つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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鳴門の渦をみてフェリーと高速で帰宅

2008-05-31 10:42:00 | 旅行記

P1070468uzu  昨夜、潮見表と観光船の出る時刻を調べると、汽船の始発が良いことが分かり、5月30日の今朝は早めに起床し、ホテルの朝食を摂り、7:30ホテルを車で出かけた。7:50にはうずしお汽船に着き、運賃1500円を払い乗船券を買い、小型高速観潮船うずしおに乗り込み、丁度8時出港。朝一番の精か、ウィークデイの精か、乗客は15人ほどであった。約3分で大鳴門橋下に到達。潮流の速い様や渦を観察できた。8時は干潮時であったが、大潮ではなく、中潮であった精か渦の規模は写真で見ていたものよりは遥かに小さかった。写真は最高の時を撮ったのであろうから、已むを得ないと納得した。それにしても、潮の流れの激しいことは、見たこともなく、感動した。

 20分間の乗船時間の後、帰港。また、ホテルまで帰り、コーヒーをゆっくりいただきながら、新聞を読んで、チェックアウト。9:40ホテル出発し、徳島津田フェリー港には10時半前に到着した。早速、乗車券を購入(往路は予約していたが、復路は予約せず)、往路利用しているので、復路は10%の割引をして貰った。11:10オーシャンサウスに乗船。予定通り、11:30出港。これから長い船旅がまた始まった。

P1070519narutooohashi  部屋は2等寝台で213-C-下だった。出港後すぐに、神戸淡路鳴門道の大鳴門橋と淡路島の数多くの風車が遠望できた。することもないので、船内や甲板を歩き回った。昼食と夕食は、往路と同じメキシコジャンバラヤで済ませた。船内で知り合った人とも色々話をしたりして、旅の内容などを話し合った。

P1000882araami  前半は順調な航行だったが、後半は雨が降り出し、風も強くなって船が揺れだした。ローリングはほとんど感じない程だったが、ピッチングがかなり激しかった。最先端の観覧席(水面より20mはあり、操舵室のすぐ下)で眺めていると、船首が下に向くと海面を激しく叩き、しぶきが前面ガラスの遥か上までかぶって、その激しさを見ることができた。少々船酔い状態になり、気分がすぐれなかったので、ベッドに入り寝た。東京湾に入ってから目が覚めたが、聞くと、ほとんどの人が気持ち悪かったといい、中には吐いたといった人もいた。こうして、荒天のため、予定より45分遅れ、5月31日朝5:45分に東京港へ到着した。雨はまだ降っていた。

 6時過ぎ下船、雨の中そのまま首都高、常磐道を通って7:40帰宅。今回の5月20日に出発した旅は終了した。そのままガソリンを満タンにすると、59.8?だった。この旅での走行距離は1,448km、ガソリンは118.5?を消費した。燃費は、12.22km/?だった。


墓参りの後、備中松山城と鬼ノ城

2008-05-29 21:57:00 | 

 5月29日は妻の祥月命日である。昨夜の残り雨が少し降る朝だった。9時に家を出て、墓参りを終え、戻った息子は、今夕高速バスで帰阪するので妻の実家に残し、小生は9:50に出発し、おじさん宅に寄り、その息子も交え1時間ほど話をして、11時少し前に備中高松上を目指し、高梁市に向った。細い山道をくねくねと上り、11:40、鞴(ふいご)峠駐車場に車を停めた。備中松山城は、天守が現存する12城の中では唯一の山城で、標高430mの臥牛山にあり、現存天守としては最高所にある。

P1070291ootemon  坂道と石段の登城路を登り段々と高度を上げ、大手門跡に到達。大手門付近には大きな自然の巨岩を組み込んだ石垣で重層的な防禦がなされていて、これでは攻撃は非常に困難と思った。実際、戦国末期の天正3年(1575)三村元親(家親嫡子)は小早川隆景の攻撃をよく防ぐが、兵糧攻めに遭い、内応者が続出したため自刃、陥落している。

