放棄するが、その他の行為は放棄しない。「国権の発動」ではない戦争の場合は、それを「放棄しない」と読むことができる。つまり「2」にあるように「自衛権の発動」としての戦争は「放棄しない」。
 この条文の「主語」は、現行憲法では「1」「2」とも「日本国民」である。「戦争を放棄するという目的を達成するために」、日本国民は軍隊を「保持しない」、国が交戦権を発動することを「認めない」。
 だが、改憲草案の「2」の主語はだれなのか。「前項の規定は」とあるから、それはあくまで「法解釈」なのである。「論理」があるだけで、主語は不在。こういう文体には気をつけないといけない。「論理」はいつでも「自己完結」できる。つまり、「異物」を排除して、自己を守ろうとする。この「2」では、「国民」は排除されている。国民の意志は、自衛権の発動に関して、反映されない。「自衛権」を発動するのは国だろう。国が(安倍が、菅が)「自衛権を発動する」と言えば、戦争が始めることが可能なのだ。「論理的」には。
 ところで、「自衛権」とは、どういうものなのか。
 私が注目するのは、再び「及び」ということばである。現行憲法は、「武力による威嚇又は武力の行使」という表現を用いている。しかし、改憲草案はこれを「武力による威嚇及び武力の行使」と書き直している。「又は」と「及び」はどう違うか。
 現行憲法は「武力による威嚇」と「武力の行使」は別のものと考えている。しかし、改憲草案は「武力による威嚇」と「武力の行使」はイコールであると考えている。「武力による威嚇=武力の行使」、威嚇するだけでも武力を行使していると判断するのである。
 こういう「抽象的」なことがらは、現実に照らし合わせて考えるとよくわかる。
 北朝鮮がミサイル実験をする。ミサイルを配備する。あるいは中国の戦艦が太平洋(公開)に進出する。これを「武力による威嚇」ととらえる。そして「武力による威嚇=武力の行使」なのだから、この「威嚇」を理由に「自衛権」を発動できる、というのが自民党の改憲草案の狙いなのである。
 すでにこの改憲草案を先取りする形で、安倍は「敵基地を、防衛のために(自衛のために)先制攻撃する」ことを念頭に置いたミサイル防衛計画を策定した。北朝鮮、中国による武力は行使されていない。しかし武力の配備は、武力による威嚇であるとみなすことができる。威嚇を放置できない。先制攻撃で威嚇を破壊し、日本を「自衛」する必要がある……、となるのは、ミサイル防衛計画の必然的帰結だろう。それがミサイル配備計画の狙いだ。
 改憲草案の「放棄する」は、あくまでも「国権の発動としての戦争」を「放棄する」である。「武力による威嚇」に対抗する戦争は放棄していない。「威嚇」そのものを「行使」とみなし、「危機感」をあおり、「自衛権」を積極的に行使しようとしている。
 「武力による威嚇=武力の行使」と定義するのなら、それを日本やアメリカについても当てはめなければならない。日本のミサイル配備計画、東シナ海での日米の艦船の航行は、北朝鮮や中国から見れば「武力による威嚇=武力の行使」にならないか。日本、アメリカが共同でやっていることは「威嚇」でも「行使」でもないが、北朝鮮、中国がやれば「威嚇」であり「行使」である、というのでは二重基準である。
 こういうことは単なる「視点」の違いになって、すれ違うだけだからこれ以上書かないが、なぜ自民党改憲草案は「又は」を「及び」に変えたのか、そのことは注目すべきである。自民党改憲草案に出てくる「及び」は単なる並列ではない。それは改憲草案を読み進めば、いっそう明確になる。
 「及び」は「及ぶ」である。「〇〇及び〇〇」は「〇〇からはじめ、〇〇にまで及ぶ」。ひとくくりにして、二つのものを「イコール」にするということである。少なくとも自民党改憲草案での「及び」の「定義」は、そうなる。
 「及び」が出てきたら、そこで立ち止まり、もう一度読み直すべきである。次回触れる「国防軍」には「及び」が頻繁に登場する。


 

 

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自民党憲法改正草案再読(5)

2021-07-04 11:23:20 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(5)

 天皇の権能と国事行為。書き漏らしたことがあるので追加しておく。

(現行憲法)
第7条
 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 二 国会を召集すること。
 三 衆議院を解散すること。
 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
(改正草案)
第6条(天皇の国事行為等)
1(略)
2 天皇は、国民のために、次に掲げる国事に関する行為を行う。
 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 二 国会を召集すること。
 三 衆議院を解散すること。
 四 衆議院議員の総選挙及び参議院議員の通常選挙の施行を公示すること。
 
