つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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墓参りの後、備中松山城と鬼ノ城

2008-05-29 21:57:00 | 

 5月29日は妻の祥月命日である。昨夜の残り雨が少し降る朝だった。9時に家を出て、墓参りを終え、戻った息子は、今夕高速バスで帰阪するので妻の実家に残し、小生は9:50に出発し、おじさん宅に寄り、その息子も交え1時間ほど話をして、11時少し前に備中高松上を目指し、高梁市に向った。細い山道をくねくねと上り、11:40、鞴(ふいご)峠駐車場に車を停めた。備中松山城は、天守が現存する12城の中では唯一の山城で、標高430mの臥牛山にあり、現存天守としては最高所にある。

P1070291ootemon  坂道と石段の登城路を登り段々と高度を上げ、大手門跡に到達。大手門付近には大きな自然の巨岩を組み込んだ石垣で重層的な防禦がなされていて、これでは攻撃は非常に困難と思った。実際、戦国末期の天正3年(1575)三村元親(家親嫡子)は小早川隆景の攻撃をよく防ぐが、兵糧攻めに遭い、内応者が続出したため自刃、陥落している。

P1070317tenshu  天守は、2重2階と小振りであるが、内部は予想より広い。現存する天守には唯一の囲炉裏があり、また水谷氏(常陸下館から備中成羽を経て備中松山城主)が始めた御社壇があり、珍しい。石垣、縄張の見事さを堪能し、14:30、次の鬼ノ城を目指し発った。

 途中、コンビニでパンと牛乳とアイスモナカの昼食を摂り、15:50鬼ノ城駐車場に着いた。その脇にある総社市鬼城山ビジターセンターに寄り鬼ノ城の模型(ジオラマ)や、西門の復元モデル2種を見、案内の人の説明を聞いた。7世紀後半に作られた古代山城で、吉備高原の南端に位置し標高約400mの鬼城山に築かれている。東西南北に城門が4箇所に設けられ、水門、角楼、高石垣などにより構成され、高度な技術、考えが反映されている。

P1070382minamimon  大規模な史跡整備と西門や角楼の復元がなされており、ハイキングコースとしても整備されている。入場は無料。

 日が翳り始めたので、18:15駐車場に戻り、1825出発。これから、徳島まで行かなければならない。瀬戸中央道に載り、初めての瀬戸大橋を渡った。途中、今夜の宿のみは予約していないので、徳島に必ずしも行く必要はなく、明朝徳島港に行く前に、折角ここまで来たのだから、是非鳴門の渦潮を見て帰りたかった。そこで、行き先を鳴門市に変更し、20:10鳴門のビジネスホテルにチェックインした。夕食は、近くの村さ来で摂ったが、冴えなかった。