P1070317tenshu  天守は、2重2階と小振りであるが、内部は予想より広い。現存する天守には唯一の囲炉裏があり、また水谷氏(常陸下館から備中成羽を経て備中松山城主)が始めた御社壇があり、珍しい。石垣、縄張の見事さを堪能し、14:30、次の鬼ノ城を目指し発った。

 途中、コンビニでパンと牛乳とアイスモナカの昼食を摂り、15:50鬼ノ城駐車場に着いた。その脇にある総社市鬼城山ビジターセンターに寄り鬼ノ城の模型(ジオラマ)や、西門の復元モデル2種を見、案内の人の説明を聞いた。7世紀後半に作られた古代山城で、吉備高原の南端に位置し標高約400mの鬼城山に築かれている。東西南北に城門が4箇所に設けられ、水門、角楼、高石垣などにより構成され、高度な技術、考えが反映されている。

P1070382minamimon  大規模な史跡整備と西門や角楼の復元がなされており、ハイキングコースとしても整備されている。入場は無料。

 日が翳り始めたので、18:15駐車場に戻り、1825出発。これから、徳島まで行かなければならない。瀬戸中央道に載り、初めての瀬戸大橋を渡った。途中、今夜の宿のみは予約していないので、徳島に必ずしも行く必要はなく、明朝徳島港に行く前に、折角ここまで来たのだから、是非鳴門の渦潮を見て帰りたかった。そこで、行き先を鳴門市に変更し、20:10鳴門のビジネスホテルにチェックインした。夕食は、近くの村さ来で摂ったが、冴えなかった。


栗林公園と帰省

2008-05-28 20:11:00 | 旅行記

 予定した四国内の9城を訪問したので、今日は、自由時間となるので、朝はゆっくりした。9:45東横イン高松中新町を出て、栗林公園へ行った。折角ここまで来たのだから、是非寄りたかった。いつ頃かははっきりしないが、一度来たことがあるが、何も覚えていない。駐車場をやっと公園の北に見つけ、10時頃栗林公園北門(藩政時代の正門)から400円を払って入園した。入口で貰った案内図に従って園内を散策した。

 公園は、寛永年間(1620頃)と氏之藩主生駒高俊が、紫雲山を背景に南湖一帯を造園し、のち寛永の末に入封した松平頼重が修築、拡大を重ね延享2年(1745)に完成したもので、以来、明治に至るまで松平家下屋敷として使用されてきた。また、園内には総数51科、172種、約32,000本の樹木が生育しており、造成、水、建物、樹木の配列が真に見事である。総面積約23万坪(約75万㎡)で特別名勝に指定されている。何故、これが日本三名園に入ってないのか不思議である。水戸偕楽園よりは、変化に富んでいて遥かに素晴らしいと、思う。

P1070229kikugetsutei  掬月亭では、700円で座敷で抹茶と菓子を楽しんだ。これは、藩主が使用した茶室で大茶室と呼ばれたとのことで、けた外れに大きい。部屋からの観賞を妨げないように雨戸の戸袋はなく、特別な工夫がしてある。

P1070232kikugetsutei  園内を散歩していた地元の方に一番の景観場所を聞くと、飛来峰から偃月橋越に南湖の脇に浮かぶ掬月亭が写真に一番良いと(入場券の写真にも使われている)。構図を変えて何枚もの写真を撮った。

 2時間弱見て廻り、駐車場を出て高松港フェリーポートに向った。時間的にも急ぐことなく、また、帰りに瀬戸中央高速に載る予定でいるため、宇高国道フェリーに乗ることを計画していた。フェリーポートのレストランでかやくうどんの昼食と、同じ建物内にあるコンビニでアップルパイと牛乳を買って食べた。

 13:20発のフェリーで、1時間の瀬戸内海の風景を楽しみ、宇野港に着いた。高速に載らず、一般道をゆっくりと、マンホールの写真を撮りながら、16:00妻の実家に到着した。小生の実家は、車で10分の距離にあるが、両親がなくなってからは、誰も住んでいない。19:30頃、大阪から高速バスで息子がやってくるので、雨のため迎えに行き、妻の両親と4人で大御馳走の夕食を戴いた。明日は、妻の9回目の祥月命日である。


