けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

Celta 2-1 Real Madrid

2012-12-13 22:46:26 | football
12/13 Copa del Rey Octavos (Ida)
Celta de Vigo 2-1 Real Madrid. C.F.

マドリーのゴール:クリスチアーノ・ロナウド


モウリーニョの試合後プレスカンファレンス
バランについて。負傷か、作戦か?
バランはチャンピオンだ。負傷していたのにピッチに残り、負傷していなかった何人かの選手達以上の仕事をこなしたのだから。最後はセンターフォワードの仕事をしてもらった。なぜなら、もうダッシュやディフェンスとしての仕事ができなくなっていたから。モラタを外したのは(ベンチ外)、私自身の決断。それが良いことも悪いこともある。そして今日は、まずい決断をしてしまった。おそらく、モラタはベンチにいるべきだったのだろう。私が交替をしたのは、我々が負けていたからで、より攻撃的に変えていきたかったのだ。

選手達にがっかりしたか?
当然だ。私をがっかりさせた選手達がいる。だが、私が選手1人1人に意見を言うだろうという予測は、君(質問したジャーナリスト)はしていないだろうね。モラタについて誰が質問したかは思い出せない。だが君に賛成する。モラタは、まだ若くて、荒削りで、大志を抱いている、最高だ。だが彼がもっと良いのは、ミスを犯そうとすることだ。多くを求めず、この試合でプレイしたがらないような選手よりもはるかに良いことだと思う。今日は寒く、雨が降っていた。我々は同じ試合を、同じような目で見ていたと思う。君達は監督の決断を批判するが、しかしおそらく、常に責任を負うのは監督だけではないだろう。私は自分の責任を負い続けるが、それ以外はない。

ベンゼマの負傷
足首に何かあったと思うが、どういう問題なのかは聞いていない。

セルタ・デ・ビーゴ
私は気に入っている。彼らがこの試合を勝つに値したと思うし、この結果は試合内容に則したものだ。彼らは2ゴールを挙げるほど多くのことをしたわけでもなく、我々の1ゴールもそうだ。おそらく、1-0で終わる試合だっただろう。だが彼らは思いがけず2点目を挙げ、それが我々のリアクションを引き出した。しかし彼らの方がピッチでは優れていた。私は、引き続きマドリーの方が優勢だと見ているし、我々が勝つだろうと考えたい。リーガの試合でなく今日負けた方が良かった。これはコパの試合で、我々に希望がある。しかし彼らも可能性をもってプレイすることだろう。

勝ちぬけの可能性
我々の勝ち抜けには、あらゆる可能性がある。4-0や5-0で勝利する必要はない。4-2や2-0、1-0で勝つことだ。歴史的な逆転を演じる必要はない、ただ勝つことだし、我々は勝てると考えている。しかしセルタが、彼らの全戦力でプレイしてくるだろうということもわかっている。我々は勝てると考えているし、ここで勝つよりも、我々のスタジアムにとってより感動的なものとなるだろう。この結果を我々はひっくり返さねばならない。引き続き私は、我々がこのラウンドを勝ち抜けることができると考えている。
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出勤準備で後半は満足に見られなかったので、残り30分ほどを見直しました。バラン、本当に後半28分にカジェホンとポジションを入れ替わってますね。確かにセンターFWになった後でも、たいして動けていないので……本来であれば、変えてあげたい状況だったんでしょう。試合終了後、パコ・エレーラ監督と挨拶した後、モウリーニョが真っ先にバランを労っていたのには、理由があったということか。
マドリーのゴールは、アロンソの縦パスにクリスチアーノが抜けて…と、それまで苦労していたのが信じられないくらい、シンプルな攻めが決まったもの。この連携も、ある意味マドリーの飛び道具みたいなものか。この1点があるとないとでは、第2戦の気持ちの持ちようがだいぶ違うでしょうし、そういう意味では大きなゴールでした。ベンゼマも負傷交代した状況で、こんな時でもちゃんと結果をしだしてくれるのは、やっぱり大きい。


