つれづれ日記

~認知症に備えて~
(H26/11/21geocitiesから"goo"に引越)
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悩ましい時期となった

2008-10-28 10:30:00 | 悩み

 小生の家は角地にあり、前の道路が直角に曲がっている。道路の向こう側は高さ5mほどの石垣があり、その上にはクヌギ、山桜、藤などの他雑木が茂っており、部分的に道路の中央部近くまで被さっている状況にある。

 したがって、この時期から4月頃まで毎日大量の落葉が道に降り注ぐばかりでなく、自宅玄関、駐車場、庭にまで入り込む。したがって、その掃除が大変である。今は落葉の落ち始めの段階であるので、45?ごみ袋1袋程度で済むが、多いときは1回で3~4袋にもなる。

 昨夕(落葉掃きは、いつも夕刻にする。これは、風が凪いでからでないと、掃除中に風のせいでいくら履いても綺麗にならない)、落葉を小1時間掛かって綺麗に掃いたのだが、今朝起きてみると、道路一面に落葉が散らばっている。昨夜の雨と風のせいで、折角綺麗に掃いたものが全く効果がない。しかも、道路、石垣、塀など構造物と吹く風の方向などから、澱み点が小生の家の周囲になっているようで、自然と自宅回りに大量の落葉が集まってくる。

 これから、一段と落葉の量も増し悩ましい季節がやってきた。労力と時間とゴミ袋代が悩ましい。


歴史館・斉昭ミニ講座#3

2008-10-25 20:25:00 | 学習・講座受講

 歴史館では10/11~11/24の間特別展示「幕末日本と徳川斉昭」が行われている。これは、第23回国民文化祭・いばらき2008協賛事業としてのことである。今回、第3回は、「徳川斉昭と井伊直弼ー対立の構造と真意」と題し、京都女子大学教授母利美和氏による講演会であった。

 14~16時の予定で、13:40頃会場についたら、すでに満杯で(先着200名、無料)会場には入れなかった。しかし、ロビーで同時にビデオ放送があり、それを見ながら講演を聴くことが出来た(60名程度いた)。

 斉昭と直弼の生い立ちから政治姿勢と当時の情勢認識と外交姿勢などについての話があった。結果的に、ともに失策によって政策論争から、政権争いとなってしまう。新しい時代を迎える激動の時代のある意味犠牲者であった。ともに、究極のところは大差なく、その実現の方法に相違があった。


谷川岳山行

2008-10-21 23:50:00 | ウォーキング

 今日は、今回谷川岳山行の核心である谷川岳登頂である。昨日、バスの中から双耳峰がはっきりと見えたときは感動した。

 8:20ホテルを発ち谷川岳ロープウェイ駅から早速ロープウェイに乗車。天神平駅に到着後準備体操の後9:02出発。途中何回か小休憩し北側西黒尾尾根の南斜面の紅葉を眺め、写真を撮りながら、9:47熊穴沢避難小屋に到着。途中何度かちょこちょこと休憩をとりながら、天狗の溜り場、ざんげ岩を過ぎて谷川岳肩ノ小屋に11:43到着。11:51出発、12:00丁度にトマノ耳に到着。ここで、肩ノ小屋に戻り昼食をとるものと、さらにオキノ耳に行くものに別れ、小生はオキノ耳にまで行くことにした。

P1010170sanchou  12:03トマノ耳発、12:16オキノ耳(谷川岳山頂)に到着。昨日買ったオニギリ2個と味噌汁の昼食を摂る。12:30過ぎ頃から北のほうから黒い雲が広がり始めたので、12:43オキノ耳を出、12:55トマノ耳、1分間周りを見回すが遠くは霞んで遠望はあまり利かないので降り、12:59肩ノ小屋に到着。ここで、残留組と落ち合う。

 13:14肩ノ小屋を出て、往路を引き返す。15:02天神平駅到着。すぐにロープウェイに乗り、温泉に入る準備をしてバスに乗り込み15:40ホテルに到着、立ち寄り湯を楽しみ、16:40出発し帰路に着く。帰りは関越道(赤城高原SAで食事)・外環道・常磐道(守谷SAでトイレ休憩)を経て20:45千波公園に帰着。

