つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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平成30年度(第35回)水戸学講座(第三講)

2018-10-21 13:11:41 | 学習・講座受講
 第一講第二講に続き、本年最終の第三講を受講した。本日の講師は、元茨城県立高校・教頭、水戸史学会理事の藤咲憲一氏で、演題は「明治の精神と教育」だった。


 本講は、第二講と一部ダブっているが、切り口が異なっているように思われるので、楽しかった。小生は、45年近く前の結婚前に後に小生の妻となる人と明治神宮にお参りしたことがあり、その時「教育に関する勅語」(教育勅語)の冊子他を買って読んだ。あまりにも共感することがあり、自分で半紙に毛筆で書いて、トイレの壁に貼って、都度読み、記憶していた。その後、それに替えて、弘道館で「弘道館記」(本物は漢文だがそれを書き下し文に和訳したもの)を買ったので、トイレの壁に貼って、都度読んでいる。そのせいか、本日もこれらを読んで感動し涙ぐんでしまった。

 日本のこころは、明治のこころ、それは明治天皇のこころ。そのこころは水戸のこころであることが判った。

平成30年度(第35回)水戸学講座(第二講)

2018-09-09 18:12:56 | 学習・講座受講
 第一講に続いて、今年の水戸学講座第二講を受講した。前回に続いて本日も10時開始の所、10分ほど到着が遅れてしまった。道路の混み具合の想定が悪かった。本日は、元茨城県立高等学校校長・水戸史学会副会長の安見隆雄先生で、第二講の演題は「水戸の心と明治の心」-『教育勅語』をめぐって」だった。


 教育勅語をめぐっての話なので、教育に関する配布された資料の事例の概略説明・解説を受けた。
1.五箇条御誓文(明治元年・慶応4年3月)(率先垂範を神に誓う、大化の改新の先例)
2.学制の頒布(学事奨励に関する仰せ出され書)明治5年(1872)
3.福沢諭吉の『学問のすゝめ』(学問と自由独立の気概)
4.『ベルツの日記』(明治9年医師教師として来日
5.『大日本帝国憲法』(明治22年2月21日)
6.『教学聖旨』元田永孚(文政元年(1818)~明治24年((1891)。熊本藩士、時習館に学ぶ。明治4年1月、藩命で上京、5月に藩命および大久保利通の推挙により宮内省へ出仕し、明治天皇の侍読(侍講)となり、以後20年天皇への進講を行う。水戸学には、会沢正志斎の「及門遺範」・「新論」や栗田寛の「金鑑録」(神聖宝訓広義)などを通じて知識あり)、明治12年(1879)8月
7.『幼学綱領』頒賜ノ勅諭(明治15年、宮内省から配布)元田永孚著
8.「聖諭記」元田永孚、明治19年(1886)11月5日
9.「教育に関する勅語」明治23年10月30日
10.「教育勅語」と元田永孚
11.「教育勅語」の扱い
12. 終身教科書
13. 海外の評価 外国語訳と普及活動
14. 戦後、「教育勅語」の排除・失効の決議
15. 米国での道徳教育推進
16. 道徳科の授業と評価は子供を伸ばす(皇學館大學准教授 渡邊 毅氏、『日本』十月号)
17. 明治天皇の御聖徳

平成30年度(第35回)水戸学講座(第一講)

2018-08-19 17:51:51 | 学習・講座受講
 今年の水戸学講座は総題を「明治のこころ」と題して3講行われる。本日は第一講で「岡倉天心と明治の精神」と題し、那珂市教育委員・水戸史学会理事住谷光一先生だった。


 岡倉天心は元越前藩岡倉勘右衛門(藩の納戸役)で外国貿易省に生糸・羽二重の売り込みをする石川屋支配人の次男として横浜に生まれている。講義では、天心に影響を与えた人物や天心が行った業績や影響を与えた人物などについてのことが主体だった。

 日本の黎明期に若者たちが、世界に伍して活躍するその原動力はどこから来たのだろうか? 国を開いて世界に遅れていることをきちんと評価し、その対応を考えていたのだろうな、その何とかしなければ感が強かったのだろうな!?と思った。そのようなことになった時、果たして、自分なら同様の対応ができていただろうか、を思うとその当時の若者たちの気概には感嘆せざるを得ない

平成29年度(第34回)水戸学講座(第三講)

2017-10-15 15:43:50 | 学習・講座受講
 このところ3日続きの雨で、今日もまた肌寒く最高気温は15.7℃(平年21.0℃)と、昨日の15.8℃(平年21.1℃)に続いて、今シーズン一番寒い日となった。