 現行憲法に書いてある「一」から「三」、実は「国会」の仕事である。国会で憲法を改正し、法律、政令を決める(議決する)、そして条約を承認する(承認議決をする)。国会は立法機関であるから、それを「知らせる」ための機能を持っていない。それを天皇が代行する。それが「国事を行う」ということだろう。「憲法改正、法律、政令及び条約を公布する」ことを「内閣」にまかせるという方法もあるだろうが、内閣は国会の下部機関というと語弊があるかもしれないが、まず国会があり、内閣があり、司法があるという順序からいうと、国会で議決したことを内閣が「公布する」というのは問題があるから、「国民統合の象徴である天皇」に公布を委任するのである。
 国会を開いて議論し、また国会を解散するというのも、国会の仕事である。開会については「第52条  国会の常会は、毎年一回これを召集する」という規定がある。「解散」については、「国会」の章のなかには「第54条 1 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない」とあるだけで、どういうときに「解散」になるかは、明記されていない。ただし、「内閣」の章で、こう規定している。「第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」。これは内閣不信任が可決されたときは、内閣は、内閣の主張と国会の主張とどちらが正しいかという判断を国民に仰ぐために総選挙に問うことができるという意味であろう。もし、内閣が政策の当否を国民に直接問う機会がなければ完全に国会の下部機関になり、三権分立が成立しなくなるおそれがあるからだろう。「国会の解散」は内閣が不信任可決されたとき、国民に政策の当否を問うための最後の手段なのである。もし、内閣が否を認めるならば「総辞職する」。新たな内閣を結成し、政策を再提案するか、野党に政権を譲るしかない。野党に政権を譲らないために、選挙に問うのである。
 いま流行りの「7条解散(7条、4項を利用して、首相が解散権を持っていると解釈すること)」は、違憲である。7条は天皇に関する条項であり、内閣総理大臣の「権能」について定義したものではない。私のような批判があるからこそ、改憲草案では「4 天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による」と「ただし」書きを付け加えたうえで、「第54条(衆議院の解散と衆議院議員の総選挙、特別国会及び参議院の緊急集会)1 衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する」という条項を新設しているのである。この項目を新設していることからも、いまの「7条解散」が違憲であることは明らかである。もし、「7条解散」が妥当なものなら、改正草案の54条は不要だからである。
 
 さらに、
(改正草案)
第6条
5 第1項及び第2項に掲げるもののほか、天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。

 ここに書かれている「及び」と「又は」の違いにも注目したい。「及び」は「〇〇から〇〇まで及ぶ」と「範囲の広がり」を感じさせることばである。そこには強いつながりがあり、二つのものは同等にあつかわれている。改正草案では「及び」は「イコール(=)」の代わりにつかわれていることが多い。イコールではないものは「又は」と書かれている。ふつうは(私は)そこまでは厳密に考えない。たとえば、改正草案の文言が次のようであったとして、いったいだれが違和感を覚えるだろう。
 天皇は、国「及び」地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。
 気にならないと思う。しかし、自民党は気にする。国(内閣)は地方自治体(の首長)や公共団体とは違う存在だと認識する。たとえ天皇がある行事に参加(出席)しても、天皇が行事に出席(参加)しているという具合に、天皇に「視点」をおかないのである。私は、行事の主体が国か、自治体か、公共団体か気にせずに、天皇が来ている、とした思わないが、自民党は天皇の存在によって、国の行事と自治体の行事、公共団体の行事が「同一視(イコール)とみなされることを、はっきりと拒否しているのである。それをあらわすのが「又は」ということばである。
 そう思って読む必要がある。

 もうひとつ、追加しておく。
(現行憲法)
第8条
 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
(改正草案)
第8条(皇室への財産の譲渡等の制限)
 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が財産を譲り受け、若しくは賜与するには、法律で定める場合を除き、国会の承認を経なければならない。

 「国会の議決」が「国会の承認」と書き直されている。天皇の「国事行為」では「承認」が削除されていたのに、ここでは「議決」が「承認」と書き直されている。このことばの変更も「及び」と同じように、微妙だけれど、慎重に読む必要がある。
 この「意図」は何なのだろうか。
 「議決」をするためには、議論が必要である。「承認」にも議論が必要かもしれないが、議論をしない「承認」(根回しによる総意の形成)というものがある。「議決」のためには絶対に国会を開かないといけない。しかし「承認」のためなら国会開会を省略できるのではないのか。国会を「前面」に出すふりをして、実は国会を軽視しようとしているのではないか。そういう姿勢がうかがえる。

