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今の税金、なんと江戸時代の農民の租税より高い!

2017-10-08 09:50:42 | 歴史から学ぶ

@安倍政権になってもろもろの税金が増え、昇給もない現状で税金がこれ以上増えるのは「一揆ものだ」と言う。江戸時代の農民の租税は32.7%、現代は国債負担含め約40%近くになっていると言う。小泉政権での郵政民営化をした結果、国家公務員の4分の1が民間となったとあるが、その後膨大な額の郵政人権費、国家予算編成があったのか疑問ばかりである。江戸時代から明治維新の閣僚等の給与は莫大なものだと言われているが庶民には殆ど知らされていない。「開示する必要もないものは庶民には見せない」は今でも継続されているが「金持ちがさらに金を持ち、その上権力も持つ」とどうなるのか歴史は語っているが現代の日本人は「おとなしい」(音なし)で金持ちと権力者はやり放題が現状だ。既成概念打倒=規制緩和などと言いたくなるが社会システムが複雑な現代は至ることろで不平・不満が勃発する。 その改革へメスが入れられるか? 

  • 織田信長
  •             好奇心旺盛な人で怪奇現象等に興味を持つ、実際に自らが試みる(他を信じない)
  •             性格的に敵を根絶するまでやり遂げることで恐れられた。猜疑心の強い性格であり、結局家臣が謀反するものが多かった
  • 豊臣秀吉
  •             女好きで戦場からでも文を送った、内容も側女への艶っぽい内容が多かった
  •             前田利家の14歳娘の許婚が討死した時、即側室として迎えた。
  •             豪姫の病気治すように稲荷大明神(きつね)を恫喝した
  • 徳川家康
  •             2代将軍となった秀忠、律儀誠実で家康は悩んでいたが家臣には人望があり人気だった。その理由は一度家康が秀忠に夜伽の女性を忍ばせたが、「大御所様より下されたもの」だとそのまま送り返えした。
  •             「大将の務めは逃げること」として馬に乗ることと泳ぐことに励んだ。その後将軍家は乗馬、水泳をすることになった。合理主義者
  • 戦国武将の真実
  •             北条早雲=朝4時に起床、夜8時に就寝
  •             徳川家康=朝6時に起床
  •             明治天皇=朝8時に起床
  •             竹中半兵衛=生涯万巻の兵書を学び、教えること       
  •             太田美濃守資正=軍用犬を飼う(伝達役)
  •             宇喜多秀家=「平和論も大切、捕虜になって外国を知れ」
  •             女性の仕事は鉄砲玉、首化粧(札とおはぐろ)
  •             上杉鷹山の遺言=当事者意識をしっかり理解すること
  •             細井平洲=「政治は国民へのまなざしが大切」を鷹山に教えた
  •             細川重賢=兄の急死で藩主、財政を好転させた(貧困経験)
  •             松平容保=殿様は小魚、麦、玄米を食べずカッケになる
  •             池田綱政(岡山)=子造り70人の最高記録
  •             織田信長=20人以上の子
  •             徳川家康=17人
  •             徳川斉昭=37人
  •             徳川家斉=55人
  •             坂本龍馬=手紙好き、天真爛漫な性格で誰とでも会った
  •             西郷隆盛=大の犬好き、数十匹を飼う、銅像の犬はオス 
  • 幕末の人物
  •             からくり儀右衛門=発明家佐賀藩で蒸気機関、東芝元祖
  •             大田垣蓮月=西郷を動かした「味方勝つも負けるも哀れないりおなじみ国の人と思えば」(江戸無血開城)