マルセロ
すべてが順調。マルセロは、バルデベバスへ往診したオランダ人のファン・ダイク医師から承認を得た。手術以来1ヶ月待ち望んだギプスが外されるとすぐに、ファン・ダイク医師は骨折箇所が完全に治癒していることを確認するため、マドリーを訪れた。
結果はポジティブなもので、彼の回復は予定どおりだ。マルセロは、ブラジル代表のトレーニングで右脚中足骨を骨折し、10月21日にアムステルダムで手術を受けていた。
当初の予測では、3ヶ月の離脱だった。回復過程の半分まできて、すべてが順調であることがわかっている。マルセロ自身が最近、彼の上機嫌ぶりを示していた。「すぐに戻ってくるよ」と、彼はソーシャルネットワークで伝えた。
マルセロは連日バルデベバスで、午前と午後のセッションをプールと理学療法士との間を行ったりきたりして、トレーニングしている。これが彼のリハビリの基本となっている。
彼は、できるだけ早くコンディションが整うのを待っている。原則として、マルセロの考えは、1月末には戦力となることだ。1月中旬にはチームのトレーニングに戻れること、そしてそこからモウリーニョの召集に入り、多少の出場時間を楽しむことから始めるだろう。彼のプランは、2月に再開するチャンピオンズ・リーグで、完全にフィットした状態になるというものだ。
マルセロは、重要な試合がやがてやってくることを十分わかっている。休暇の間もブラジルに戻ることは考えていない。彼はマドリーに残って、リハビリの過程を遂行し続けるだろう。

サルガド

2012-12-13 00:17:23 | football
セルタ戦の前だからなのか、ASにサルガドのちょっと長めのインタビュー記事。どうも今のマドリーには辛辣なようですが(まあ仕方ないか)、移籍当時の話、デル・ボスケへの敬愛、今のセルタ、マドリーについての批評、将来は…?と、いろいろな話題が少しずつ。
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Q:ドバイではどうしていますか?
A:ブラックバーンを出たのは経営的な問題のためで、彼らはベテラン選手達を削らなければならなかった。選択肢はあったが、スペインでプレイしたいと思わなかった。そして家族のことを考えて、子供たちの教育のために海外で続けることにした。それでドバイを選んだ。監督のコースは、既にアイルランドで修了しているよ。アル・ジャジーラと契約したし、ドバイ・スポーツ・シティのディレクターにもなった。この1月から始まったプロジェクトで、6歳から16歳の子供達のアカデミーがあるんだ。

Q:あなたのキャリアについて話しましょう。どのような形でセルタに加入したのでしょうか。
A:私は13歳だったよ。コジャ(Coya)の近所の貧しい家庭の出身だった。セルタのレジェンドでペペ・ビジャールという人がいて、ビクトリアというチームでプレイしていた私に連絡してくれたんだ。彼はいろいろ尽くしてくれた。いつも居酒屋にやって来て、私の父に私を信頼するようにさせたんだ。

Q:プリメーラでのデビュー戦を覚えていますか?
A:マドリーとの試合だったよ。1995年1月22日、サンチアゴ・ベルナベウ。19歳だった…。

Q:それは大変な…
A:それで、3-0のデビューだよ! イエロとブージョは私に対してヒートアップしていたね。私は15分間出場して、右のインテリオールでプレイした。私はただ走っているだけだったよ。遅れていって(タックルが?)ブージョと衝突し、それからイエロともぶつかった。それで最後には彼らと喧嘩になった。「俺たちはここで3-0なのに、お前はそんなプレイをして…失せろ!」(って感じのことを言われたようです。ちょっとここ、全然違うかも。すいません)

Q:マドリーへの移籍がどうだったか覚えていますか?
A:あれはセルタにとって素晴らしいシーズンだった。驚異的なチームだったよ。私は代表デビューもしたし、11月からは欧州中からオファーが集まってきた。でも私はマドリーに行きたいと思っていた。待って…待って…でも何もなし。違約金は20億ペセタで、ディフェンダーにしては高すぎる金額だった。それが、私がバカンスに出かける日、バカンスに行く飛行機のステップに足をかけたところで、代理人のカルバハル(おなじみの)から電話がかかってきた。「彼らは支払ったぞ!」とね。

Q:マケレレと一緒でしたか? (マケレレもセルタにいました)
A:いや、彼は1年後だ。義理の父に尋ねられて、私は彼を推薦した。
(サルガドの奥さんは、サンス元会長の娘)