丸亀城と高松城

2008-05-27 20:24:00 | 

 丸亀プラザホテルは丸亀城からわずかの距離にある。またホテルのチェックアウトタイムは11時であるので、朝食後、9:03ホテルから歩いて出て、丸亀城に入った。前夜、ホテルに着いたとき、8階の城側の部屋を準備してくれていて、窓からライトアップされた天守が暗い空に浮かんでいて見事な景観を見せていてくれた。

P1070032marugamejyo  丸亀城は、海抜66mの亀山に四国一番高い3段の石垣を積み、その上に3重3階層塔型の比較的小さな天守を頂く。高麗門と渡櫓門からなる大手門は、大きく立派な枡形虎口で、この城の威厳を十分示している。見事だ! 大手門からは右に行けば御殿表門に至り、左に行けば見返り坂である。長い坂を登り三の丸、二の丸と螺旋状に登れば、本丸に到達する。

 還りは裏側、搦手門跡に出て時計回りに御殿跡を通り、御殿表門を抜けて大手門に戻った。

 11:00ホテルに戻り、11:10チェックアウト後、ロビーで1時間ばかりコーヒーと新聞を読み、パソコンでメールをチェックし過す(今回の一連の旅行中初めてののんびりタイムだった)。12:05ホテルを出発。

P1070103asahibashi  途中コンビニでパンと牛乳の昼食を摂り、やっと香川県立ミュージアムの地下2階に駐車場を見つけ13:20到着。高松城まで数分の歩きである。高松城(玉藻公園)東口入口(左の写真の旭橋手前)に来ると、脇に公園入園者(入園料200円)には無料の駐車場があった。事前に知っておれば、ここに駐車することができたのに、残念!

 高松城は、生駒親正が築城し、水戸光圀の兄松平頼重(常陸下館藩主から移封)が改築した城である。海城で、堀には海水が取り込まれている。天守は3重4階地下1階で南蛮造りであったが、明治17年(1884)取り壊されて、今は天守台が残る。この天守台も崩れる危険があり現在石は取り外されている。今年秋から元通りに積み上げられる予定になっている。天守は市制施行120年にあたる平成22年(2010)の着工を目指している。

P1070138tsukimiyagura  北之丸月(着)見櫓・北之丸水手御門・北之丸渡櫓(左の写真。なお、北之丸は新曲輪ともいう)、旧東之丸艮櫓(現在は、東之丸の東北隅から旧桜の馬場南西隅にあった旧太鼓櫓跡に移設されている)が現存している。これらは、昭和25年国重要文化財に指定されている。三之丸には松平氏の居館披雲閣がある。

 現存する城の周りを2回(1回周回後、有料駐車場から出、無料である玉藻公園の駐車場に入れた)周回して十分堪能して、17時本日の宿である東横イン高松中新町入った。


西日本最高峰、石鎚山登山

2008-05-26 20:27:00 | ウォーキング

 今回の旅行の間、折角ここまで来たのだから是非とも石鎚山へ登りたく、今日1日城廻りを止め、石鎚山登山を計画していた。

 7:35、今治のホテルを発ち、ナビの指示通りに道を採った。8:40石鎚山ロープウェイ下の駐車場に到着。丁度、9:00始発に載ることができた。帰りの最終便は山頂成就社駅発17:00とのことで、これに間に合うように戻る必要があった。

P1000849tengudakeP1000852tengudake   途中前社の森(剣山)付近で、始発と思った小生の乗ったロープウェイの前の便に載ったという、福岡からの男性2人と女性1人(片方の男性の奥さん)の小生と同年輩の3人グループに遭い、以降彼等と行動を倶にした。一番高い74mあるという試しの鎖は迂回し、33mの一の鎖だけを登った。65mの二の鎖、68mの三の鎖はいずれも巻道を通った。一の鎖でお湯を沸かし味噌汁とコンビにで買ったおにぎりの昼食を摂り、途中何回も休みながら弥山山頂に13:20到着した。頂上から360度の遠望を楽しみ、また最高峰の天狗岳(1982m)まで往復した。