  •         寺田寅彦=漱石から学んだ「自然の美しさを自分の目で発見すること、人間の心の中の真なるものと偽りなるものとを見分け、真なるものを愛すること」
  • 江戸時代の出産
  •             現代日本の乳児死亡率は1千人に3人、出生率1.29
  •             江戸時代は1千人に200人、病死も多く出生率は1.0
  •             江戸時代の少子化対策は赤子養育費を用意した
  • 医療問題
  •             現代人の日本は年間14回医者に行く、アメリカ9回、ドイツ・フランスは7回、イギリス5回
  •             医者の数=現代は人口10万人@278人、江戸時代は無免許も多く医療事故も多かった
  • 教育
  •             日本人の90%は右利き、左利きは5%、両方5%
  •             江戸時代の文字認識・識字率は40〜60%よりも少ない
  •             家康家臣の本多作左衛門による法度の看板をすべてひらがなに
  •             お遊戯のはじまりは手拍子から
  •             武士は算盤、寺子屋ではマンツーマン教育
  •             教育費は現代金額で一人当たり@10万円程
  •             武者小路実篤の父の言葉「この子は教育してくれる人があったら、世界にひとりという人間になるだろう」と死ぬまじかで言われら
  •             「八百長」という言葉は伊勢の海親方と八百屋の将棋のイカサマから生まれた
  •             干支のイノシシは中国・韓国・香港では豚=金運があるという
  •             猫=ウサギ、タイ・ベトナム・チベット
  • 結婚と離婚の日本史
  •             現在日本は離婚した場合、夫の年金の半分は妻がもらえる。離婚件数は35%
  •             「妻問婚」男が女の家に通い同居する、明治までは結婚を家政婦の一時働きのように考える風があった、よって離婚も日常で大げさに騒がなかった
  •             江戸時代の名前は右衛門、左衛門、兵衛が半数以上
  •             江戸時代には大名はすべて「松平」を使ったが明治には戻す
  •             戒名で大名は院殿大居士、上級武士は院居士、下級武士は信士
  •             水野南北が人相「南北相法」で占った、若ハゲは運気強し
  •             動物の恩返し(迷信)動物報恩譚が出回る
  • 公務員と税金
  •             当時の公務員数は405万人、郵政の民営化で公務員の4分1が減ったとある
  •             日本の公務員は100人@3.3人、アメリカ8.1人
  •             明治が一番低く1.3人であった
  •             現在の租税負担は20%強、例として1万円で2千円、だが政府が国債を出すことで実質4千円の負担となっている
  •             江戸時代でも農家からの米で32.7%、サービスや製造業は1.3%であった。       
  •             現代は江戸時代の農民の租税負担より重く、多い=一揆があっても当然
  •             相場師本間宗久「本間宗久秘録」
  •                         タイミングは1年に2、3日のみ           
  •                         買うときは2日待つ、儲けたら休め
  •             鉄砲・違法所持への処罰
  •             江戸時代初期には約数十万兆の鉄砲が市場にあり、許可登録制から狩猟のみとなる。幕末には警察による違法銃器押収した。

