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命をかけた政治家?

2017-10-10 10:37:02 | 歴史から学ぶ

@江戸末期から明治維新にかけて多くの志士が日本の将来を思い命をかけ戦った。10代、20代の若い世代でこれだけ日本の未来に思いを抱き命を捧げる闘志はどのように生まれ、結果何だったんだろうと。幕末志士の思いは多少時代の時差はあるがほぼ同じように「日本の近代化」と映る、現代に照らし合わせるとそれは「経済改革」にも匹敵するのか。歴史的には国が大きく動く・転換するのは唯一「独裁者」「ワンマン政治」だったとある。賛成多数の政治・自由主義がこれから本当に「政治生命に賭ける」政治家として出てくるだろうか。米国前大統領オバマも多くの公約が結局「多数決」で否決されれば何もできない、進めない政治と化した。何事も一人ではできない、政治も協力できる部分で双方が協力しあうこと、これがこれからの政治の進め方だと信じる。 

  • 朱子学者佐久間象山、1811年松代藩城下、父佐久間一学(56歳)、母まん(37歳)に生まれる。佐久間家は5両5人扶持、父は武士・卜伝流の達人、儒学の素養が深い、藩主は真田幸専(ゆきたか)
  • 1841年名君松平定信の息子藩主真田幸貫が幕府老中に任命された。翌年海防掛になると同時に佐久間象山が顧問的役割を担う。が朱子学(あらゆる事物野中に真理を見て、施策を重ずる静の学問)を主とし、陽明学(学んだことを必ず行う行動を重んずる動の学問)を嫌っていた。
  • グローバルとローカル、グローカリゼーションを唱導(グローバルに物をみながらローカルに生きる)20歳で一国(藩)に属す事、30歳天下(日本国)に属す事、40歳で5世界(世界)に属す事を知った
  • 象山こと啓之助は孤高狷介・傲岸不遜の性格「他人と協調性がなく、妥協性が薄い。常に己を高しとして他人の言う事は聞かない」ただし精神の清さは無類なものがある」幸貫曰く。
  • 父からの教育は「武士は弱い民を守るのが役目」「頭を下げる事は決して負けではない、礼儀を尽くせ」と学ぶ、また「相手の良いところ・長所を生かす」「必ず良いところをとって褒める、伸ばすこと」
  • 「学者の権威とは他人が決めるもの、権威を持つには万人から尊敬されるような学説を保持していなければならない」
  • 徹底的な勤倹政治を行った白河藩主となった松平定信は現代の「敬老の日」を創設、毎月老齢者を招き意見を聞いた「敬老精神」と日本で最初の公立公園、「白河市立南湖公園」を造る。また人口を増やすため食料の増産を図り、増反政策、灌漑用水なども推進させた
  • 江戸では小石川養成所、江戸施設などの運営など経費も全町会から「7分積立金」節約金の70%を拠出させたアイデアマン。
  • 「現代人はああ忙しいと言っているが実際に必要な事をしているのは10の内1か2くらいだ。くだらない、つまらない仕事を必要な仕事と思っているから忙しいのは当然だ。本当に事を為そうと思うものはこんな穴に入ってはいけない」(現代訳言志録31条)
  • 「人間は若い時には時間を惜しむ事を知らない。知っていたとしてもまだ時間はたくさんあるからと考えて惜しまない。が40歳以降になって初めて時間の大切な事が分かる。でももうその時には精力も気力も減退している。だから学問を修めるのには、気力のある若い時に志を立てて励むべきだ。そうでないとどんなに悔いても悔いても足りないような事になる」(言志録123条)
  • 「克己の工夫は一呼吸の間にあり」(自分に克つ工夫は一呼吸の間になる。いろいろ思い悩まずすぐに行動すべきである)(言志録34条)
  • 「敬忠・寛厚・信義・公平・廉清・謙抑の6事12字は官におる者のよろしく守るべきところなり」(言志録197条)
  • 「他人を見る時はその優れたところを見るべきで、欠点を見てはならない。欠点をみれば自分が優れているため、傲の心が生ずる。優れたところをみれば自分より勝っている事がよくわかりさらに努力発奮する。これこそ自分の利益になる」(言志録70条)
  • 「悔いという字は善と悪の境目にある。優れた人は後悔をバネにして切磋琢磨して善に向かう。がつまらない人間は悔いてやけを起こし悪に堕ちていく。だから確固たる志を立ててぐずぐずするような悪い習慣から抜け出なければならない」(言志録21条)
  • 「若い時は得てして易しい事を難しく書き、年をとるにつれ難しい事を易しく書く」=読み手への愛情を持つ事
  • 江戸時代の成長期と不景気
  •             成長期=元禄、明和・安永、文化・文政の3時代
  •             不景気=享保、寛政、天保の3時代
  •             経済を盛り上げた時代は必ず「重商主義」をとった、また「衣食住などの生活文化化」で内需を生んだ=政治指導者はすべて率先垂範の独裁者・ワンマン政治を行った。周りにブレーンはほとんどいない。居ても「仰せごもっとも」の茶坊主ばかりだった
  • 「武士の都市」から「市民の都市」へと商工業者の町へと変身した、その中で駿河屋、尾張屋、三河屋、遠州屋、伊勢屋、広州屋が栄えた。今でも残る者は石川県金沢の前田文化である。
