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国の独立とは

2017-10-06 07:47:30 | 歴史から学ぶ

@「琉球王国」の領土(海洋を含めて)南北600km東西900kmあると言う。(ちなみに現在の本州の広さは全体の60%、人口は80%、現在の日本は本土5島、離島6,847島からなる)江戸時代前まで琉球は独立した国(当初3人の国王が納めていた)で、アジアの貿易拠点として重要な国であったとある。それも中国(明)依りの文化を中心に栄えた独立国家で、東南アジアへのアクセスも琉球が拠点となっていた。また、江戸時代から明治初期には中国・朝鮮情報を 収集する拠点として、また密貿易で武器の輸入窓口(薩摩藩)となっていた。

さて本題は国としての独立は何を以って独立国家となるのか、現在スペイン・カタルーニャが議会でもめているが、面積で一番小さい国はバチカン(0.44km2)と思いきや1967年に独立したシーランド公国という面積がなんと0.00055km2、人口4人だが、国連は認めていないと言う。ちなみにバチカンは0.44km2、819人、次にモナコ2km2、36,371人。「国家の承認があれば独立国家として認められる」というが、もともとの国家が承認することだという。今までは大国であることが権力と優位を持ち持続できたが、これからは分散・独立による自由=異論分散国家に流れる傾向にあると思う。歴史は繰り返すように大きくなりすぎると統制が効かず悉く分裂しているのはその証拠だ。 日本の心地よさは今後独立国家が生まれるだろうか?

  • 海の通称王国=琉球
  • 沖縄=北の硫黄鳥島から南の波照間島まで直線で約600km
  • さらに最東端は北大東島で、最西端の与那国島まで約900km
  • 琉球列島=大隅諸島、トカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島、先島諸島
  • 北琉球圏=奄美・沖縄諸島=日本の縄文文化系譜
  • 南琉球圏=宮古島・石垣島=台湾・東南アジア・ポリネシアン系譜
  • 960年中国宗統一王朝時代の輸入品=磁器・銭貨・香料・香辛料、輸出品は黄金・真珠・螺頭・螺鈿・硫黄・水銀など、特に沖縄からは夜光貝・硫黄
  • 14世紀後半琉球には3人の王=三北王・中山王・山南王
  • 琉球は日本の琉球として、また中国の琉球としての2面を持つ貿易口
  • 15世紀には中山王による統一後、薩摩樺山久隆の統制下になる
  • 1372年ころから中国、洪武帝との進貢関係を構築、貿易で繋げた
  • 進貢は琉球が171回、日本19回など使節派遣も旺盛だった
  • 琉球交易はジャワ・スンダ・パレンバン・スマトラ・マラッカ・パタニ・アユタイ・チャンバ・アナン・泉州・福州・南京・北京・釜山
  • 東南アジアからの輸入は蘇木・胡椒・織物・酒類・象牙・錫
  • 交易の一つに中国の永楽銭があり標準貨幣として利用していた
  • 1605年頃から薩摩島津家久・忠恒らが琉球征服を仕掛け、幕府家康は琉球に対明通商を復活させ、中国情報を収集させた。統治下では石高12万3700石となった。
  • 江戸幕府は外交に4つの港=長崎・松前・対馬・薩摩(琉球)
  • 薩摩(琉球口)では密貿易も多く蘇州・杭州からの高級生糸を仕入れ販売独占し藩の財源とした
  • 1687年頃には輸出品の俵物=イリコ・干しアワビ・フカヒレが主その他昆布・スルメ・鶏冠草・心太草・鰹節・干しえびとなる
  • 琉球は当時士農の身分区別はなかったが幕府下で身分制度が出来た
  • 江戸時代幕府の意向により琉球は中国化を深め礼儀、王府など擬似中華となる
  • 首里城の屋根は和様建築だが唐破風とし、中国の紫禁城の公式行事を真似た(風水思想採用=首里城龍穴・北の玄武・南に朱雀・西に白虎・東に青龍=四神相応の地形)
  • 魔除けのシーサー等中国文化・政策を積極的に進め、久米村の中国文化・教育(孔子廟建立)など留学も進めた
  • 琉球王国から中国北京までの進貢は約500年に渡り継続された、距離は7600km
  • 皇帝への進貢は煎熟硫黄7560kg、紅銅1800kg、錫600kg
  • 中国福州琉球館にて商売が行われたが貢物はその後陸地で北京まで約60日をかけて運んだ
  • 北京では拝謁後、絵画、書籍、中国陶磁器を購入、約50日間滞在。旅の途中で死亡した者約500名の位牌が福州琉球館の一角にある「崇報祀」に眠っている
  • 琉球国王の冊封と進貢は1404年から約460年も続いた
  • 明治維新の版籍奉還、廃藩置県により首里城、土地人民及び官簿その他諸般の明け渡しとなり、王府は廃止「琉球処分」となる
  • 初代県令は鍋島直彬となり宋主中国の介入を停止、抵抗勢力を押し潰した
  • 幕末の欧米諸国との治外法権・協定税率・最恵国条款を見直した
  • 中国は琉球國、朝鮮、ベトナム等への関与を失くされた、それは日清戦争後に鮮明になり、1885年4月17日の下関での日清講和条約で中国側は領土問題を承認した。
  • 高嶺朝教、護得久朝惟、太田朝敷等の「琉球新報」で若返りを図った
  • 1943年第二次世界大戦後、ルーズベルト大統領、チャーチル英国首相、蒋介石中国主席が琉球の戦後処理に関して独立させるべきかの懸案があった。


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