@「信心」を持つことで救われる、とはどの宗教でも言う。しかしその通りである。ここにはいつくかの単純な問答に多くの意味が隠されておりそれを理解するのは自分自身の経験(知識は実践して理解でき意味が解る・迷いは経験)が必要になるとある。それは「我欲」ではなく「利他行」と言い他人のためにかける欲である。「人の役に立つ生き方が自分を生かす」という「行い」が価値を生み出すのだ。 気になったもう一つは「虎の意を借りる狐」(聞いたことを他人にひけらかす風潮)。現代のSNS/Twitterでこのことが多数発生しており、嘘(フェイク)も真実に化ける可能性も出てきている現象が怖い。
『大阿闍梨酒井雄哉の遺言』玄秀盛
- 新宿歌舞伎町で拠点を構え、5万人以上の社会弱者を救済してきた「日本駆け込み寺」代表の玄秀盛氏が、千日回峰行を二度満行した大阿闍梨・酒井雄哉師(2013年9月23日に遷化)と交わした師弟問答を振り返る。師と交わした会話や問答について多くを語ってこなかった著者が、悩み苦しみ、自他の命を軽んじる事件の絶えない現代社会の実情を受け、「今こそ、オレに遺してくれた阿闍梨サンの言葉を伝えたい」と師匠との逸話を紹介する。
・「お経で人が救えますか」救えへん。自分自身の信じる心が救う、お経じゃない
・「悪人を救う意味があるんですか」当たり前や。善人なんかこの世におらん。命は善悪で見るものではない 悩むから悟ことができて、悟から悩みが出て来る、悩みと悟りを行き来しながら生きていくのがええのや
・「命って何ですか」命は作られへんのや。自然に止まるまで止めるな 命はお返しすることで意味がある。それは生かされているからや
・「『生き仏』ってなんですか」学んだことは詰め込んでおくものと違う。実践していって意味がある
・「欲って、持ったらあかんのですか」欲は必要や。欲が無かったら生きていかれへんから。問題は欲のかけ方や
・「その話を他人に言うてもええですか」同じ言葉が別の人に通じるとも限らん 理解でけへんことを鵜呑みにして、誤解も生まれやすい
「虎の意を借りる狐」(聞いたことを他人にひけらかす風潮)
・「金儲けは悪いことですか」いや、使い方の問題や。価値を何倍にも高めた使い方をしないとダメ
・「『一日一生』ってどういうことですか」良きにつけ、悪しきにつけ、全て今日で終わり、明日に持ち越す必要がない 囚われない心。執着しない心
朝の挨拶をすることで変わる
・「生きる意味ってなんですの」人間の生きる価値は「行い」や 奪うから与える生きたかに変えると心の不安がなくなって安寧がやって来る
・「右手と左手はどう違うんですか」清と濁、欲と無欲、光と影、前と悪、両方持っているから人間
・「なぜ答えを教えないんですか」生身を持って生きている自分にふさわしい答えは、その都度変わるものや 迷いは経験になる。足場が定まらんから経験が身にならん
・「生まれてきてよかったんかなあ」人を助けるということはその人の代わりにやってあげることでは無い 自力を奪い取るようなのは人助けでは無い
・「なんで、きついのに歩くんですか」「念」は今の心、「忍」は刀の心、 心のコントロールの仕方が違う
「人間にとって迷いや苦しみがあるのは悪いことではない、迷いや苦しみがあるから悟りもあるんだ」