銀行の価値と将来

2017-10-07 07:53:56 | 世界の動きから見えるもの

@世界の主な銀行業務は従来のモノ+サービス(貸付)ではなく、金融派生商品と国内では日銀の金利で稼いでいると言う。 昨今と違い、従来の銀行の役割がほとんど見えなくなっているのも頷ける。それは低金利で銀行はお金を”置いておく場所”(預金ではなく、貸付もなく)、その他はすでにコンビニ等のATMによってほぼ完結できるまでになった。さらに現金もカード、スマートペイなど電子マネー時代への流れだ。銀行の必要性は一般庶民にはほぼ必要がないと・・すでに小銭を持ち歩かない人も多くいる・・では今後どんな金融システム・ビジネスが生まれるだろうか。「ビットマネー」等キャッシュではなく、電子的なシステムだけで完結するビジネスに移行するのは誰が考えても行き着く。ある意味物々交換的な市場も出てくるかもしれない。「複雑化」で招く世界はいつかは崩壊する世界になるとは昔の人は賢い!

  • ウオール街、シティーが認めたくなかった意外な真実
  • 近年の銀行は他銀行に対する債権と負債で構成されている
  • 基本業務のものつくりやサービス業への貸付は総額の3%ほど
  • 外為取引スピードは1日当たりの国際貿易額の約100倍、英国で1年に決算処理された金額は75兆ポンド、英国国民所得の約40倍
  • その主たる製品はデリバティブ(金融派生商品)である
  • 金融の4つの機能= 決算、資本分配、個人資産の管理、リスク制御
  • 金融の異変原因=グローバル化、規制緩和、技術革新、新たなイデオロギーや言説、社会的・文化的規範の変化など
  • 貿易による黒字・赤字、石油産油国との交易による資金の移動
  • 証券の裏付となる資産の質を評価するスキル人材、資産管理のできる人材が求められた
  • 1972年シカゴ・マーカンタイル取引所で金融先物取引を導入、外為も作物の先物と同じように取引し始めた=デリバティブ証券市場の始まり
  • トレーダー=ジャーナリストのアルフレッド・ジョーンズが最初のヘッジファンドマネジャーとして登場した
  • 代表例はジョージ・ソロスの資産規模265億ドル、元数学教授のジム・シモンズの155億ドル
  • 金融システム=サーチ(探索)とスチュワードシップ(管理)、金融市場によって物的資産とは売買できるものだけであるが、著作権、周波数帯、煙の排出、水分配、ソフトウエアー等は有形資産と無形資産の境界線上にある。多くのモノとサービスは非物質化された
  • ドイツは半分以上の世帯が不動産を所有せず賃貸で、機関投資家、大手保険会社等が分割して保有している
  • 1987年Basel合意で証券化に風が吹きモーゲージ債権が住宅ローンとして市場を奪った(金融革新=住宅ローンの証券化)による世界金融危機を招いた
  • 米国は1950年までインフラは基本的に民間経営だったが政務債務が増え一部を国有化に戻した、そうした中で複雑な資金調達で債務隠しが勃発していた。
  • 米国大手企業に資金需要はない=株主・社員への配当分としており、2013年、170億ドル調達したアップルも事業拡大ではなく投資家と社員向け資金であった
  • ベンチャーキャピタルが生まれ企業支援をするようになる、セコイヤキャピタル等、よってシリコンバレーでは金融機関は必要ない。金融顧問会社「四騎士」アレックス・ブラウン、ハンブレスト&クリスト、モンゴメリー・セキュリティーズ、ロバートソン・スティーブンス
  • 隠れたチャンピオン企業(mittlestand)は3分の2がドイツ、スイスとオーストリア圏にある
  • 政府の役割は中小企業に融資とエクイティファイナンスの組み合わせを提供し、必要な助言を持って成長させる事
  • 投資銀行は誰が投資を必要としているのかサーチし、株式ブローカーや銀行管理職、保険代理店といった金融アドバイザーは個人貯蓄者の代理としてサーチと持続的な指導を提供する。
  • 金融改革としての原則       
  •             仲介者の鎖を短く、シンプルで直線的なものすること、市場参加社同士を直結させお金の流れを簡略化
  •             業務に特化した専門家を復活させる
  •             監理仲介業等は投資に責任ももち、忠実に基準を満たす
  •             行動規範に義務をもたせ指導に責任を負うこと
  •             どの業界でも同等に司法書士詐欺防止等をさける
  •             金融業を経済政策の道具として利用すべきではない
  • 現代の金融システムは複雑な構造になっており、金融サービス関係者でも理解されていない。
  • 「大きすぎて潰せない」米国政府の判断は複雑な金融規制が原因でなったこと、よって実体経済以上のサービスが蔓延っていた
  • 古代ローマ帝国の崩壊は社会と組織の「複雑化」が原因
  • 金融業の構造改革の重要課題は
  •             複雑性を減らし、コストを下げ、安定性を高め、貯蓄者と借りての間を情報が流れやすくすること、規制措置と市場の力の組み合わせで実現可能
  • これからの銀行はシティーやゴールドマンがやらない分野(ものとサービス)を広げること
  • 「イデオロギーに依存せず、物事を多元的に見ること」「経済学を実社会に応用すること」