Q:そう、あなたの義理の父親になるのに、そう長くはかからなかった。違いますか?
A:3ヶ月で、もう今の妻と一緒になっていたね。

Q:人々は、あなたを「賢い」と言っていたでしょう。
A:私にとっては良いことではなかった。その夏に(翌夏?)、義理の父は選挙で敗れた。さらに悪いことに、誰も私を信じてくれなかった。それで、フロレンティーノ(ペレス)と個人的に話をしなければならなかった。

Q:何と言ったんですか?
A:会長、あなたは私のことを知らないし、私もそうです。でも周囲が何と言っていても、私はマドリーを出て行きません。私は誰に所属しているのでもない、ただマドリーに所属しているのです、と。それで、契約延長にまで至った。

Q:ローゼンボリ戦でトリビュートを受けるまでに至りました(マドリーからの移籍が決まり、ベルナベウ杯ローゼンボリ戦でお別れセレモニー)。ラウルがそうした扱いを受けていないのをどう考えますか?
A:それは、その人、その時期、物事がどう動いているかの問題でもある。いつかは彼に相応しいものがあると確信しているよ。

Q:なぜ移籍したのでしょうか?
A:移籍を決める前にはずいぶんと泣いたものだ。決断を下す2日前には、夜中ずっと。マドリーは私にプレッシャーをかけなかった。相互に決めたことだ。マドリーを離れるというステップを取るのは、辛いものだ。このチームは私の血の中に流れている。

Q:モウリーニョによるセルタの経営はどうですか?(このモウリーニョはセルタの現会長)
A:最も難しい部分は既に過ぎた。経済的な面を安定させることだ。セグンダでの厳しいシーズンが合って、経済面の努力がなされた。今は、他のスポーツクラブに比べると、その状況はずっと良くなっているし健全だ。

Q:ではスポーツ面では?
A:パコ・エレーラ監督とは、この夏にたくさん話をした。指揮している選手のうち14人は、初めてのプリメーラだ。これはハンディキャップになる。しかしそれが、ファンが自分達のチームのアイデンティティとして捉える部分だ。セルタは再び手本となっている。イアゴ・アスパス、オウビーニャ、アレックス、その他の選手達も多くのものをもたらすだろう。そして、常にボールタッチをしていく、セルタの歴史的なフットボールスタイルを維持していく。セグンダでもそのスタイルをしていたんだ。

Q:セルタの一部を購入するというオファーを受けていた、あるいはそう望んだというのは本当ですか?
A:そういうのはちょっとプライベートなことだから…

Q:ではイエス?
A:セルタは、第一にはパコ・エレーラだが、昇格した後、彼らと共にプレイするという図を描いてくれた。フットボールをするという考えに私は誘惑された。ファンにとってもすばらしいことだろうと。しかし私は別の難しい決断をしなければならなかった。

Q:では、マドリーの話をしましょう。モウリーニョの下でアイデンティティが失われているのでしょうか?(このモウリーニョはモウリーニョ)
A:モウリーニョは難しい時に素晴らしい仕事をしている。しかしこのシーズンが終われば、マドリディスタのアイデンティティと共に、将来のプロジェクトについて考えなければならないだろう。モウリーニョがマドリーと契約した時、彼は誰にも嘘をついていなかった。誰もが彼のアイデンティティや彼の仕事のやり方を知っていたんだ。私はモウリーニョへの不満はゼロパーセントだ。彼は、バルセロナが優勢になっている難しい時期にやって来て、グアルディオラの時代を終わらせることができた。リーガも獲った。それが求められたことだ。それから、フットボールのやり方、スタイルがある。

Q:イメージの話を。「ギャラクティコ」という言葉が、マドリーに害となったのでしょうか?
A:それが害であった時期はあったね。間違った判断がなされた…

Q:例えば?
A:そう…デル・ボスケの前か後かということだ。彼が出て行った後の最初の年、出て行ったことがチームにとって厳しいことであった上、我々には本当に運もなかった。3月までは、こんなに順調なシーズンは経験がないと思っていた。3冠すら容易に達成できそうだった。

Q:何が起きたのでしょうか?
A:私から言えば、フィジカルよりもメンタルの問題だった。すべてに勝たねばならなかったのに、国王杯では延長の末サラゴサに敗れた。それに続いて、チャンピオンズでの敗退。4-2で勝ってからモナコに行ったのにだ。それが我々を殺した。そこから、我々は勝てなくなった。