 この山行の詳細は、こちらを参照下さい。


谷川岳山行

2008-10-20 23:23:00 | ウォーキング

 今日は「里山ウォーク」の月例での谷川岳山行である(計19人参加)。朝6:20千波公園D51駐車場集合、6:30出発。北関東道・R50・北関東道・関越道を経由し、途中数回のトイレ休憩をして水上ICを降り、11:05谷川岳ロープウェイ駅に到着。ここから、R291の舗装道路を歩き、マチガ沢出合を経由して一ノ倉沢出合に到着。ここで昼食を食べた。途中、赤城高原SAでおにぎりを2個買ったが、これは明日の昼食にして、今日は昼食時間がたっぷりとあるので、持参のトマトリゾットを作った。

Blogp1010159  初めて見る岩壁に魅了された。一部に雪渓が残っていた。正面の岩壁は切り立っていて、植物はほとんどなかったが、周りの紅葉・黄葉は見事だった。京都の寺院の赤い紅葉を見慣れている小生には、鮮やかさが今一であったが、モザイク模様はそれとは別の美しさだった。

 一ノ倉沢出合の先から新道に降り、湯檜曽川に沿って土合橋までもどり、その近くに待機していたバスに乗り、本日の宿である「湯の陣」に到着。バイキングの夕食だったが、値段が安い精か(¥7,800)大したものはなく、少々失望した。

 今回の山行の詳細は、こちらを参照下さい。


水戸学受講:近世水戸の教育施設-第3回「賛天堂と医学教育」

2008-10-19 17:31:00 | 学習・講座受講

Blogp1010138  本日10:00~11:30、常磐神社社務所(旧婦人会館)で行われた。講師は、清真学園高校・中学校副校長梶山孝夫氏。

 これまで賛天堂ということは聞いたことがなかった。今回の講義(講演)で、弘道館の中にあった医学館の講堂の名前だったことがわかった。徳川斉昭が賛天堂と名付けたのは、「中庸」にある一節の「能(よ)く物の性を尽くせば、則ち以って天下の化育を賛(たすく)くべし」から採った。

 「賛天堂の記」、その他資料によりの説明を聞く。

 講義の冒頭は、水戸史学に関する近頃の啓蒙書に遺憾な記述が多いとして、実例を挙げて指摘。大学の教授やそれに準ずるものの記述として、まことに稚拙な記述である。


歴史館・斉昭ミニ講座#2

2008-10-18 19:00:23 | 学習・講座受講

 斉昭ミニ講座2回目の今日の題目は、「正志斎と東湖」で、講師は1回目と同様歴史館主席研究員永井博氏。時間が1時間と限られているので、細かなことをはしょるのは、しょうがない。長寿を全うした正志斎(82歳)、志半ばに災害に斃れた東湖(50歳)の対比が面白い。今迄、このような対比をしたことがなかったので、そうかと気付かされた。

 講演の内容は、正志斎が主眼であり、その著書「新論」・「時務策」についての内容紹介があったが、東湖についてはその業績などの内容の紹介はなかった。

 次回は、10/25(土)「井伊直弼と徳川斉昭」(講師:田利美和氏)である。


はつらつ百人委員会第1部会(#8)

2008-10-16 20:50:00 | はつらつ百人委員会

 13:30から県央地域高齢者はつらつ百人委員会第1部会の第8回打ち合わせに出席。10月8日に行ったグラウンドゴルフの反省と、はつらつ文化祭出展の勧誘についての打ち合わせを行った。

 毎年同じようなことをやっているのに、改善が蓄積していない。良かった点、反省すべき点などが蓄積されないので、毎回同じようなことが繰り返される。他のグループとも情報交換・調査して、毎回・毎年少しでも改善するようなやり方を工夫すべきではないか。このためには、参加する人・リードする人の意識が重要な要因となる。


中央蔵王縦走

2008-10-15 23:52:00 | ウォーキング

 昨夜ペンションウッドチャックに泊まって、トレッキングパックを利用して、刈田峠から刈田神社、熊野岳、自然園、名号峰、猫鼻を経由して、峩々温泉までの縦走をした。刈田峠までペンションのご主人に送ってもらい、峩々温泉で迎えに来て貰うサービスである。小生のように、一人で山行するものにとって、縦走ができるのでこれはありがたい。さもなければ、出発点に戻らねばならず、往復か周回コースかに山行が制限されてしまう。

 計画した時点では天気予報は曇であったが、前日になって雨になった。しかし、時間の空いているときを選んで来たので、計画を変更することは、できない。雨の中をあるくことを覚悟して、ペンションの美味しい夕食をたらふく戴いて、眠った。しかし、今朝起こしてもらって(朝早く起きるのは苦手)外を見ると、見事に晴れていた。これは幸先よいとうれしくなった、のだが・・・・・。