 頂上でゆっくり楽しんだ後、14:40下山を始めた。途中は何回か休止したが、16:25成就社到着、本日ここまでの無事のお礼参りをし、コーラで咽喉を潤し、16:45ロープウェイ山頂成就駅に到着した。最終便の17:00には十分間に合う絶妙の時間に戻ってこれた。17:22下谷駅駐車場を発って、19:00丸亀プラザホテルに到着。夕食は、フロントに聞くと、骨付鳥一鶴がよいとのサジェスチョンあり、食す。量・質ともに申し分なくよかった。今日の楽しかった一日が終了した。


秋山兄弟生誕地、湯築城と今治城

2008-05-25 20:16:00 | 

 今日は、朝は曇だったが、昼前からは晴となった。

 昨日時間が短く、また雨も降ってじっくりと松山城を見て廻れなかったので、今朝再度見て廻ろうかと思った。しかし、歩いて近くにある秋山兄弟生誕地跡も坂の上の雲ミュージアムも見たかったので、そちらへ廻ることにした。

P1060774seitanchi  秋山兄弟生誕地跡に行ったが、9:30開館ということで門が閉まっており、中には入れなかった。外から覗いて我慢した。秋山好古の乗馬像、真之の半身像があった。仕方がないので、坂の上の雲ミュージアムへ行こうとそこにあった資料をみると、開館が10:00と書いてある。これでは今からいってもしょうがない、と諦めホテルに戻った。チェックアウトし、9:50ホテル駐車場出発。

 給油モニターが点滅を始めていたのでガソリンスタンドを探してうろうろし、やっと見つけて満タンにした。58.7?、@¥154/?だった。自宅を出て、ここまでの走行距離753.4kmで(フェリーでの洋上は約650kmだがガス消費は当然ない)、燃費は12.83km/?だった。

P1060800yuzukijyo 湯築城の周りを一周し、西口(湯築城搦手にあたる)にある駐車場に10:15駐車した。湯築城は、河野氏の本拠で源平合戦(1180~1185)で功績を挙げ、鎌倉有力御家人となり、伊予国の統率権を得たが、承久の乱(1221)で一時没落するものの、元寇(1281)で河野通有が活躍、確固たる地位を確立した。南北朝時代、通盛の頃には本拠を河野郷から道後の湯築城へ移した。全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより、小早川隆景に開城し(1585)、河野氏の伊予支配は終わった。天正15年(1587)、福島正則が湯築城に入り、東・中予の領地を支配し、のち、府中の拝志城に移り、湯築城は廃城となったと見られている。発掘調査が昭和63年(1988)に始められ、現在それに基づき武家屋敷などが復元されている。城跡は、2重の堀に囲まれており、中央部はこんもりとした山で、森となっており、頂上には展望台が設けられており、そこに立つと松山城の天守閣が望めた。現在、道後公園として市民の憩の場となっている。

P1060848yamazatoyagura  12:15湯築城駐車場を出発、途中コンビニでパンと牛乳の昼食を摂り、13:40今治城市営駐車場到着。3重の堀(海水を取り込み)に囲まれた典型的な輪郭式の海城だったが、現在は内堀とその内側しか残っていない。天守は、藤堂高虎が5重6階を建てたが、伊勢の津に転封となる。同時期家康が丹波亀山城を天下普請で築城の際、この今治城の天守を解体移築したという。もっとも、今治城の天守はもともと造られなかった、という説もある。現在は、昭和55年(1980)に模擬復元された5重6階の鉄筋コンクリート製が立っており、二の丸に山里櫓(西隅)、御金櫓(東隅)と、鉄御門(北隅)それに続く多門櫓・武具櫓が復元されている。また、本丸には、吹揚神社をはじめ数個の神社が鎮座している。

