小さい頃から甘いものが好きだった。九州にいた頃は歯磨きの習慣はまだ身についていなかったように思う。小学1年生の秋、山口県に越して来てからもしばらくはその習慣はなかったように思う。お陰で歯医者にはよく通っていたと記憶する。春と夏の休みには、村の田んぼ道や鉄道のガード下の道を1人で歩いて通院していた。
私には上の前歯の内側に、前歯と同じようなちゃんとした歯が1本生えていた。そのせいか、上の右側の前歯の並びには1ヵ所隙間があった。訳あって、その歯は高校一年生の夏休みになるとすぐに抜いた。麻酔を2本だったか上あごに打たれた。びっくりするほど痛かったが、耐えた。歯医者の先生がペンチ様の道具で力任せに抜いた。生暖かい赤い血が口に溢れた。
そんなこんなで歯医者通いでの思い出は多く、歯を削るなどの時のあの独特の金属音などは少しも苦にならない。
今、島の障害者通所施設を退職して3年目を迎えている。私はおよそ四半世紀をその施設でお世話になった。
小さい頃からの不養生で歯には自信がない私は、だから(?)在職時代から通っている島の歯科医に、今も月に1回程度、島と本土を結ぶ大橋を車で渡って通っている。
散髪も同じだ。頭髪も随分薄くなったが、在職時代からほぼ2ヵ月に1回ほどの割合で毎回、島の散髪屋に通っている。
昨日も散髪に行って来た。車で片道30分ほどかかるが、通勤で四半世紀以上の年月を行き帰りに通った道は、もう今は、よくもそんなに長い間、朝に晩にこの道をかよったものだという感慨深いものとなっている。
歯科通院するのも、散髪に通うのも、島への私のささやかな恩返しのつもりだ。
施設には寄らない。私は過去の人間だから。今は、今の人間で支えるのがいいのだ。
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