 前回の第二講に続いて、本日は今年度最終回の第三講で「大政奉還の真意」と題し、水戸史学会会長宮田正彦氏の講義だった。


 この徳川慶喜による「大政奉還」の意図については、色々の人々が述べている:
①慶喜摂政説:京都の慶喜政権が提出した権道の策
 (幕閣が江戸と京都分裂しており、江戸の猛然と反慶喜的空気が盛り上がった)
②天皇を大君とし大君制国家の創設
 (大政奉還しても朝廷は「もてあくみ」天皇は再び政権を慶喜に委任するだろうことを狙った幕権回復策)
③幕府の相対化拒否(徳川単一政権)を狙う(大政奉還1・2ヶ月前頃には危ないと思い始める)
 などがある。

 一方、松平慶永等の書、慶喜の言動書などより、一意皇室を思い国家を憂えた至誠から出たものであり、維新の大業の一半は慶喜公の至誠に帰せざるを得ないし、公をしてそのようにならしめたその一半はまた祖宗の遺徳である。

 明治34年大磯より汽車で帰京する折、伊藤博文に会った渋沢榮一は伊藤公より聞いた話として以下のように言っている(徳川慶喜公傳 四(逸事)):

(以下、( )内は説明のため小生が記入)
 公爵(伊藤博文公)余(渋沢栄一)に語りて、「足下は常によく慶喜公を稱讃せるが、余は心に、さはいへど、大名中の𨪙𨪙(そうそう)たる者くらゐならんとのみ思ひ居たるに、今にして始めて其非凡なるを知れり」といひき。伊藤公は容易に人に許さざる者なるに、今此言ありければ、「そは何故ぞ」と推して問へるに、
 「一昨日有栖川宮にて、西班牙(スペイン)國の王族を饗應せられ、慶喜公も余も其相客に招かれたるが、客散じて後、余は公に向ひて、維新の初に公が尊王の大義を重んぜられしは、如何なる動機に出で給ひしかと問ひ試みたり。公は迷惑さうに答へけらく、そは改まりてのお尋ねながら、余は何の見聞きたる事も候はず、唯庭訓(家の教え)を守りしに過ぎず。ご承知の如く、水戸は義公(水戸光圀公)以来尊王の大義に心を留めたれば、父なる人(徳川斉昭公)も同様の志にて、常々諭さるゝやう、我等は三家・三卿の一として、公儀を輔翼すべきはいふにも及ばざる事ながら、此後朝廷と本家との間に何事の起りて、弓矢に及ぶやうの儀あらんも計り難し、斯かる際に、我等にありては、如何なる仕儀に至らむとも、朝廷に対し奉りて弓引くことあるべくもあらず、こは義公以来の遺訓なれば、ゆめゆめ忘るゝこと勿れ、萬一の為に諭置くなりと教えられき。されども幼少の中には深き分別もなかりしが、齢二十に及びし時、小石川の邸に罷出でしに、父は容を改めて、今や時勢は變化常なし、此末如何に成り行くらん心もとなし、御身は丁年にも達したれば、よくよく父祖の遺訓を忘るべからずといはれき。此言常に心に銘したれば、唯それに從ひたるのみなりと申されき。如何に奥ゆかしき答えならずや、公は果たして常人にあらざりけり」といへり。

 これが、徳川慶喜公の「大政奉還の真意」と思う。

平成29年度(第34回)水戸学講座(第二講)

2017-09-17 13:58:37 | 学習・講座受講
 前回の一講に続いて今日は第二講を受講した。9時半過ぎに家を出た時はポツ雨だったが、12時過ぎて帰るころは小雨になっていた。本日11時過ぎに鹿児島県南九州市に上陸した台風18号とそれから伸びた前線の影響のようだ。明日一ぱいまで当地への影響は続きそうだ。

 第二講は「大政奉還上表と維新前夜の混迷」と題し、植草学園短期大学名誉教授の但野正弘氏によるものだった。


 最後の将軍、徳川慶喜公(30歳)は、慶応2年(1866)7/20大坂城内で逝去した14代将軍家茂を接いで、8/20徳川宗家を相続、その際における慶喜公の談話があり、「・・遂に宗家を相続することとなれり。されども行ったん相続するや、老中等は又将軍職をも受けられるべしと強請せるのみならず、外国との関係などもありて、結局之をも諾せざるを得ざるに至れり。・・・予が政権奉還の志を有せしは実に此頃よりの事にて、東照公は日本国の為に、幕府を開きて将軍職に就かれたるが、予は日本国の為に幕府を葬るの任に当たるべしと覚悟を定めたるなり。・・」
 慶応3年(1867)10月上旬頃、慶喜公は政権返上の決意をする。「予が政権返上の意を決したるは早くよりの事なれど、さりとて如何にして王政復古の実を挙ぐべきかということは成案なかりき。・・・松平容堂の建白出づるに及び、其中に上院・下院の制を設くべしとあるを見て、是は如何にも良き考なり、上院に公卿・諸大名、下院に諸藩士を選補して、公論によりて事を行はゞ、王政復古の実を挙ぐるを得べしと思ひ、此に勇気と自信を得て、遂に之を断行するに至りたり。・・・」