 16:20、今日の宿、ホテルポートサイド今治に到着。


再度の宇和島城天守と大洲城、伊予松山城

2008-05-24 20:38:00 | 

 本日は曇時々薄晴のち雨。

 ホテルで朝食を済ませ、その足で歩いて数分の距離にある宇和島城に出かけ、10分程掛け石段を登り天守閣内部を見る。昨日開場時間に間に合わなく、見ることができなかったからである。終了後、ホテルに戻り10:00にチェックアウト、10:10出発し、11:07大洲城に到着。

P1000783oozujyo  二の丸から北に向かい、二の丸跡の天守台礎石を見、さらにその上の中江藤樹の坐像を左に見て、本丸方面に坂を大きく右に曲がり登る。坂の途中坂が左に曲がる曲輪(ここは本丸の下だが、本丸と云うらしい)に本丸井戸跡を見て更に登ると、暗り門跡を通過すると本丸天守広場に達する。左に曲がり目を西に向けると真ん中に天守、左に高欄櫓、右に台所櫓が連結式天守を形成している。

 帰りにかやくうどんの昼食を近くの食堂でとった。そこの店主とお城の話をしてしていると、この間、脇坂の殿様がこの店を訪れ、やはりうどんを食べた。待っている間に、句を一つ創ってくれたといって額に飾ってあった。13:55駐車場を出て、松山城へ向う。

P1060746matsuyamajyo  うろうろしながら駐車場を探し、やっと市営駐車城にたどり着いたのは15:26だった。ロープウェイ場に着くと、帰りの最終は17:00となっている。時間がない上に、雨まで降っている。帰りは歩きを覚悟して往路のみのロープウェイ代260円を払い乗車券を買う。揚木戸門跡、大手門跡から戸無門などを経て本丸に着くが、雨に霞んで天守は見えない。近づいてやっと撮れた天守が上の写真である。17:00の最終便のロープウェイに乗るために急いで戻った。結局、下りの客は小生ただ一人であった。

 東横イン松山一番町ホテルに宿泊。


足摺岬と宇和島城

2008-05-23 20:12:00 | 

 晴。夕方から曇のちバラっと小雨。

 8:20ホテル出発、国道56号線を南下する。くじらに会える町と銘打った黒潮町を出発からほぼ2時間後に通過中、追い越し車線が終わって前の遅い車を抜いた途端、レーダー探知機が一瞬受信した。制限速度50km/hのところを24km/hの速度オーバーだった。警察もずるい。追い越しする最高速度の出た瞬間をレーダーで測定するのは、将にためにする検挙である。レーダー探知機も瞬間に測定されるので、それが検知した時はもう遅いことになる。これさえなければ、海辺の道路で気持ちよいドライブだったのだが、・・。

P1060540ashizurimisaki 厭な気分になった黒潮町を抜け、四万十市に入るとすぐに四万十川の橋を渡り国道321号線に入リ更に南下する。足摺岬に11:40分着。ここには、38番札所の金剛福寺があった。四国最南端に立ったことになる。展望台からの太平洋は南半分が見通せ、地球が丸いことが分かる。中浜万次郎の像が立っていた。昼食は、足摺グランドレストでわかめうどん(550円)を食べ、12:50足摺岬を後にし、宇和島に向った。

P1060573uwajimajyo 15:35宇和島市、市営城山下駐車場に到着。傍にある桑折長屋門をくぐり宇和島城散策に向った。井戸丸から三の丸、二の丸を上り本丸に到着する。丁度16時になり、天守への入場は時間切れで出来なかった。小振りながら装飾性に富んだ天守閣は、藤堂高虎が慶長6年(1601)に築造したものを、寛文6年(1666)伊達氏2代宗利により改修されたものが現存している。下りは雷門跡、長門丸門跡、を通り代右衛門丸跡脇と式部丸跡脇(どちら進入禁止)を通り、上り立ち門を抜け国道56号線沿いに半周して駐車場に戻った。

