ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

平安時代のサッカー

2020-04-26 19:19:14 | 日記

 コロナウイルスの影響で外出自粛となり、在宅の人も増えました。そういう方たちを励ますために、トップアスリートや芸能人たちがSNSを通じてさまざまなメッセージを発信してくれています。特に自宅でできる簡単な運動を考えてくださるのは有難いですね。どうしても運動不足になりますから、できそうなものは私も頑張ってやってみようと思います。
 いずれにせよ、毎日を自宅で過ごすというのは精神的にもきついですよね。本でも読もうかなと思っても、図書館や本屋さんが閉まっているところもあり、とにかく不便ではあります。が、ここが我慢のしどころ。一日でも早く収束させるために頑張りましょう。

 最近はスポーツの種類が増え、オリンピック種目も増えました。それだけ人類が進化したということなのでしょうが、スポーツに似たような遊びが昔から結構あるんですね。平安時代のスポーツといえばまずは鷹狩(たかがり)ですけれど、これは今の馬術と射的を合わせたようなものでしょうか。

 蹴鞠(けまり)も随分流行したようです。足を使って鞠を蹴るという共通点から現代のサッカーといえますが、ルールは全く違います。鹿皮製の鞠を上に高く蹴り続け、その回数を競う競技なので、サッカーのようにゴールはありません。落下した時点で終了となります。チームは四人、六人、或いは八人で構成され、鞠を蹴る技能の修養を積んで演技場に出る資格を得た者を鞠足(まりあし)と呼びました。プレイヤーですね。鞠足は鞠の動静を注視し、その落下する地点を推測して動きます。そして交互に蹴って継続させていくのですが、その回数は数百に及ぶこともあったようです。

 金刀比羅宮の蹴鞠

 演技は上鞠(あげまり)という、サッカーでいうところのキックオフで開始されます。鞠を蹴り上げる高さを鞠長(まりたけ)といい、普通は一丈五尺(約四・五メートル)ほどの高さに蹴るのですが、中には二丈(約六メートル)まで蹴る人もあったそうです。しかし相手のあることですから、あまり高いと相手が困惑します。相手が受けやすい高さに蹴るのがよいとされました。蹴鞠の演技場は懸(かかり)または鞠の壺と呼びますが、この四隅に本木(もとき)と呼ばれる木が植えてあります。この木が鞠を蹴り上げる高さの基準となりました。本木は柳、桜、松、楓、時には梅を植えることもあり、木と木の間隔は三間(約五・五メートル)ないしは四間(約七・三メートル)程度ですから、サッカーと比べ、狭い空間といえます。その空間は日が照っても埃が立たず、雨が降っても水の引くのが早いように工夫されていました。

 平安時代には貴族の間で親しまれ、清少納言も『枕草子』の中で「遊びわざは様(さま)悪(あ)しけれども、鞠もをかし」といっています。足で蹴るので様子は悪いけれども、鞠も面白いってことですね。そして蹴鞠の達人と呼ばれる幾多の名足(めいそく)を生みました。名プレイヤーといったところでしょうか。中でも藤原成通(なりみち)は『古今著聞集』の中で、その技能の優秀だったことが伝えられています。蹴鞠を家業とする飛鳥井(あすかい)家なども生まれました。武家の時代となっても公卿や武家の間で行われ、天皇を始めとしてあらゆる階級の人が楽しみました。江戸時代には庶民の間でも流行を見たようです。

 何はともあれ、公園すら歩けない今の状況が一日も早く解消されることを、切に願うばかりです。

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