 思想は、大きなことばで語られることがあるが(それが目立つが)、小さなことばの積み重ねで語られることもある。私は小さなことばの方に、「思想の根深さ」を感じる。だから、それにこだわって書いている。
 「緊急事態条項」はたしかに危険である。しかし、「緊急事態条項」さえもりこまれなければ自民党の「独裁政治」は回避できるのか、拒絶できるのか、となると、そうだとは思わない。「改正草案」の細部のことばが「緊急事態条項」と同じ力で国民を拘束する。それは目立たないからこそ、不気味な底力として国民を圧迫する。「反対」と言っている時間を与えずに、知らず知らずに、国民をむしばむ。

 

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自民党憲法改正草案再読(4)

2021-07-03 10:30:40 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(4)

 天皇の権能と国事行為に関する条項は、変更箇所が入り組んでいて、私のような素人にはなぜこんな複雑な「改正」をするのかわからない。

(現行憲法)
第3条
 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第4条
1 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第6条
1 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

(改憲草案)
第5条(天皇の権能)
 天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない。
第6条(天皇の国事行為等)
1 天皇は、国民のために、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命し、内閣の指名に基づいて最高裁判所の長である裁判官を任命する。
(略)
4 天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。
5 第1項及び第2項に掲げるもののほか、天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う。

 現行憲法の第3条は、改憲草案の第6条の4の位置に移動している。そして「内閣の女権と承認」が「内閣の進言」と書き直されている。さらに「衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による」が追加されている。
 いろいろな問題があるが、
①なぜ、「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」を後回しにし、「国政に関する権能を有しない」を先に出したのか。さらに「承認を必要とし」をなぜ省略したのか。
 現行憲法を読む限り、天皇の行為の「責任は内閣にある」と読むことができる。「責任は内閣にある」のだから「権能はない」という論理である。   
 ところが改正草案では「権能はない」と言っておいて、あとで「内閣が責任を負う」という。これは、なんというか「後出しじゃんけん」のようなものである。問題が起きたら対処する、と言ってみせているだけである。
 「承認」というのは事前承認が基本だろう。事前には承認するかしないか明言しない。そして、何か問題が起きれば対処する。そういう「言い逃れ」を隠しているのが「(事前)承認を必要とする」を省いた理由だろう。
 「事前に進言はしたけれど、事前に承認はしていない。進言の内容を正確に把握し、実行できなかった天皇に責任がある」と言い逃れるつもりだろう。つまり、天皇を利用して何かをさせ、うまくいけば(批判が起きなければ)そのまま、批判されたら天皇が間違えたというつもりなのだ。
 「前文」に出てきた「元首」の定義は、たぶん、こういうことなのだ。「元首」として内閣が天皇を利用する、利用するために「元首」という肩書を与えておく。問題が起きれば、いつでも「元首」を取り替える。内閣は、そのまま存続させる。そういう「うさんくさい意図」が隠れている。

②「衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による」の追加は、いわゆる「7条解散(首相が好き勝手に衆院を解散する)は違憲である」という批判を踏まえ、そういう意見を封じ込めるためのものだろう。

③内閣総理大臣の任命と、最高裁判所長官の任命については、現行憲法は、項目を分離して規定している。しかし、改正案はひとまとめにしている。この意図は何だろうか。
 私は内閣総理大臣が交代したとき、内閣総理大臣が「自分が新しい総理大臣になったのだから、最高裁長官を新たに指名する」という方法を生み出すための条項ではないかと考えている。現行憲法では、内閣総理大臣が交代したからといって、最高裁判所長官が交代することはない。三権分立の観点から見れば、すでに存在している最高裁長官を交代させる理由はない。内閣総理大臣が交代するたびに最高裁長官が交代していたら、司法の独立は保たれないだろう。
 これが、たぶん自民党には気に食わないのである。司法は行政の指揮下に入るべきである。司法は行政にしたがうべきである、と自民党は考えている。「前文」にあった「行政及び司法」という表現を思い出したい。「行政=司法」が自民党の狙いである。見かけは三権分立だが、改憲草案の文言を丁寧に読み砕けば実際は司法は行政の支配下にあることがわかる。
 憲法では最高裁判所長官しか取り上げていないが、司法には「裁判」だけではなく「検察」も含まれるだろう。そう考えれば、つい最近起きた「黒川事件」が思い浮かぶだろう。安倍は黒川を検察庁長官にしようとした。そうすることで安倍へのあらゆる捜査を封じ込めようとした。そこに見られるのは「行政=司法(検察)」という認識である。行政の最高責任者の命令に従わないものは許さない、という姿勢である。
 これは、そして、「緊急事態条項」へつながっていく規定なのである。内閣総理大臣が思いのままに権力を行使し、批判を封じ込める。独裁を確立する。そのために司法を行政の支配下に置き、「行政=司法」を確立させる。「緊急事態条項」がなくても、それと同じことができる。実際に、そういうことを先取りしようとしたのが、「黒川事件」である。たまたま「賭けマージャン」が発覚したために、黒川検察庁長官は誕生しなかったが、それは「偶然」にすぎない。安倍は改憲草案の「理想」を実現しようとしていたのだ。
 「緊急事態条項」と密接に関係する変更は、「国事行為」に関する条項にも見ることができる。