 17:40駐車場を出て、本日の宿、宇和島リージェントホテルに17:50着。


室戸岬、高知城と桂浜

2008-05-22 20:43:00 | 

 本日も晴。

 9:10にホテルを出て、海岸沿いの道国道55号線を南に下った。追い越し禁止だが、交通量の少ない道がどこまでも続く。時に、遅い車があってイライラすることもある。それにしても、山が多く、山がすぐ海岸まで迫っていることに驚いた。ところどころ眺めの良い海岸で停車し、写真を撮りながら丁度12:00に御厨人窟(ミクリド)に着いた。洞窟の中の祠にお参りしお賽銭を供えた。

P1060414murototoudai  中岡慎太郎の大きな像を過ぎると、室戸岬燈台はすぐ近くだった。室戸岬の燈台は、海の傍にあるかと思いきや、国道から右に折れて山の上にあることが分かった(山が海に迫って、その上にある)。燈台には通行止めとなっており、行けなかったが眼下にその大きな燈台を眺めた。日本一の一等レンズで灯火位置は水面から約154.7m(地上から燈台頂部まで約15.4m)で160万カンデラで光の届く距離は26.5海里(約49km)だそうだ。傍にある24番札所「最御崎寺」にお参りした。

P1000748shokuji  室戸岬を辞して室戸スカイラインを引き返し、再び国道55号線を高知へ向う。すると、道の左海沿いに綺麗なレストランがあったので、立寄った。丁度13:00だった。キラメッセ・室戸「食遊・鯨の郷(イサノゴウ)」だった。キラメッセ弁当(840円)を食べたが、豪華で飲み放題コーヒー付で、店員も愛想よく総てが気に入った。

P1060520tenshuottemon  気分を良くして安芸市を過ぎ、高知市に入り高知城駐車場に15:22到着。早速高知城に入った。重要文化財の天守、追手門、本丸御殿(懐徳館)が目を引いた。追手門から見た天守閣の写真(左)は東から西向きとなるため、撮影時刻17時では逆光で、また時間もなく旨く撮れなかった。

Sakamotoryoumazou  駐車場を17:09に出て桂浜に向った。ここまで来たのだから、是非坂本龍馬の像を見たかった。海の傍にあるのかと思ったが、やはり室戸燈台と同じく、海辺に面した小高い山の上にあり、思ったよりも大きな像だった。桂浜の海岸まで降りてそこを少し歩き、18:44本日の宿、ホテルロスイン高知に着いた。


徳島へ上陸、城訪問

2008-05-21 20:45:00 | 

 本日は昨日とうって変わって晴。

P1060346blog 5時頃目を覚まし、日の出を見ようと外甲板に出た。もう既に太陽は水平線から上っていた。前日熱帯低気圧に変わった台風4号が過ぎた後だったが、滑らかな航行だった。

 陽が上ってくると、あちこちに漁船が見えた。特に停まって漁をしている様子には見えなかった。9時頃になると潮岬が見え、更に11時半過ぎになると、2隻の護衛艦が我々の船の左側を反対方向に縦列で進んでいるのが見えた。

P1000684blog  12:20頃には、やはり我々の近く左側を僚船のオーシャンサウスが通り過ぎていった。小生が30日の復路で乗船する船だ。朝食、昼食ともに船内の自動販売機(この3月までは食堂があったが、4月以降なくなった由)でジャンバラヤ(200円)を食べた。

P1000716gebahashi  予定時間どおり13:10には徳島港に着いた。直ちに、徳島城に向かい13:38に東北隅にある駐車場に車を預け、徳島城跡を一周散策した。城山麓には貝塚跡があり、またバラ園に綺麗なバラが咲いていた。水戸城にも少し似て連郭式で、天守は創建当時はあったが、元和年間に取り壊され、後に東二の丸に御三階櫓が構えられ、天守の代用となったが、明治2年の廃城令により撤去され、今はない。城内の徳島城博物館、それに続く旧徳島城表御殿庭園をも見た。この表御殿へ正面入口に設けられた下馬橋と大手枡形と黒門跡がある(上の写真)。東南に黒門外側の三木廓に構えられた薬医門造りの「鷲の門」が復元再建されている。

