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最長片道切符の旅(宮脇 俊三著)

2016-04-02 15:58:54 | 雑感
 国鉄の路線(連絡船を含む)を片道切符で最長距離を乗り継ごうというプロジェクト。

 片道乗車券については、JRの旅客営業規則で定義されている。この定義に則ってルート設定したのは、1961年に東京大学旅行研究会が試みたルート。その後の実証で、実際は、最長ではなかったことが判明している。ただ、その際の旅行記が、「世界の旅10、日本の発見」という本に収録されており、その編集者が、宮脇俊三である。

 宮脇俊三は、中央公論社の編集長や役員を歴任。以前ブログに書きコした「時刻表2万キロ」の時は、まだ在職中で、その旅は週末や年末年始にシフトしていた。会社を辞してフリーになってから、宮脇俊三は、最長片道切符の旅に挑戦した。その集大成が
「最長片道切符の旅」である。

  


 北海道の広尾線・広尾駅を出発して、指宿枕崎線・枕崎駅まで、最短だと2,764.2キロのところを13,319.4キロかける旅だ。渋谷駅の旅行センターで切符の購入をしようとするも、発券まで4日、有効期間は68日、金額は65,000円。

 昭和53年10月13日に出発、日程がとれないこともあり、途中下車をして東京に戻り、また中継地点まで行ってから旅を再開する場合もあった。国鉄からJRへ、特定地方交通線として廃止対象となり、JRになる前に廃止された路線もある。国鉄の連絡船も以前は4航路(青函、宇高、仁堀、宮島)あったが、今は1航路(宮島)のみである。だから、今、最長片道切符では、四国に上陸することは出来ない。現在の地図を見て行程を追いかけていっても、途中で分からなくなってしまう。

 北海道の斜里岳脇を通過したときは、「こういう山が内地にあれば歌に詠まれ、名山になるのであろうが、北海道は歴史が浅く、入植した人たちも必死に開拓に取り組まなければならなかったから、この山を詠んだ名歌などはないだろう。」

 そして、郡山から磐越東線で平まで、そこから水戸まで行く行程。「磐越東線は阿武隈山地の中央部を横切って常磐線の平へ抜ける八十五.六キロの線で、会津若松や磐梯山を持つ磐越西線にくらべると地味な線区である。」「左窓に全山石灰岩の大滝根山を過ぎると、夏井川の渓谷に沿って下りはじめる。磐越東線の沿線ではここだけが見所で、紅葉が谷を埋めていた。」やはり、地味な路線でも、夏井川渓谷の価値を改めて実感した。
 平からは常磐線上り方面。16時27分発の電車、「車内は黒一色で騒がしい。男子の高校生で満員なのである。」昭和53年といえば、小生は高校生。おそらく、同級生もその中にいたのかもしれない。「駅ごとに高校生が降りて勿来あたりまで来ると車内はすっかり空いてしまうが、五時を過ぎるとこんどは勤め帰りの人たちの電車となり、・・・・日立では降りる人の何倍も乗って通路までいっぱいになる・・・」やはり、県境で、電車の乗降の状況が変わってくる。

 全国を旅している著者、「どの地方都市とも変わったところはない。見慣れたメーカーの広告があり商品がある。」の曰う。さもありなん。街の個性をどう見せるか。大きな課題だ。

 12月19日は最終日だが、寝過ごしてしまい予定した電車には乗ることが出来ず、八代で旅客営業規則による「継続乗車証明」で難を切り抜けようとしたが、駅員の明快な回答で断念せざるを得なかった。ただ、「この駅員こそ私の最長片道切符に対して真正面から対応してくれた唯一の国鉄職員ではなかったか。私はさっぱりした気持で駅舎を出た。」
 そして、翌日、八代から枕崎までの切符を新たに購入し、枕崎で有効期限がきれた「最長片道切符」に枕崎の駅名印を押してもらった。

 
 整備新幹線が開業し、JRが第3セクターに移行する中、最長片道切符も変遷を重ねている。今は、稚内から肥前山口まで、12,000キロを切っている。不通となっている常磐線については、竜田・原ノ町間が代行バス輸送をはじめたことで、岩沼から常磐線での乗り継ぎも可能となった。
 到底、職に就いている間は難しいプロジェクトではあるが、面白そうである。

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