 今回の目的は、紅葉を見るためと、単純に山行が目的だった。半月以上も山行が空いているので、久しぶりとなった。相変わらず、腰(尻)から脚先まで両足とも裏側(背面)が痺れるように痛い。運動不足と理解してできるだけ歩きたいからである。

Blogp1080256  刈田神社(ライブカメラが設置してあった)に上り、本日の無事をお祈りしてからお釜へ下る際、道の縁の上をわき見をして歩いていて、50~60cmの深さのある石とコンクリートで出来た側溝に転落してしまった。荷物は10kg程度で左肩から落ちたが、幸い手をついたため、頭、肩や首からぶら下げていたカメラには異常はなかったが、手のひらに擦り傷、両足膝を打撲してしばらく唸っていたが、気を取り直して本日の予定コースを歩くことにした。大した怪我がなかったのは、お参りしたお陰と考えた。また、好天気の代償かとも思った。お釜から熊の神社まで徳島から磐梯山・安達太良山を登って、今日熊野岳に来られた男性と遭い一緒した。この方は、自分の車で四国から来たとかで、今夜は蔵王温泉に泊まるとのことで、熊の神社から刈田峠に引き返すとの事で別れ、小生は先に進んだ。

Blogtakip1080321  熊野岳からはゴーロの緩斜面を下り、途中からハイマツの中を進んで、予定通り名号峰に着いた。1時間の大休憩をとり、お湯を沸かして味噌汁でペンションで準備してもらった山弁を食べた。食後はコーヒーを淹れた。ここまでも、ここから以降でも確かめたが、唯一名号峰からのみ携帯電話が繋がった。峩々温泉でも周囲が山に囲まれていて駄目だった。名号峰からは里山を歩いているようで、最初はダケカンバ、次にブナなど下に下りるにしたがって、ミズナラやクヌギの林の中の笹の道を歩いた。遠く南方向尾根の北斜面に落差の高そうな滝と、流れるような滑滝が望めたが滝名ははっきりしない。

Blognanakamadop1080295  肝心の紅葉はすでに盛りを過ぎているような気がした。真っ赤なナナカマドの実はあちこちに見えるが、葉はほとんど落ちてしまっていた。しかし、光を受けて輝く黄色のモザイクがえもいえない風情だった。ときに逆行で透けて見える葉などもよかった。麓ではまだのようだったが、・・・。

Blogmomijip1010111  最期の分岐である猫鼻からの下りでは、打撲した右足膝小僧が痛く、熱っぽくなったが、予定通りの時間に下山できた。ペンションで一服し、遠刈田温泉の公衆浴場に身体を沈め寛いだが、両足の膝小僧は予想以上に傷ついていて驚いた。通勤時間帯の高速割引を待って、17:00白石ICにのり、途中船引・三春ICで一旦降り、再度のり直して無事19:30丁度に帰宅。本日の走行距離269.8km。昨日と合わせ今回の山形・宮城の旅では走行距離は671.5km。途中一回の給油もせずに済んだ。

 中央蔵王縦走の詳細はこちらを、昨日と本日の紅葉を求めて東北の旅はこちらを参照下さい。


立石寺と白石城

2008-10-14 23:19:00 | 

 10/15(水)に中央蔵王縦走を計画した。それだけでは折角の足代が勿体無いので、本日14日(火)に立石寺(山寺)と白石城を訪れた。

Blogp1010076  朝、車で出発、日立南・太田ICで常磐道にのり、途中安達太良SAでトイレと安達太良山の写真を撮るために寄った。残念ながら安達太良山はかすんでいてはっきりとカメラには撮られられなかった。朝6時過ぎに家を出たので、途中眠くてしょうがなかった。

Blogp1080236  山形北ICで山形道を降り、そのまま山寺へ到着。400円の駐車料金を払い参拝してきた。山門より先は300円の入山料が必要だった。実は、今回の旅行は、紅葉を見るためだったが、山は青々としていて、ところどころ色づき始めたところで、時期が早すぎた。長い石段を登り、途中芭蕉の有名な「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」のせみ塚などや、修行場所などを通って奥の院、五大堂に登り、そこから山寺の町を俯瞰した。山寺から復路では、道端にあったリンゴ直売所でリンゴを買った。親切なおばちゃんで、色とりどりの種類のリンゴを試食し、おまけまで付けて貰った。