 17:53駐車場を出、18:03本日の宿、剣山ホテルに着いた。


いざ!徳島へ

2008-05-20 20:00:00 | 旅行記

 昨日は、熱帯低気圧に変わった台風4号の影響で、曇から夕刻から雨になったが、本日は風強く、大雨。

 15時前に自宅を発って、高速・首都高を通り16時過ぎに東京港東九フェリー乗場へと着いた。この頃は雨は上がった。近くに1926年製ブガッティのスポーツカーが乗船待ちしていた。82年前のものにしては、ナンバーも付いており立派な代物だった。写真を撮らせて貰った。

 今日から、5月29日の妻の祥月命日の墓参りに岡山に帰る。この機会を利用して四国一周をし、ついでに室戸岬、足摺岬と鳴門の渦を見て、100名城のうち四国の9城と、岡山のうちまだの2城を訪れ、31日に帰宅する計画である。

 今日は、19:10発オーシャンイーストに乗り、翌21日13:10徳島港着予定である。船内では、埼玉からの小生より少し年配の男性2人と親しくなった。彼らは、徳島からまたフェリーで和歌山に渡り、自転車で熊野古道を約10日間程度で走る予定とのことだった。

P1060328blog 出発時は、辺りが暗くなり始め、フェリービルディングの彼方にフジテレビの特徴ある建物が、確認できた。

 我々3人は、二等旅客室で同じ10畳位の区画の中で20時過ぎには眠りに着いた。全8区画あったが、人のいない区画もあり、空いていた。


方丈記と徒然草

2008-05-17 19:48:28 | 日記・エッセイ・コラム

P1000641  本日14時から16時の間、県立図書館視聴覚教室で、第64回放送大学ライブラリー講演会が行われたので、聴講した。今回は、放送大学准教授島内裕子氏の「『方丈記』と『徒然草』・・・生き方の哲学・生き方の美学」と題しての講演である。

 この分野の専門家だけあって、解釈が奥深く楽しい、有意義な2時間を過せた。また、これら書物を読み返したくなった。


わくわく学園中央校開講式

2008-05-16 18:09:00 | 学習・講座受講

P1000638_2  本日13時から県総合福祉会館で題記開講式が開催された。過去2年間は歴史の講座を受講したが、今年度からは絵画を選択した。全26回で、内8回が共通講座、18回が絵画講座である。

P1000639_2  13時半からいよいよ講座が始まり、今日は共通講座で、「生涯学習の目的を考える」と題し、茨城キリスト教大学文学部名誉教授寺門光輝氏の記念講演を受講した。


細尾峠から夕日岳・地蔵岳

2008-05-15 23:06:00 | ウォーキング

17mitsubatsutsuji  「里山ウォーク」の月例会で奥日光のアカヤシオを見に行った。当初予定では5月13日だったが、天候不良のため今日に変更となった。旧国道122号線上細尾峠(日足トンネル脇)から夕日岳(1526.1)、地蔵岳(1483)、薬師岳(1420.1)を往復した。

12nikkoshiranesan  アカヤシオの花は残っていたが、来るのが少し遅かったような気がした。新緑の中に映えるミツバツツジが見事で、雪を頂いた日光白根山もすばらしかった。

 距離10.51km、帰りには道の駅「はが」に隣接の「ロマンの湯」で汗を流した(「やしおの湯」は休館日だった)。


御岩山と高鈴山山行

2008-05-06 23:34:00 | ウォーキング

09tozanro  ゴールデンウィーク最終日の今日、御岩山と高鈴山に登った。前回から山行が1週間空いたので、温泉に入る方々シャクナゲも見ようと出かけた。

28murasakiyashio  陽射しが強かったが、これら山はその登山路のほとんどが林中であるので、高鈴山山頂以外に特に暑さを感じない。それよりも、芽吹きの時期で、新緑の中を気持ちよく歩けた。帰りには、「中野屋」で立寄り湯。