(現行憲法)
第7条
 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 二 国会を召集すること。
 三 衆議院を解散すること。
 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
(改憲草案)
第6条(天皇の国事行為等)
1 (略、前項参照)
2 天皇は、国民のために、次に掲げる国事に関する行為を行う。
 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 二 国会を召集すること。
 三 衆議院を解散すること。
 四 衆議院議員の総選挙及び参議院議員の通常選挙の施行を公示すること。

 「四」に「参議院議員の通常選挙の施行を公示」が付け加わっている。なぜだろうか。衆院選挙は「任期満了」によるものと「衆院解散」によるものとがある。つまり、「不定期」である。不定期なものは、きちんと「公示」しないと、いつあるか周知されない。ところが「参議院議員の通常選挙」という文言があらわしているように、参院選は「3年に一回(議席の半数ずつ交代)」と決まっている。知らない人は知らない人として、毎年1月1日が新年、4月1日が新年度のはじまりであると知っているのが「常識」である。そういうことを天皇がわざわざ公示しなくてもいい、というのが現行憲法の考えだろう。
 なぜ、「参院選公示」を加えたのか。「緊急事態条項」の最後に、こういう文言がある。

4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
 
 参議院議員の任期も変更になるし、当然選挙期日も変更になる。つまり「不定期」になる。「公示」しないと、いつが参院選がわからなくなる。
 些細に見える文言の変更も、全部、緊急事態条項につながっている。そして、「改正草案」は何度も何度も「先取り実施」されている。「先取り実施」を積み重ねることで、憲法改正が「現実の追認」という形になるように仕組まれているのがいまの政治なのだ。


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自民党憲法改正草案再読(3)

2021-07-02 11:12:58 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(3)

 「第一章 天皇」のなかに現行憲法にはない条項が新設されている。

第3条(国旗及び国歌)
1 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

 この条項で気になる点はふたつある。
①なぜ「国旗、国歌」が「天皇」の章に組み込まれているのか。しかも、その組み込まれている「位置」は天皇の「定義」の直後である。天皇の「権能」を制限した条項よりも前に、国旗と国歌が割り込んでいる。
 なぜなのか。
 国旗、国歌は、天皇と「同列」の存在なのか。国歌、国歌を日本国の「象徴」と考えると、「天皇=象徴=国旗及び国歌」という等式ができる。
 天皇については、「日本国民は、天皇を尊重しなければならない」という文言はなかった。「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とある。改憲草案の文言でも、天皇がたとえ元首であろうと、それは「国民の総意に基づく」ものである、と定義されている。国民の総意が「いや」と言えば天皇は存在し得ない。国民の方が天皇よりも上位である。尊重する必要はない。尊敬する必要はない。尊重し、尊敬したい人がそうすればいいだけである。
 でも、国旗、国歌については、国民はそれを「尊重しなければならない」。これは、変だろう。
 私は、第一条に、「日本国民は、天皇を尊重しなければならない」と書いてしまうと、「国民主権」の意味がなくなるという批判を恐れて、そう書いていないのではないかと推測する。
 第一条で書けなかったから、第三条で、国旗、国歌を持ち出し、そこに「国民は、尊重しなければならない」をもぐりこませたのだ思う。「国旗、国歌を尊重しなければならないのは、天皇を尊重しなければならないのと同じである」「国旗、国歌を尊重しなければならないのだから、もちろん天皇を尊重しなければならない」という意味が含まれていると思う。
 次に気になるのは、
②「国旗及び国歌」ということばのつかい方である。
 「1 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。」は国旗と国歌が別々に書かれている。しかし「2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」はひとまとめにしている。
 「及び」ということばは、どうつかうのか。並列のものなら「と」で十分である。「及び」ということばは「及ぶ」から派生していると思う。そこにはなにかつながりがある。そして、そのつながりは、イコール(同等)と同じ意味になると思う。
 国旗と国歌は同等のものであり、それを尊重しなければならない。これは国旗のあるところ、国歌がついて回るということである。オリンピックで日本選手が金メダルをとると、国旗の掲揚と同時に君が代が流れる。同時に存在する。そういうものが「及び」なのだろう。
 そして、ここには書かれていないが「国民は、尊重しなければなさない」は、「及び」の力を借りて「国民は、天皇を尊重しなければならない」につながると思う。「天皇及び、国旗、国歌を尊重しなければならない」。「天皇=象徴(国旗=国歌)」という意識がここには隠されていると思う。
 先日書いたことの繰り返しになるが、改正草案前文の「行政及び司法」は「行政=司法」であるし、改正草案12条の「公益及び公の秩序」は「公益=公の秩序」である。改憲草案では「及び」を「=」という意味でつかっている。それは「天皇=象徴(国旗=国歌)」と書き直し見るとき、いっそう鮮明に見えてくる。
 さらに
③「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」の「しなければならない」に注目しなければならない。
 憲法は国民のものであり、それは権力者を拘束するための法律である。「天皇」もまた「権力者」である。それは現行憲法にしろ、改正草案にしろ、天皇の「権能」を限定しているところからもはっきりしている。「天皇は、これこれのことをしてはいけない」というのが「天皇」の章に書かれていることの中心である。
 ところが、「天皇は、これこれのことをしてはいけない」という前に、「国民は尊重しなければならない」と「国民の義務」が書かれている。これは、どうみてもおかしい。もし義務があるとしても、それは「国民」の章で書けばいいことであって、天皇の章で書く必要はない。
 さらに直接天皇ということばを出さずに「国旗及び国歌」という条項で国民の義務を明記している。「天皇及び国旗、国歌」である部分の「天皇」を隠して「国旗及び国歌」と書いている。
 こういう「罠」を見逃してはいけないと、私は思う。