Blogp1010085  再び、山形北ICから山形道にのり、村田JCTで東北道を南下、白石ICで降りて白石城を訪れた。元和の一国一城令にも拘わらず許された城で、代々片倉小十郎を名乗る片倉家11代の居城である。城の北にある市役所の近くの白石城駐車場から歩く。1m強程度の小川(当時の堀跡)に沿って進み白石高校のところから坂を上ると本丸であった。本丸の土塁上をぐるりと一周した。本丸は、小峰城より少し広い感じがした。天守(三階櫓)への石段を登り入場料300円を払って中に入る。平成7年(1995)に木造で復元したという真新しい内部の作りは見事なものであった。内部で売っていた「よみがえる白石城」(1,050円)を買い求めた。

 白石城からは、遠刈田温泉にある今夜の宿であるペンション「ウッドチャック」に16:15に到着。本日の走行距離401.7km。翌15日(水)は中央蔵王縦走である。

 この紅葉を求めて東北の旅は、こちらを参照下さい。


歴史館・斉昭ミニ講座#1

2008-10-13 20:07:00 | 学習・講座受講

Blogp1010074  本日14時から1時間、県立歴史館での斉昭ミニ講座(無料)が始まり、参加した。講師は学芸部学芸第二室主席研究員永井博氏である。第1回目は「斉昭時代の屋敷と藩制」で、現在歴史館で行われている特別展示「幕末日本と徳川斉昭」(第23回国民文化祭・いばらき2008協賛事業、10/11~11/24)の展示キャプションや、解説では説明しきれない部分の紹介や話題提供をするものとして開催された。

 江戸における水戸藩邸の変遷をまず示し、上屋敷としての小石川藩邸、中屋敷としての駒込藩邸の現在図面に基づく紹介があった。特に、駒込邸では向岡記に記載ある文政11年(1828)弥生10日向岡の由来を記した。明治になりここから向岡弥生町の町名となり、この藩邸跡から土器が発見され、これを弥生土器→弥生時代と称されるようになった。

 水戸藩の職制は、これに関する史料が少なく未解明な部分が多い。水戸市史などからの解説があった。

 次回は、10/18(土)「正志斎と東湖」(講師:永井博氏)である。


わくわく学園#5共通講座

2008-10-10 18:11:35 | わくわく学園

P1010071blog  午前中は、「気象情報から見る地球環境問題・茨城の気象の変化」と題し、水戸地方気象台防災業務課調査官岩間稔氏の講演だった。気象変化要因と、産業革命以降の温室効果ガスの濃度の急激な上昇、世界の年平均気温がここ100年間あたり0.67℃上昇(年降水量は有意な変化はない)、水戸では1.2℃上昇しているなどの説明があった。さらに、日本の年平均気温は、今世紀末頃(100年後)では2~3℃程度の上昇が見通されるとのことであった。また、家庭での暮らしにおける温暖化防止策についての資料による説明もあった。その後、竜巻・集中豪雨のビデオによる説明などもあった。

 計算根拠や条件の説明は何もなかったので(言っても理解できないだろうと思われたか??)、何ともはやの感は免れないが、すごいことになりそうな気がした。それにしては、国など行政の認識、取り組みなどの重要性は感じなかった。

P1010072blog  午後は、「茨城のフィルムコミッションについて」と題し、茨城県企画部地域計画課フィルムコミッション推進室長沼尻憲氏の講演だった。いばらきフィルムコミッションは、平成17・18・19年度の作品数において、全国1位の支援実績があるとのこと。テレビでの東京都や、京都、神奈川を舞台としたシリーズものなどを考えると、俄かには信じられない1位だが、何かのトリック(条件)があるのだろうか、と思った。平成14年度~19年度の茨城県のロケ隊の県内消費額は16.3億円、また、経済波及効果が22.8億円だったとのこと。


スポーツジム(#5)

2008-10-09 20:57:00 | スポーツジム

 13:30自宅を出て、スポーツジムへ行った。14:00到着、準備14:10クロール、14:20~14:45水中ウォーク。速いレーンを歩くが、中に腕を上げたり、横向き/後ろ向きに歩いたりする人あり、スピードを上げられない。隣に遅いレーンがあり、こちらのスピード程度しか出ていない。何故、こちらのレーンで歩き、速い人の邪魔をしないよう配慮しないのか?理解に苦しむ。田舎だからこの辺りのことが分からないのか?

