冷え込むと、頸椎椎間板ヘルニアによる右手のしびれと、左手首靱帯炎症による痛みで、辛いものがある。
しかし、天気が良いので、今日も「ミー散歩」
本日のルートは、平・胡摩沢界隈。磐城平藩・鳥居公の菩提寺、長源寺まで。今日も、駅北側だ。
長源寺は、関ヶ原の戦いの際、伏見城で討ち死にした鳥居元忠公の菩提を弔うべく、建立された。御朱印百石、将軍家から厚遇された。
山門には、徳川家の葵の御紋。
寺内には、鳥居元忠公の墓所のほか、越後福嶋藩を改易になった堀忠俊の墓もある。いずれも、市の文化財だ。今回は時間がないので墓所までは足を運ばず。
「胡摩沢」の由来、一説によると、弘法大師が護摩を焚いたところとのこと。
高麗橋(通称「幽霊橋」)のあるところは、古地図によると江戸時代は地続き。
ここから六間門を通って本丸方面に行っていた。ということは、橋の下の道路、これも古地図に寄れば堀である。道路から上を眺めると、急峻な崖が続く。うまく地形を利用して築城したのであろう。
しかし、天気が良いので、今日も「ミー散歩」
本日のルートは、平・胡摩沢界隈。磐城平藩・鳥居公の菩提寺、長源寺まで。今日も、駅北側だ。
長源寺は、関ヶ原の戦いの際、伏見城で討ち死にした鳥居元忠公の菩提を弔うべく、建立された。御朱印百石、将軍家から厚遇された。
山門には、徳川家の葵の御紋。
寺内には、鳥居元忠公の墓所のほか、越後福嶋藩を改易になった堀忠俊の墓もある。いずれも、市の文化財だ。今回は時間がないので墓所までは足を運ばず。
「胡摩沢」の由来、一説によると、弘法大師が護摩を焚いたところとのこと。
高麗橋(通称「幽霊橋」)のあるところは、古地図によると江戸時代は地続き。
ここから六間門を通って本丸方面に行っていた。ということは、橋の下の道路、これも古地図に寄れば堀である。道路から上を眺めると、急峻な崖が続く。うまく地形を利用して築城したのであろう。
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