国の独立とは

2017-10-06 07:47:30 | 歴史から学ぶ

@「琉球王国」の領土(海洋を含めて)南北600km東西900kmあると言う。(ちなみに現在の本州の広さは全体の60%、人口は80%、現在の日本は本土5島、離島6,847島からなる)江戸時代前まで琉球は独立した国(当初3人の国王が納めていた)で、アジアの貿易拠点として重要な国であったとある。それも中国(明)依りの文化を中心に栄えた独立国家で、東南アジアへのアクセスも琉球が拠点となっていた。また、江戸時代から明治初期には中国・朝鮮情報を 収集する拠点として、また密貿易で武器の輸入窓口(薩摩藩)となっていた。

さて本題は国としての独立は何を以って独立国家となるのか、現在スペイン・カタルーニャが議会でもめているが、面積で一番小さい国はバチカン(0.44km2)と思いきや1967年に独立したシーランド公国という面積がなんと0.00055km2、人口4人だが、国連は認めていないと言う。ちなみにバチカンは0.44km2、819人、次にモナコ2km2、36,371人。「国家の承認があれば独立国家として認められる」というが、もともとの国家が承認することだという。今までは大国であることが権力と優位を持ち持続できたが、これからは分散・独立による自由=異論分散国家に流れる傾向にあると思う。歴史は繰り返すように大きくなりすぎると統制が効かず悉く分裂しているのはその証拠だ。 日本の心地よさは今後独立国家が生まれるだろうか?

  • 海の通称王国=琉球
  • 沖縄=北の硫黄鳥島から南の波照間島まで直線で約600km
  • さらに最東端は北大東島で、最西端の与那国島まで約900km
  • 琉球列島=大隅諸島、トカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島、先島諸島
  • 北琉球圏=奄美・沖縄諸島=日本の縄文文化系譜
  • 南琉球圏=宮古島・石垣島=台湾・東南アジア・ポリネシアン系譜
  • 960年中国宗統一王朝時代の輸入品=磁器・銭貨・香料・香辛料、輸出品は黄金・真珠・螺頭・螺鈿・硫黄・水銀など、特に沖縄からは夜光貝・硫黄
  • 14世紀後半琉球には3人の王=三北王・中山王・山南王
  • 琉球は日本の琉球として、また中国の琉球としての2面を持つ貿易口
  • 15世紀には中山王による統一後、薩摩樺山久隆の統制下になる
  • 1372年ころから中国、洪武帝との進貢関係を構築、貿易で繋げた
  • 進貢は琉球が171回、日本19回など使節派遣も旺盛だった
  • 琉球交易はジャワ・スンダ・パレンバン・スマトラ・マラッカ・パタニ・アユタイ・チャンバ・アナン・泉州・福州・南京・北京・釜山
  • 東南アジアからの輸入は蘇木・胡椒・織物・酒類・象牙・錫
  • 交易の一つに中国の永楽銭があり標準貨幣として利用していた
  • 1605年頃から薩摩島津家久・忠恒らが琉球征服を仕掛け、幕府家康は琉球に対明通商を復活させ、中国情報を収集させた。統治下では石高12万3700石となった。
  • 江戸幕府は外交に4つの港=長崎・松前・対馬・薩摩(琉球)
  • 薩摩(琉球口)では密貿易も多く蘇州・杭州からの高級生糸を仕入れ販売独占し藩の財源とした
  • 1687年頃には輸出品の俵物=イリコ・干しアワビ・フカヒレが主その他昆布・スルメ・鶏冠草・心太草・鰹節・干しえびとなる
  • 琉球は当時士農の身分区別はなかったが幕府下で身分制度が出来た
  • 江戸時代幕府の意向により琉球は中国化を深め礼儀、王府など擬似中華となる
  • 首里城の屋根は和様建築だが唐破風とし、中国の紫禁城の公式行事を真似た(風水思想採用=首里城龍穴・北の玄武・南に朱雀・西に白虎・東に青龍=四神相応の地形)
  • 魔除けのシーサー等中国文化・政策を積極的に進め、久米村の中国文化・教育(孔子廟建立)など留学も進めた
  • 琉球王国から中国北京までの進貢は約500年に渡り継続された、距離は7600km
  • 皇帝への進貢は煎熟硫黄7560kg、紅銅1800kg、錫600kg
  • 中国福州琉球館にて商売が行われたが貢物はその後陸地で北京まで約60日をかけて運んだ
  • 北京では拝謁後、絵画、書籍、中国陶磁器を購入、約50日間滞在。旅の途中で死亡した者約500名の位牌が福州琉球館の一角にある「崇報祀」に眠っている
  • 琉球国王の冊封と進貢は1404年から約460年も続いた
  • 明治維新の版籍奉還、廃藩置県により首里城、土地人民及び官簿その他諸般の明け渡しとなり、王府は廃止「琉球処分」となる
  • 初代県令は鍋島直彬となり宋主中国の介入を停止、抵抗勢力を押し潰した
  • 幕末の欧米諸国との治外法権・協定税率・最恵国条款を見直した
  • 中国は琉球國、朝鮮、ベトナム等への関与を失くされた、それは日清戦争後に鮮明になり、1885年4月17日の下関での日清講和条約で中国側は領土問題を承認した。
  • 高嶺朝教、護得久朝惟、太田朝敷等の「琉球新報」で若返りを図った
  • 1943年第二次世界大戦後、ルーズベルト大統領、チャーチル英国首相、蒋介石中国主席が琉球の戦後処理に関して独立させるべきかの懸案があった。

