@伊達政宗の命で日本人で初めて欧州、ローマ法皇と謁見した支倉六右衛門の存在は史上ではほとんど抹消されており実在するものが残っていないと言う。それは幕府のキリシタン弾圧策で徹底的に隠滅させたことによる。もし、当人の日記でもあれば(今後発見されるかもしれない)当時の日本人が見た世界を知る大きな手がかりとなる。支倉の「人のために生き抜いてきたことを誇りに思う」だけが残っている。運命(時代との境遇)とは実にはかない、江戸後期のジョン万次郎(1827〜1898)との待遇の差、支倉が諸外国の知恵、知識をもっと共有していたならどんな世界になっていただろうか。鎖国・キリシタン弾圧など現在の自国優先主義政策は、まさに世界の孤島に舞い戻るような気がする。政治力・政治家の思いの閉鎖的環境は庶民、国民に取って「グローバル時代への対応」を単純に回避しているだけで無策の国と判断してもおかしくない。 批判は誰でもできるが、政治家にはもっとリーダーシップある「創造力」(新たな政策案)を求めたい。
『侍』遠藤周作
- 藩主の命によりローマ法王への親書を携えて、「侍」は海を渡った。野心的な宣教師ベラスコを案内人に、メキシコ、スペインと苦難の旅は続き、ローマでは、お役目達成のために受洗を迫られる。七年に及ぶ旅の果て、キリシタン禁制、鎖国となった故国へもどった「侍」を待っていたものは――。政治の渦に巻きこまれ、歴史の闇に消えていった男の“生”を通して、人生と信仰の意味を問う。
- この小説は1613年支倉六右衛門(1571~1622)が伊達政宗の命を受けて浦港から出国、メキシコ、マドリッド、ローマでの法王との謁見し、成果なしで帰国する。その後幕府のキリシタン弾圧策で支倉および同行者はキリシタンに殉教した(役目を果たすために一時的になった)と言う理由で切腹する。
- 日本人最初の欧州渡航は、同伴したの支倉(本文では長谷倉・侍)、商人含め数百名だったがローマまでの謁見には通訳としてのルイス・ソテロ神父(本文ではベラスコ・通詞)の数人。渡航の目的は伊達政宗の奥州での長崎のような外国に開港した港町の開発、その為の欧州諸国との交流、またベラスコは日本での布教を強い意志も持って説得することだった。 さらに藩の目的は大船の造り方、動かし方、海の航路で水手を商人と交えた「囮」であったことだ。
- 商人たちは最初のメキシコでの商売をきっかけに帰国、商人たちも商売のためにキリシタンに一時的に殉教したがお咎めなしとなったが、その後帰国した「侍」とベラスコたちには、一切諸外国の話などはさせない仕打ちで幕府と藩との判断で「侍」等はその後酷い仕打ちを受け処刑された。
- ベラスコの思う日本人とは、「日本人は他の東洋の国々の民族よりも宗教心に熱く、心理を悟理解力を持っていた。逆に他国の人間より優れた理解力や好奇心を持ちながら、現世に役立たぬもの、無用なものを拒絶してきた民族は世界にいない。日本人は自尊心の強さと礼節とを備えていた。よってこのような人間たちが長年、神の恩寵を知らずに生きてきたことは不可解に思った。 日本人のよくやる駆け引きの一つである「いつでも言い逃れができるように口実を作っておく」事がうまい。」「日本人は恥を忍ぶより死を選ぶことを徳くとしている、キリストの自殺は大罪とは全く違う」
- 「侍」支倉の悟り、イエス・キリストの神威と真意を身をもって悟った。それは「人間の心のどこかには、生涯、共にいてくれるもの、裏切らぬもの、離れぬものを求める願いがあること、『己は人に使えるためにこの世に生まれ参ったと』『人、その友のために命を棄つるほど、大いなる愛はなし』」
- イエス・キリストの言う「人のために生き抜いてきたことを誇りに思い」世を去った支倉だった。