 もうひとつ、新設されている条項がある。

第4条(元号)
 元号は、法律の定めるところにより、皇位の継承があったときに制定する。

 第4条は、厳密にはどうかわからないが、いまも行われていることを憲法にもりこんだということか。なぜ、わざわざもりこんだのか。
 思い出すのは、平成から令和にかけての「改元」のどたばたである。さらには平成の天皇の強制生前退位である。昭和から平成への改元は昭和天皇の死亡によって行われた。それまでも天皇が死んだとき(天皇が交代したとき)元号が変わっていた。「皇位の継承があったときに制定する」ときというのは、天皇が死んだとき制定するを言いなおしたものである。
 さて、ここからである。
 元号が以前のように、天皇が死んで、天皇が交代したときに変えられるものなら、それは天皇の死を前提としている。しかし、新設された条項には、天皇の死は明記されていない。つまり、天皇が死ななくても、天皇は交代しうる、ということをもりこんでいることになる。
 これは逆に言えば、政権が天皇を不都合な存在とみなし、交代させる可能性があるということも意味しないか。平成の天皇を強制的に退位させたように、令和の天皇、さらにその次の天皇も、政権が不都合だと判断すれば強制的に退位(交代)させ、改元できるということを意味しないか。
 改憲草案は2012年のものだから、平成の天皇を交代させるための「根拠(よりどころ)」になったとは言えないが、私は改憲草案の「先取り実施」だと思っている。権力者が天皇の交代と改元を、自分の都合にあわせて実施する。令和の改元が、1月1日(新年)でも、令和の天皇誕生日でも、日本人になじみのある「新年度」の4月1日でもなかったことが、それを証明している。安倍は、統一地方選を理由に「4月1日」を避けた。天皇の都合(天皇が死んだ)ではなく、政権が選挙に利用しやすい日を「改元」の日に制定した。
 安倍、菅のやっていることは、改憲草案の「先取り実施」であるということを見逃してはいけない。なし崩しに改憲草案が「現実」になっているのである。

 

 

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自民党憲法改正草案再読(2)

2021-07-01 11:01:54 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(2)