  慶応3年(1867)10/14将軍慶喜公は「大政奉還の上表文」(正式名は「政権並びに位記返上の上表」)を朝廷に奉り、10/15朝廷、大政奉還を聴許。

 徳川水戸家には当初より、「国の主は天子様、徳川宗家は親戚筆頭である。一旦両者に干戈ある時は、天子様にお味方せよ」の家訓というべきものがある。

水戸学講座(#34-1)

2017-08-20 20:18:39 | 学習・講座受講
 平成29年度(第34回)水戸学講座は、本年が大政奉還150年に当たることを記念して、総題を「大政奉還百五十年の記念の年を迎えて」とし、3回に亘り行われる。
 本日はその第一講として、「大政委任論をめぐって」と題し、元茨城県立高等学校校長安見隆雄氏によるものだった。


 大政奉還という行為をするということは、幕府は大政を委任されていたのか?ということが問題。武家政権へ大政委任の形式的実体はない。講義は戴いた資料に基づき行われ、大政(天下の統治権)の変遷から江戸幕府の生い立ち、性格、対朝廷対応、大政委任思想の起り、尊王論の勃興、大政委任論の具体化などをテーマで講義を受けた。

水戸学講座受講(#33-3)

2016-10-16 14:13:59 | 学習・講座受講
 第33回第二講に続いて、本年度水戸学講座の第三講を受講した。今年の水戸学講座はこれが最終。

 本日の第三講は、「大日本史の真意」と題し、講師は水戸史学会会長宮田正彦氏。


 「大日本史」叙を読みながら何故光圀公が大日本史(光圀公の時期にはまだタイトルは決まっていなかった)を纏め上げるに至ったかを学んだ。しかし、本当に言いたかった真意は、日本人のあるべき姿をこの叙に書いたもの、のようである。

 今日も昨日に続き朝から陽が射して晴となった。2日連続で晴れた日は10月5・6日以来なので10日ぶりとなった。本日の最高気温は23.9℃(平年20.8℃)と比較的暖かかった。

水戸学講座受講(#33-2)

2016-09-18 16:08:29 | 学習・講座受講
 第一講に続いて、今年度水戸学講座第二講を受講した。

 本日の第二講は「徳川光圀公に見る史料蒐集の深慮と文化財保護」と題し、講師は植草学園短期大学名誉教授・水戸史学会理事事務局長の但野正弘氏。


 光圀公の修史にかける志、そのための史料蒐集にかける心遣い、その後の書物等の借覧へのお礼など、また作成した史料や書物の提供など細やかな配慮をしている。
 光圀公は「彰往考来」「継往開来」「継絶興廃」に意を用いてこの修史作業を進めている。

水戸学講座受講(#33-1)

2016-08-28 16:31:44 | 学習・講座受講
 今年度の水戸学講座は、今年が『大日本史』明治39年(1906)に完成して110年経つので、大日本史をテーマとなった。

 第一講目の本日は、「『大日本史』のみた遣唐使」と題し、講師は元清真学園高校中学校副校長・博士 梶山孝夫氏。


 大日本史に記述された遣唐使を紹介し、その事績や評価について解説。例えば、巷間評価の高い阿倍仲麻呂については、水戸学からの評価は決して高くない。

「パソコンで描く水彩画」

2016-06-03 16:51:27 | 学習・講座受講
 NHK文化センターからの1回だけの題記の講座案内があったので、面白そうだったので申し込みをしていた。本日その口座が13時から15時まで旧三之丸県庁舎内にあるNHK文化センターであったので参加した。参加者は10人程度で、小生と同年代か60代のように思った。
(写真はNHK文化センターの入っている旧県庁三之丸庁舎)

 各自にPCが準備されていて、それにインストールされている「水彩8」という水彩ソフトを使用したもので、20年以上前に使用していたMAC PAINTにも似ているレイヤー式になっていていた。少し使ってみただけだったが、何だか使いやすそうに思ったが、やはりある程度の根気がないと良い絵は描けない、と思った。でも、ある程度はボケ防止にはなりそうに思った。このお絵かきソフトを買おうかどうか少し考えてみよう。

水戸学講座受講(#31-3)