なぜ日本は心地よい国なのか

2017-10-05 18:03:49 | 歴史から学ぶ

@「平和」とは戦争を体験していない今の世代では当たり前の世界である。日本の「平和」はなんと江戸徳川時代に生まれたという。それは「生類憐みの令」。だれもが一度は聞いた、学んだ吉宗の改革である。私の記憶でもこれは「悪い犬公方」としか記憶がないが実はこれをもって人の心を転化させたとある。いわゆる「殺す支配」から「生かす支配」へと転換した「命の尊さ」を学んだと言うことらしい。 それは最後の章にある「島原の乱」から派生した「皆殺しで年貢を納める農民がいない」=武士だけでは治世を納めることはできないと、武家社会は農民の年貢で生活していることを身を以て悟ったのである。

  • 江戸時代はなぜ平和だったのか、人命を尊重した徳川時代
  • 世間の声「日本に生まれてよかった」「この国に住み続けたい」。それは日本が「心地よい国」「平和な国」だからだと言う。またそれは落とした財布が戻ってくる、自動販売機が盗まれない、リテラシーが高い・・「徳川からの平和」がある。世界でも稀な260年の長期間
  • 『1806年「鎖国」が守った繁栄』
  •             鉄砲の進化で植民地化が始まる
  •             ロシア・ラスクマン・レザノフの来日国交交渉が日本初
  •             ロシア船襲撃事件(露寇事件、11代将軍家斉)当時幕府は海防対策など何もしておらず戦争しらずの平和であった。事件に津軽兵を百名程警備に当てたが72名が冬を越せず亡くなった。幕府は「民命」を重視、鎖国論へと動くが、開国論も動き始めた。
  • 『1783年飢餓が生んだ大改革』
  •             吉宗・田沼意次政策=米の価格の下落を押しとどめる政策、収穫に応じた年貢量を固定化、年貢率も引き上げ、殖産興業政策推進
  •             田沼の政策は幕府の金蔵を満たすことだったが天候不順等で回復できず、「財政あって福祉なし」=対価を行政サービスとして民に施すことができず、一部田沼への賄賂になった
  •             浅間山大噴火から天明の飢餓=被災村数55、流死者1624名、流失家屋1151戸、田畑被害5055石、火山灰は関東一円に降り江戸でも3センチ程積もった。これにより火山灰が成層圏まで達し太陽の照射を妨げることで気温が低下、冷害で作物不作となった
  •             天明の飢餓は毎日1千人から2千人が餓死した
  • 江戸時代の3代飢饉「享保の飢饉」「天明の飢饉」「天保の飢饉」
  • 天明飢饉後は約92万人の人口減少、6年後にはさらに19万人減少
  • 一揆・暴動で市中は無警察状態になり、火付け盗賊改方の長谷川平蔵が登場し沈静化していく
  • 反田沼派は奥州白川藩松平定信を擁立、田沼政権は15年で終焉。飢餓=一揆=打ち壊しと続く中、米中心の農業構造が変わり始めた
  • 松平は自然災害への蓄えや金銭を蓄える政策を推進、「郷蔵」という貯蔵庫をつくった。また、儒教から「政語」政治的課題の13か条を発令、年貢取立役の地方代官58人中44人を新たに任命、世襲制から有能な代官に総入れ替えした。