現行憲法
第一章 天皇
第1条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

改正草案
第一章 天皇
第1条(天皇)
 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 私は表記の問題、「であつて」(現行憲法)「であって」(改正草案)、「基く」(現行憲法)「基づく」(改正草案)は取り上げない。
 第1条で、いちばん目立つのは「日本国の元首であり」という表現の挿入である。「元首」とは何か。その定義が必要かもしれないが、草案には何も書いていない。「元首」ということばはどこから出てきたのか。「明治憲法」からである。明治憲法が戦争を引き起こしたという反省から現行憲法が制定されたと私は理解しているが、自民党草案は、その反省を無視して逆行している。なぜ「元首である」という定義が必要なのか。戦争が起きたとき、「内閣」に責任はなく「元首」に責任があると、責任を押しつけるつもりなのだろうか。「先の大戦」(改憲草案)では天皇の戦争責任は問われず、内閣、軍部の責任が問われた。そういうことがないようにしたい、という意図があるのかどうか、よくわからない。
 また、「前文」では「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」と書かれていて「日本国の象徴」という表現ではなかった。ここの違いも、微妙だけれど、微妙だけに「意味」があると思うが、書き換えの意味が私にはわからない。
 私は、それとは別に、もっとこまかな表現の変更が気になる。なぜ、こんなこまかな「手直し」をしたのか。私の言う「こまかな点」とは。
 ①現行憲法では「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」と「象徴である」を二回繰り返している。改正草案では「日本国及び日本国民統合の象徴であって」と一回にしている。文章を整理しただけなのか。そうではないかもしれない。
 「及び」ということばは日常頻繁に耳にする。意味はわかったつもりだが、定義するとなるとなかなかむずかしい。二つ以上のものを同等にあつかうとき「及び」と言うと思う。現行憲法は「日本国の象徴」であることと、「日本国民統合の象徴」であることは違う言っていると理解できるのに対して、改正草案は「日本国」と「日本国民統合」は同等のものであり、その切り離せない二つのもの「日本国」「日本国民統合」の「象徴」である、と言っていると思う。「日本国=日本国民統合」という意識が隠れている。これは言いなおせば、「日本国(政府)」に反対するものは「日本国民ではない」ということだと思う。政府の政策を批判すると「反日」ということばが頻繁に繰り返されるが、そういう意識が隠されてると思う。「政府批判を許さない=政府の命令に従うべきだ」という姿勢は「緊急事態条項」へとつながっていると思う。天皇(天皇制)を利用して、自民党の独裁姿勢を忍び込ませている。
 ところで、この「及び」のつかい方は、後日で触れることになるが「公益及び公の秩序」(改正草案12条)のように頻繁につかわれる。私は、それがとても気になる。「及び」の意味は「同等、イコール」であることが多い。「公益=公の秩序」である。「前文」にも出てくる。「日本国は、(略)国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。」この「及び」も実際は「行政=司法」であることは、最近の司法の動きをみているとよくわかる。司法は行政を断罪しない。そういう意味では「改正草案」の先取り実施されている。繰り返しになるが、ここで強調されているのは「日本国=日本国民統合」という意識である。政府を批判する人間を「日本国民ではない」と批判し、排除する姿勢である。政府を批判する人間を含めて「日本国民」であることを現行憲法は認識しているが、改正草案は認めようとはしない。
 さらに気になるのは
②「この地位」(現行憲法)が「その地位」(改憲草案)と書き直されている点である。「この」と「その」は、どう違うか。「この」と「その」は、それぞれ何を指しているか。「この」はより近いもの、「その」は少し離れたものを指し示すことが多い。
 それをあてはめると「この地位」の「この」は「象徴」である。「象徴という地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」「地位」と理解できることばが「天皇」と「象徴」と二つあるからこそ、それを識別するために「この」をつかって、直前の「象徴」を指していることを明示している。
 これに反して、改憲草案の「その地位」の「その」は「象徴」ではなく、「天皇」を指している。「象徴」が「この地位」であるのに対して、「天皇」が「その地位」である。「天皇という地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」もし「その地位」が「象徴」であるなら、現行憲法の表現を変える必要はない。変更するのは、そこには現行憲法とは違う意味を持たせるためである。
 それにしても、この改憲草案の「天皇の地位は、国民の総意に基づく」という「定義」は非常におかしい。なぜなら、天皇は「世襲」であり、「世襲」そのものに国民は関与できないからである。
 「世襲」に関する第2条は、次の通り。かなづかいの変更だけであり、改憲草案は現行憲法を踏襲している。

第2条(皇位の継承)
 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 ある人が「象徴である」かどうかは、国民が判断できる。国民の象徴であることは認めないという人がいても「多数決」を「総意」とみなせば、「象徴」になる。けれども、だれが父親であり、だれが母親であるということは、「国民の総意」とは関係がない。ふたりがセックスをして子どもを産むかどうかであり、それはあくまでも個人的なことである。いまの天皇が平成の天皇の子どもではないと主張できるのは、平成のセックスし、皇后を妊娠させた男だけである。子どもを産むことを個人的な行為であり、世襲もまた個人的な関係である。もし、子どもを産むことが個人的な行為ではないと仮定するなら、それは「天皇制」を単なる子どもを産む機械と認定したに等しい。
 なぜ、「象徴天皇」ではなく、「世襲天皇制」を「総意」と改憲草案は定義するのか。定義しなければならないのか。
 きのうは触れなかったが、「前文」にあった「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」の「家族」と関係している。「家族」を「国家」の、言いなおすと「支配体制」の理想としているのである。家長(父親)が家族を支配する。その支配関係を国全体に広げていく。長への批判を許さない。そういうことが、この「その地位」の「その」のなかに隠れている。