 その後、ブレストを泳ぎ、ミストサウナに15分ほど入り、その後ストレッチを25分ほどした。最後は、シャワーを浴びて帰宅。

 1時間半程度しか過ごさないのに、往復約1時間掛けるのはいかにも時間効率が悪い。これがせいぜい週一回程度しか利用しない理由だ。


グラウンドゴルフ

2008-10-08 22:04:20 | はつらつ百人委員会

 本日は県央地域高齢者はつらつ百人委員会、のわれわれ第1部会主催の親善グラウンドゴルフを県立堀原運動公園(水戸市)・競技場で行った。昨日、テント設営準備、コース設定などを行った。本番である今日の好天を期待しつつ、・・・・。

 今朝起きると結構な雨が降っていたが、スタッフである小生は晴雨に関わらず現場に出動。本日の天気予報は、昼過ぎまで雨、その後一旦雨は止むが、夕よりまた雨であった。本日が雨の場合は、明日に延期の予定であったが、明日天気が回復するとは限らない、ということで、リーダーは本日実行することを決定した。事前の打ち合わせでは、安全のため、雨天の場合は、即中止と決定していたのにである。スタッフの集まりも悪く、競技の運営には重大な支障があった、ように思う。

P1010065blog  開始は、約1時間20分遅れの10時20分に開始。雨のためか、参加者は、申込者390人に対し、147名と参加率は約38%だった。大幅な欠席者が出たため、事前に準備していた組み合わせは合体させる要あった。手順が徹底されていないこともあって、記録の集計には少々手間取った。今回は順位を付けるのに、パソコンを導入したが、データの入力は、組み合わせの変更によるスコアカードの記入に手際悪かったこと、3ラウンドプレーし、成績は前2ラウンドのみを集計したものを対象、3ラウンド目はオープン(お遊び)とし、3ラウンドプレー時に成績表は完成するはずだったが、3ラウンド目が雨のためほとんどプレーしないまま中止となったこと、などにより若干遅れた。(写真は、準備体操中の参加者)

 今後、今回のように不参加者が多く出た時をも想定した、柔軟な競技運営方法の改善が必要である。


はつらつ百人委:第3回総会

2008-10-06 21:59:34 | はつらつ百人委員会

 本日は、13:30から県水戸合同庁舎で県央地域高齢者はつらつ百人委員会の第3回総会に出席した。

 第2、3、1部会のこれまで実施した事業と今後の計画の報告があり、その後、来年2月27日~3月1日に実施される第7回「はつらつ文化祭」の実施計画が報告された。今年度は、従来、部会毎に担当を一式受け持っていたものを、委員をばらばらにして、部会は関係なく各担当を決めたとのことであった。これで旨くいくとは、考えにくい気がする。理由は、各部会毎に担当を受け持っていれば、部会毎に行われる委員会のとき、細かいことについて打ち合わせができ確認が出来るが、ばらばらになると、文化祭担当毎に集まる機会を別途作る必要があり、それは集まりが悪く困難であろう、と思うからである。


天狗党西上勢終焉の地訪問(最終3日目)

2008-10-03 23:00:00 | わくわく学園

Blogmyoutsuji  今日は最終日である。最初に棡(ゆずりき)山明通寺(真言宗御室派)訪問。ここは、本堂(大同元年(806)坂上田村麻呂創建。正嘉2年(1258)再建、単層入母屋造、桧皮葺。大正12年(1923)解体修理)、三重塔(文永7年(1270)再建。高さ22.26m、桧皮葺。昭和32年(1957)解体修理)が国宝に指定されている。その他仏像4体が国重文となっている(いずれも藤原時代)。

Blogkouunsaiga  ここからは小浜市を離れ、再び敦賀へ向かう。旧大和田銀行の敦賀市立博物館に寄る。タイミングよく、本日から天狗党関連の特別展が開催されていた。潮来からの参加者の一人から、この天狗西上勢に参加したものが描いた武田耕雲斎の画があると紹介あり、耕雲斎の近くにいたものの手になる画はめずらしく、よく描けているということである。

 「さかなまち」というところで、自由昼食。小生は海鮮丼を食べた(1,090円)。多くの参加者は銘々におみやげ物を買い満足の呈であった。小生は何も買わず。

 その後、米原駅に戻り、そこでバスともお別れし解団式を行い、13:54発ひかり418号で東京駅に戻り、八重洲中央口で解散。17:00上野駅発スーパーひたち43号で水戸駅に戻り、タクシーで18:20帰宅。今回の「天狗党の跡を訪ねる敦賀・小浜の旅」は無事終了した。