  • その一人陸奥の国塙代官寺西封元は36年間仕えた。まず農村を巡回、橋の復興や護岸工事等土木行政を中心に労働力をつけ貧民救済もした。また、人口増加の為「小児養育金制度」で養育費を支給、貧困者には籾2俵を支給、貧しい家でも子を養育できるようにした。その他国からの移住も斡旋し農村の教化に努めた。
  • 幕府は軍事政権から民生重視の政府に転換、学問所や藩校を作り家柄関係なく教育に力を入れた
  • 『1707年宝永地震 成熟社会への転換』
  •             幕府や諸藩は積極的に新田開発に力をいれ日本全国の田畑面積は江戸時代の初めの2百万町歩が18世紀には3百万町歩となった。人口も15百万人が3千万人に増えた
  •             この地震(マグネチュード9.1〜9.3と推定)と巨大な津波(〜10m)で当時36万の大阪の街は1061軒の家屋が倒壊、564名の死者、津波では伊豆下田の5〜7mで912戸、11人が溺死、紀伊半島では地震で12百戸、10mの津波で5千戸、28百名の死者・行方不明者がでた。大阪湾には地震発生後約2時間後に津波が到達、約7千名が溺死。環境破壊と自然のしっぺ返しで耕地が減少、人口も4.5%減少した
  • 江戸社会では「量的な拡大から質的充実へ」と教育の普及により庶民の識字率は世界でも突出しており、「農書」なども多く出回り農業改革が進んだ
  • 『1637年島原の乱「戦国の終焉」』
  •             反徳川的な動きを限りなく武力で弾圧した、特に大名家
  •             後継者=世継の不在も処分対象となり、大名の配置換え等
  •             特に改易=お取り潰しの処分を断行(全国130名の大名)
  •             没収した領地は14百万石に及び徳川一門、譜代大名を配置
  •             老中等の譜第大名は大した石高を与えず権力と戦力分離をした
  •             徳川幕府最後の戦いである島原の戦いは武力の背景「武威」
  •             島原の乱はキリシタン鎮圧が主だったが幕府側は総勢12万4千人の大軍で原城に籠もった一揆勢2万3千とも3万7千人とも言われ、一揆勢は全て殺戮された。幕府側の死者は1万2千名とも言われ、当時全国の武士の1割以上に達し、特に島原・天草の農民・住民を殺戮したことで多大な代償をかけ回復させた。農民がいない為年貢が無く他から移住を募り、10年間の年貢減税などの措置等を余儀無くされた。
  • この乱により幕府は「武断」から「任政」へ舵をとることになる。武士は戦に精を出し、君主の馬前で討死することが忠義であったが、泰平の世では領民の統治にあたる武士としてのふさわしい「徳」をそなえることが大事となる
  • 江戸時代には改易による浪人も多く(約40万人)5代将軍綱吉による「武家諸法度」で武道に励むこと、礼儀を正すことになり、忠孝、礼儀による上下の秩序維持が第一とされた。
  • 「生類憐みの令」による「慈悲」「仁」の心を持たせることで「命」を尊重するという価値観が社会に根ずいた。綱吉は悪い犬公方とされているが実は綱吉こそ徳川の平和に大きく貢献した。「殺す支配」から「生かす支配」へ転換した
  • 鎌倉幕府では「獄前の死人、訴え無くば検断せず」が江戸時代になると幕府が捜査し、犯人を検挙するようになる(人権意識改革)
  • 江戸時代には「命を大切にする」=徳川の泰平
  • 渡辺崋山の「百年の計」長期的な視点を失わないようにすること