  • 「人間行動においての評価は、必ずしも何をやったかという内容や実績ではない。誰がやったかという、やり手に絞られる」
  • 象山の現実的な意見「千里を走る馬は一食にもみ米1石を食う。私は千里も走れないが5百里は走れる自信がある。だとすれば一食にもみ米5斗くらいは食い尽くす、にもかかわらず今の私の給与は5両5人扶持。せめて元の百石に戻してもらえればこの馬も自信を持って走れます。」
  • アヘン戦争=清国の半植民地化=イギリスは南京条約で次々と難題を投げ、賠償金、領土・開港、最恵国待遇、領事裁判権を得た。
  • 象山の海防八策、幕府が却下した理由は財政問題と幕臣の先入観と固定概念が邪魔となった   
  •             要害に砲台を築いて敵の来襲にできるようにする
  •             オランダ貿易において輸入を規制し、銅の流失を防ぐ
  •             洋風の大型船の建造
  •             海運関係の人材育成
  •             戦艦を建造、海軍の要請
  •             学校を興し節義をわきまえるような日本人を養成
  •             賞罰を儲け公平性を保つ
  •             地方からも才学ある者を登用、中央政府に採用
  • 以上は勝海舟(実は妹は象山の嫁)が同じような意見書をペリー来航後に幕府に提出している
  • 象山はオランダ語を黒川良案から必死に学び2ヶ月で終了した。毎晩午前2時頃まで勉強し、午前4時にはもう起きて机にむかった。(ハングリー精神があればできる)16冊・百科事典
  • 諸外国の書物からガラスの製造、電気医療機械、地震計をつくり、地方の産業振興役を勤めた。
  •             改革の目的を明確にする
  •             協力者一人一人の協力度の寄与度、貢献度を明確にする
  •             その評価を必ずし、信賞必罰を明らかにする
  • リーダーとしての秘訣は
  •             トップの目的を明確に確立する
  •             それを全員に周知徹底する
  •             中間管理職が先頭に立ち、従業員のモラールを高めること
  • 「喜び・魅力・やり甲斐」3つを発見することが必要
  • 象山は達成する為、1、食事は1汁1菜 2、村民からの饗応は謝絶3、飲酒は禁止とした
  • 産業振興では、馬鈴薯の栽培、金銀銅の鉱山調査、植林、水道の敷設、養豚の飼育、漢方薬の国産化、硝石の生産、ぶどう酒の生産、薬用人参、大砲・鉄砲鋳造。象山の発明の中にはペリー来航の5年前に電線をつかった通信実験をしたが、藩からは金食い虫と言われた。
  • 象山は3つの壁を打ち壊すことだった
  •             物の壁(物理的な壁)
  •             仕組みの壁(制度的な壁)
  •             心の壁(意識の壁)
  • 象山は江戸に戻り砲術学校を開校、約70名の生徒があつまった。その中には勝海舟、九州大名家臣(薩摩)がいた。その後フランス語を学んだ。「和魂洋芸」で和魂は大和魂「東洋の道徳」で洋芸は「西洋の科学技術」を東洋の精神を忘れず導入することだった。これは象山の教育方法で実地検分を重視したものだった。
  • 勝海舟はその後幕府に対して日本の海軍を統合 、国防力増強すべきだと進言したが財政難を理由に幕府は対応しなかった
  • 1841年藩主真田幸貫が逝去、象山に松代に戻るよう指示があったが戻らず、ペリー来航と重なり幕府が象山の意見を聞く。防衛にあたり松代藩がその任に当たることを提案したが資金不足、象山反対派の意思で実行できなかった。その後幕府は象山を登用し、一変して反象山派をお役御免とした。吉田松陰などの門下に対して「次の目標に向かってしっかり歩め、自分の置かれた立場をしっかり見据え妨げる小石があれば蹴っ飛ばして行け」と説いた。
  • 佐久間象山による先見性で横浜港を開港した。補佐したのは海防掛目付けの岩瀬忠震であった。
  • ジョン万次郎が山内容堂にいた時点で開明的な坂本龍馬が居わせている。その後坂本龍馬は海援隊を組織した。
  • 佐久間象山、吉田松陰がその後捕縛され蟄居となる。7ヶ月蟄居の間象山は「省諐録」(自分の過ちを省みる・意見が正しいこと・日本国にとって必要なこと綴った)
  •             国家体制、国防策、鉄砲術、軍隊、敵情報等
  • 「人間は一度つまずくと一つの知識を得るという」「理を極めること」
  • 君主の5つの楽しみ
  •             一族が礼儀を持ち兄弟の不和がないこと
  •             心を清く持ち家族に恥じず、外の民衆に恥じないこと
  •             時の動きを知り正義から外出さない
  •             自然科学を学び、理を知ること
  •             民衆の生活に役立てること
  • 尊王攘夷、開国論者、尊王国防論者等言われたが最後に松代藩象山の反対派に暗殺された。54歳
  • 「燕雀なんぞ鴻鵠の志を知らんや」(ツバメやスズメのような小さな鳥に、鴻鵠(こうこく)のような大きな鳥の気持ちがわかってたまるか)と嘯いていた。