Q:デル・ボスケの何がそうスペシャルなんでしょうか?
A:彼は、最も難しいマドリーのロッカールームに、うまく対処していた。それは彼がロッカールームを放任していたからというのではなくて、彼のおかげで素晴らしいロッカールームになっていたんだ。彼は決してロープで締め付けるようなことはしなかった。デル・ボスケのロッカールーム内外での行動から、彼に対して敬意が払われていた。お互いに敬意があった。取締るルールなどなしに、何をするべきで何をしないかがわかっていたんだ。そして、それぞれの個人的な生活の状況も理解していた。ロナウド、ジズー、フィーゴ、ラウル。それぞれに変わった個性があったけれど、彼はすべてをノーマルなこととして捉えていた。

Q:彼が去って、マドリーが崩壊するのに何が変わったのでしょうか?
A:いいかい、デル・ボスケがいる時は、悪い結果でも選手達に影響はなかった。プレスカンファレンスでも何も起こらなかったからだ。そこからは、誰もが静かに出て行った、マスコミでさえだ。誰もがすっかり落ち着いていた。ファンまでも、ベルナベウにいって話すのはフットボールのことだけだった。

Q:教えてください、時には怒り狂っていたように見えましたが。
A:おい、デル・ボスケだって興奮するよ。ユーモアもあった、本当にもうめちゃくちゃな…

Q:教えてください…
A:だめだめ…できないね。でも彼は本当に良いユーモアを持っていたよ。

Q:彼がいなくなって何が変わったのでしょう?
A:クラブは、イメージのレベルで、急激な変化を求めたんだ。最も要求されたのはロッカールームだ。そして新しい監督がやってくると、彼らは急激な変化を、厳しいやり方で実行しようとした。それはロッカールームとの衝突につながった。それにビセンテは、違いを作り出すやり方をわかっていた。彼は、ロナウドには何をして、私にはそうしないということをわかっていた。同時に私もそれを理解していた。彼は、私たちに同じように敬意を持って扱ってくれたけれど、異なる種類の貢献をする他の選手達には、もう少し自由を与えていたんだ。

Q:フロレンティーノが、すべての力を1人の人間に集めていこうとしていると思っていましたか?
A:それは違うように思う。フロレンティーノは、すべてをコントロールすることができる人間だ。そして、彼は非常にすばらしいことをしてきたし、人間である以上、過ちも犯してきた。そしてその過ちを正そうとしていた。フロレンティーノは、厳しい時期を終わらせるための切り札として、モウリーニョを選んだんだ。彼はそのことに責任があるし、それだけの力がある。ただ、スペインにおけるフットボール、特にマドリーでは、そのとおりには行かない。イングランドではそうでも、ここではそういかない。別の文化、構造があるんだ。それが、マドリーで衝突になっている。大きな力が、モウリーニョに与えられた。そして今、それを正すのが難しい。流れを変えるのは難しいものだ。私には驚きだったよ。モウリーニョが、マドリーで一番の力を持つ監督であるということが。

Q:今モウリーニョは、彼の助けになる人物を探していて、イエロのことを検討しているそうです。あなたは志願を申し出ますか?
A:(笑って)私はいつでも正面きって言うよ。私は、マドリーが望むものすべてに対して、私を必要とするならいつでも、申し出るよ。

Q:これはまた、はっきりした申し出ですね!
A:私から申し出たんじゃなく、あなたが聞いたからだよ。私の電話は、いつでもマドリーのために開けてある。モウリーニョにでも、レアル・マドリーの誰からであってもね。私は誰かに属しているのではなく、マドリーに属しているんだ。何のためであれ電話してくれば、私はここにいるよ。

Q:将来の候補(会長?)にと乞われたことは?
A:まったくない。

Q:マドリーにはイエロやラウルのような人がくることになると思いますか?
A:そう思う。そうだろう? マドリーには、以前在籍していた重要な選手たちによって動かされる将来がある。それが誰なのか、いつそうなるのかは知らない。長年にわたって在籍した人たちは、重要なことができるだろう。

Q:会長になることを夢見たりしましたか?
A:会長はないよ。でも確実に何かごちゃごちゃしたところに首を突っ込むだろう。ロッカールームかピッチに関連した仕事でね。フロントにいて、でもピッチに近いところにいられるような役目とか。私はフットボールが好きだから。
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また増えた