星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

サクラチル

2016-04-13 | 五七五
  サクラチルで始まる春も桜咲く

まだセンター試験も始まっていない何十年か前の春、「サクラチル」という一通の電報が私のもとに届いた。
信じられなかった。予想問題が的中した世界史と数学は完璧な答案が書けたという自信から、私は合格を確信していた。不合格なんて思ってもみなかった。
身体も思考も硬直したままの時間。言葉が出てこなかった。家族も無言だった。
その夜、いつものように着物姿で碁会に行っていた父が、何か叫びながらドタドタと走って帰ってきた。「○○~、合格しとるぞ~」???
個人情報保護法のある今日では信じられないことだけど、当時はラジオで夜中に大学の合格者発表があったのだ。「○○大学、合格者、○○○○」
やがて、大学から合格者宛の分厚い封筒が届き、私にもサクラサク春が来た。

大学に入学してから、受験当日大学正門前で電報を依頼した「陶芸研究会」なるものを探したが、大学内に該当する研究会はなかった。まあ逆の「サクラサク」という電報が来て実際には不合格だった、というよりは、はるかに罪は軽い。
その後、就職試験で挫折を味わい、「サクラサク」の後は必ず「サクラチル」のだと悟ったような大人になった。
今年の春も桜は咲いて、散っていった。

  二人から三人になる新学期わたしは介護科一年生

4月から、いよいよ本格的に母との同居生活が始まった。
母は2月に路上で転倒し、大腿骨を骨折して手術、大腸癌も見つかり切除手術。初期で転移なしと、I先生が言ってくれたエイプリルフールの日、ようやく退院した。40日ぶりに下界に戻った母を満開の桜が迎えてくれた。
同居3日目、おむすび持って、25本の桜が満開の近所の公園にお花見に行った。曇り空に時々太陽が出てくると驚くほどの熱線を感じる。春休みの少年達がサッカーをしている。桜の木が集まる場所には、老人会の横断幕がかかっている。ゆっくり歩く人達が、時間差で集まってきて、ついに50人くらいの団体になった。そんなゆっくり老人会を遠目に見学しながら、桜の下のベンチに坐り、バスケットを開ける。あちらにもお弁当が配られている。しばらくすると、アコーディオンが流れ、マイクを持った人が歌い始めた。昭和20年代に青春時代だった人々にとって懐かしのメロディが続く。あっ、母の頭も揺れだした。

♪古い上着よさようなら♪さみしい夢よさようなら♪青い山脈~♪(西条八十作詞)
「しかし、その上着は捨てなかっただろうな、この世代の人達は…」と、今まで一人暮らしをしていた母の部屋を整理している私は思う。石鹸、ティッシュペーパー、ラップ、貼り薬などの膨大な買い置きに驚く。1970年代石油ショックの時トイレットペーパーを買い溜めしたのは、戦中戦後配給切符持って並んだことが原体験としてあるこの世代の人達に違いない。
最近母は、表情が乏しくなって以前のように他人への配慮も忘れかなり自己中心になっている。しかし、薄いピンクの光の中で、公園でサッカーをしている子供達へ注がれた母の目線は、なんとも優しく、桜の下のその横顔をみていたら、とても嬉しくなった。

「良かったね。母さん、今年もお花見できたね。」

私達がベンチに腰掛けておむすび食べ始めたら、サッカー少年の一人が、新型の青い自転車に乗って前を通った。「いいねー」と母がいう。見ていると少年は向こうのベンチに置いたリュックを、満開の桜の根元に置き換えた。お年寄りがベンチに座れるように置きっぱなしのリュックをのけてくれたのだと思う。それを見て、リュックの持ち主らしい三角顔の少年が駆けつけた。聞こえないが「何でこんなところに置くんだ?」と彼を責めている様子。リュックを移動した顔の丸い少年は頬を染めて桜の根元を見ながら黙って笑っている。彼らは、このままの立ち位置で大人になるのかなぁ。
「心優しき少年よ、君の優しさに気づく人もいる。桜の木はちゃんと見てるわ。」
少年も、老人も、一緒に、桜色の世界で微笑む時間。
母が生まれた昭和の初めには、こんな少年達が遊ぶ姿を見ながら、「彼らもやがて兵隊さんになるんだなあ」と大人は思っていたのだろうか。そんな時代が訪れませんようにと、桜の下で真剣に祈る。桜の木の下では、遠い時間が突然訪れたりする。
 
  サクラサク人が集まり時重ね思い重なりサクラチル
 
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