2014-10-19 13:50:30 | 学習・講座受講

 第31回(平成26年度)水戸学講座第3回目を受講した。今年度は昨年度に引き続き会沢正志斎先生の著述である「退食間話」の解説である。
14101901  第3回目の今日は、元県立高校校長の安見隆雄氏(水戸史学会副会長)よるもので、最初に明治維新と水戸学の影響について概説後、退食間話の著述にしたがって「弘道館記の『夫の建御雷神を祀るものは・・・』」以降の解説を5つの質問に答える形で行ったものであった。


水戸学講座受講(#31-2)

2014-09-21 14:01:59 | 学習・講座受講

 第31回(平成26年度)水戸学講座第2回目を受講した。今年度は昨年度に引き続き会沢正志斎先生の著述である「退食間話」の解説である。
14092101  第2回目の今日は、但野正弘植草学園短期大学名誉教授によるもので、弘道館記の「中世以降、異端邪説、民を誣ひ世を惑し、・・・」以降の解説を4つの質問に答える形で行った解説であった。


水戸学講座受講(#31-1)

2014-08-17 15:21:00 | 学習・講座受講

 第31回(平成26年度)水戸学講座第1回目を受講した。今年度は昨年度に引き続き会沢正志斎先生の著述である「退食間話」とそれに述べられている「弘道館記」解説の講義である。
14081701  第1回目の本日は仲田那珂市歴史民俗資料館長によるもので、弘道館記の「道」について、国の誕生の神話から神々の神聖、その信頼などから説明。


H25年度(第30回)水戸学講座第三回

2013-10-20 13:39:04 | 学習・講座受講

 雨の中、今日は久しぶりに千波湖畔の道をとって出かけた。映画「桜田門外ノ変」のために千波湖南岸に作られていて、桜田門とその周辺のオープンセットが取り払われて跡形なくなっていた。今日の気温は7:43に17.9℃の最高気温をしめした後徐々に下がり、12時で15.5℃、13時で15.0℃となっていて、肌寒く感じる。
   

13102001 今日は、今年度の水戸学講座の最終回で、水戸史学会副会長久野勝弥氏による「会沢正志斎の門人たち」と題する講演であった。 多くの門人たちのうちから、加藤桜老(笠間藩士)、永山徳夫(佐賀藩士)、真木和泉守(久留米水天宮祀官)、吉田松陰(萩藩士)、安達清風(鳥取藩士)の5人について、その交わりの内容の紹介だった。
 「桜田門外ノ変」の映画制作時に造りすぎて沢山余ったとかで、徳川光圀公三ツ葉葵紋でうつし金蒔絵シールを受講者希望者が貰った。
13102002_413102003_3(左はうつし金蒔絵シール、右は自分の携帯電話にうつし貼った状態)


H25年度(第30回)水戸学講座第二回

2013-09-22 16:44:09 | 学習・講座受講

13092201 今年度水戸学講座の第2回目は、元茨城県立高校校長・水戸史学会副会長の安見隆雄氏による、会沢正志斎著の「新論」についてであった。
 新論は、文政8年(1825)、会沢正志斎が44歳の時に著し、藩主斉脩公に提出されたものだが、現代でいう防衛大綱であり、防衛白書である。 藩主斉脩公は、公刊するには憚り多いとし、また内々にして姓名を著さないようすることを指示。公刊されたのは、安政4年(1857)。 上下2冊に纏め、国体(上・中・下)、形勢、虜情、守禦、長計の5論から成る。
●国体(上):国民の統一を図るため、国の中心となるべきものを明らかにする。
●国体(中):建国以来、武を尚ぶ国であり、今こそ武力を発揮すべき時と説く。
●国体(下):国民生活が衣食住に恵まれ、安寧な生活が送れるのも、天神・天祖・歴代天皇の御恩であり、国民は感謝し、祭祀を執り行うべきである。豊葦原・瑞穂の国の理由を説く。
●形勢:世界万国の大勢を論ず。特に、ロシアの脅威を、そしてその周辺国との合従連衡を説く。
●虜情:欧米諸国が我が国を窺う実情、その謀がどんなものかを説く。
●守禦:国内の改革が先決とし、「内政を修む」、「軍令を飭(ととの)ふ」、「邦国を富ます」、「守備を頒(わか)つ」の4項目をあげて富国強兵を論述。
●長計:庶民教化の大本に至り、国教としての神道を力説。
現在の日本をめぐる状況下にも当てはまり、示唆に富んでいることも多い。
   

  
  
 10時から11時50分の講座を終えた後、偕楽園を30分ほど散策した。その後、アリスタでブランチを摂り、帰路、普段行くスーパーに寄って食料の買物をして13:35帰宅。