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今日は,マンガ喫茶にもいってきましたし,ええ,ええ(笑。

今日は高校野球みたあとで,
マンガ喫茶に三時間こもって「進撃の巨人」を10巻まで読んできましたよ,はいはい。

ところがですね,よーく分からんのですよ,
このマンガの全体像が(笑。

巨人が人間を食べる・・・・
これは発想段階でのアイディアですね。深い思想はないです。

ただのグロいマンガなだけです。
で、問題は,このことです。

巨人が人間を食べる必然性が設定されていないので,物語が進むにつれて,
後付けする必要があるわけですよ。

今のところ,謎は二つです。
ひとつは,父親が設定した主人公が巨人化する設定です。

もうひとつは,王政なのに,王が登場していないことです。
こういうとき,ストーリー展開をどうやって予想しますか。

すでに10巻まで来ていながら,
巨人化に関しては,主人公・アニ・隊の母親ぐらいしかありません。

ジャンプコミックの伝統は,ヒエラルキーの上積みです。
これまでは,ここまでしか明らかにしていなかったけど、実は,もっと上があったんだよーん,という方法。

最近のマンガでは,「鋼錬」でもそうでしたが,
親族像(特に父親)の再定義です。

「進撃の巨人」はじつは,こちらがわではないのかと思っています。
「王/父」というヒエラルキー上位の人物たちと,

脅威であり,加害者である巨人達が通底しているか否か,
いま物語は荷担側に誘導しようとしているので,

逆におちつくべきでしょう。
でもそうすると,まさに「鋼錬」です。

おもえば,「GANTZ」の衰退の原因はたみちゃんですw
攻撃的異星人と対抗しうるのは,身近な存在への親近感的恋愛感情だと

「GANTZ」作者は考えたのですね。
そこが間違い。

たみちゃんという一般性と,攻撃的異星人という特殊性を,
等値することは可能か。

可能であると思うほどに,
攻撃的異性人は一般性をもたないという前提が間違いで,

宇宙人は攻撃してくるの方がリアルで,
ブスな彼女のために命かけるの方が虚構的であるという常識のなかに「GANTZ」は沈んだ。

そうのように考えてくると,
戦闘系のコミックを読み進むモチベーションは,

われわれの心理的リアリティひとつにかかっていることが分かる。
つまり,等価交換できるものであるかどうかという,いつもの

常識的なわれわれのスタンスに読書が脅かされるというだけのことである。
私としては,

「父」「巨人」「王」,この三つの関係性が
このコミックの読書推進を支えているように思える,ということだ。
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