 私の書いていることは細かすぎてくだらないかもしれない。しかし、考えてみなければならないのは、なぜ、そんな細かな(くだらない)改正をしなければならないかである。細かくくだらないことなら、現行憲法の文言をそのままにしておけばいい。そうしておいては、憲法改正の狙いと違ったものになるからこそ、細部にこだわっているのだ。細部の積み重ねが重要なのだ。細部さえきちんと積み上げていけば、「緊急事態条項」がなくても「緊急事態条項」に匹敵するだけの権限を自民党政府が握れるのである。見逃した一つ一つのことばが「緊急事態条項」と関係しているのである。
 私は、そういう視点から改正草案を読む。


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自民党改憲草案(2012年)再読

2021-06-30 19:37:07 |  自民党改憲草案再読

自民党改憲草案(2012年)再読

 2016年、参院選のさなか、私は恐怖を感じた。私は新聞社に勤務していた。選挙は新聞社にとっては「一大イベント」である。編集局内も活気に満ちる。しかし、2016年参院選は違った。開票一週間前の「世論調査」の紙面づくりの日。世論調査の数字、分析に、だれも関心を示さない。まるで自民党が圧勝するのがわかっていて、機械的に紙面をつくっている。変更なんてありえない。そのシナリオは編集局全員に共有されている。シナリオを読んでいないのは私だけ、という感じがした。選挙後、憲法が改正される。安倍の思うがままに改正される。そのことについて、だれもなんにも思っていない。そういう「空気」が満ちていた。
 私は、自民党の2012年の改憲草案が危険なものであると、なんとしても声に出したかった。開票日まで一週間。何ができるか。思いついたことを、ブログに書き続けよう。読む人は少ない。けれど、一人にでも危険を知ってもらいたい。そう思って、大急ぎで思っていることを書いた。大急ぎだったから、書き間違えたところや、書き飛ばしたことがたくさんある。その反省を込めて、もう一度、「自民党改憲草案再読」という形で思っていることを書いておきたい。
 いま、なぜ、書くか。理由はひとつ。東京五輪がおわれば衆院選があり、自民党は「改憲」へ向けて突っ走ると思うからだ。東京五輪でコロナ感染が拡大すれば、菅は「緊急事態条項がなかったから、有効な政策を実施できなかった。緊急事態事項の新設は不可欠である」と訴えるだろう。コロナ感染が拡大せず、無事に大会が終了すれば、菅は「政策は正しかった。その正しい政権のもとで憲法改正を推し進め、よりいっそうすばらしい国にしていこう」と言うだろう。コロナ感染がどう展開しようと、菅は「憲法改正の根拠」に利用する。それが目に見えているからである。
 菅は、コロナ感染のことはまったく気にかけていない。オリンピックは「地元の利(なんといっても、慣れた環境で十分練習ができる)」で日本勢が金メダルをたくさんとるだろう。これを利用しないで何を利用するだろう。国民の健康も、日本の将来も関係ない。菅政権を維持し、強力にするためにも「憲法改正」は必須なのだ。「憲法を改正したときの首相」という名が残れば、菅は安倍を超えた政治家になれるのだ。
 それだけを狙っている。

 前置きが長くなったが、私は、そう思っている。私は私の予想が外れるのなら、それほどうれしいことはないと思っているので、思っていることを書く。平成の天皇強制生前退位について書いたとき、「予測が外れたら恥を掻くぞ」とある詩人に言われたが、私は専門家ではないから、予測が外れたって恥ずかしくもなんともない。オリンピック後の憲法改正の動きの予測が外れても、恥ずかしくもなんともない。外れてくれることを願いながら、それでも自民党憲法改正案について私が感じている疑問を書いておきたい。私の書いていることが間違っているという批判も、私は、平気である。私は憲法学者ではないし、法律も勉強したことはない。自分の思っている疑問を書くだけである。疑問に思っているのに、何も書かないことの方が恥ずかしいと、私は感じている。

 きょうは、「前文」。

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

 私が気になる点はいくつもある。
①日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家
「日本国(国家)」の定義である。「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」というのは、「長い歴史(文化)」なのか。私の知る限り「天皇=象徴」は現行憲法で登場した考え方であって、それまでの日本の歴史とは関係がない。文化とも関係がないだろう。
②国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 この文章は「受け身」である。だれが「統治する」のかあいまいである。「天皇」は象徴だから「統治する」という権能を持たないだろうと推測できる。「立法、行政及び司法の三権」が「統治する」のか。「三権分立」は「権力の分散」(相互抑制)だろう。とても「統治する」の主語にはなれない。「統治される」という表現で「統治する」主語を隠している。これでは「統治者」の責任を問うことが、できない。
 これは、とても大きな問題である。
 私は、どういう文章でも「主語」「動詞」に注目する。とくに「動詞」に注目する。動詞が「主語」を隠すのは、主語に「特権」を与えるためだろう。どういう「特権」かわからないが、ここには「危険な罠」があるはずだ。
③我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、
 ここには「先の大戦」がどうして起きたのか、原因が明記されていない。外国が侵入してきたときも戦争は起きる。しかし、「先の大戦」は、そうやって起きたわけではない。現行憲法では「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と戦争責任が政府にあると断罪している。日本が侵略戦争を起こし、失敗し、敗戦したという「歴史」が自民党の改憲草案では隠されている。
 この隠蔽は、
④日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、
 と言いなおされている。「国と郷土を守る」とは美しいことばだが、先の大戦はそうではなかった。中国やアジアの諸国は彼らの国と郷土を守るために戦ったが、日本はそうではなかった。侵略戦争をした日本が、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」という目標をかかげるのは、先の大戦(敗戦)の事実の歪曲である。反省が少しも感じられない。
 この前文の「天皇」「統治」「戦争」に関する部分からは、日本は先の大戦の「犠牲者」という認識しか感じられない。ふたたび「犠牲者」にならないために「主語不明」なものの「統治」によって「国家」を形成するという具合にしか読めない。その「主語不明者」は「天皇」を「国民統合の象徴」として前面に出すことで、さらに「責任回避」をしようとしているとも読むことができる。もしふたたび戦争が起きたとしても、きっと「政府」は責任をとらない。「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る」のは「日本国民」の「自己責任」であると言っているだけである。
 これは逆に言えば、戦争を起こして金儲けをすれば「政府」は満足。国民が「自己責任」で敵と戦ってくれ、と言っているだけなのだ。
 こんなことを書くのも、
⑤活力ある経済活動を通じて国を成長させる
 とあるからだ。「経済活動」と「国の成長」と何の関係があるだろうか。いまの日本の現実を見ると、さらに疑問に思う。「経済活動」によって「為政者」や一部の「資本家」が豊かになっているだけであって、多くの国民は貧困に苦しんでいる。国民が低賃金で働けば、資本家はもうかる。資本家がもうかれば政治家に「献金」が転がり込む。成長するのは「国」ではなく、政治家の資産と資本家の資産である。
 「前文」の書き出しで「歴史と文化」を掲げながら、国家の目標が「経済成長」に限定されている。こんなばかばかしい「前文」はないだろう。

 いろいろ書いたが、私がいちばん気にしているのは②に書いた「統治される」ということばの問題である。
 自民党改憲草案の「前文」は五段落からなっている。主語と述語だけを取り出してみると、「日本国は、統治される」「我が国は、貢献する」「日本国民は、形成する」「我々は、成長させる」「日本国民は、制定する」。
 受け身の文章は「統治される」だけである。ほかは「主語」がはっきりしている。「統治される」では統治される「対象」が明記されているだけである。「日本国は(日本国民は)、統治される」。
 だれに?
 考えられる答えはひとつである。この「草案」をつくった「自民党」に統治されるのである。この「統治する」は「支配する」だろう。「統治する/支配する」という「意図」を隠すために、「統治される」と書いているのである。

これは、現行憲法の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と比較すると、さらによくわかる。現行憲法は「政府に戦争をさせない、主権は国民になる、政府の言いなりにならないために憲法を制定した(政府を拘束するために、国民が憲法を制定した)」と言っている。この文章を自民党憲法草案が削除したのは、国民が政府を拘束するのは許せない、という気持ちがあるからだ。国民は自民党の言うことを聞け、というのが自民党の憲法改正草案の狙いなのだ。

 そう読むと、各条項の「文言」の変更が明確に見えてくる。自民党が子組みを「統治する/支配する」ために文言を変更しているのである。

*(現行憲法の前文は、次の通り)
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 


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